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LIFE

藤原千秋

産後10年間の「本が読めない!」を鍼で解消した話

  • 藤原千秋

2021.02.26

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本が読めない

本が(マンガも)めなくなった

『LEE』といえば集英社集英社といえば『りぼん』で育った「250万乙女」の成れの果てであるわたし。本、大好き。マンガも大好き! 隙あらば活字を読む子どもで、そのまま大人になったそんなわたしが、マンガまで含めて「本が読めなくなる」日がまさか来るとは、なってみるまで想像だにしていませんでした。

ギリギリ仕事はできる。でも本が読めない。最初に読めなくなったのは小説で、頭に入らず気が塞ぐので手に取らなくなりました。それからエッセイも読めなくなりました。他人の思考を追うのが苦痛でしかたなくなりました。

実用書はまだ読めましたが、難しいところで音を上げることが増えました。辞典や図鑑はまあ読めましたが、そもそも通読する必要がないのでした。

本をまともに読めない期間は10年に及び、振り返るにこの間わたしは三人の娘の子育て、仕事、親の健康問題、それだけでなく子供会やPTAの役などに対峙し続け、エンドレス右往左往……。

それでも長らく「本好きの活字中毒」を自認していたわたしはひたすら、読めなくなった自分を受け入れられず、絶望したり恥じたり悲しんだりしていたのでした。

本を読むにも(小説を読むにも)「体力がいる」?!

どうして本が読めなくなってしまったのか? わたしは長いこと、それを「時間がない」せいにしていたように思います。

ずっと体調も地味に悪かったのですが、「身体」と「読書」をつなげるという発想は、ひとかけらもありませんでした。

さて産後も10年たてば赤ちゃんも10歳、わたし自身も10歳分としを取り、いつしか「更年期」の文字がちらつくお年頃になっていました。

生理のリズムは狂い、血圧は乱降下、夕方になると目が見えなくなり、四六時中耳鳴りがし、朝は起きられず、すぐ疲れ、消化は悪く、寝つきも悪い……いよいよ生きるのつらい……とか言っているなか突入した、コロナ禍。

正直、詰んだ!!! と思いました……。

しかしわたしはそのどんづまりで出会ったのです。

「本を読める身体になる」という、「求めていたのはまさにこれ!!!」というワードに。

『本を気持ちよく読めるからだになるための本』

『本を気持ちよく読めるからだになるための本』書影

『本を気持ちよく読めるからだになるための本』松波太郎/晶文社 2020

果たしてこれは? それとも診療記? という不可思議なこの本の著者は、小説家であり臨床家……鍼灸師である松波太郎氏。プロフィールによれば、

2008年「廃車」で文学界新人賞受賞、2009年「よもぎ学園高等学校蹴球部」で第141回芥川賞候補、2013年「LIFE」で第150回芥川賞候補、2016年「ホモサピエンスの瞬間」で第154回芥川賞候補。『LIFE』(講談社)では野間文芸新人賞を受賞。

……という小説のなかでも「ガチ」な純文学作家です。

純文学といえば、わたしが一切合切読めなくなったジャンル。身体を整えれば本当に読めるようになるのか……という疑念を抱きつつ、もうどうにもこうにもならなくなっていたわたしは、生れて初めての鍼に通いながら「本読み」のリハビリに励み始めたのでした。

この本、ページを開くとリアルな診察記録のような短文が連なっています。そのほとんどは会話調で、実在の鍼灸院にやってきた患者さんと施術者とのやりとりらしきものが淡々と記されています。

らしきもの、というのは、実際に鍼を打たれている時、言っているなわたし、と自覚できるようなリアルさがある反面、どこまでホントなんだろうと思わされるやりとりが挟まれているから。

自分以外の誰かの(鍼打たれ中の)言葉というのは、基本的に耳にすることはないものですが、あたかもその場に居合わせているような生きた間合いがさまざまに切り取られているのには、「さすが(小説家…)」と思わずにいられません。

面白いのはその診療記録様な文章の合間合間に、「体験のことば」という実際に著者の鍼治療を受けた実在の著者の知己(芥川賞作家を含む小説家、漫画家、編集者の方が主)の方々のレビューが挿し挟まっており、その「ことば」の色合いやリズムも、文字通り千差万別なところです。

あぁ、生身の人というのはこんなにもみんな「違う」、身体も感じ方もまるでべつものなのだということを実感するのです。そういうブレイクを取りつつ、読むことで施術の仮想体験ができるというわけなのです。



鍼で世界一周

ところで鍼を打たれたの経験がある人というのは、どれくらいおられるものでしょう。率直に言って、それはわたしにとって驚くべき体感でした。

初回は施術の1時間のあいだに地球の裏側まで行って戻ってきたというくらいの移動感、身体の皮の内側でぐじゃぐじゃに飛び交っていた混沌の渦がある方向への矢印にそろえられ「生きる」活力に変換されたかのような……日本語に置換するのが非常に難しい感想を得ました。

実はその直前に父を亡くし、完全にボロボロのグダグダだったわたしでしたが、この鍼の翌々日、なんだかシャンとしている自分を発見。絶好調でハードな関西出張をこなすことができたのです。まるで自分ではないみたいで、ものすごい驚きでした。

鍼というのは物理的に針を皮膚に刺されることなわけで、正直「いてえ!」とはなるのですが(なります)、その痛さをこえた「すごい!」「身体、ここにあった!」感、カオス状態からの純粋なエネルギー化、つきなみにいえば「わたし、生きてる!」という実感をもたらすものだということをわたしは知りました。

結論を言いますと、以後、もりもりと書籍や漫画を咀嚼しながら、鍼にも定期的に通っています。

マンガ、雜誌、小説……あらゆる活字から目が泳がず、頭を素通りもせず、自分ではない人の思惟を、その呼吸を追うのが苦痛ではない状態というのは、自分自身の身体がしっかりと「ここにある」ことができている、身体のみならず心ごとすこやかである、ということをあらわしているのかもしれません。

鍼に興味はそそられるけど、やっぱりチョット怖いという方、まずは『本を気持ちよく読めるからだになるための本』を読んで仮想体験するところから、いかがでしょうか。

 

 

藤原千秋 Chiaki Fujiwara

住宅アドバイザー・コラムニスト

掃除、暮らしまわりの記事を執筆。企業のアドバイザー、広告などにも携わる。3女の母。著監修書に『この一冊ですべてがわかる! 家事のきほん新事典』(朝日新聞出版)など多数。LEEweb「暮らしのヒント」でも育児や趣味のコラムを公開。

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