日本の伝統を活かして世界で活躍する、若きクリエーター
伝統的な絞り染めをもとにした、グローバルなものづくり
愛知県名古屋市の有松に400年以上伝わる「有松鳴海絞り」という絞り染めの伝統技術を生かし、ファッションからインテリアまで幅広く手掛けるブランド「suzusan」(スズサン)をご存知ですか?
拠点のあるドイツで企画デザインを行い、有松で絞り染めを行い、パリやニューヨークで発表するというグローバルなものづくり。そこから生まれる独自のデザインと美しさは世界的な評価も高く、今では23か国120店舗以上で取り扱われています。
パリのテキスタイル展示会では、ヨーロッパの多くの有名高級メゾンから評価され生地の提供を行うほか、ヨウジヤマモトなど様々な一流ブランドとのコラボレーションなども行っています。
クリエイティブディクターで創業者、82年生まれの村瀬弘行さん
圧倒的な美しさやブランドの素晴らしさはもちろんですが、今回一番お伝えしたいのは、「suzusan」を生みだしたクリエイティブディレクター・村瀬弘行さんのお話です。
1982年生まれのLEE世代でもある村瀬さんが、衰退しかけていたひとつの伝統工芸を生まれ変わらせ、今では世界的に注目されるブランドにまで育て上げたこと…。同世代の日本人が世界でがんばっている姿は、先の見えない今だからこそ聞きたい、力を与えてもらえるお話でした。
オンラインでドイツ・デュッセルドルフに繋いで行ったインタビューの模様を、前後編に渡ってお送りします!
400年育まれてきた技術を、全く新たな形に
「もともと家業を継ぐ 気はなかった」
現在、「suzusan」の魅力のひとつとなっているのが、江戸時代に生まれた「有松鳴海絞り」が持つ100種類以上もの技法を生かした多彩なデザインです。ストールやニットなどのファッションアイテムを中心に、ブランケットや照明などまで幅広く手掛けています。
そんな伝統技術を受け継ぐ「鈴三商店」の5代目として生まれた村瀬さんですが、小さい頃から家業を継ぐ気は全くなかったといいます。
「素晴らしい技術なのですが、かつては1万人いたという職人が当時は200人以下にまで激減し存続すら危ぶまれているような状況で、周りも自分の代で終わりだと思っている人がほとんど。4代目の父も僕に継げと言ったこともありませんでした。」
自由な雰囲気の中で育ち、高校時代にアートへ興味を持ったことから東京藝術大学の彫刻家を目指すも縁がなく、「現役、さらに一浪して臨んだにも関わらず不合格。その帰りの長距離バスの中で、それならば海外で勉強しようと決めた」と話す村瀬さん。
それまで海外留学なんて一度も考えたことがなかったのに自然な流れで思い至ったそうで、資金を貯め翌年渡英、その後ドイツのデュッセルドルフでさらに勉強を続けることになりましたが、ここで大きな転機が訪れます。
ドイツの友人に気づかされた、絞りの魅力
きっかけは、当時フラットシェアをしていた、起業家を目指すドイツ人の青年でした。
「偶然持っていた有松の作品に彼が強く興味を示し、歴史や技法について色々と繰り返し説明をする中で、これまでは身近過ぎて当たり前に思っていた技術そのものの素晴らしさに気づきました。日本で伝統として評価されているということを何も知らない外国人の彼が、その美しさや素晴らしさを感じてくれる様子を見て、伝統としてとらえるだけではなく、国や文化を超えて受け入れられるものに視点を変えれば、面白いものが作れるのではないかと思い立ちました。」
そしてふたりはドイツで会社を設立、村瀬さんが26歳の時でした。
もともと有松鳴海絞りは、木綿の手拭いや浴衣など親しみやすいアイテムを中心としており、江戸時代に旅人が故郷へ持ち帰るお土産として人気を博していました。その素材やターゲットを大胆に転換することで、「suzusan」は全く違う顔で世界に向けて動き始めたのです。
自ら布を染め、自らヨーロッパ中に売り込む日々
一流ショップに“飛び込み営業”する日々
当初は、そのフラットで企画やデザインを行い、キッチンで自ら染めて、ボロボロの車にサンプルを詰め込んで、毎日ヨーロッパ中の一流ショップに「飛び込み営業」をしていたというから驚きです!
「確かに、こんなに大変だと知っていたらやらなかったかもしれない(笑) 電話やメールでは断られるので直接行くしかなく、スマホもない時代だったのでプリントアウトした地図を握りしめて毎日色々な国を回っていました。家賃も払えないのに8万円くらいするストールを認めてもらわなければならない状況。もちろんしんどい時もありましたが、でも今振り返ると気持ちは明るかったというか、『絶対何かある、未来は明るい』という思いがありましたね。」
世界的に有名な、目利き中の目利きとの繋がり
名も知れず、起業当時は学生だった村瀬さんですが、多くのアーティストが取り扱われたいと思っている名だたる一流のお店に自分の作品を見せに行っていたといいます。畏れる気持ちなどはなかったのでしょうか。
「一流の目から見て自分の作品がどうなのか知りたいという想いがあり、自らそのレベルを下げることはしたくないと考えていました。また今ほどインターネットなどが普及していない中で、例えばそのお店に今どういうブランドが置かれているかといった現地でしか得られない情報がたくさんありましたし、そういう世界の一流の店にハイブランドと並んでsuzusanが置かれたら面白いだろうなという気持ちも持っていました。」
転機となった出会いはいくつもありましたが、その中で村瀬さんも憧れだったミラノの「Biffi」というブティックでは、2018年のミラノファッションウィーク中に「suzusan」のウィンドウディスプレーとイベントも行われるまでになったそう。
「直接会って話すことって、やはり大切だと思うんですよね。飛び込みすると最初相手は必ず断ろうと理由を探します。色、素材、大きさ…そういった指摘は勉強になるし、次に行く時は必ずそれをブラッシュアップして出向くようにしていました。そうやって自分の目で見て話しをした経験はすごく大きくて、実際その頃のお客様とは今も良い繋がりがあり、素晴らしい人間関係ができたことも財産だと思っています。」
世界から評価されるクオリティとは
全てを手作業で行う「有松鳴海絞り」
「一つの家に一つの技法」とまで言われる多様な染めの技法を持つ「有松鳴海絞り」。最盛期には100種類以上も存在し、後継者不足によって失われてしまった現代でも50種類以上もの技法が残っているそう。世界的にみても通常はひとつの地域、産地に多くて3つほどしかないという話からも、その豊富さが伝わってきます。
「絞り染めは世界中色々なところで伝わっている技法ですが、有松の場合は作業が細かく分業されており、伝統的にはひとつの模様を仕上げるためには4~5人の職人の力を必要とします。他に類を見ない緻密な染めが実現でき、先人たちが作ってきた高い技術がベースになっているからこそ、世界で勝負できているとも感じます。」
最高級の素材と終わりなき試行錯誤
また染める素材も常に最高級のものを追及し、村瀬さん自身が様々なリサーチをされているといいます。
例えばカシミアのストールは、極細のカシミア糸を職人が手織りしており、幅150cm×長さ250cmと超大判ですが重さはわずか100g。ニットも、上質の原毛を使い、こだわりの編み上げ方ができる指定の工場に依頼しているそうです。
「厳選した素材を使っているからこそ、絞りの全工程に目を光らせ数日かけて周到に準備をして挑みますが、全てが手作業だからこそ一瞬の判断で失敗することもありますし、思った柄が出せず改良を繰り返すこともあります。【ただ、その試行錯誤の中から新しいがデザインが生まれることも多く、そこが「suzusan」ならではの特長に繋がっている部分もあると感じています。」
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ブランド自体の印象は色鮮やかで洗練されていて、活躍の場はパリやミラノ、ニューヨークと華やか。でもその裏にはとても地道な作業があり、更に毎シーズンやってくるコレクションに向けて新たな価値を生み出し続けるため、日々模索を続けられていることが印象的でした。
【後編】では、村瀬さんがそうやって目の前のことに真摯に粘り強く向き合い続けられる原動力について伺いながら、「suzusan」が世界で評価されている理由について更に迫っていきます!
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佐々木はる菜 Halna Sasaki
ライター
1983年東京都生まれ。小学生兄妹の母。夫の海外転勤に伴い、ブラジル生活8か月を経て現在は家族でアルゼンチン在住。暮らし・子育てや通信社での海外ルポなど幅広く執筆中。出産離職や海外転勤など自身の経験から「女性の生き方」にまつわる発信がライフワークで著書にKindle『今こそ!フリーランスママ入門』。