2020年8月号にて、「がんと暮らす」インタビューに応じてくれた、モデルの橋本奈美子さん。
取材から1年。心の変化もあって…
12年前に乳がんが発覚し、著書も話題になった憧れの先輩モデル園田マイコさんに、がんと日々の暮らしについてお話を聞きました。
この記事は2021年7月7日発売LEE8月号の再掲載です。
橋本奈美子さん×園田マイコさん
「先を進むマイコさんの存在に、励まされました!」
モデル 園田マイコさん
1969年生まれ。モデルとして多くの雑誌、ショーなどで活躍。39歳のときに乳がんと診断され、温存手術を受ける。2009年に『モデル、40歳。乳がん1年生』(KKベストセラーズ)を執筆して話題に。ピンクリボン運動や乳がんにまつわる講演活動なども行う。
モデル 橋本奈美子さん
1975年生まれ。11歳、3歳の2人の男の子の母。LEEなどのモデルとして活躍中の33歳のときに第1子を妊娠、その後の出産を機に休業へ。育児に専念する。42歳で第2子を出産後すぐに、左胸にしこりを見つけて乳がんが発覚。
マイコさんの本を読むまで1年半かかりました
今年で乳がんの発覚、手術から12年がたった園田マイコさん。当時、ステージⅠの乳がんで乳房の温存手術を受けた後、抗がん剤、ホルモン治療を続けました。
著書『モデル、40歳。乳がん1年生』では、抗がん剤治療中で髪が抜けたスキンヘッド姿が表紙に。橋本さんも告知を受けて間もなく、園田さんの本の存在を知って購入したと言います。
橋本 せっかく買ったのにしばらく手をつけられなくて、きちんと読めたのは実はごく最近なんです。
読むことで、自分に起きていることがよりリアルに、現実として迫ってくるんじゃないかと思うと怖かった。
息子さんのお話もあるとわかっていたので、泣くに決まってる!と思って、私にとってはなかなか重い扉でした。今よりもっと落ち込むことがあったら開こうと思ったり、いろいろな思いが混同していて。
園田 2020年の年末に共通の友人を介して初めて奈美ちゃんと会ったのですが、そのときに「まだ読めていないんです」と伝えてくれて。
告知を受けてしばらくは、私は死ぬんだ、子どものことはどうしよう、きっと仕事もできなくなる……と“どうしよう”の連続。気持ちわかるなぁと思いました。
橋本 そのときに「私も2年ぐらいかかったから」と言ってもらってホッとしたのですが、マイコさんも乳がんを受け入れるまでには時間がかかったんですね。
園田 かかったよ。発覚したらすぐに治療を始めなくてはいけないから、手術、抗がん剤とやるべきことはこなすけれど、できれば抗がん剤はやりたくないし、髪の毛が抜けるのもイヤ。心がついていけてなかったんだろうなと今は思います。
治療が一段落した2年後ぐらいにようやく「私は乳がんなんだ」と納得できた気がする。
橋本 わかります。それこそ、マイコさんの本を読んでも何も変わらなかったらどうしよう、みんなはほかの人の体験談で前向きになっているけれど、自分が同じようになれなかったらと不安で。
園田 私はその渦中に、乳がん経験者で美容ジャーナリストの山崎多賀子さんに連絡して。多賀子さんに治療のことを聞いたり、「抗がん剤で髪が抜けても生えてくるから!」と励ましてもらい、すごく救われました。
橋本 実は私も同じように、昨年マイコさんに会えて気持ちが変わったんです。モデルとして大先輩で、乳がん発覚から10年以上がたって落ち着いて受け止めていて。憧れの存在を目の当たりにしたことで、私もこうなれる?と少しだけ思えたんです。
園田 難しいんだけど、落ち込んでいても早く外に出て、実際に人に会って話すことは大事だよね。
橋本 そう!本やSNSだけでなく、生身の人間に会うって全然違う。あんなに不安だったのに、マイコさんを見て大丈夫かも、と心が軽くなりました。マイコさんはほかに、治療中に前向きな気持ちになるためにしていたことはありますか?
園田 もともとお笑いが好きだったので、入院中や抗がん剤治療中で調子がいいときとか、お笑いの動画サイトをガンガン見てました。今、師匠について趣味で落語をしているのですが、落語も昔から好きで。ウィッグをつけて見に行ったこともありました。
橋本 すごい!私はふさぎ込むばかりで、そんな元気は持てなかったなぁ。
園田 抗がん剤で髪の毛がごっそり抜けるのも、途中からこんなことは二度とないかもしれないと思い、髪の毛を手で拾い集めるのがおもしろくなったりして。でも、その直後にはまたドーンと気持ちが沈んだり。
いろいろな方法を試して、行ったり来たりを繰り返しながら、少しずつ乳がんという病気と向き合って、受け止めていったのかなと思います。
反抗期の息子が「大丈夫」と!頼ることで子どもも成長する
橋本 乳がんがわかったときから今まで、一番心配で常に頭にあるのは子どもたちのこと。息子たちがまだ10歳と1歳だったので、入院中は子どもの世話は誰がするの?どこまで子どもたちに伝えるべき?と混乱しました。
園田 まだ2人とも小さかったから本当に大変だったよね。
橋本 抗がん剤中なんて子どもたちをお風呂に入れるだけでフラフラで、自分が入浴する気力もなくて。でも、マイコさんが乳がんだとわかったとき、息子さんは確か中学2年生ですよね?多感な時期だし、もっと大変そう……!
園田 思春期だし反抗期だし、普段は会話もなかったぐらい。でも、先生から宣告されたときは、変に隠したりごまかしたりせずに、息子にも絶対きちんと話そうと思いました。
当時私はすでに離婚していて、息子がたったひとりの家族だったから、知っていてほしいという気持ちが強かったんだと思います。私が乳がんだと知った反抗期の息子が「大丈夫だからね」と抱きしめてくれて。
子どもがいて大変ですねと言われることもあったけれど、息子の存在は間違いなく、乳がん治療の大きな支えになりました。いなかったら私の気持ちも全然違っていたと思う。ひとりのときは「死ぬかもしれない」とシクシク泣くのに、子どもの前ではカラ元気。でも、それで気持ちが上向いたことも。
橋本 私は子どもたちにも自分のつらい気持ちをぶつけてしまって、「お母さんしんどいわ」ばかり言ってました。
園田 それは私も言ってたよ。言わないと自分がダメになっちゃうから。
抗がん剤で動けないときは「ちょっと買い物に行ってきて」と頼んだり。それまではひとりで頑張りたい気持ちが強くて頼れなかったけど、お願いしてみたらちゃんと頑張ってやってくれる。乳がんになって甘えることも大事だなと痛感しました。
橋本 うちも当時小4のお兄ちゃんが生まれたての弟を抱っこしたり、あやしてくれたことも。「健康なお母さんじゃなくて申し訳ない」と落ち込むこともあったけど、お母さんが病気だからこそ、子どもたちが成長してくれたのかなと思います。
園田 まだ小さくても、子どもって敏感に感じ取るから。正しい知識で、子どもにわかる言葉できちんと話してあげることは必要だなと今でも思いますね。
抗がん剤中もウィッグで撮影。仕事があることに救われた
橋本 マイコさんは乳がんがわかってから治療中も、ずっとモデルの仕事を続けていたんですよね。
園田 生活がかかっていたこともあり、長期では休んでいないんです。手術の8日後から仕事していましたね。このときは自分でも、私やるなと思いました(笑)。
抗がん剤中も投与の直後に働くことは難しいけれど、しばらくしたら落ち着くので、そのタイミングでまた撮影したり。
橋本 すごすぎる。私だったら考えられない……!
園田 でも、現場に行くと手術したことや、乳がんという病気のことを忘れられたんですよ。
抗がん剤で髪の毛が抜けてきたら、ウィッグをかぶったり、撮影用にスタッフがウィッグを作ってくれたこともあった。みんなにはたくさんサポートしてもらったし、その気持ちもうれしくて。
橋本 私は家にこもって、お母さんとして育児をするか、病気のことを考えるかのどちらかで。いつも乳がんが頭から離れなかったんです。
その差って大きいかもしれないですね。気持ちを切り替える場があったら、また違ったかもしれない。お話を聞いていて、素直にうらやましいなと思いました。本の表紙のスキンヘッドの写真も、きっと仕事をしていなかったら残っていないですよね。すごくかっこよかった!
園田 乳がんを宣告されたときは、治療内容によっては「胸元のあいた服が着られなくなるかもしれない」「髪が抜けたらモデルはできないかも」と不安でした。でもなんとか続けることができた。
治療と仕事の両立は、家族の協力やいろいろな条件がそろわないと難しいとは思いますが、これからは仕事を続けることを選ぶ人も増えると思う。私自身も、仕事があって本当によかったなと思います。
公表した当時は戸惑いも、今はでかした!と思います
橋本 マイコさんは乳がんになってすぐに公表されていますが、今振り返ってみて、その選択はよかったと思いますか?私もすぐに取材を受けたので、ぜひこの部分を聞いてみたくて。
園田 今はあのときの自分に「でかした!」と言ってあげたいですね。
実は、当時は友達に背中を押されて乳がんを公表することにしたんです。私が多賀子さんに救われたように、私の言葉が誰かを救うことになるかもしれないと。それでそこまで自発的ではなかったのですが、乳がんに関する取材を受けたり、本を出したりして。まだ心と体のバランスはうまく整っていないような感覚でした。
でも、スマイルウオークなどの乳がんのイベントに参加すると「マイコさんの本で本当に助けられたんですよ」と声をかけてくれる人が今でもたくさんいて。私、本を出してよかったんだ、と毎回思うんです。奈美ちゃんも本がきっかけで出会えたひとりだしね。10年たって気持ちが落ち着いて、もしかして、こうして人に伝えることが自分の使命なのかなと思います。
橋本 がんになると、誰しも「なぜ自分が?」と思いますよね。乳がんになった意味みたいなものを求める気持ちは、私も最近わかるようになってきました。私は最近抗がん剤で髪が抜けたとき用のヘッドキャップを作っていて。単純だから、このためだったんじゃない!?と思ったりして(笑)。
園田 経験していないとできないことだから、すごくいい試みだよね。さっき見せてもらったら、生地がカラフルでかわいいのも、肌触りがやさしい素材を使っているのも、経験した奈美ちゃんだからこその工夫だと思う。
乳がんになってもすべてが終わりじゃないし、これからも人生は続いていく。病気に縛られすぎず、一度きりの人生を楽しまなければという気持ちは、乳がんになる前よりも、より一層強くなったと思います。
撮影/藤澤由加 ヘア&メイク/杉山えみ 取材・原文/野々山 幸(TAPE)
この記事は2021年7月7日発売LEE8月号『続く「がんと暮らす」毎日』の再掲載です。
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