寛一郎さん『たしかにあった幻』公開記念インタビュー
【寛一郎さん】『ばけばけ』から一転!でも魅力的な『たしかにあった幻』の“ズルい男”役。「僕が演じる役には、僕の小さな分身が絶対にいます」
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折田千鶴子
2026.02.04

昨年は、大河ドラマ『べらぼう』や朝ドラ『ばけばけ』(現在も放送中)など、日常的に目にすることが多かったのみならず、スクリーンでも『爆弾』『そこにきみはいて』『ラストマン -FIRST LOVE-』など、出演作が目白押しだった寛一郎さん。昔から、その姿に「ステキ~!」と目を輝かせてきた方も多いでしょうが、とりわけ『ばけばけ』で演じた誠実すぎる銀二郎さんは、朝からキュンと目をハートにしてくれました。
俳優デビューしてまだ10年目というのが意外に感じるほど、すっかり「この役は寛一郎さんに」と数々の名監督に思わせる、確固たる存在感を放っています。映画『たしかにあった幻』で演じるのは、フランスからやって来た女性医師が出会う、どこか謎めいた迅という男性です。掴み切れない男を魅力的に演じた寛一郎さんに、作品について、撮影についてお聞きしました。

ストイックとお茶目が絶妙な塩梅で顔を覗かせる
寛一郎
Kanichiro
1996年8月16日、東京都出身。2017年公開の映画『ナミヤ雑貨店の奇蹟』で俳優デビュー。『心が叫びたがってるんだ。』(17)で映画初主演。『菊とギロチン』(18)でキネマ旬報ベスト・テン新人男優賞ほかを受賞。その他の主な代表作に、大河ドラマ『鎌倉殿の13人』(22)、映画『せかいのおきく』(23)、『ナミビアの砂漠』(24)、『シサム』(24)、『グランメゾン・パリ』(24)、『爆弾』(25)、『そこにきみはいて』(25)、 『ラストマン -FIRST LOVE-』(25)など。待機作の『恒星の向こう側』(26)では、本作の監督・河瀨直美さんと共演。
一昨年、昨年と本当に公開作が目白押しで、お忙しそうですね。
「いや、そうでもないんですよ。過去に撮影していたものが、一気に公開されているだけで、実際には大して忙しくありません。公開作が重なると、映画のキャンペーンも重なるので、忙しい風でいられるのが有難いです(笑)」
作品が重なっていたのかと思いました。その辺りのペース配分や、自分なりのこだわりはありますか。

「あくまで僕個人の話ですが、基本、作品が重なることをあまり良しとしていません。というのも僕は器用なタイプではないですし、1つの作品に捧げられる集中力は絶対に分散されてしまうので。髪型にしろ体型にしろ、外的な要因によっての演じ分けは物理的に無理ですし、目には見えない内面的なことにおいても、自分の生理としてはやっぱり難しいと感じます。
ただ、一度だけ同時に3本の作品がかぶったことがあったのですが、それはそれで、とても勉強になりました。自分の切り替えの仕方など、確かに経験しないと分からないことが結構あるな、と。最初は混乱しましたが、段々と頭が整理できていくようになっていって。ただ必要に迫られない限りは、やらない方がいいとは思いますが」
『たしかにあった幻』ってこんな映画
フランスから来日し、神戸の臓器移植医療センターで、移殖コーディネーターのサポートとして働くコリー(ヴィッキー・クリープス)は、西欧と異なる日本の死生観や倫理観を前に、困難な想いを抱えていた。そんなある日、屋久島で運命的に迅(寛一郎)に出会い、恋に落ちる。ところが迅は、彼の誕生日である7月7日の七夕に突然、姿を消してしまう。一年後、迅の家族からはるか前に捜索願が出されていたことを知ったコリーは、岐阜にある迅の実家を訪れる。そこでコリーは、迅と自分の出会いが宿命であったことを知り……。そんな折、コリーが気にかけていた心臓疾患を抱える少女の病状が急変する。
映画を観ながら、迅はとても魅力的で好きになるのも分かると思いつつ、恋の相手としてはとても厄介な人だと思いました。何を考えているのか掴めないというか。
「魅力的と言ってもらえて嬉しいですが、彼は責任を持たない臆病な人だなと思います。ただ役作りにおいて、僕は0から作り出すのは無理なので、監督と話しながら作り上げていきました。
迅というキャラクターには、僕自身が入り込んでいるとも言えます。だから迅の臆病さも分かるし、人としての無責任さも分かる。親しそうでいて、人との間に距離を置いているのも、とてもよく分かるんです。僕が演じる役は、どんな役の中にも僕の小さな分身が絶対にいますから」
迅が自分の誕生日にコリーの前からフッと消えてしまうように、寛一郎さん自身もフッと消えてしまいたくなるような願望や衝動もあるのでしょうか?
「そういう衝動、良く分かりますね。ただ迅に関しては、消えてしまう前提の立ち回りをしているなと思いました。そこが彼のズルいところですが、自分にもそういう部分もあるから、気持ちは分かる。とはいえ実際に僕は、そういうことをしないだろうなと思いますが」

監督は、俳優たちが作品や役に入る前に、演じる人物としての生活を一定期間、経験させることが多いですが、今回はどうでしたか?
「今回も同様です。迅は屋久島に住んでいる設定だったので、僕も撮影前に屋久島でしばらく暮らしました。映画にも迅が魚を切っているシーンがありますが、実際に僕もその工場で働かせてもらいました」
どんなところで寝泊まりし、どれくらいの時間を費やしたのですか?
「撮影前に3週間くらい、屋久島の山奥の電波も電気も通っていない何もない場所で、周りには誰もいない古びた小屋で、一人きりで寝泊まりしていました。撮影自体は1週間程度だったので、全体としては約1か月、屋久島で暮らしたことになります」
それによって迅が自分の中で増殖していくような感覚や、自分と迅が溶けあうような感覚はあったのでしょうか? そこでどんなことを感じたり、考えたりしていましたか?
「大勢が寝袋で木の板1枚の上に寝泊まりする様な山小屋だったので、広さは結構あったんです。迅もそうだと思いますが、僕自身も近くに人がいるのがあまり好きではないので、そんな環境はとても居心地が良かったです。周りに何もないので、本当に1日が長い。だから色々なことを考える時間が、とにかくたくさんありました。そうすると、普段いかに東京で疲れていたかが分かって来るというか。誰も居ない何もない環境は、とても自由でいられる感覚がありました。
ただ僕もですが、迅という人間は別に人嫌いではない。『ちょっといいな』とか『この人とは近づきたいな』と思うような人、例えばコリーにも自分から声を掛けますし」



あまりに周りに人が居なさすぎるのも、ちょっと怖くなかったですか?
「僕はスピリチュアルな感性は全くありませんが、そこでは“山の声”が聞こえて来ました。動物の鳴き声や、とにかく『自然』の音しかしない。だから夜、森を1人で散歩したりしましたね。それはもう、本当にスゴい経験でした。もちろん一人で遭難したら終わりなので、そういう怖さはありましたが、何にも縛られない自由を感じて、本当に心地よかったんです。
別に僕は死にたいわけではないですが、こんなところで死ぬことになったとしても、怖いというよりは気持ちいいだろうな、という感覚がふと芽生えるというか。なにも重荷がない状態を感じて、迅がここでしか生きられない気持ちが分かる気がしました」
特殊な役作り、そして本番へ
人と接することは?
「工場でなど、屋久島で出会う人たちには迅と名乗っていました。迅という人間として暮らしていたので……。都会からの移住者もたくさんいましたが、幸いにも僕のことを知らない人ばかりでしたし、寛一郎としてではなく迅として彼らと会話をしていました。なぜ来たのかとか、仕事は何をしていたのかなど誰も聞いて来ないですし、本当に楽で。日本じゃないところに来た感覚はありましたね。
それこそ作品が重なる状況とは対極のような環境で、完全に本作にだけフォーカスできたのは、すごい贅沢だったと思います」
そんな役作りを経て、いざ撮影が始まります。インした初日を振り返ると、どんなことが思い出されますか。

「監督は、まるでドキュメンタリーのように撮られるので、現場では『ヨ~イ』も『スタート』もなく始まります。僕は渡された衣装を着て、迅(=僕)が住んでいる家から出ていく。そして仕事場(前述の工場)まで原付きバイクで行きました。その後、山でコリーと出会うシーンも撮りましたが、先に僕だけが1人で山に登って行き、その後にコリーが山を登って来てたまたま僕と出会うシーンを、まるでドキュメンタリーのように撮っていきました」
確か、そのシーンはセリフがなかったと思いますが、ドキュメンタリーのように撮るということは、即興で演じて一発勝負のような感じですか?
「確かにセリフはなく、2人が出会って川で遊ぶだけでした。ただ、ドキュメンタリーのように撮るから自由で何の制限もないかというと、そうではないんですよ。テイクは何度も繰り返すので、なかなか大変だったのは事実です。大変でしたが、普段の現場での“気遣い”的なものは必要なく出来たので、すごく新鮮ではありました」
「死=終わりではない」というメッセージ
意味深なタイトルですが、失踪してしまう迅が幻だったようにも思えます。現実にいたのか、果たして幻だったのか……。
「僕も正直、あんまりよく分かっていないです。もちろん僕自身は、『迅は実在している』という気もちで演じていましたが、監督自身、本当に居たのか居ないのか分からないようにしたかったのだと思います。最後のシーンで少し示唆していますが、それも観客の方々の受け取り方次第かもしれません。実際にあのラストシーンも、何パターンかを、かなり何度も撮りました。脚本ではハッキリと“結論”が書かれていましたが、現場では、いろんなパターンを試しながら撮りましたね」
寛一郎さんは、「どういうこと?」と考えさせるような映画を託されることが多いですね。
「確かにそうですね。自分でも不思議ですが、同じような作品や役が連鎖するのを感じます。例えば3~4年前くらいは、やたら雪山に登る映画が続いたりして(笑)。その次は、時代劇が続いて、『そろそろ現代に戻りたいな』と思っていた時期もありましたし(笑)、最近までは、どこかへ行ってしまう、居なくなってしまう失踪系の役が続いて。
とはいえ僕が演じたすべての役に自分の分身が入っているので、それぞれの役すべてが、ある意味、自分でもあるわけですが」

監督が本作は、「死=終わりではない」という概念から出発した映画だと語っています。昨年、公開された『そこにきみはいて』とも通じるテーマですが、寛一郎さん自身は、どのような死生観をお持ちですか?
「僕は元々、“死”というものに対してネガティブな感覚は持っていないんです。誰でも死ぬ時は死ぬものですし、だから『あの時こうしていれば……』と考えるようなこともありません。僕の中に前提として、『死ぬときは誰でも死ぬんだから、それはもう、どうしようもない』という感覚があります。
だって肉体が死んでしまうだけで、その人が遺した思いはなくなってしまうわけではないですよね。僕がまだ若いからもあるでしょうが、自分自身も長生きしたいとあまり思わない。ただ、いつ死んでも後悔が残らないような人生を送れるようにはしよう、とは思ってます。と言いつつ、本当にダラダラしてますが(笑)……」
近しい人を亡くされた経験も、もちろんされて来ましたよね?
「確かに、父方の祖父母も母方の祖父も既に亡くなっていますが、“死”自体を自分が悲しむというよりも、その“死”を嘆き悲しんでいる人を見て、(悲しみや涙が)来るという感覚なんです。もちろん僕は祖父母のことが好きでしたし、家族という思いもある。ただ、“死”そのものに対して悲しくて泣いた記憶はないんです。
というのも歳を重ねた人が亡くなるのは、寿命だからどうしようもない、という思いがあります。ただし本作の一つのテーマにも関わりますが、未来のある子供たちが早く死んでしまうことだけは、本当に嫌だなという思いが強いです。うん、それは本当に嫌ですね。そういう意味でも本作が描く“臓器移植”ということに対して、倫理的な問題は色々ありますが、命が循環していくこと、繋がっていくことは、僕はいいことだと思っています」
父・佐藤浩市さんについて
これまで寛一郎さんのインタビュー記事を読んで、あまり役に対するアプローチについて語っている記憶がないのですが、基本的にはどんなことから始めるのですか? 脚本をメチャクチャ読み込むタイプか、一度読んだファースト・インプレッションを大切にするタイプか、などなど。

「もちろん作品にもよりますが、1度読み、その後で数回読んで時系列を含めて理解するに至ったら、その後はとにかく1人でずっと考え続ける、という感じです。役について、その人物や周りのことについて。
以前は、インタビューで答えられる程度のことーー『どういう性格だ、どういう人格だ』ということを考え、その後で少しずつ自分の方に寄せていく感じでした。それは変わらずですが、自分と役とが交わる輪っかと輪っかの重なる部分を、どう見つけていくか、という感じです」
お父様に相談したりすることは、全然ないですか?
「ないですね。というのも、親父は完全に“なりきりタイプ”なんですよ、昔から。だから例えば怖い役を演じる時は、僕は親父に近づけないどころか、家にも入れなかったくらいでした。それくらい“なりきりタイプ”。そんな父を見ていて、『そういうのは、イヤだな』と思っていましたね(笑)。
だって周りの人間からすると、メチャクチャ迷惑ですから。そんな親父を支えてきた母親が、本当に1番大変だったんだろうなと思います。だから僕は役を作り始めるときは、予めあまり人と会うことを避けるようにしています。それもあって、一人でじっと役について考える時間に費やしているのもありますね。もちろん僕は、父のような“なりきりタイプ”ではないので、誰かと会っても大丈夫だとは思いますが(笑)」

一つ一つじっくり考えながら、とても真面目に応えてくれる寛一郎さん。ただ不思議なことに、その言葉と言葉の間から、とってもユーモラスな空気が漏れてくるというか、実はメチャクチャ面白い人なんだろうな、と思わせるニュアンスがあったりしました。とても繊細だけれど、神経質ではない、みたいな。
さて、『たしかにあった幻』は、日本でなかなか根付かない臓器移植の“今”を活写すると同時に、命のつながりと愛、生きた記憶と思いという見えないものが“確かにある”と感じさせる、現実と非現実が同居した不思議で柔らかい感触を観る者の心に残してくれる人間ドラマです。
率直に語ってくれた寛一郎さんの言葉を、是非、思い出しながら観ていただけたら嬉しいです。
『たしかにあった幻』
2月6日(金) テアトル新宿ほかロードショー

2025/日本/115分/配給:ハピネットファントム・スタジオ
監督・脚本:河瀨直美
出演:ヴィッキー・クリープス、寛一郎、尾野真千子、北村一輝、永瀬正敏ほか
Staff Credit
撮影/山崎ユミ ヘアメイク/Taro Yoshida (W) スタイリスト/Dai Ishii 【衣装】ジャケット ¥115,500(ティー・ティー/ティー・ティー 075-525-0402) シャツ ¥39,600(セブンバイセブン/セブンバイセブン 03-5785-6447) Tシャツ ¥35,200、パンツ ¥49,500 (ともにエイトン/エイトン青山 03-6427-6335) シューズ ¥223,300(オールデン/ラコタ 03-3545-3322) ※すべて税込価格 【お問い合わせ先】T.T(ティー・ティー) 075-525-0402 SEVEN BY SEVEN(セブンバイセブン) 03-5785-6447 ATON AOYAMA(エイトン青山) 03-6427-6335 LAKOTA(ラコタ) 03-3545-3322
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折田千鶴子 Chizuko Orita
映画ライター/映画評論家
LEE本誌でCULTURE NAVIの映画コーナー、人物インタビューを担当。Webでは「カルチャーナビアネックス」としてディープな映画人へのインタビューや対談、おススメ偏愛映画を発信中。他に雑誌、週刊誌、新聞、映画パンフレット、映画サイトなどで、作品レビューやインタビュー記事も執筆。夫、能天気な双子の息子たち(’08年生まれ)、2匹の黒猫(兄妹)と暮らす。
















