1月17日。
阪神淡路大震災から24年。
あの時の揺れる部屋の様子、
小さな窓からの外の眺め、
はっきりと今も頭に残っています。
当時、私は小学校6年生、妹は1年生。
父はとても仕事が忙しく、自宅から離れた場所での仕事のため、
その頃は毎日早朝に母と妹で近くの駅まで車で送っていました。
私は寝たいからと留守番。
この日も同様に。
家族3人は駅で、私は自宅で5時46分を迎えました。
強い揺れを感じたのは生まれて初めてで何が起こっているかわからない。
父と母を呼んでも返事がなく、時計を見て駅に送っているというのはすぐにわかりました。
小さな窓から外の様子をうかがって数分、
隣のおじちゃんおばちゃんが私の名前を呼んでくれて、ほっとしたのを覚えています。
とても仲の良い住宅地に住んでいて、
手探りで雨戸を開け、2階のベランダに出ると、ご近所さんが私を心配してくれ
ガラスがいっぱいだからそこで待つのよ!と。
どのくらいの時間を待ったのか、混乱で覚えていないのですが、
皆が見守ってくれる中、母が走って帰ってきました。
危ないから靴のまま2階へ行きなさい!と母にお隣さんが声を掛けてくれて。
再会した母に抱きしめられ、その時に涙した記憶はあります。
幸い父が電車に乗る前での地震だったので両親と妹の3人で自宅に戻って来れましたが、
道路の陥没や停電で道路は混乱し、渋滞。
母は私が心配で途中車を飛び出したそうです。
その後、停電、断水、地震の恐怖に怯える日々でしたが
自宅も残り、徐々に元の生活に戻ることができました。
・
今年も1月17日の5時46分、黙祷をしました。
年を重ねてわかる、そして親という立場になってわかる、
災害の恐ろしさやつらさ、生活が一変する大変さ。
私が自宅でひとりで地震を経験したことを悔やむと
両親はこれまで何度も話してくれました。
もうこういうことがないようにと、仕事の時間も変えてくれました。
夫婦で時間を作ってボランティア活動も始めていました。
自分が親の立場だったら、どう動いたか、どう動けるか、
そしてどんな気持ちになるかなと考えると、
両親のその時の痛みや心配が今になってわかってきている気がします。
もっともっと計り知れない痛みやつらさを
抱えている方々がどれだけいるのかと。
ここ数年の災害が続く中でも強く感じます。
日常が過ごせていることがどれだけ幸せなことなのか。
・
昨日、白木蓮(ハクモクレン)の枝をたまたまお店で見つけて、
枝の大きさとたくさんの蕾が嬉しくなり、リビングに飾りました。
今日の故郷での「追悼のつどい」のニュース。
以前は毎年訪れていたので、このニュースを見ると
私もろうそくを灯しに、祈りを捧げに行きたいなという思いでここ数年過ごしています。
夕食を作っていたら、
「ママ、ここにろうそくがいっぱいあるよね!」
と息子たちが白木蓮の蕾を指差して言いました。
息子たちはニュースも見ていないし、私の思いも話してはいなかったので驚きました。
とても温かい気持ちになり、飾った白木蓮にとても大きな意味を感じました。
私の記憶と思いを息子たちにもしっかり伝えていかなければ、と
改めて感じた一日になりました。
数時間毎に表情が変わります。
蕾から花が咲く様子をこれから見ることができそうです。
そんな日常を過ごせることに感謝して。
ORI
37歳/夫・息子(7歳・4歳)/手作り部・料理部・美容部/兵庫で生まれ育ち、東京生活を経て、現在子育てに全力の日々です。暮らしの中にちりばめられた小さな幸せと今という時間を大切に過ごしています。いつまでも夢を持ち続け、正しく強く優しい心を持って生きていきたいです!Instagram:@shiori.mt.8
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