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映画ライター折田千鶴子のカルチャーナビアネックス

『Rodeo ロデオ』の疾走感にアドレナリン噴出!カンヌが注目するローラ・キヴォロン監督の輝ける才能

  • 折田千鶴子

2023.06.02

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カンヌ国際映画祭《ある視点部門》審査員特別賞受賞!

2021年は『TITANE/チタン』がカンヌ国際映画祭パルムドール(最高賞)を受賞し、そのブッ飛んだ映画を撮ったのが37歳の女性監督ジュリア・デュクルノーということ(なんと女性監督のパルムドールは93年のジェーン・カンピオン以来!!)もあり、大きな話題を呼びました。そして、まだまだ女性旋風は吹き荒れるとばかりに翌2022年のカンヌでは、ローラ・キヴォロン監督の『Rodeo ロデオ』が<ある視点部門>審査員特別賞(クー・ド・クール・デュ・ジュリー賞)を見事、受賞! この『Rodeo ロデオ』もかなりブッ飛んだ話ですが、メチャクチャ心を掴んでやまない超力作です。もう、大好き!

その、アドレナリンが全身を駆け巡るような本作を、どんな方が撮ったのかと興味津々で、フランス映画祭で来日されたローラ監督にお話をうかがいに行きました。

ローラ・キヴォロン
1989年5月6日パリ生まれ。現代文学を学んだ後、映画の修士課程ヘ。2012年、映画学校フェミス(Fémis)の監督コースに入学。中篇『Son of the Wolf』(15)がロカルノで開催されたPardi di domani – Concorso internazionaleで受賞。初長編監督作『Rodeo ロデオ』が2022年カンヌ国際映画祭<ある視点部門>審査員特別賞を受賞。

主人公は、バイク狂の若い女性ジュリア。乱暴で情緒不安定だし、平気で嘘をついてバイクを盗むし……。決して褒められた人間ではないのですが、観ているうちに彼女の心の核心に近づいていくからなのか、どんどん惹き込まれてしまいます。

なにより“バイク好き”ではない人が観ても、この疾走感にワクワクを免れ得ません。一言でどんな映画とは言えないような、クライム・サスペンスあり、自分探しや居場所探しといった青春もの、対マチズモ的な女性映画や女性の連帯的な側面もアリ、ファンタジーも紛れ込んで来て、まさにジャンルを超えたクロスオーバー的作品で、そのすべての要素に惹かれてしまうのです。

『Rodeo ロデオ』ってこんな映画

6月2日(金)よりヒューマントラストシネマ渋谷、アップリンク吉祥寺で公開。6月3日(土)よりK’sシネマほか全国順次公開
© 2022 CG Cinéma / ReallyLikeFilms

短気で問題ばかりを起こす、バイクをこよなく愛するジュリア(ジュリー・ルドゥル)は、“クロスビトゥーム”というバイクでアクロバティックな技を繰り出す、バイカー集団に出逢う。盗み出したバイクで彼らが練習するサーキットに潜り込んだジュリアは、ある事件をきっかけに、彼らが属する半犯罪組織のような集団の一員に。しかし彼らの半数は、女性が仲間になることを快く思わない輩だった。ジュリアは、組織のボスで今は刑務所にいるドミノから、妻オフェリーと幼い息子キリアンの日々の雑事をするよう命じられる。やがて“マッチョ男の集団”の中で、ジュリアは自ら犯罪に加担し、大胆にのし上がっていくが――。

──ジュリアが暴れ回る登場シーンは、うわ、ヤバイ奴が来ちゃったな、と最初は思いました(笑)。“女性のチンピラ役を作るのが監督の夢だった”そうですが、彼女はメチャクチャ怒りを溜め込んでいますよね。ずっと自分が不当な扱いを受けてきた、という思いが拭えないゆえの乱暴であり怒りなのでしょう!?。

「そもそも“怒り”って、ある種ミステリアスなものじゃないですか!? そこを敢えて言うなら、ジュリアは自分が苦しまないために怒っている気がします。もしかしたら、その苦しみは家族が理由かもしれませんが、ハッキリとは断定できない謎めいたものです」

「彼女はとても孤独で、これまでずっと1人で、色んな局面を切り抜けてきました。でも同時に、家族みたいなもの――自分の居場所を常に求めているのです。それで自分が愛する“クロスビトゥーム”の、バイカーたちの集団に属しようとしますが、そこでは“女性の体”は障害であり、自分の邪魔をするものだということに直面するのです。女の体を持つゆえに、男の人ならできることが思うように出来なかったり、好きなことをすることが許されなかったり。そういう意味で、“女性の体”に対する怒りもあったかもしれません」

──確かに大好きなバイクの集団に入ったはいいけれど、予想以上の拒否反応や拒絶にあいます。分かっちゃいるけど、それは観ていてやはりショックでした。

「だからといって彼女は、自分を好いてくれるカイスという男の子をも好きになれないわけです。そうした落ち着かなさや、安心することのできなさにも怒りを感じているのでしょう。私は、そうした彼女の怒りを、ある種ポエティックなイメージで、“内から燃えて自分自身を焼き尽くしてしまうもの”として描きました。いずれにせよ彼女は、“死”そのものを怖がっていません。だから彼女は、この世界とは少し違うところーーこの世とあの世の間に居るような存在だと私は捉えているのです」

疾走感あふれる映像はこうして作られた

──それにしてもバイクに乗っているシーンは、風やスリルを体感させてくれる、まさに疾走感にあふれる映像でした。“超小型オールインワンカメラARRI ALEXA Miniとアナモフィックマスタープライムレンズを使用したシネマスコープフォーマットで撮った”とありますが、そのあたりの専門的なことはほぼ分からないのですが、どうやって撮り得た映像なのかはメチャクチャ気になります。

「バイカーたちが“クロスビトゥーム”――すごい技をやってるところで使ったのは3Dのカメラで、ロボットの前と後ろにカメラを設置して、遠くから撮影監督がリモコンで操作してターンできるようなものを使って、バイクと併走して撮ったりしました。つまり動く土台に据え付けられるカメラを用いて、それには手振れ防止機能もあって、中にモーターも入っていて動かせるんですよ」

──それをバイクに積んで、併走しながら撮影した?!

「そう。撮影用にスタントチームがいて、そのチーフがそうした撮影用のすごい大きな大型バイクを持っていて、後ろから追う時はカメラを前に設置して撮って、向こうから来るバイクを撮る時は後ろに設置して撮った感じです。でも本作は非常に低予算。100万ユーロ以下の予算内でスタントをやる場合は、まず時間もかなり掛かってしまうんですよ! 技術的にもアクロバティックなシーンを撮るのは難しいので、私にとっても非常に大きなチャレンジでした」

──色んな味わいの映像もあったということは、他にも色んなカメラや方法も使っていますよね!?

「その大型バイクの前後にカメラを設置したのは、ジュリアと併走しながら撮る、ジュリアが画面に入る時にだけに用いた方法です。たくさんバイカーが集まっている最初の方のシーンでは、大型バイクに積んだカメラとは別で、ポラリスと呼ぶ4輪バギーを使って、それをスタントマンに運転してもらって、ボックスのようなものを設置し、その中にカメラマンと私が入って、カメラマンがカメラを動かしながら好きな方向に向いて、ズームを使ったりしながら撮りしました。そっちの方が、より自由度が大きく撮ることが出来ました」



ジュリアにとってバイクとは――

──最初はジュリアが面白がって盗んでいるだけかと思ったら、“バイク”は彼女にとって、もっともっと大きく不可欠な存在だと分かって来ます。バイクがなければ息もできない、生きていけないような……。まるで彼女は“バイク中毒”ですね。

「まさに“中毒”という言葉は、言い得て妙ですね! 実は私も同じようなことを考えていたんです。非常に影響を受けた映画に、アル・パチーノ主演『哀しみの街かど』があります。どんどんドラッグにハマっていき、ドラッグ中毒になると、さらに強いドラッグを求めていく。弱いものでは満足できなくなっていくんです。そして最終的に、すごい強度の“生”を求めながら、同時に“死”にどんどん近づいていってしまう。それが本作のバイクに乗っている時の感覚に近いんじゃないかな、と感じていました。速さを求めると興奮もするけれど、“死”すれすれのところへどんどん行ってしまう……」

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「また私は、バイクは体の延長みたいなものとも考えています。バイクに乗ることで大きな力が得られ、共同体の中でも居場所が得られる。もちろん速く移動することで、何かから逃れられたり、捕まらずにいることもできる。バイクは、そういうすべてを象徴しています。これまでも様々な映画で崇拝の対象だったり、カルト的なオブジェとして描かれてきましたよね。ウエスタンにおける馬というか、私にとってバイクの祖先は馬だと感じます。『イージー★ライダー』では自由の象徴であり、より広い空間を求めるための乗り物でした。常に神話的な側面を持っているように思います」

物語も疾走したまま走り抜ける

──物語は一気にラストまで駆け抜けます。バイクシーンのみならず、物語自体に疾走感がありますが、弛まず先へと進んでいく力は、やはり編集による力も大きいでしょうか。

「まず、本作を特徴づけてるのは、動きが溢れていることです。バイクで走るだけでなく、ジュリア自身が強い怒りを内に感じ、それに突き動かされて動き回っていますよね。だから彼女は画面には収まりきらない、画面からすら逃れていくような存在として描きました」

「私が“動き”に惹き付けられるのは、動いてるからこそ色々な考えが生まれ、違った角度から物事を見ることが可能になるからです。もし固定されてしまったら、いつも同じ角度からしかモノが見られなくなってしまう。動きがないとは、死を意味することでもあるのです。だから本作で私が唯一、固定ショットで撮ったのは…(ネタバレが含まれるので後述します)」

「ジュリアが(バイカーたちの)グループ内に居るシーンは、ずっとワンシーン・ワンカットで撮りました。なぜなら、ジュリアの動きをずっと追っていきたかったから。編集は、そうして集めた素材を、広がりにおいても密度においても、幾重にも重ねていくことでフィクションを作る作業です。展開にいろんなヘアピンカーブを作ったり、急に加速して様々な動きを生み出すこともできます。私にとって編集は、もう一度シナリオを改めて書き直す作業でもあり、非常に楽しいと同時にとても疲れる作業です。そして編集によって作品を終わらせる、喪に服すような気持ちにもさせられるものなんです」

*上記で略したコメントは次のとおり。但しネタバレ、及びラストの解釈が含まれるので、映画をこれからご覧になられる方は、次のコメントだけ鑑賞後にお読みください。

「この映画の中で私が唯一固定ショットで撮ったのは、ジュリアが燃える最後のシーンだけなんです。でも、そこからも彼女は幽霊になり、幽霊になった彼女は逃げていくわけです。そのように彼女が動いている限りは、誰にも捕まえることができないのです」

脚本づくりとリハーサルに3年!

──驚くべきことに、ジュリアを演じたジュリー・ルドゥルーは演技未経験であり、実際にバイカーである彼女をインスタグラムで監督が見つけ、出演に繋がったのですよね。実際、生々しい表情や動き、演技はどのように生み出されたのでしょうか。

「ジュリー・ルドゥルーとは、撮影がはじまる3年前に出逢いました。それ以来しょっちゅう会って話をしたり、シナリオを読み込んだりして少しずつ信頼関係を築いていきました。その信頼関係なしには、この映画は不可能だったと思います。3年の間にジュリーに合わせる形で、私は何度もシナリオを書き直しました」

「時々、アントニア・ブルジ(共同脚本/オフェリー役)を含め3人でハーサルを重ねました。最初は即興的に色々やってみて、そこからインスピレーションを受けてシナリオに反映したり。3年の間にシナリオをどんどん変えていくことで、撮影に至った時には、むしろシナリオはいらないような状態でした」

「役者としてのフィジカルな面――体の動かし方、どんな声で喋るか、どんな風に歩くか、歩くリズム、肩をすぼめて歩くのか、あるいは犬みたいな雰囲気で歩くのかなどは、アントニアが彼女に教えてくれました。アントニアと私は私生活でカップルなので、ジュリーが私に会いに来ると、漏れなくアントニアにも会っていたので(笑)、信頼関係や友情関係が育まれ、それがジュリアとオフェリーという役柄にも非常に生かされたと思います。アントニアと私は、もはや彼女の母親のようなものです」

──そのアントニアが演じたボスの妻オフェリーと息子キリアンを、ジュリアがバイクに乗せて3人で走っていくシーンが、とっても好きで心に残っています。この映画の中で唯一と言っていいくらい、頬を緩めることができる温かなシーンでしたね。

「子供をバイクに乗せるので危険がないように、あのシーンの撮影は本当に気を遣いました! もちろん音楽の影響も大きいですが、本作の大部分がバイオレンスに溢れ、暴力や怒りに支配されているからこそ、もう一方で必要な優しさでバランスを取りたいと思いました。息をつけるホっとできるものとして、3人のバイクシーンを作りました。あのシーンでは、ようやくジュリアが初めて新しい場所に行けるような希望が生まれ、あるいはハイブリッドな形での“新しい家族”を得られるのではないか、という希望や期待が彼女に初めて生まれたシーンでもありますよね」

果たしてジュリアは自分の居場所を見つけることが出来るのでしょうか。ボスの妻オフェリーもまた刑務所に居る夫に遠隔操作され、“庇護”という名のもとで不自由な生活を強いられています。そうしたことに対するジュリアとオフェリーの理解や共感、連帯の芽生え、支配から脱することが出来るのかもハラハラが募ります。

最初は“ヤベエ奴”と思っていたジュリアが、マッチョな男集団の中で闘う姿に爽快感を覚え、応援せずにはいられなくなっているーー。その男の集団の中でどんな風に振る舞い、どんな風にのし上がっていくのかも見ものです。ジュリアに助けられることを不名誉なことだと思い激しく罵倒していた青年が、最後に変わっていく姿を目にするのは、サイドストーリーとしてある種の希望や可能性を感じさせてくれて、心に残ります。自分もまた「マッチョなバカ男」と決めつけ、可能性を完全に無視していたことに気付かされたり……。

主人公のジュリア同様、ジュリアを演じたジュリーも、監督自身も“ノンバイナリー”を公言されています。監督が「この映画の大きな主題のひとつは、ジュリアの身体であるような気がします」と発言されていますが、なるほど本作は無意識の“思い込みや固定観念”に気付かせてくれる新鮮な味わいにも満ち、“ノンバイナリーってどういうことか分からない”という人への理解を促進するだけでなく、誰もが人と人としてフラットに関係を築く大切さや、そんな未来を思い描かせてくれる映画でもあります。

是非、このパワフルな『Rodeo ロデオ』にしがみついて、振り落とされないように最後まで楽しんでください。

映画『Rodeo ロデオ』

2022年/フランス/105分/配給:リアリーライクフィルムズ

監督・脚本:ローラ・キヴオロン

出演:ジュリー・ルドゥルー、ヤニス・ラフキ、アントニア・ブルジ、コーディ・シュローダーほか

2023年6月2日(金)より ヒューマントラストシネマ渋谷、アップリンク吉祥寺で公開。6月3日(土)よりK’sシネマほか全国順次公開
© 2022 CG Cinéma / ReallyLikeFilms

映画『Rodeo ロデオ』公式サイト

写真:山崎ユミ

折田千鶴子 Chizuko Orita

映画ライター/映画評論家

LEE本誌でCULTURE NAVIの映画コーナー、人物インタビューを担当。Webでは「カルチャーナビアネックス」としてディープな映画人へのインタビューや対談、おススメ偏愛映画を発信中。他に雑誌、週刊誌、新聞、映画パンフレット、映画サイトなどで、作品レビューやインタビュー記事も執筆。夫、能天気な双子の息子たち(’08年生まれ)、2匹の黒猫(兄妹)と暮らす。

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