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【猫沢エミさん×小林孝延さん 対談インタビュー】共著『真夜中のパリから夜明けの東京へ』より、大切な存在の喪失とその後の人生について

2025.12.23

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 『ねこしき』、『猫沢家の一族』などのエッセイが支持を得ている、ミュージシャンで文筆家の猫沢エミさん。2022年からフランス人のパートナー&2匹の猫とパリで暮らしています。そしてライフスタイル誌の編集長などを経て、『妻が余命宣告されたとき、僕は保護犬を飼うことにした』の著作で知られる、編集者・文筆家の小林孝延さん。”実は20年来のつきあい”の2人が、パリと東京、それぞれの土地で生活をしながら喪失と再生について言葉を交わす、往復書簡『真夜中のパリから夜明けの東京へ』をリリースしました。

50代頭で愛猫と両親の看取りが続いた猫沢さん。51歳で妻を亡くした小林さん。20年来の仲の2人が、パリと東京で始めた「文通」とは?

 「おはボンジュー」と、猫沢さんから小林さんへの呼びかけで始まる往復書簡集。「手紙のやり取り」スタイルで、一緒に文章を書くきっかけは何でしたか?

猫沢 始まりは、この本の担当編集さんが愛猫を亡くされたことだったんです。彼女は喪失感を埋めようと、インド哲学、宗教観、死生観と様々な本を読んだらしいのですが、「どれもあまりしっくりこなかった」と。私自身、東京で暮らしていた頃に、路上で保護したイオという猫を進行性の早いガンで失った経験があります。看病の先に覚悟をして迎えた死だったけど、答えがあるのかといったら、そういうものは無かった。

またイオを失った頃と前後して、実家の両親も相次いで闘病生活に入ってしまって。それぞれの看病と看取りを経験したのちも、喪失感と深い悲しみが残りましたね。そんな中で、奥さまを亡くされた経験を書かれている小林さんと、「手紙のやり取り」で生と死について一緒に考えるのはどうだろうという話になりました。

小林 僕は妻を亡くした経験を本(『妻が余命宣告されたとき、僕は保護犬を飼うことにした』)にした際に、「こんな個人的な状況や思いを書き、公にしていいのだろうか」と迷いました。でも出版してみたら、僕と同じ経験をされた方だけではなく、ペットだったり、親の介護など、様々な立場から生と死について考えている方々からも共感してもらえて。今は「あの本を書いて良かった」と思っているんですね。

ただし前の本では書ききれなかったこと、あえて書かなかった内容もありました。今回、猫沢さんに思いを綴ることで、自分の心の中をもっと深掘りできるんじゃないかという気がしたんです。実際にはメールでのやり取りでしたが、「手紙」というスタイルは、形式が決まっているからか、とても書きやすかった。

僕らの若い頃って、カルチャーや趣味のひとつとして文通があったんですよね。ただ当時の僕は釣りやキャンプ、山登りなどアウトドアに関心があって、あまり馴染んでこなかったんです。いざやってみると、受け手の猫沢さんが、何を書いてもバーンと受け止めてくれる安心感がありました。

猫沢さん
「会ってない時期もあったけど、友人としての信頼関係は深い」と言う2人。

猫沢 私たち、今から20年以上前に知り合ったんです。最初は小林さんが立ち上げた雑誌の「編集長と連載エッセイの執筆者」という、仕事上の関係でした。そこからお互いが大事な友人の一人となっていくんですけど、大人にはそれぞれの暮らしがありますからね。連絡を取っていない時期もあったし。この本に書かれているような深い話をしたことは、ほとんどなかったと思う。

でも友達ですから、彼のこれまでの経験やリアルな痛みも情報としては知っていました。だからこそ送られてくる手紙の文章を読み「いかに小林さんを傷つけずに、でも心の底で感じていることを広げてもらうか」ということに、心を配りました。私が一人で書く死生観の本だったら、構成や、その後に読まれることを意識して客観的になり過ぎていたかもしれません。

小林 手紙を送り合ってみると、仕事でのメール、SNSのDMやメッセージのやり取りとは、別の良さもあったね。

猫沢 本当にそう。私も小林さんも、短期間で大事な存在をいっぺんに失い、死と生について濃密に向き合った数年があった。その頃に感じたことを、それぞれが時間をかけて書き、返事を読み、また言葉を選びながら時間をかけて、思索を深めていく。

パリと東京の距離感も良かったと思います。私は両親と愛猫、次いで親友を見送ったあと、パリに移住しましたが、小林さんは悲しみを経験した東京で、そのまま日常を紡いでいる。似ているようで違う状況を約8時間の時差がある場所で、受け止め合えた気がしています。即レスが当たり前の今の時代とは逆行する、スローなコミュニケーションっていいものですよ。

もともと私は文通が好きなんです。綺麗に文章をまとめなくてもいいし、手書きの場合は、字を間違えたら何かを貼って隠してみたりとかね。そんなアナログ感も含めて愛おしい。私、コロナ禍がまだ完全に収まりきらない2022年にパリへ再移住したから国際郵便がまだ混乱中で。はがきのやり取りさえもスムーズにいかなかった。「こんなに手紙がこないなんて。もしかしてみんなに嫌われていた?!」と思っていた時期もあったほどの、文通好きなんですよ(笑)。

妻の死後に「僕はもっと彼女とコミュニケーションできたのでは?」という後悔が押し寄せてきた

 本著の中では、小林さんが亡妻・薫さんとの夫婦間のコミュニケーションも含めて「彼女に対して、やれることは全部やれたのだろうか?」と、複雑な感情を綴っているのも印象的です。

小林さん

小林 なんか懺悔みたいな気持ちも、猫沢さんにさらけ出していましたね。もともと僕は、自分の喜怒哀楽に蓋をしがちなほう。特に日常を共にしてきた妻には、もやもやの理由を説明せずに不機嫌な雰囲気だけを発して「察してよ」となっていたこともいっぱいありました。些細なやり取りの中で「もっと相手を思いやれたんじゃないか」という後悔みたいなものも、まだ自分の中には残っているんです。

仕事の場ではそんなことはしないけど、家庭でのコミュニケーションの仕方はへたくそだったと思いますね。昭和生まれには、僕みたいな人って多いんじゃないかな(苦笑)。

猫沢 国や年齢は関係ないと思いますよ。私のフランス人のパートナーも同じだもん(笑)。「なんか機嫌が悪い」とか言って、説明なくむすっとしていること、あります。「俺は朝は、いつも機嫌が悪いから」とか。いや、そんなことないでしょ、って。これはパリで驚いたことのひとつなんだけど、フランス人ってマイペースが徹底しているからなのか、他人の機嫌は無理して取らないんですよ。

日本は「どうしたの?」、「大丈夫?」ってやるでしょう? そういう”お察し”は、ほぼない(笑)。例えば家族で食事している最中に、旦那さんだけが落ち込んでいても他の家族は平然と会話していたり。「……ねえ、彼、何かあったの?」って私が奥さんに聞いても「なんかあったんでしょ。さ、みんなでご飯にしましょ!」って。周りで子どもたちもキャッキャしてる。楽しくやってるグループの傍らで、落ち込んでいる人は自由に落ち込む権利があるというか。説明したければ聞くし、機嫌が直るまでそっと見守ってあげましょう、というスタンスなんですよね。

私の場合は、そこまでドライになれないですよ。自分の都合で説明もなく、相手を振り回すのは幼い気がしてしまう。理由なく人を心配させるのが嫌だから、「何なの?」って斬り込んじゃいますけどね。パートナーの気になるところや言いにくいことも必要ならばはっきり言います。その結果、激しいケンカになって家を飛び出し、夜の公園をあれこれ考えがら彷徨うこともあるんですけど(笑)。でも感情を一人で溜め込んで重た~くなるよりも、その場で説明して分かり合いたい。

「燃え尽き」を感じるのはまだ余裕がある証拠。自分のために人生の時間を使うことにシフトチェンジしてみては?

 人との関り合い方、そして生きることに真摯に向き合っている2人。人生の先輩たちに、個人的にもLEE世代として聞きたいことが。同世代と話していると、がむしゃらだった子育ての時期を過ぎ、ある程度子どもが成長したら、「自分は何がしたかったんだろう?」、「好きなものって何だっけ?」など、ふと虚無感に襲われる、という悩みが――。

猫沢 そんな感情もあるんですね。別に悪くないんじゃないのかな。むしろ、いい意味で「余裕」を感じますよ。私は30代後半でがんを経験。50代に入ると猫や家族の看病、介護、看取り……。そこからの生活の立て直しに必死で。虚無を感じている余裕すら無かったですから。

小林 僕も子育て真っ最中の40代で両親を亡くし、51歳で妻を亡くしましてね。必死でした。

猫沢 育児が落ち着いてきたあとにくる、虚無感や空虚さっていうのは、それまで大きな責任を負っていたからこそ、湧き上がる思いですよね。でも自分のためだけに時間を使える時期って、人生の中でそんなに多くないんですよ。私には子どもはいませんが、ある程度の年齢になると、上の世代の面倒を見るか、下の世代の面倒を見るかのどちらかで、あっという間に時間が過ぎていくものだと思います。虚無感を感じている時こそ、自分のために新しい挑戦ができる時期かもしれませんね。

私も、全てのことが一気に押し寄せたあと、振り切るような気持ちでパリへ移住しました。残された猫たちと東京で暮らし、パートナーと遠距離交際を続ける選択肢もありましたが。住んでいたマンションを売り、また一から彼と生きようと決めました。もちろん、異国での暮らしは甘くはないですよ。大変なこともたくさんありますが、自分で決めたことだからね。”50代からの新しい青春”って感じがしています。

小林 僕の場合は妻を亡くしたあと、「自分のためだけに楽しく生きていいのか」と、食事をして美味しいと思うことすら罪悪のようにずっと考えて過ごしてきたんです。生きていることを責めているように。でも猫沢さんと文通をしていた約一年間、少しずつですが心の修復を図ってきた。「そろそろ自分自身を許してあげてもいいんじゃないか」と。少し肩の荷をおろしてもいいんじゃないの」と、思い直せる期間が重なって。今はようたく違う景色もたくさん見よう、何でも経験しようという気持ちになってきています。

東京から離れた場所で暮らすのもいいなと思うし。小さなことだと、趣味の釣りで「どんな魚を釣りたいかな」なんて考えてるとわくわくしますよね。僕の人生を楽しませてあげられるのは、僕しかいないんだと感じています。

猫沢 そうですよ。私たちはたまたま、とても深い悲しみがいっぺんにやってきて、虚無を通り越して放心状態までいっちゃった。だからと言って、そこで自分の人生は終わりじゃないしね。経験を積んだからこそ、20代の頃には楽しめなかったことにも挑戦できたりする。

今、私は50代で、ひとまずナイスな60代を目指して生きてます。「年齢や経験を重ねるって悪くないじゃん」と、自分の中で思いながら時間を過ごせたら最高ですよ。ここ何年かは死生観についての本を書くことが多かったけど、全く違う切り口での執筆もしたいし。皆さんも、何かしらチャレンジしてみたいことはあるはず。虚無っているひまはないですよ!

猫沢さん
LEE読者の暮らし方に丁寧に耳を傾け、その上で客観的な意見もくれた猫沢さん&小林さんでした。



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真夜中のパリから夜明けの東京へ

愛する動物、両親の死を経験した猫沢さんと、妻を亡くした小林さん。深い悲しみ、喪失感、罪悪感などさまざまな思いを抱えた二人が、手紙の交換を通じて、共に歩んだ再生の日々の記録。¥1870 集英社 (真夜中のパリから夜明けの東京へ/猫沢 エミ/小林 孝延 | 集英社 ― SHUEISHA ―

PROFILE

ねこざわ・えみ●ミュージシャン・文筆家 福島県出身。著書に『ねこしき』、『猫と生きる。』、『イオビエ』、『猫沢家の一族』など。リアルなパリ暮らしの様子がわかるインスタグラムも好評。
Instagram:https://www.instagram.com/necozawaemi/

こばやし・たかのぶ●編集者・文筆家。福井県出身。『天然生活』創刊編集長を始め、女性誌の編集長を歴任後、出版社役員を経て2024年に独立。著書『妻が余命宣告されたとき、僕は保護犬を飼うことにした』が話題に。今は保護犬1匹+元野良猫4匹と暮らす日々。
Instagram:https://www.instagram.com/takanobu_koba/

Staff Credit

撮影/柳 香穂  取材・文/石井絵里

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