前回の入園まで編を見てくれた方たちから、コメント欄やインスタのDMなんかに反響をもらったのですが。おおむね好意的なメッセージが多かったので、続けさせていただきます。
さきにちょっとお話ししておきたいのですが・・・ひとりの人間、母親としての、とっても個人的な記録ですので、見て嫌な気持ちになりそうな人は、見ないでくださいね。私もそういう風に思った時は、そうしています。
腹の立ちそうなものを隅から隅までチェックして、やはり思った通りだと腹を立てて嫌な気持ちになることって、このSNS社会ではよくあると思うけど、その結果をわかっていて続ける行為には、何のいいこともないからです。自分から嫌な気持ちになりに行くのって、損しかない。
「ああ今日も予想通り嫌だった」は、「嫌」な気持ちと同時に、「予想通り」の結果を今日も得ることができたという、ある種の成功体験になってしまい、そこに暗い満足が発生するので、いつしかそのループに依存してしまいがちなのです。っていうようなこと、誰が言ってたっけな。誰か偉い人が言ってて、もうほんとその通りだなと思ったので、そこから気をつけるようにしてます。それでもここから先を見るなら、もう私を責めないでくださいね。
・・・さて。注意喚起をしたところで、本編へと入りましょう。
息子氏、ついにご入園の時がやってまいりました。
ジャーン。懐かしの幼稚園児スタイル!
年少さんは、行事の際はジャケットなし、シャツに白いベストまたはセーター、赤のネクタイが基本スタイルでした。
これ、ベストとネクタイ、割といいやつです。奮発してバーバリーで買いました・・・。でも、3年間行事のたびに使うものなので、いいのを買っといて良かったと思ってます。
さすがに卒園して6年も経ってるし、白いベストはシミが出てきちゃったけど。今も制服と一緒に、思い出にとってあります。蝶ネクタイ、可愛かったな〜♡
そして、行事などがない普通の日には、ママの縫ったスモックで登園します。
長い!ワンピースのようです(笑)バッグもなぜか斜め掛けがうまくいかず、首からかけてますね。
3月に3歳になったばかりのハルちゃん。4月までに絶対オムツを取って来てくださいと言われたので、けっこう頑張りました。
・・結局、毎回トイレに成功するわけでもなく、ちょっと微妙なまま入園したんですが。驚いたことに最初の月に2回ほど失敗したくらいで、すんなりと行きました。
さて、この当時の息子のブームは、何と言ってもスーパー戦隊。ちょうどゴセイジャーからゴーカイジャーへの切り替わりタイミングでした。
チネチッタまでわざわざ見に行ったのか!(笑)スーパー戦隊199ヒーロー大決戦。すごいタイトルだなあ。絶対自分では見に行かないやつだ。
(しかし、思い返すと千葉雄大や山田裕貴がでてたわけで。特に今や朝ドラ俳優の山田裕貴、あの人ゴーカイブルーだったんですが、レッドじゃなかったのに、大出世したなあ・・・)
そもそも、息子が戦隊にはまったきっかけは、幼年誌(たぶん「てれびくん」)についてた付録DVDから。これが、ゴセイジャーの1クール前の、侍戦隊シンケンジャーの悪者やなんかを特集したものだったんですが。入園前の年末だったと思うんですが、旦那さんの実家に行ったら、なぜかそれがあったんですよ。
で、お義母さんに息子を託して数時間ほど買い物に出てる間に、めっちゃハマってたんです。一瞬の出来事でした・・・(汗)
帰宅したら、興奮した様子のハルちゃん、「まま!!げどうしゅうが!!」と叫んでとびついてくるんですよ。
外道衆・・・。
すごいパワーワード覚えたなあ、と愕然としつつ、今までこんなに何かに興奮したり、興味を持って言葉をどんどん覚えたりすることはなかったので、ちょっと感動した次第です。きみの琴線に触れるものは、アンパンじゃなかったんだな。そうか。こっちのヒーローだったか。
言葉もどんどん覚えてくれたので、嬉しくてまずはシンケンジャーから、いろんなDVDを揃えました。母も一緒に戦隊デビューです。・・・・松坂桃李は絶対めちゃめちゃ売れると思ってた。
そういうわけで、息子の人生初期の言語形成は、シンケンジャーを土台に行われました。しかし、このことが翌年、年中さんになってから、意外な形で私たちの前に問題となって顕れたのです。それはまた、年中編があったらその時にでも。
さて、夏には夏用のスモックを用意しなきゃいけないんですよ。
袖なしタイプの方がちょっと楽だな。
こちらも、洗い替えを考えて2枚用意。ブルーグリーンの方は、C&S海のブロードをベースに、薄緑のチェックの生地でポケットを。ストライプの方もC&Sの布です。イカリ模様のポケットでマリンっぽく仕上げました。どっちも可愛かった!
マリンといえば、
セーラーカラーのブラウスをどうしても着せたくて探したのだけど、どこにも売ってなかったんです。縫いました。シンプルに白で・・・。なかなかよくできた方だと思います。
ちなみにこれは、ハグオーワーとクロス&クロス前の階段。よく一緒に行ったなあ。すべり台が大好きでした。
当時から、ハグオーワーに出入りする子はみんな可愛いかっこしてた!懐かしいなあ。
初めての夏休みには、綿あめとかき氷の味を覚えました。
幼稚園恒例の夏祭りへ。甚平はコストコで買ったんだと思います。コストコの幼児服は意外と良くて、アメリカンなものばかりじゃなく、浴衣類なんかの季節商品もよく入るから、重宝してました。
特に、つなぎの足つきスリーパーがすごい可愛くて。サイズアウトして着せられなくなった時は嘆いたよねーって、今もコストコで見かけるたびに、とも♪ちゃんと話します。母あるあるなのだ。
そんな楽しかった、初めての夏休みも終わり、秋にさしかかります。
初めての運動会にむけて練習をしていた、9月の頃。大事件が起こりました。
当時、産後太りがなかなか解消しないので、家から2駅くらいのところにあるホットヨガスタジオに通い始めたところだったのです。
やっと息子を幼稚園に預けられるようになって、あいだの時間で何かできることをしようと思ったのですが。ホットヨガって高温になるからか、携帯電話の持ち込みが禁止だったんですよね。
ヨガスタジオから出て着替えようとしたら、携帯をロッカーに置いていた2時間弱の間に、電話に100件を超える着信が。留守番電話を聞いてみると、息子が幼稚園で怪我をしたとのこと。
肘の骨折でした。運動会の練習の最中に、ふざけて先生の制止を振り切って走り出し、たまたま下り坂だったので加速がつき、転んだ時に折れてしまったらしいのです。
私に連絡がつかなかったせいで園からいろんなところに電話が行ったようで、徐々に恐ろしい感じになっていく何件ものメッセージを聞いて、心の底から震えました。汗だくでしたが、シャワーも浴びずに急いで戻りました。
今もその時のことを思い出すと、自分を責めるたくさんの声がどこからか聞こえてきて、歯の根があわなくなって血の気が引き、身震いがするくらいです。
先生が整形外科に連れて行ってくれていたのですが、手術をして釘を打たないとずれるらしく、この年齢だと全身麻酔になるということで、大きな病院に入院することになりました。
無事に手術室から出てくるまで、生きた心地がしませんでした・・。落ち着きのないタイプだから怪我は多かったけれど、ここまでの大怪我をするとは思わなかった。
ちゃんとくっつくのだろうか、後遺症があったらどうしよう。麻酔の影響が残ったりはしないんだろうか。必死で無事を祈ってすごしました。実際は一時間くらいだったはずだけど、何時間にも思えました。
そして、打った釘は半年後に、同じ手順でまた開けて抜かねばならないのです。もう一度、全身麻酔の手術をするということです。
それ以前に、まずはギブスが取れ、また幼稚園に通えるようになるまでの2か月、母親の私がしっかりしなくては、と自分に言い聞かせました。
心配で心配で思い詰める気持ちとは別に・・・それ見たことか、といろんな人に言われている気がしました。
少し手が離れたからといって安心して、2時間も連絡のつかないところに出かけたりして。お前がそんな無責任でどうしようもない親だから、息子が取り返しのつかないような怪我をするんだ。いつだってお前はそうだ、最初の子がお腹の中で亡くなったことにも気付かなかった。痛い目にあったことをもう忘れたのか。
もしも今、当時の自分に会えるなら、抱きしめて言ってあげたい。そんな風に思わなくてもいいのだと。なるようにしかならなかった、本当にかわいそうだけど、しょうがなかった。誰もあなたをそんな風に責めていない、考えすぎなのだと。
たくさん傷ついてきたね、辛く悲しい思いをしてきたね。どうしてそんな風に、満身創痍になっちゃったの。こんなに毎日懸命にやれるだけのことをやっているのに、自分で自分を責めているのに、それでもまだ今のあなたを責めてくる人がいたら、そちらの方が人としておかしいのだと。だから、もうそんなに傷ついてはいけない。
それでも、当時はいつでも、誰かに自分の育児を叱責されているような気がしていました。きっと、そういう思いをしながら、縮こまって子育てしているという人は、他にも結構いるんじゃないかと思います。
もしこれを読んでくれている中にいらしたら、当時の私に言ってあげるつもりで、私があなたに声をかけます。大丈夫、あなたは悪くないと。
自分の心を守ったり、癒したりすることができるのは、最後は自分だけです。心にダメージを負った時に自分で立て直す方法は人それぞれだけど、やはり周りの人を見ていると、上手い下手に個人差があると思う。
心のそういう、ホメオスタシスの機能みたいなものがうまく機能している人を見ていると、健やかに育ったんだなあと羨ましくなります。若い頃はそれを妬んだりするような僻んだところもあったけれど、嫉妬で人を貶めてるうちは、絶対に明るい方には行けないのです。
40を前にした今やっと、自分の心を自分でコントロールする努力をして、明るい側に自分を持って行こうと思えるようになりました。
さて、固めたギブスを新聞でぐるぐる巻きにされて、無事手術室から出てきたハルちゃん。骨がくっついてギブスとお別れするまで、長い1か月半の始まりです・・・!
ちなみに、ホットヨガスタジオは結局それを最後にやめてしまいました。3回くらいしか行かなかったなあ。もったいないけど、既にもうトラウマみたいになってて、電話にでられないところに行くのなんて無理でした。
まず必要になったのは、前開きの服。それと、ギブスめっちゃ太いんで、そっち側だけ袖がないとなお良し。
ってことで、作りましたよ。
左だけ袖のないシャツ!
私が嘆き暮らしていたら、当時100人隊で一緒に活動していたcohanaちゃんが、ブロックチェックの生地で、すごい素敵な後ろ開きのプルオーバーを作ってくれたのです。その優しさを、嬉しかったことを、忘れられない。
スクエアネックめっちゃ可愛かった。・・・実は今も、ギブスと一緒に大事にとってあったりして。
さて、骨が完全にくっつくまで、毎日おうちで一緒にいることに。参加できなかった運動会が終わり、涼しい季節がきて、長袖になりました。
しかし、別に怪我してるからといって、おとなしくなるわけでもなく・・・。行くとこなくて、近所のアンパンマンミュージアムに、パンだけ食べに行ったりもしました。
1か月たったら、ギブスを外そうという話になっていたのですが。
なんと、途中で腕が細くなったらしく、あるとき自分で腕から引っこ抜いちゃったんですよ。驚愕しましたね。急いで病院に連れて行ったら、もう添木と包帯で大丈夫ですよと言われ・・(笑)巻き直してもらいました。
こんなきれいに抜けるなんてこと、まずないですよね。普通は、丸いノコギリ的な奴で切って開けるもんじゃないですか。でも、ずっと息子の腕に嵌まってたもんで、サイズといい形といいそのまんまで、なんかもう体の一部としか思えなかったんですよ。。
・・・この状態で箱に入れて、今も天袋にしまってあります。腐ってないといいけど。
病院で、ハロウィンの帽子をもらいました。・・・あそこにはたくさんの子供が入院していて、いろんな疾患の子がいました。県下で一番大きな、こどもの病院だったので。
病棟から出られない子や、日が落ちてからしか出てこれない子もいるようでした。病棟に兄弟児は入れないのか、夕方面会に来た子と待合スペースで話している子もいました。そして、ハロウィンは多分みんな楽しみにしているらしくて、とってもハロウィンらしかった。
顔色の悪いお母さんが座っていたりもしました。ここには、かつて私が経験したのと似た苦しみを抱えた人も通っているようでした。お腹から出たら長くは生きられないとわかっている赤ちゃんを出産する人もいて、どれだけ辛いことだろうかと、何度も思った。
手にしたものが隙間からこぼれ落ちていかないように、大切にしようと思える経験でした。
さて、この療養中に、旦那さんの弟さんの結婚式がありました。
ジャーン。包帯巻いたまま出ました(笑)
そして、心なしか顔色が悪く、頰の削げたわたくし。お疲れ様ですね・・・
この直後、病院の許可が出て、ついに添木も取れました。お祝いに息子を連れて行ったのは、こちら・・・!当時はここのルールに抵触するので、写真をアップしたら怒られていたはずの、
夢の国へ。休みの間、ミッキーマウスクラブハウスにハマってたんですよ。憧れのミッキーさん。当時は、絶対に「ミッキーさん」とさん付けで呼んでいました。なぜだ。
さて・・添木が取れても、すぐには登園してこないでくださいと言われまして。少しその状態に慣れてから登園を開始して、最初はずっと同伴して、外遊びの時間もしっかり見張って、何かあったら母親が制止するようにとのことで・・・
その状態がしばらく続いた後、今度は9時登園のあと11時に迎えに来るようにという感じに変わりました。少しずつ復帰した感じです。
そうこうしているうちに、かなり寒くなってきました。ジムフレックスはなかなかサイズアウトしません・・(笑)いや、ジムフレックスに限らず、なかなかサイズの変わらない子だったなあ。だから、結構いいの着せてたかも。
無印のボーダー長袖シリーズは、便利だし丈夫なんで、サイズアウトのたびに買い換えていました。赤に紺のボーダーのやつ、似合っててよく着せたなあ!
ニットキャップは、green label relaxingの。ちょっとおしゃれな小物欲しいな〜と思った時に、よくチェックしてました。
キルティングベストと、グレーのジャージー素材ジャケットはGAPの。ヘルメットは、もっと小さい頃に買ったやつがだんだん傷だらけになってきたので、楽天で可愛い柄のやつを探して買い変えました。
初冬には、ストライダーを乗り回せるほどに回復してくれたハル。よかった。・・この時点では、まだ左肘に釘埋まってるけど。
そして、サンタさんの来る季節がやってきました。
さて、この年のプレゼントは・・・!?
スイッチを押して・・・変身!!
仮面ライダーフォーゼの、フォーゼドライバー!
今をときめく福士蒼汰ですよ。リーゼント頭で、友情に厚い不良ライダーの役をやってました。一回だけ普通の頭で出てきた回があって、めちゃめちゃ男前だな・・・こりゃ売れるな・・・と思ってました。戦隊ヒーローのその後はいろいろだけど、ライダーはだいたい売れますよね。
ちなみに、この時着てるフリース素材の茶色いのが、件のコストコの、足付きつなぎスリーパーです。足からジッパーで前を閉めるタイプで、寝冷えしないから重宝してました。
そういえば、この当時atsumiさんの「刺繍のエンブレム」という本が流行っていまして。結構みんなハマってましたよね。
無印のカットソーを買っては縫い付けていました。
体操着袋にもつけたりして。
実はこの体操着袋、小6になった今でもずっと使ってます。相当じょうぶ!(笑)
エンブレム部分も、だいぶ土台の白いピラピラの部分はほつれて味が出てきましたが、刺繍の部分は劣化せず。おそらく、次の3月で引退となるでしょう。長いこと頑張ってくれました。
それから、お世話になった担任の先生方に、こんなクリスマスプレゼントを。
ブローチです。
担任のT先生、副担任のS先生。サポートのりんご先生は・・いつもりんごの名札をつけているんで、りんご先生と呼ばれてました。みなさん、制服のエプロンドレスみたいなのに付けて、使ってくれてました。嬉しかったなあ。
さて、明けて2012年。前年は、震災に骨折にといろんなことがあった年でした。今年は穏やかな年になりますようにと祈ります。
ミントグリーンにボーダーの星セーター!GAPので超可愛かった。
この頃から、ラインナップにぼちぼちZARAが入ってきます。紺の模様入りセーター、白いトグルボタンつきセーター。
ZARAの柄入りセーターはショップ店員さんにウケが良くて、どこにいってもだいたい褒められました。当時自分はハウエルのフェアアイルセーターなんかをよく着ていたので、なんとなくリンクコーデ的な要素もあったのかな。
柄セーターに鬼の面をつけて、豆投げモーションをしてくるハル。どうして額に線を入れたの?お年寄りなの?と聞いたら、「これはねー、おにのかみのけなの!」とお話ししてくれました。
よく話すようになったもんだ。ほろり。
やがて春が来て、いろいろあった年少さんもおしまい。そして、釘を抜くために再度入院する日がやってきました。
大事なダッフィーさんをお守りに、元気に運ばれて行った息子。最初の手術よりは麻酔からの回復も早かったし、私の方にも余裕と安堵がありました。
しかし、その代わり(!?)手術前日から入院していたのですが、夜元気すぎてベッドの高い柵を乗り越えて突破しようと何度もしたらしく・・・。
手術当日の朝に私が病院に着いたら、なんと、ナースステーションの横に息子のベッドが横付けされていたのでした。そんなことってある!?
とほほほほー。本当に落ち着きがないのよね!(涙)
よく今ちゃんと座って授業受けて、楽しく6年生やってるなと思います。
そんな、波乱万丈な年少さんの1年間でした。どうだったでしょうか。
年中編はあるのか!?あったとして、はたして私の卒業までに間に合うのか・・・!?
yuki*
39歳/夫・息子(11歳)/手づくり部、料理部/横浜在住、大阪出身。港が見えそうで見えない丘の上の古い一軒家で、息子と年上の旦那さんと猫のリサと一緒に、楽しく暮らしています。本とラジオと美しい布が好き。がま口のお店をやっています。一度しかない美しい日々を、あたたかく綴りたいと思います。Instagram:@yukiiphone
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yuki*