Pre-travel to Kawagoe!!
草加せんべい製造元工場見学後
小江戸・川越の蔵造りの街へ足を伸ばすことに
草加せんべい製造元工場見学時、社長さん御自らがアテンドしてくださって感激!からの(過去記事は以下の通りです↓)、「観光に来られたのなら、市街のほうに行かれてみては?」と。
そして、「川越 散策マップ」を頂きました!工場からは車で10分もかからない距離だったのと、以前から行きたかったお店があったため、その足で向かうことに!
まずは、子どもウケしそうな「菓子屋横町」から。
Candy Store Alley
昔懐かしい味を今に伝える
菓子屋横町
「菓子屋横丁」は、色とりどりのガラスが散りばめられた石畳の道に、22軒の駄菓子屋がひしめく川越の有名なスポットの一つで、素朴で昔懐かしい味を今に伝える菓子作りのお店が軒を連ねています。
明治初期、鈴木藤左衛門が養寿院の門前町として栄えるこの町で、菓子を製造したことが菓子屋横丁の始まりといわれているようです。1923年の関東大震災によって被害を受けた東京に代わり、製造と供給を引き受けた結果、菓子作りが盛んになったのだとか。
この日は快晴で、最高気温35℃越えの猛暑日。子ども達は、やっぱりアイスキャンデー一択。
揚げたて芋けんぴやレモネード屋さん。
お漬物屋さん「三代目 彩香」のきゅうりの一本漬けや、菓匠右門の「いも恋」、わらびもちなど。
Main town
江戸時代~明治時代の薫りが残る!蔵造りの街
一番街へ
菓子屋横町をぐるりと巡った後は、メインの一番街へ!一番街は、大きな鬼瓦の屋根に黒漆喰の壁、分厚い観音開きの扉で構成された蔵造りの建物が大通り沿いに建ち並ぶ場所です。かつて幕府が決めた法度や掟書などを町人に知らせるための「高札場(こうさつば)」が一番街北端の「札の辻」に設けられていたそうです。一番街はこの「札の辻」以南の「南町」とされ、江戸時代後期に川越城下の商業の中心地として栄えていたようです。そして1893(明治26)年に起きた「川越大火」では街の3分の1が焼失したものの、なんと蔵造りの建物だけは焼け残るという結果に!蔵造り=火事に強い建物として、蔵造りの商家の建築が進んだとのこと。
土蔵は土壁の上に漆喰を塗って仕上げる構造で、漆喰材の主原料が消石灰という不燃性であることから、火事の時も炎を通さず、優れた防火性能を誇るとのこと。
川越の蔵造りの特徴は、倉庫としての蔵でなく、店舗を蔵造りとした「店蔵」であること。通りに面した商家の顔である店舗を蔵造りにすることで周辺からの延焼を防ぎ、裏に続く土蔵と併せて敷地内への飛び火を防いだと考えられています。
それにしても人人人…、凄い人でした!!なんだか「観光地に来た!」という気持ちになります。
1910年以降に立てられた洋風の建物も。和と洋が調和した景観です。
奥には老舗金物屋さんの「荻野銅鐵店」。手前はプリン専門店の「川越プリン」。
↓川越菓匠くらづくり本舗。もなかの「福蔵」、スイートポテトの「べにあかくん」、さつまいも菓子「ぽくぽく」などが人気商品のようです。「福蔵」はお祝いごとでの贈り物にも縁起が良くて喜ばれそうですね。
↓街のランドマーク的、洋風の建物、埼玉りそな銀行の旧川越支店は、今年5月15日に「りそな コエドテラス」としてグランドオープンしたばかり!レストランやバー、ギャラリーの他に、市民向けのシェアスペースやワークスペースもあるようです。中には入りませんでしたが、新しく出来た展望台では、小江戸川越を一望できるそうですよ♩
漬物屋さんや、うなぎ屋さん。
途中、神社やお寺もたくさん見かけました。
この後は、川越一番街の中で最も行きたかったお店へ。別記事にて紹介させてください。
あわせて読みたい
TB - はな
主婦 / 神奈川県 / LEE100人隊トップブロガー
41歳/夫・息子(13歳・10歳)・娘(8歳)/手づくり部・料理部・美容部/大雑把な山羊座のO型。好きなものは器、アメリカンヴィンテージ、宝塚歌劇、マンガ、ミナペルホネン、オールドマンズテーラー、GU、ユニクロなど。インテリア・ファッションなどLEEで勉強中。両実家とも遠方で3人の子育てに日々奮闘。ドタバタと過ぎて行く日々の中でも「今」を大切に、小さな幸せを拾い集めながら成長して行きたいです。
この記事へのコメント( 0 )
※ コメントにはメンバー登録が必要です。