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LIFE

藤原千秋

ワンオペ育児と『小さなユリと』

  • 藤原千秋

2018.08.07

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唐突ですが、まずは以下の詩をご鑑賞ください。
中学校の教科書で、昔、読んだことがあるという方もいるかも知れません。
黒田三郎 作。『夕方の三十分』という作品です。

 


 

夕方の三十分 黒田三郎

 

コンロから御飯をおろす

卵を割ってかきまぜる

合間にウィスキイをひと口飲む

折紙で赤い鶴を折る

ネギを切る

一畳に足りない台所につっ立ったままで

夕方の三十分

 

僕は腕のいい女中で

酒飲みで

オトーチャマ

小さなユリの御機嫌とりまで

いっぺんにやらなきゃならん

半日他人の家で暮したので

小さなユリはいっぺんにいろんなことを言う

 

「ホンヨンデェ オトーチャマ」

「コノヒモホドイテェ オトーチャマ」

「ココハサミデキッテェ オトーチャマ」

卵焼をかえそうと

一心不乱のところに

あわててユリが駈けこんでくる

「オシッコデルノー オトーチャマ」

だんだん僕は不機嫌になってくる

味の素をひとさじ

フライパンをひとゆすり

ウィスキイをがぶりとひと口

だんだん小さなユリも不機嫌になってくる

「ハヤクココキッテヨー オトー」

「ハヤクー」

 

癇癪もちの親爺が怒鳴る

「自分でしなさい 自分でェ」

癇癪の娘がやりかえす

「ヨッパライ グズ ジジイ」

親爺が怒って娘のお尻を叩く

小さなユリが泣く

大きな大きな声で泣く

 

それから

やがて

しずかで美しい時間が

やってくる

親爺は素直にやさしくなる

小さなユリも素直にやさしくなる

食卓に向い合ってふたり坐る

 


 

いかがでしたか?

 

「これ、うちのことかな?」くらいに、身近に感じられませんでしたか?

 

だいたい夕方から夜にかけて、子どものいる家庭はいまでも、それでなくても、どこでも戦場ですよね。

お仕事を持っていても、いなくても、子どもが1人でも、3人でも、5人でも、各々に慌ただしい。そして、親である私たちは一日の終わりで、疲れています。そりゃ、イライラもします。

ウイスキーならぬ、キンキンに冷えた「第三のビール」あたりをプシュッと開け「ガソリン」を入れないことには、ご飯なんか作れない……! という人もいるのではないでしょうか……。

この詩を初めて読んだ中学時代には、「なんだか大変そうだなあ」くらいに感じていた「オトーチャマ」の言動ですが、子どもを持って読み返してみると、「あなたは、私か?」と問いたくなるような共感を抱かざるを得ませんでした。

小さなユリと 黒田三郎著 

 

この詩のおさめられた詩集『小さなユリと』は、1960年に昭森社から出版されました。

 

 

58年前に刊行された詩集

 

詩の中の「ユリ」は、詩人・黒田三郎氏の娘、3歳。

1955年(昭和30年)から56年(昭和31年)の作品が収められているそうなので、「ユリ」は1952年(昭和27年)くらいの生まれの子どもなのでしょう。

現在、お元気であれば66歳を過ぎている「ユリ」の子どもらしい言動と、堪え性のない感じの父親(黒田氏)とのかけあいは、いま読んでも生き生きとして感じられ、「これが六十数年前の親子の様子なのか」と思うとちょっと遠くを見てしまいます。

黒田三郎氏は1980年(昭和55年)に没されています。それくらい昔の作品ではあるのですが、不思議と古さを感じさせません。

さてこの詩の中に、「オトーチャマ」は出てきますが、オカーチャマは出てきません。なぜかというと、結核で入院しているからです。

そのため、オトーチャマはお勤めの傍ら、今でいう「ワンオペ育児」を強いられています。朝は幼稚園に送ってから、夕方は近所のおばさんに預かってもらっている娘を連れ、「西日のあたるアパートの一室」へ帰る父子。

『小さなユリと』に収められている『九月の風』という詩の冒頭は、こんなふうに始まります。

 


 

ユリはかかさずピアノに行っている?

夜は八時半にちゃんとねてる?

ねる前歯はみがいているの?

日曜の午後の病院の面会室で

僕の顔を見るなり

それが妻のあいさつだ

 

僕は家政婦ではありませんよ

心の中でそう言って

僕はさり気なく

黙っている

うん うんと顎で答える

さびしくなる

 


 

九月の光景にしては、うっすらと胸底が抜けるような寒さを感じさせる詩です。いつ退院できるか、先の見えない妻の病状を案じながらも、「いま」大変な自分をその妻自身に案じてもらいたいという甘えと寂しさが透けて見えます。そして、そんな感情を私自身、よく知っています。

ワンオペ……望まぬまま、単独で「子育て」と「生活」とに向き合っている者のもつ、孤独感や不安やどうにもならない遣る瀬なさというのは、性別や時代やシチュエーションに拠らないものなのでは……と、この詩たちを読んでいると思えてなりません。

黒田氏は酒飲みで、結構ろくでもない父親なのですが(いまふうに言えばかなりクズ?)、詩に描かれている「ユリ」の、あまりの可愛らしさからは、子どもへの深い慈しみがにじみ出ていて、読んでいるとなんともいえない感情に満たされます。

ながらく絶版状態だった詩集は、2015年に夏葉社より復刊されておりAmazon.comでも難なく購入できます。いい時代になりました。

とても薄い本ではありますが、冒頭で泣き、中盤で泣き、あとがきでさらに泣くくらいのパンチの効いた詩集で、でも、読後は「水洗いされたような」気持ちになれるから不思議なのです。詩の言葉の強さを思います。

もし、日々の育児でちょっと疲れきってしまっているなら。くたびれている自覚はないけど、興味をいだいていただけたなら。ぜひ、手にとってみてください。多分、多くの公立図書館にも入っていると思いますので。

 

藤原千秋 Chiaki Fujiwara

住宅アドバイザー・コラムニスト

掃除、暮らしまわりの記事を執筆。企業のアドバイザー、広告などにも携わる。3女の母。著監修書に『この一冊ですべてがわかる! 家事のきほん新事典』(朝日新聞出版)など多数。LEEweb「暮らしのヒント」でも育児や趣味のコラムを公開。

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