81歳の今も花と共に生きる
レジェンド・フラワーアーティスト高橋永順さん、40代から先を楽しく生きる秘訣、教えてください!
2025.08.09
働き方、体力、メンタル…… 壁だと思っていたけれど、実はスタートでした
40代からが、おもしろい!

仕事も家庭も一応順調。でも体力が落ちたり、新しいことを始める気力が湧かなかったり……。40代は人生の曲がり角? いえいえ、本当はここからが楽しみどころ。それぞれのハードルを乗り越え、今、充実の日々を送る大人の先輩たちに聞きました。
LEEの元祖カリスマ!
レジェンド・フラワーアーティストは今も花とともに
81歳の高橋永順さん
40代から先を楽しく生きる秘訣、教えてください


高橋永順さん
フラワーアーティスト
たかはし・えいじゅん●1944年、神奈川県生まれ。桑沢デザイン研究所、東京綜合写真専門学校卒業。’76年に東京・奥沢に『ログキャビン』を開き、’78年より教室を主宰。’80年代から雑誌、テレビ番組、ファッションショーなど、さまざまな場で独創的な装花を披露しフラワーアーティストとして一時代を築く。昨年、15年ぶりの著書『今がいちばん。花と暮らして永順80歳』(KADOKAWA)を刊行。
高橋永順さんってどんな人?
毎日の暮らしに、花を。「花カレンダー」の生みの親
花にまつわる多くの書籍や雑誌を世に送り出してきた永順さんは、創刊当初からLEEと深いつながりをもつ方。

現在も続く新年号恒例の花カレンダーのスタートは、実は永順さんから!

自宅が建てられた際には、誌面で大特集。フラワーアレンジメントの手法にとどまらず、インテリアや料理、旅のスタイルなど幅広いジャンルでセンスを発揮し注目を集めた、元祖“暮らしのスター”だった
80代にして新刊も!

自己流で、全然器用じゃない。だけど、いつでも一生懸命だった
30代からの全力疾走。大事なことは花から教わった
ミモザ、サイネリア、フランネルフラワー、セリーネ、ラナンキュラス……光あふれるサンルームで、休みなく手が動いていました。
「デルフィニウム、これは永順の好きな花。いい匂いがするのは、スイセンね。今日の主役は極光。一重のツバキで、すごく好きなの」
色とりどり、姿もそれぞれに咲く花を、手に取っては挿していく。迷いも、ためらいもありません。
「花を生けるのに、設計図なんか作りません。そんなことすると、感動がなくなっちゃうじゃない? ただ花をいっぱい集めて、よく見て、感じたとおりに生ける。考えない。だって、花がきれいなんだから。絵描きや彫刻家よりも楽よ。大事なことは花が教えてくれる」
開ききった花も、曲がった茎もありのままに生かして出来上がったのは、今、このときにしかできない唯一無二のアレンジメント。フラワーアーティストの草分けとして活躍し、今年81歳となった「永順」こと高橋永順さんの手ぎわの鮮やかさに、思わず見とれます。
「アーティストだなんて、自分では絶対に言わない。私はただ、きれいな花を生けているだけだから」
幼い頃は内気で、クローバーの花冠をひとり編んでいた少女だった永順さん。長じてデザイン学校に入り、写真を学びます。学校で出会った初恋の人、「省ちゃん」こと夫の省三さんと結ばれ、ふたりで歩み出した新しい道。外国映画に出てくるような庭で花を育てたい——30歳で群馬県の谷川岳のふもとに山小屋を建てたことが、花と過ごす日々の始まりでした。
「その少し後に東京で雑貨屋を開いたの。最初は何も売るものがなくて、山小屋で育てた花を飾っていたら、近くの女の子たちが『こういう花がほしい』って。それで、永順は花屋さんになっちゃった」
可憐な野の花を扱う店は評判となり、自己流のフラワーアレンジも注目を集めて、34歳で教室を開くことに。やがて、そのセンスのよさを聞きつけた業界人たちから依頼が舞い込むようになります。当時、永順さんは30代後半。デビューとしては遅咲きでしたが、雑誌の誌面を飾る花、結婚式のバンケットの花、テレビ番組やファッションショーの装花と、40代を迎える頃には日本一多忙なフラワーアーティストになっていました。
「それからは、本当に寝る間もなかった。仕事を終えて、3時間くらい仮眠して、次の現場に行く。毎日毎日やることがたくさんあるから、忙しいとか幸せとか、考える時間もなかったわね。元気で動けたのはよかったかな。仕事に穴を開けたことは一度もない」
どんな大きな会場でも、生けるのは永順さんひとり。50歳、ニューヨークでのファッションショーで船一艘の花を生けたときは、10日間市場に通い、ほとんど寝ずにやり抜いたというから、驚きです。
「全部自分でやりたかったからね。その代わり、やりたくないと思った仕事は全部断りました。たくさんお金を出すから講演会をやってくれと言われたけど、本業じゃないことでのお金は一銭も稼ぎたくありませんって。私は器用じゃないの。すごく不器用なんだけど、いつでも一生懸命だったの」

撮影のために用意してくれたアレンジメント。かごは水色で「茶色より可愛いと思って、省ちゃんに塗ってもらったの」
今生きていることがいちばん幸せ。そう思って、目の前に集中して
40代、50代、60代……いつからだって出発できる
全身全霊で花を生け、どんなに忙しくても週末は山小屋へ行き、野の花とたわむれる。40代、50代、そして60代へと続く激務の日々を支えたのが、省三さんの変わらぬ献身的なサポートでした。
「山小屋を作りたいって言えば作ってくれたし、この花が欲しいって言ったら取り寄せてくれる。省ちゃんがいなかったら、永順は生きてこれなかった」
長年の激務で体調を崩し、表舞台から身を引いたのが60代後半。以降、自宅をベースに、ふたりは愛犬・ステラと落ち着いた日常を過ごしています。通うのが難しくなった山小屋は一昨年手放しましたが、花と親しむことは変わらず。毎年のカレンダー作りと月に一度自宅で開く教室以外にも、季節ごとの花々が暮らしを彩ります。
「今は省ちゃんとステラに朝昼晩ごはんを。なるべく飽きないようにおいしく食べてもらうというのが、永順のテーマね。あとは繕いものをしたり、散歩したり、ピアノを弾いたり。くたびれたときは花の水も取り替えないで寝ちゃおうかと思うこともあるけど、花も生き物だからごはんをあげなきゃ。毎日、ちゃんと取り替えてます」
山小屋を建ててから飛ぶように過ぎた夢のような半世紀は、まさに設計図のない花束のような日々。でも、永順さんにとって昔も今も変わらないのは「今がいちばん」という思いだといいます。
「過去を悔やんだり、先のことをどうしようと心配したりすることはあんまりない。毎日楽しく暮らそうっていうのが永順の考え。例えば料理を作るなら、目の前にいる人がおいしく食べて健康になってくれることだけ考える。そうすれば、疲れもだいぶ減るでしょ。家族もそうだし、周りの人のことも、悩んだってなるようにしかならない。今生きているだけで幸せだと思って、人生、もっと気楽に考えたほうがいいんじゃない?」
もちろん、それは全力でやりきった永順さんだからこその言葉。この幸福な到達点にたどり着くまでに、LEE世代にはまだたくさんの時間があります。
「これから40代、まだ、全然頑張れるよ。私、何にでも『もう遅い』ってことはないと思う。気がついたときが出発でいいじゃないかって。自分でこれをやりたいと思えば、40代でも50代でも、60代からでも始めたらいい。目の前にある、今できることに集中していたら、誰かが見ていてくれるし、きっと助けてくれるよ」

テラスで。サンルームも果樹や鉢植えでいっぱいの庭も、もちろん省三さんの手作り。初夏はバラでいっぱいになる。「咲けばすぐに切って生けちゃうけど、それでも追いつかないくらいたくさん咲くのよ」と永順さん。ふたりの間には常に愛犬・ステラが
Staff Credit
撮影/砂原 文 取材・文/大谷道子
こちらは2025年LEE6月号(5/7発売)「40代からが、おもしろい!」に掲載の記事です。
※商品価格は消費税込みの総額表示(掲載当時)です。
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