やってしまいました、久々に。ひどい腰痛です。
明らかにぎっくり腰の痛みなんですが、普段と違うのは痛むのが片側だけだってこと。ワンアクションごとに左だけがめっちゃ痛い!
生理の時って、骨盤が開こうとする、謎の物質が出るらしいじゃないですか(いいかげんですいません)。腰痛になりやすいんですよね。そういう時につい無理して重いものを動かしたり、変な体勢でずっと寝てたりすると・・・やってしまうわけです。
おそらく今回の原因は、寒がりのお猫様。冬になると、夜中いつの間にかお布団に乗ってきて、足元で丸まって寝てるんですが。暖をとるためか、足の上に乗ってきたな・・とウトウトしながら気づき、なるべく動かないように気を使って何時間かそのまま寝ていたら、目覚めた時に激痛が!
今までに数回あったんですが、可愛さのあまり、懲りずに繰り返してしまう!(涙目)しかも寝冷えもしたらしく、ふえーくしょいと大きなくしゃみをする度に、あいたたたたと激痛が・・。そんな時に膝に飛び乗ってくるお猫様!ぐええと声を上げてしまいます。
左腰をかばいながらヨロヨロと立ち上がる姿はもう、完全におばさんです。おしゃれではつらつとしたここの読者の方たちには、情けなくてとても見せられません。。なんというか、年々おばさん化がすすんでいます。そりゃそうだ。しょうがない。
・・・・・・
というわけで、先週末はどこにもお出かけできず、radikoとテレビがお友達でした。テレビだと首をそっちに向けなきゃ見れませんが、ラジオなら何もしなくて耳から情報が入ってきます。究極に楽ちんな娯楽!!
とくに深夜ラジオが好きです。昔はリアルタイムで聞くのが大変だったけど、今はタイムフリーの機能がついてるから、どんな時間帯でも再生ボタンさえ押せば、深夜にトリップできます。
テレビ等の他メディアでの印象とは全く違う顔を見せる(耳からだけど)人も多いので、ラジオから好きになった人をほかで見かけたときに、ギャップで一気に恋に落ちてしまうようなこともしばしば。
そういえば・・「この人、ラジオでこんな小学生男子みたいなアホなこと言ってるのに、こんな綺麗な顔をしていたのか!そして歌って踊ってベースを弾くとこんなにキラキラするなんて・・・♡」みたいなことも過去にはありました。アイドルにハマるきっかけとしては、わりと珍しいパターンですよね。
「耳から落ちた恋は本物」という格言がありますが、さもありなん(ないです、嘘です)。
さて、土曜の夜のラジオスターといえば、ニッポン放送のオードリーでしょう。
長年ニッポン放送では、11時半からは福山雅治が魂のラジオをやってましたが、結婚して父になったくらいのタイミングで(!)その枠を後進に譲ることにしたらしく、関ジャニの大倉くんと高橋優くんの2人の番組が始まったのが数年前のこと。
そのあとは、深夜1時からオードリーのオールナイトニッポンです。
以前は12時半くらいからなんとなく聞き始めて、オードリー待ちをする感じでしたが、最近はちゃんと大倉高橋の前、中居くんのラジオくらいから聴き始めるようにしてます。(・・わかる人にしかわからないな。)
そのせいか、オードリーの半分くらい終わったとこで、寝落ちすることが多いんですよね・・。しかし、土曜の夜にはそういうまったりした聴き方がちょうど合います。
そんなオードリーのラジオは、2009年にはじまったもんで、かれこれ10周年。息子が1歳の時から聞いてることになります。
深夜ラジオと一口に言っても、明るく騒がしいのから、淡々としたトークでジワジワ笑えるもの、ちょっとブラックめのまで、色々あります。リアルタイムでのリスナーとのやり取りが楽しい番組もあれば、そういうの一切無しに、事前に各コーナーに来るメールやネタ葉書だけで練られた内容を楽しむようなのもあります。
オードリーは、2人いるにしては結構静かな方。ピンでももっと賑やかな人もいますから。トークにかなり重点を置いてて、ちょっと説明しづらい、独特の面白さがあって・・長く続いてるのがわかる!(笑)
淡々としてるようでいてギッザギザにとんがった若林の話からだいたい始まって、とちゅう春日のふわっとしたトークゾーンがあったり、そこに若林がドリルでえぐるみたいなツッコミを入れたりするんですよね。(忘れてましたが、誠に勝手ながら敬称略します)
家族皆が寝静まった寝室でイヤホンをさしてゲラゲラ笑いながら、とにかく若林はあまりにとんがってて色々こじらせすぎててやばい、こいつは危険人物だと思っていました。
2013年に初めての本が出た時は、すぐ買いました。
「社会人大学人見知り学部卒業見込」。その続編とも言えるのが、昨年出た新刊「ナナメの夕暮れ」です・・・というわけで、前置きが長くなりましたが、こちらが今回のお買い物です!
2年くらい前からかな。ラジオを聴いてても、以前よりも若林のトゲトゲが減ったなーと感じてはいたんですが、これを読んでちょっと納得しました。
ちなみに、こちらがこの本の帯です。
・・・という本です(笑)。すごく説明に手を抜いたようだけど、筆者ご本人からの説明が一番適当かと。
10年前、ラジオを聞き始めたころからずっとそうなんですが、彼に特別な興味と、ある種の共感を抱いています。話を聞いてても(ああ・・そこにひっかかるんだ・・)ということがしばしば。生きづらく、面倒くさい感じの人です。
普通に楽しく暮らしていきたいのは山々なのに、世界になにか大きな疑問や細かい違和感みたいなものを抱いてしまうせいで、周りの流れに乗って足を踏み出すことに戸惑いを感じ、立ちすくんでどちらにも行けなくてぼんやりしたり、うまく歩けない自分を誰かが笑っているのを感じて、背中に汗がダラダラ流れたりする感じ。
それを長年繰り返すうちに、いつの間にか流れから逸れて、うまいこと流れに乗って普通に楽しそうに行き来する人たちを外からナナメに構えて眺め、あいつらなんで何の疑問も抱かずにみんな同じ方に歩いて行くんだろー、何が楽しいのかねーなんて言ってる。そんな風に、世をすねた若者みたいなところに惹かれました。
自分もそうだからです。それもこどもの頃から。
いくつか、作中で印象に残ったフレーズを紹介します。一流のお笑い芸人が、こどものころから青年期を経て、一個の人間としてあれこれ葛藤してきたようなことを、研ぎ澄ました感覚で逐一、言語化したものです。
疲れるだろうなあ。すごくリアリティがあって、愛しくなります。
「キョロキョロおどおどしている人は自分の意見を持って溌剌としている人に徹底的に無視されて、イライラしているけど強気な人にカモられてスポイルされる。すると、だんだんと大勢の人がいる場を避けるようになる。」
「多様化された世の中では自分の中の正解に自信が持てなくなる。なんとなく正しいことを言ってそうな、有名人のコメント、Twitterのアカウント。誰かの正論に飛びついて楽をする。自分の正論と誰かの正論は根本的に質が違う。」
「一流のものに囲まれて生きることが幸福だと一神教のように信じている人は、それを信じない人間が信じられない。自分と他人の価値観をセパレートすることができない。(中略)でも、僕は一流(とその人が信じているもの)への野心を軸に生きる人を否定しない。なぜなら、それは法律を犯していないし、ぼくに害がないからだ。」
「「なぜそういう生き方をしたほうがいいのですか?」と聞くと、「お前のためを思って」と言う。そういう人は「〜のためを思って」という大義を隠れ蓑にして、自分より立場の弱いものから自分の生き方を肯定する言葉をカツアゲしようとする。」
どうです、あんなにスポットライトを浴びて生きてる人なのに、この弱者感。淡々としているようでいて、奥のほうにギラギラと光る負の視線を感じるというか・・。彼が、どういう人間が嫌いなのかよくわかりますね。
それから、近年自分にとって身近だと思える、こういう話題も。
「特典付きのアイドルのCDを何枚も買って借金が膨らみ、自己破産する人がいるらしい。それは自分が不幸になっているから、ファンタジーの使い方を間違えているパターン。もったいない。特典付きのアイドルのCDを一枚買うことで仕事やプライベートへのモチベーションやエネルギーが増す。その力によって、アイドルのCDに投資した額よりも、自分の日常生活において高い価値を得る。中長期的に見ても幸福度が増す。こういった流れがファンタジーの上手な使い方ではないだろうか?
元本割れをしてはダメだ。」
・・・そうなんですよね。元本割れという言葉、すごく言い得て妙。たとえば沼にハマりすぎて、家族を大切にしなくなったり、周りが見えなくなって人間関係に破綻を来したり、悩みのほうが多いような状態になったら、まさに元本割れです。気をつけようっと。
「ありきたりだけど、”共通の趣味”は異性とのコミュニケーションが苦手な男にとって、天から垂れる蜘蛛の糸である。そして、”悪口が合う人”というのも”共通の趣味”並みのコミュニケーションツールだった。」
これをよんで膝を打ち、まさに!と思いました。相手が異性か同性かについては関係なくですけど。悪口にもいろいろな効能は、ある。他にもいくつか、そのことに触れた節がありました。
悪口って本来は、あまり良くないものとされているじゃないですか。悪口って、くっだらないし、みっともない。かもしれない、たしかに。でも上から目線で頭から否定するのは違うな、と思います。
だって、考えてみたら悪口って「こういう人ってイヤだよね」「あーわかる」というやりとりでしょう。人として何が許せないか、ということを共有するってことです。
「これが好き」という共通の話題があるのと同じくらい、「これが嫌い」が同じで共有できるってことは、友人になるにおいて大事なことです。もちろん、集団の中で力の強い人が発する悪口は、その同調圧力がいじめにつながるので、良くないですが。
若い頃自分も、若林と同じような、ちょっとこじらせ気味の「ナナメな若者」だったと思います。
でも、それだとたぶん、うまく社会に溶け込んで子育てしていくことが難しい。だから、ある段階で「ナナメな若者である自分」を無理やり切り離し、明るく楽しい真っ当な感じのお母さんを目指すことにしたのです。
うまく周りに馴染んで歩けないことの恥も自意識も、何もかも捨てて、最初から自然にその流れにいたかのように擬態しないと、うまく子どもを育てていけないと思い込んでいたのです。呪いのようなもんです。子どもと一緒に集団の中で浮かないように。あそこのお母さんちょっと変わってるよーと言われずにすむように。
(・・・それでもたぶん、あまりうまくはできていなかったと思います。しかしまあ、現時点では息子が無事に育っているのでよしとしましょう。)
ただ、深夜にラジオをつける時間になると、その時だけチャンネルを変えるように、もとの偏屈な若者の自分に戻るのです。若林が春日に入れるドリルみたいにエグい突っ込みを聞きながら、眠りにつく土曜の夜なわけです。
そんな切り替えを10年も繰り返しているうちに、徐々に自分にかけた呪いが解けて、無理に明るく楽しいお母さんをやろうとしなくても、いい感じにいろんなことが混ざって、気にならなくなってきました。
まずは、息子の性格が自分と違って元気で明るすぎて、ナナメの入る余地が今のところ全くない。空気を読まなすぎて傍目には時々失敗してる気がするけど、それを否定したり、いちいち介入して叱る気にも特になれない。羨ましいくらいに本人が気にしてないんだもの。(ちなみに旦那さんもそうです。彼らは私にとって、春日みたいなもんです。)
ちょっと見てて恥ずかしいような時もあるけど、いずれほっといても人目を気にするお年頃になったら、自分で気にする時が来るでしょ。という気にさせられちゃう。ナナメって悪いことじゃないけど、一旦陥ったらしんどいから、そうじゃない時期を楽しみな〜と言いたい。
思えば自分はこどもの頃から「恥をかかせるな」ということをめっちゃ言われ続けてきた気がします。(たぶん若林もそうなんじゃないかな・・・)
そうすると、悪いことだと思って一生懸命なおそうとするんだけど、なかなかできない。痛い目にあわないよう行動する前に考えようとするけど、どうしていいかわからずそのまま動けない。そんで、自己否定感だけが募って、そのうちナナメの方に行っちゃうんだよなあ。やだやだ、やらないようにしようっと。
でも私の子だから、どうしてもいつかナナメになっちゃうかもしれない。その時は、ナナメでも別にいいんじゃない?人生が楽しいなら。楽しくないなら楽しむようにしな〜。と言ってあげよう。
それに、明るく正しいお母さんなんて、じつはそんなにいない。わかい頃は親になる人ってみんなすごい道理をわきまえてて、道徳的にも正しいことしかしない成熟した人間なのがあたりまえだと思ってたけど、意外とそんなちゃんとしてない。
だから、ちゃんとしてない未熟な私を否定的に見たり、糾弾したり攻撃してくるような人も、思ったより少ない!(・・いないとは言いませんけどね)
それから・・こちらで、LEEにかかわる活動をさせてもらってるうちに、なんかじょじょに素直になってきて、だんだんいろんなことを恥ずかしいと思わなくなってきました。
じつは当初は、広告企画なんかで写真を撮ってもらって本誌に載ったり、パーティーでおしゃれな人たちと並んでコーデ写真とか撮ってても、内心そういう自分のことを、すごい冷たい目で見てたのです!「なんでこいつ、キラキラした周りの人と比べてスタイル微妙だしパッとしないくせに、おしゃれぶって一緒に載っちゃってんの・・」くらいに思ってました。
だからなるべくページを開かないようにして・・・(しかし、こないだ当時の写真がTB仲間のLINEで送られてきたので見たら、今よりだいぶ痩せててかわいかったです・・!!いろんなことに捉われてないで、もっと若さを楽しめばよかったわ)。
ここでできた長い友達は、可愛いものや楽しいことが大好きだし、やっぱり隊員に選ばれてなってるだけあって、人生を楽しんでる!いいことも、悪いことも含めて。
ものすごい人生の荒波に晒されるようなこともあるけど、恥ずかしがらずに心の内を見せたら、意外とみんな色々悩みはあるし、なんやかんやで話を聞いてくれるし、悪口のセンスも合うし(笑)。どうやら本当に、私を好きでいてくれるらしい。嬉しい・・(ポッ)
一秒一秒、確実におばさんに近づいていくわけです。「恥をかかないですむ人生なんてないんだから、どうせならその時楽しいなと思えることを大事にしよう!」とじょじょに開き直りを見せているところです。
それって、若林がこの本の帯で言ってるのと実は近くて。王道の誰から見ても素敵な感じの堂々とした人になんて自分はなれないから、なることは諦めたし飽きたけれど、そうすることで何らかの前向きな悟りを経た。と、自分の場合はそういうことです。
ようやく一昨年くらいからは、TBの子達と一緒に、パーティー会場でふざけたポーズをとって写真とか撮れるようになってきました(おそろしいでしょう、小中高大学生と、一切そういうことをしない若者だったのですよ。30代でデビューしました)。
そしてついに昨年は、お酒の力を借りないという大きなハンデがあったにもかかわらず、一緒に写真をと頼まれたら、赤面しながらも一緒にカメラに収まることができるように・・・!大進歩です。
一方、あのびっくりするくらい鋭角にナナメな若林も、10年を経て丸くなったというわけです。もっと言うと、前作を描いた頃に比べると、いい感じにおじさんになったんだなーと。
前作のあと、今作を出すまでの間に、いろんなことがあったんだろうなーと思います。たとえば、先輩であるまえけんさんの死。若い頃は随分ぶつかったのであろうお父さんも、数年まえに他界されたそうです。そういうのに触れると、ちょっとほろりとします。
テレビで大活躍の芸人さんに対してこういう親近感を持つなんておこがましいかもしれませんが、プロセスはまったく違えど、わりと似通った流れで、年を取るとともにいろんなことから解放されていく様子に共感しました。
べつにナナメであることを否定しないでいいし、無理にナナメでいる必要もない。やめられる時が来たら、やめられる部分はやめたらいい。別にナナメの部分が残っててもかまわないんだなー。と思いました。
おじさんやおばさんになるのも悪いことばかりじゃないなー。ぎっくり腰は痛いけど。
あんまりいないと思うけど、もしここを読んでいる人の中に、私と同じようにナナメで悩んだことのある、こじらせ中年がいたら・・・この本を読むと、なかなか形にならないモヤっとした違和感が言語化されてるので、とってもいいです。おすすめです。
yuki*
39歳/夫・息子(11歳)/手づくり部、料理部/横浜在住、大阪出身。港が見えそうで見えない丘の上の古い一軒家で、息子と年上の旦那さんと猫のリサと一緒に、楽しく暮らしています。本とラジオと美しい布が好き。がま口のお店をやっています。一度しかない美しい日々を、あたたかく綴りたいと思います。Instagram:@yukiiphone
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yuki*