HEALTH

仕事や子育てをしながら、「がん」とどう向き合う?

闘病ブログが大反響

第1子の出産からわずか1年後、30歳だったとき子宮頸がんに【LEE100人隊うさこさん】

2025.12.06

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LEE世代の私たちが今、考えたい

仕事や子育てをしながら、「がん」とどう向き合う?

仕事や子育てをしながら、「がん」とどう向き合う?LEE100人隊 No.005 うさこさん

仕事に子育てに忙しいLEE世代が、もしも「がん」になったら……? 実際にがんを経験した人へのインタビューから、専門ドクターが答えるがんの不安と悩みQ&Aまで、今から知っておきたい情報がここに。

Index
  1. 仕事や子育てをしながら、「がん」とどう向き合う?
  2. LEE100人隊 うさこさんが体験した、30代での子宮頸がん
  3. 自分が30歳でがんになるなんて夢にも思っていませんでした
    1. うさこさん
  4. 1歳の娘と離れて暮らすことが闘病中、何よりもつらかった
  5. ツルツルになった私の頭を見て驚いた娘がギャン泣き!
  6. うさこさんの闘病 History
    1. 2011年12月 30歳 発覚
    2. 2012年1月 30歳 手術
    3. 2012年2月 30歳 抗がん剤治療
    4. 2012年6月 30歳 経過観察
    5. 2017年1月 35歳 寛解
  7. 家族のサポートにも頼って。治療中も、自分の手で子育てすることが心の支えに
  8. うさこさんが勇気づけられた3曲
  9. あわせて読みたい

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LEE100人隊 No.005 うさこさんの闘病ブログに大反響!

今年の6月9日のブログから、全7回にわたって13年前の闘病体験を振り返ったうさこさん。ユーモアを交えつつも、詳細に記された闘病記に、多くの読者や100人隊メンバーからコメントがありました。編集部内でも話題となり、LEE世代の「がん」をテーマにした企画につながりました。

うさこさんの闘病ブログ

Story

1

闘病ブログを書いたきっかけから、今の変化まで

LEE100人隊 うさこさんが体験した、30代での子宮頸がん

第1子の出産からわずか1年後、30歳だったとき子宮頸がんに。闘病経験を綴ったブログ記事の大反響を受けて、発覚から寛解までの道のり、そして今の気持ちを、じっくりと聞きました。

自分が30歳でがんになるなんて夢にも思っていませんでした

うさこさん

うさこさん

LEE100人隊 No.005

43歳。北海道在住。14歳の娘と夫の3人家族。趣味は、カスタムした軽自動車での車中泊とドライブ、カフェに行って読書をしたり手帳を書くこと。ユーモアのある記事に定評が。

30歳のときに、子宮頸がんを告知されたうさこさん

1歳の娘と離れて暮らすことが闘病中、何よりもつらかった

30歳のときに、子宮頸がんを告知されたうさこさん。LEE100人隊に選ばれたときから闘病記を書こうと思っていたものの、思い出すとつらい気持ちになり、なかなか取り組めなかったのだそう。

「100人隊としてラストイヤーの3年目に突入し、書かずに終わったら後悔する!と意を決しました。カフェなどで少しずつ書いていたのですが、こらえられずに号泣してしまうこともあって……周りの人を驚かせてしまったはず(笑)。誰かの参考になればいいな、という思いで投稿すると、100人隊の仲間から、『生きていてくれて、ありがとう』というコメントが届いて。その言葉に、闘病していた頃の自分まで救われた気がしました」

闘病中にもSNSやブログで病状や治療法などについて発信し、同じ病の仲間と積極的につながっていたうさこさん。

「発信するべきかどうか迷ったのですが、私の性格的に、隠しているほうがつらくなると思って。それから、いろんな人とつながって情報を共有したいという思いもありました。私が入院していたがんセンターは、年配の患者さんが大多数。何度も再発を経験しながらポジティブに治療に向き合う先輩たちの姿には、たくさんの勇気をもらいました。一方で、SNSで知り合った同世代の方は、同志のような存在。30歳でがんになった自分は世界一の不幸者だと感じていましたが、私だけじゃないと知って、孤独がやわらぎました」

子宮摘出手術の後は、想像を絶する痛みとしんどさを経験。自由に動けず、自分で排尿すらできないことのストレスも相まって、心身ともにボロボロに。しかしうさこさんは、「こんな状況、おもしろがらなきゃやっていられない!」と感じ、あえてユーモラスに表現して投稿していたと言います。

「私の“何事も楽しむ精神”は、両親から受け継ぎました。2人ともとにかく明るくて、『なんとかなるから大丈夫!』が口ぐせ。病気を伝えたときから寛解するまで、両親と妹、夫の誰一人として、私の前で涙を流しませんでしたね。もし泣かれていたら、『私のせいで大切な人を悲しませてしまった』と、自分を責めたはず。ずっとフラットに、いつもどおり明るく接してくれて、本当にありがたかったです」

当初は手術のみの予定が、術後の検査で抗がん剤治療も必要に。うさこさんの両親の元で暮らすことになった娘さんとの別れが、特につらかったと振り返ります。

「結婚を機に退職し、その直後、29歳で妊娠&出産。夫の仕事が忙しかったこともあり、当時は専業主婦でした。役所に事情を伝えて早急に保育園に入れてほしいと頼んだのですが、待機児童が多く、優先度を高くすることしかできない、と……。代わりに乳児園を提案されたのですが、母と妹が反対。約3週間の入院期間中、2人が家に泊まりに来て、夫が帰宅するまで娘の面倒を見てくれていました。しかし抗がん剤治療が決まり、母も妹も疲れがたまっていたことから、同じ生活を続けてもらうのは無理だと判断し、娘を実家へ預けることに。両親と娘を見送った帰り道、病気になって初めて号泣。子育て中に『一人の時間が欲しい』なんて思った、過去の自分を責めました。娘はケロッとしていましたが(笑)」

抗がん剤治療が絶対に効く確約はない。検査をするたびに病状が悪化し続ける現実と向き合う中で、音楽と患者仲間が、うさこさんの心の支えに。

「入院時には本やDVDを持参していたのですが、それらを楽しむ余裕も元気もなくて。そんなときでも、音楽は聴けたんですよね。自分の気持ちを代弁してくれているような歌詞の曲に、元気をもらっていました。体調がいい日は、イヤホンで音楽を聴きながら、院内をぐるぐると周遊。病室にこもっていると、立ち止まっているような感覚があり、ますます気が滅入ってしまったので。病院で仲よくなったほかの患者さんや、SNSで親交を深めた友人の存在にも癒されましたね。“がん友”と呼んでいる彼女たちには、素直に弱音を吐けたんです。もちろん『絶対に元気になってやる!』とは思っていたけれど、心のどこかでは、『もしかしたら死んじゃうかもしれない』という不安もあって……。家族や友達には言いにくいことも、がん友と共感し合えたことで、心が軽くなりました」

病院で仲よくなったほかの患者さんや、SNSで親交を深めた友人の存在


ツルツルになった私の頭を見て驚いた娘がギャン泣き!

半年間の抗がん剤治療を終えた翌月から、娘さんとの生活が再開。しばらくの間は不調が続いたものの、家族と過ごせることが、何よりもうれしかったそう。

「娘の面倒を毎日見られるほどの体力がなかったので、週3日だけ認可外保育園に預けることに。家事は夫にも分担してもらいつつ、できる限り自分でこなしていました。再発の可能性もあると思っていたから、生きているうちに、できることはやってあげたい!と思って。当時のことで、思い出すたびに笑ってしまうエピソードがあるんです。抗がん剤治療で髪が抜け落ちてしまい、普段は帽子やウィッグをかぶっていたんですけど、娘とお風呂に入るために帽子を外したら、娘が驚いてギャン泣き。それ以降、私が帽子を外すたびに、怖がられちゃって(笑)。でも次第に慣れて、急な来客時には『お母さん、帽子!』と配慮してくれました」

治療中に好きなものを食べられない苦しみを経験したことから、治療後には一食一食を大切に楽しむようになったそう。

「病気をする前は食への関心が薄いタイプだったので、大きな変化でしたね。また、人生で避けてきたことにも積極的に挑戦するようになりました。そのひとつがシュノーケリング。私も夫も泳げないのに、思いきって石垣島の海に潜ってみたら、想像を絶する美しさで感動! そのほかにも、野球観戦やキャンプにも挑戦し、今も趣味として楽しんでいます」

寛解を告げられて8年がたち、後遺症の症状はあるものの、体力はほぼ復活。娘さんの節目に立ち会う度に、命があることに感謝していると語ります。

「3歳以降の記憶は大人になっても覚えているとどこかで読み、娘が3歳になるまでは頑張って生きようと決めていたんです。幼稚園の入園式を見届けると、次は運動会、遠足、小学校の入学式と、新しいゴールができて、それが生きる希望になっていました。最近はすっかり病気のことを考えなくなりましたが、ブログを書きながら、みんなが元気でいてくれれば、それ以上望むことはない!とあらためて実感。と言いながら、今日も朝から娘にガミガミ怒っちゃったんですけどね(笑)。がんになったことは予想外でしたが、たくさんの人に支えてもらい、人の温かさや生きる幸せを感じられたことは、最高にラッキーな経験だったと思います」

患者仲間が、うさこさんの心の支えに

うさこさんの闘病 History

2011年12月 30歳 発覚

「クリスマスに大量の不正出血があって念のため検査。1月に検査していたので大丈夫だろうと思っていましたが、結果はB1期の子宮頸がん。すぐに手術の日程が決まり、入院の準備を始めました」

2012年1月 30歳 手術

「術前検査でがん細胞の大きさが予想より大きく、ステージが上がってB2期と確定。リンパ節転移の可能性もあると告げられ、不安が大きく……。子宮全摘出+リンパ節郭清の大手術に挑みました」

2012年2月 30歳 抗がん剤治療

「リンパ節転移はなかったものの、子宮頸がんには珍しい静脈への脈管侵襲が認められ、6クール抗がん剤治療をすることに。月に1週間の入院+3週間の自宅治療を、6カ月間繰り返しました」

2012年6月 30歳 経過観察

「CT撮影、血液検査にて問題がなかったため、経過観察に突入。しかし翌月、更年期障害の症状が現れ、抗がん剤の副作用で卵巣が機能していないことが判明。ホルモン補充療法を行い、無事回復」

2017年1月 35歳 寛解

「手術から5年間の生存を達成し、無事、寛解を告げられました。最初は1カ月ごとの通院検査と3カ月に一度のCT撮影を行っていましたが、徐々に間隔が延び、今は1年に一度の検査を継続中」

子育てしながら「がん」と向き合ったうさこさん

家族のサポートにも頼って。治療中も、自分の手で子育てすることが心の支えに

プリクラ
治療中に使っていたケア帽子

「プリクラは、抗がん剤治療で髪が抜けている時期に妹と撮ったもの。治療中に使っていたケア帽子はすべて手作り。左上は母の友人からいただいたもので、残りの2つは80サイズの子ども服を自分でリメイクしました」

うさこさんが勇気づけられた3曲

・『生きてこそ』 Kiroro
・『愛がたどりつく場所』 DREAMS COME TRUE
・『エソラ』 Mr.Children

うさこさんが勇気づけられた3曲

「治療中の不安な気持ちに寄り添ってくれた、大好きな3曲。『生きてこそ』というタイトルは、今も、私の人生の指標になっています」

Staff Credit

イラストレーション/喜田なつみ 取材・文/中西彩乃
こちらは2025年LEE12月号(11/7発売)「仕事や子育てをしながら、「がん」とどう向き合う?」に掲載の記事です。
※商品価格は消費税込みの総額表示(掲載当時)です。

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