50歳という節目の年に会社を退局
フリーアナウンサー 小倉弘子さん「誰かに何かを伝える仕事を。その原点に戻るための40代でした」
2025.07.29
働き方、体力、メンタル…… 壁だと思っていたけれど、実はスタートでした
40代からが、おもしろい!

仕事も家庭も一応順調。でも体力が落ちたり、新しいことを始める気力が湧かなかったり……。40代は人生の曲がり角? いえいえ、本当はここからが楽しみどころ。それぞれのハードルを乗り越え、今、充実の日々を送る大人の先輩たちに聞きました。
誰かに何かを伝える仕事を。その原点に戻るための40代でした

あと10年、20年仕事をするならやっぱり、本当にやりたいことを
フリーアナウンサー 小倉弘子さん

小倉弘子さん(50歳)
フリーアナウンサー
おぐら・ひろこ●1974年、東京都生まれ。東洋英和女学院大学卒業後、’97年にTBSに入局。『筑紫哲也 NEWS23』『Nスタ』『ひるおび!』『ジェーン・スー 生活は踊る』などテレビ、ラジオの人気番組を数々担当。2024年末に退局。
充実して過ごすはずが、多忙すぎて記憶がまだらに?
モデルのようなスラリとした長身。気さくで快活なおしゃべりには、いつまでも耳を傾けていたくなる……TBSアナウンサーとして活躍していた小倉弘子さんは昨年、50歳という節目の年に会社を退局しフリーに。取材や講演など、人前に出る機会も増えてきました。
「『笑顔で』なんて言われることは、これまでの人生にあまりなかったことなので、冷や汗かきますね(笑)。でも、楽しんでいます。局のアナウンサーという仕事が大好きで、定年まで勤めるつもりで入局のときも『これから40年、よろしくお願いします』と言っていたくらい。まさかこんな展開になるとは思わなかったんですが……」
報道からスポーツ、バラエティ、取材やインタビューなど、さまざまなジャンルを経験できるのが“局アナ”の強み。入局以降、小倉さんも数多くの番組に携わり、夢中でキャリアを重ねてきました。私生活では、30歳で元プロサッカー選手の夫と結婚し、娘2人を出産。育休をはさんで仕事を続けます。
「とにかく仕事が好きだったので手放したくないということ、そしてどこかに『やめるなんて、冗談じゃない』という気持ちがあったと思います。仕事をやるなら家庭を諦めるなんて男性にはないのに、女性はどっちかを選ばなきゃいけないなんて、絶対に嫌だと」
多忙ながらも順風満帆に日々を送り、迎えた40代。まだまだ技術を磨こう、後輩の育成や、CSR(企業の社会的責任)についても考えていこう……そう思い描いていた中、43歳にして第3子を妊娠。長男を出産し復帰すると、45歳で管理職に就き、アナウンサーのスケジュールを管理するデスク業務も担います。ところが、その途端に始まったのがコロナ禍でした。
「当時は少しでも発熱すれば仕事を休まなくてはならず、社員やスタッフの体調管理に会社や番組は大混乱。私も、20人近くいるアナウンサーのスケジュールをコントロールするのは、とんでもなくしびれる作業でした。長女は中学生、次女は小2になったところで、乳幼児の長男の相手をしながら毎日スマホに届く膨大な数のメールをさばかなくてはならず、パニックになりそうでした。息子からも『おかあさん、ケータイおいて』と言われるし……ようやく落ち着いた頃、はたと気づいたんです。40代、自分が何をしていたのか、その記憶がまだらなことに」
公私ともに充実するはずだった時間が、濁流に押し流されるように過ぎてしまい、気づけば50代が目前。私、本当は何をやりたかったんだっけ? そんな疑問とともに、小倉さんの心の中に少しずつ変化の波が立ち始めました。
「先輩たちの異動や退局があり、私は現役女性アナウンサーの最年長になっていました。年次を重ねれば、当然、キャリアを生かして組織を維持し支えることもしていかなければいけませんよね。今後はその傾向がもっと強くなる、でもアナウンサー以外の仕事をやったことがない私が異動になったらどうすればいいのか? それも引き受け先があってのことで、小倉はいらないよと言われたら、そもそも成立しないわけですし……」
あと10年、20年、今の状態を続けられる? そう考えたとき、「本当にやりたいのは、やっぱりアナウンサーとして話すことなんだ、と思ったんです」と小倉さん。
「管理職として後輩たちに感謝されることもうれしいけれど、会社という環境にハンドルを握られるよりも、私はこれから自分でギアチェンジしながら行ける道すじを探っていきたいと……。自分の中で退局を決意したのは、48歳の頃。でも、会社は好きだったので、とても悩みました」

アナウンサーでなくなる? そんな自分が想像できなかった
本当に走りたい道を、自分なりのギアチェンジで
目の前の暗雲を取り払ってくれたのは、夫の「もういいんじゃない?」というひと言でした。
「アナウンサーの仕事をしたいんでしょ、と。相談したわけではなかったんですが、普段から彼の前では遠慮も隠し事もなかったので、察してくれたんでしょうね。彼がフリーランスなので私が固定給の会社員でいるほうがいいということはお互いの了解事項でしたが、これからはひとりじゃなくてふたりで大丈夫にしていこうよと」
気持ちを決め上司に退局を申し出たところ、「準備ができるまで何年かかってもいいから、丸腰で辞めるのはよしなさいと諭され」、準備期間をおくことに。結局、7カ月後に小倉さんは50歳で円満退局の日を迎えました。
「温かく送り出してくれた上司には、本当に感謝しかありません。私の場合、不惑とはとても言えない40代だったかもしれませんが、それでも50にして天命を……とまではいかなくても、自分で『こうしたい』という道をようやく決められたのかな。やっぱり仕事が好きで、誰かに何かを伝えたい、その原点に戻る道を正解にしたいと」
背すじを伸ばしたすがすがしい姿で、自然な笑みを浮かべる小倉さん。実は長く苦手だった写真撮影に少しずつ心を開いていけたのも、40代での変化のひとつでした
「背が高いこと、つい前のめりになるところが子どもの頃からコンプレックスで、アナウンサーになってからも悪目立ちを控えよう、控えようという自制がずっと働いていて……。でも、ラジオ『生活は踊る』でご一緒していたジェーン・スーさんに雑誌の取材にお誘いいただいたとき、そういうところを見抜かれて『弘子、もっと前に出なさい!』って。意識改革は、これからも続けていかなきゃですね。そして、今後は子どもたちの成長にももう少し目を配りつつ、目標としては、またいつか古巣のラジオでおしゃべりさせていただける機会が持てたらなと。それが実現できるように、自分のペースで頑張りたいと思っています」

「ふたりで大丈夫にしていこう」 夫の言葉で、踏み出す勇気が
私の40代年表
43歳
第3子となる長男を出産
44歳
産休を終え職場復帰
45歳
管理職となりデスク業務を兼務。コロナ禍で、スケジュール管理に忙殺される
48歳
退局を決意し、会社と協議を始める
50歳
27年勤めたTBSを退局

TBSではテレビや司会でも活躍したが、「やはり心にフィットするラジオが大好き」

43歳で出産した長男は成長し、今年、小学2年生に
40代から心がけていること
【働き方】
自分の原点に立ち戻りつつ、子どもたちの成長を見守る時間も大切にしていきたい
【体調管理】
なるべく歩くようにしています。三日坊主になってもまた始めればよし!
【メンタル面】
新しいことを始める気力が湧かないときは、5年、10年先になりたい姿を思い浮かべます
Staff Credit
撮影/名和真紀子 ヘア&メイク/ 杉山えみ 取材・文/大谷道子
こちらは2025年LEE6月号(5/7発売)「40代からが、おもしろい!」に掲載の記事です。
※商品価格は消費税込みの総額表示(掲載当時)です。
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