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映画ライター折田千鶴子のカルチャーナビアネックス

衝撃の結末に号泣必至『Brotherブラザー 富都(プドゥ)のふたり』。ジン・オング監督「人が人を殺したのではない。殺したのは“制度”です」

  • 折田千鶴子

2025.01.29

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アジア映画の底力!“どうすればいい!?” と焦燥に駆られる

追っ手をかわしてスラム街を疾走する若者、ふたりで生きて来た兄弟――。予告編を見て、勝手によくある“無軌道な若者ギャング系青春もの”かと一瞬ひるんだことを心底、後悔&反省させられた本作。これはもう、今年、絶対に観なきゃいけない一本です! 優しくて、ちょっとクスッと笑えて、でも、どうしようもなく悲しくて、悔しくてやるせなくて……。

伊・ウディーネ・ファーイースト映画祭で最高賞含む3部門を受賞の他、全世界16の映画祭で19の賞を獲得した『Brotherブラザー 富都(プドゥ)のふたり』は、台湾とマレーシアで100万人を動員する大ヒットを記録、今なお世界で記録を更新中です。1月31日(金)からの日本劇場公開を前にジン・オング監督が来日されました。“東洋のロバート・デ・ニーロ”との呼び声高い台湾の人気俳優ウー・カンレンさん、マレーシアのスター俳優ジャック・タンさんらと、この傑作をどう作り上げていったかを語ってもらいました。

ジン・オング
1975年6月19日生まれ、マレーシアの監督・脚本・プロデューサー。プロデュースを手掛けた『分貝人生 Shuttle Life』(17)、『ミス・アンディ』(19)などが高く評価され、プロデューサーとして“ジン・オングカラー”を確立。マレーシアの社会問題や情勢、政治的腐敗などを果敢に描き出してきた。本作で初めて監督・脚本を手掛け、作品の評価的にも興行的にも大成功を収めた。

これまでプロデューサーとして作品を生み出してきましたが、初めて監督するに当たり、視点や立場や作品との関わり方の違いに対し、どんなことを感じましたか。

当然ですが両者は全く違う仕事であり、求められる能力も全く違うと感じました。ただプロデューサー業をやってきたことが、監督をする上でもかなり役立ちましたよ。今回も資金繰りでとても苦労し、撮影日数も限られていましたが、その中でどういう塩梅や配分で撮影を行っていけばいいかを自然と考えていて。自分はプロデューサー魂が染みついているな、ということも再確認しました(笑)。

これまで他の監督からワガママを言われた分、今回は自分がプロデューサーを困らせてやろうかな、なんて悪戯心は起きなかった?

いえいえ、というのも本作は僕の会社で製作しているので、僕がワガママなことを言い出すと、結局自分が後で痛い目に合うのが分かっていたから、それが出来なかったんですよ(笑)。


『Brotherブラザー 富都(プドゥ)のふたり』ってこんな映画

©2023 COPYRIGHT. ALL RIGHTS RESERVED BY MORE ENTERTAINMENT SDN BHD / ReallyLikeFilms
1月31日(金)よりヒューマントラストシネマ有楽町、シネ・リーブル池袋、テアトル梅田、シネ・リーブル神戸、他にて全国順次公開

マレーシア、クアラルンプールの富都(プドゥ)地区のスラム街。不法滞在者2世や様々な背景を持つ貧困層の人々が多く暮らすこの地域で、アバン(ウー・カンレン)とアディ(ジャック・タン)は身分証明書(ID)を与えられず、兄弟として身を寄せ合って生きて来た。アバンは聾唖のハンディを抱えながらも市場の日雇い仕事で堅実に生計を立てているが、アディは裏社会とも繋がる手っ取り早く稼げる仕事を請け負っている。そんなある日、実父の所在が判明したアディに、ID発行の可能性が出てくる。しかしアディはある事件を起こし、兄弟の未来に暗い影が忍び寄る――。

本作は、身分証を与えられないために理不尽で過酷な人生を送って来た兄弟と、彼らを取り巻く社会が描き出されます。まずはテーマを決めてから、脚本に着手したのですか?

その通り。まずはテーマ性を明確にしてから脚本に取り掛かりました。やっぱり自分が(監督として)映画を撮るなら、社会的身分にまつわるテーマで作りたいと前々から思っていたんです。ただ脚本を書き進める上でも、フィールド・リサーチという作業がとても大事でした。だからリサーチも含めると、脚本を完成するまでに2年位かかりました。

これまでのプロデュース作品で多々脚本開発に関わられたでしょうから、テーマが決まったら次は物語をどう立ち上げ、次にどう展開させていくか等々、慣れているだけに割にスムーズに進められたのは?

確かにそれはありました。でも改めて、いい脚本家になること、いい脚本を書くということは、神が与えた才能によってなし得る仕事なんだな、と痛感しました。もちろんプロデューサーとして何度も脚本開発に関わってきましたが、アイディアを提供することと、実際に筆を動かして文字に起こしていく作業は全然違うんだなと思い知りました。映画として構成をきちんと成す形で物語を書き上げるのは本当に大変でした。

兄アバンと弟アディが、ゆで卵を互いの額で割って食べるシーンが何度か登場します。兄弟のちょっとした儀式みたいで、小さな頃からこうだったんだろうなと思い起こさせ、なんだか可愛いくて笑ってしまうような素敵なシーンでした。“ゆで卵”のアイディアは、どこから生まれましたか。監督自身の幼少期の思い出、あるいは別に何か意味があるのですか。

いえ、みんながこうして食べるわけではなく、マレーシア人ならではの特別な意味があるわけではないですよ(笑)。マレーシアでは卵がとても安く、良質なタンパク質を取れるので、どんなに貧しくても卵は食べられるんです。小学校時代の同級生に、家が貧乏でお弁当は用意できなくて、いつも昼食にゆで卵を持ってきていた友達がいたんです。その友人がいつも自分のおでこで殻を割って食べていたのを、脚本を書いているときに思い出したんです(笑)。2人兄弟の親密な距離を示す動きとして、互いの額で割るという行為が合言葉のような役割を果たすのではないかと盛り込むことにしました。きっとアバンとアディも、たとえ離れても卵を食べるたびに互いのことを思い出すだろうという、1つの欠かせない(映画的)言葉になりました。

ちなみに、ウー・カンレンさんとジャック・タンさんは、そのシーンを楽しんでいらっしゃいましたか(笑)!? なかなか割れないとか、笑えるエピソードもあったのでは?

卵って実は殻が厚いところと薄いところがあるんですよ。だから綺麗に割るためには、相手の(額の)叩く位置に、ちょっとしたコツがいるんです。そのコツを、2人は見つけ出しました(笑)。お互いが叩く時に相手が痛くならず、かつ綺麗に割れるように上達していきましたね。ただ一度、(2人の部屋の近くに住み、2人の親代わり的な心の支えとなるトランスジェンダーの)マニーと3人で食事をするシーンで、誤って固いところを叩いてしまって、マニー役のタン・キムワンさんがすごく痛がっていたことがありましたね(笑)。

こちらが兄弟のことを昔から知り、何かと世話を焼いてくれた頼りになる隣人、かつ親代わりのマニーさん。

人を殺したのは人ではなく、あくまでも制度

*次の応答は若干、結末に触れかけているので、鑑賞後に読むことをおススメします

優しい兄アバンは、危なっかしい弟アディのことを常に心配しています。でもアディは、“ある事件”を起こしてアバンを皮肉な運命に引きずり込んでしまう。衝撃の展開とラストに言葉を失いましたが、観終えてから感じたのは、実はこの残酷で皮肉な運命や結末は、むしろ物語の発端だったのではないかとも感じました。

既に他のインタビューでも語って来たことですが、本作の中では、誰か人間に殺された人はいません。人を殺したのは人ではなく、あくまでも制度である。強く打ち出したいのはそれで、脚本を書く上で最も明確に考えていたことでした。

おっしゃるように結末は、もちろん最初から決めていました。 アバンはとても心優しいお兄さんです。社会的にも最底辺の生まれですが、最も崇高かつ果敢に生きた、その生き様がとても勇敢だと思ってもらえるのではないでしょうか。アバンは自分の運命を受け入れる以外の選択がない。その人物設定も、書き始める前から決めていました。

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事件の後、兄弟で逃避行のようにバスに乗って旅立ちます。束の間の休息のようにも感じました。その後にとる行動を、アバンは決めていたのか、それともフとした衝動だったのか、観ながら考えてしまいました。どんな意図で、あのシーンを演出されましたか?

アバンの中でもあの時はパニックが起きていたと思います。自分の心の整理が出来ない状況を引きずっていたわけです。ただ一つブレないのは、なにがあっても自分が全ての責任を負うこと、そして弟には前を向いて未来に向かって進んで欲しい、という気持ちです。あの時間を表現するなら、“嵐の前の静けさ” でしょうね。静かに時が流れているようで、本当は2人の心の中には大変な葛藤がある、というシーンなんです。

冒頭のアディを含む“闇バイト的な仕事に関わった若者たち”が逃げ回るシーンをはじめ、スピード感あふれるアクションシーンもいくつかあります。そういうシーンは、かなりリハーサルもされて臨みましたか?

念入りなリハーサルは、もうマストですね。あらかじめ導線設計をしっかりして、撮影前にアクション監督と1つ1つ動きを確認した上で撮影に臨みました。しかも私自身、アクションシーンを撮るのは、それほど得意ではないんです。撮影監督のカルティク・ヴィジャイさんには大変助けられました。特に冒頭シーンは、あの時点で15年も使われてない廃墟ビルでの撮影でした。どこが崩れ落ちるか分からない中を走り回らないといけなかったので、安全確認も念入りに必要で、かなり大変でした。

色彩設計をして作品世界を構築

その市場の中での逃亡・追跡劇が繰り広げられるアクションシーンの躍動感、対照的に2人が暮らす部屋やマニーの部屋は穏やかな暖色。そして終盤もガラリと、トーンの変換が見事に効いていました。色彩設計や光の加減などは、どんな風に進めていったのでしょうか。撮影監督のカルティクさんとのやり取りについても教えてください。

そこに注目してくれて嬉しいです。というのも私自身、最初はグラフィックデザインや広告デザイナンを学んで、それを専門にしていたので、色彩や構図における美学を元々持っている方なので。今回はカルティクと一緒に、この映画らしい色味や色使い、映画から漂ってくる匂いはどういうものかを、事前にとことん話し合いました。それが、すごく有効に発揮されていると思います。

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全体としては、まず3つのトーンに分けました。最初は、すごくカラフルな色合いにして、その色彩に対しての撮り方として、手ぶれもある手持ちのカメラ回しという手法を用いました。中盤以降は色彩がどんどん暗くなっていき、そこから定点撮影が始まります。そして終盤はほぼ色が全て抜け落ちて蒼白になり、定点撮影で、さらにアバンの顔に寄ってズームアップしていきます。そういう撮影言語や色調の変化や濃淡の付け方について、事前にカルティクと話し合って決めました。

それにしても、終盤のアバンのやつれ方はハンパなかったですね。目だけ飛び出すようにギロギロした顔の変貌にも衝撃を受けました。ウー・カンレンさんは撮影期間中の短期間で、役作りとして絞り込んだのですか?

その通りです。だからこそ脚本の時間軸に沿って順撮りしていきました。ウー・カンレンさんは台湾でのキャリアが豊富でとてもプロフェッショナルな俳優さんなので、体重の増減は元々経験があったそうです。あらかじめ「監督、どこまで落とせばいいですか? どこまで感じさせるくらい絞ればいいですか?」と確認してくれました。そして、どの時点でどんな状態になれば最適か、それにはどう進めればいいか、自分自身の体のことをよく分かっていました。だから私は、「あまりストイックになり過ぎて、命に危険が及ぶようなことはしないで。健康第一でお願いします」と繰り返し言っていました。物語の流れに沿って身体も作っていく態勢で臨んでくれたわけですが、最後のシーンを撮るまでに空いた3日間、最後の追い込みをして現場に現れました。3日間何も食べず、水だけ飲んで現場に現れてくれた瞬間、本当にげっそり痩せていて私もびっくりしました!

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ところで、マレーシアは検閲が厳しいそうですが、こういう社会派の内容を作る時は、かなり気を使う必要があるのではないですか?

確かにその通りですが、検閲制度の厳しさの中にも調整の余地というのがあり、プロデューサー業を長くやっていると、何が通って何が通らないのか分かっていました。だから脚本を書く時点で、劇場公開するためには書いてはいけない描写、映ってはいけない描写を敢えていれることはしませんでした。

ただ日本も含め海外上映バージョンは、マレーシアの劇場公開版より1分長いんです。マレーシアの劇場版ではNGシーンをカットして編集しました。とはいえ、それによって物語が大きく変わったり影響されることはありませんが。

例えばNGシーンとは? 言える範囲で教えてください。

まず、セックスシーンは完全にNGです。ムスリムという宗教の問題で、絶対に許されません。またキスシーンも分数が決まっていて、キスはいいけれど短くないとダメ(笑)。また警官がタバコを吸っていたり、警察が出稼ぎ労働者の物を奪うなどの描写は許されない。検閲では通らないので、そういう描写はカットしました。

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最後に、舞台となったプドゥという街について少し教えてください。クアラルンプール=素敵なリゾート地という印象を持っていたので、そこにスラム街があると恥ずかしながら映画を通して初めて知ったので……。

実は、本作がヒットしたことにより、今、プドゥの街は旅行の人気スポットになっているんですよ(笑)。色んな人が、「ここでニワトリを殺した」とか、「ここでバイクに乗っていた」とかやって来るそうで。クアラルンプールに行ったことない人が、逆に「クアラルンプールにも、こんな面白いところがあるんだ。プドゥであのB級グルメを食べよう」などと、逆に人気の観光地になっているようです。ただ、「プドゥ=スラム街」ではありません。とっても古い歴史あるコミュニティであり、エリアの名前です。その中に、最も歴史が長い伝統的な市場がある。そのエリアには、いろんなバックグランドを持つ出稼ぎ労働者や、家のない人たちも住んでいるのです。

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アバンやアディ兄弟のように、両親が合法的な結婚登録をしなかったがために(不法移民のために申し出られないことも多いそう)、マレーシアで生まれてもIDを持てないまま生きていかざるを得ない人が多数(資料によると30万人とか)いるそうです。この兄弟のみならず、人権さえ与えられない状況下での暮らしを強いられ、抜け出せずに苦しんでいる人々がそんなにも多くいるなんて!

“どうにかしなければ!”という監督の怒りや焦燥感は、ラストシーンの声なき叫びに託されているわけです。アバンを聾唖という設定にしたのも、“声なき人々(つまり社会に届かない多くの声、権利を主張することさえ許されない底辺に追いやられた多数の人々)の叫びに、いつになったらこの社会は気づき、いつになったら我々は耳を傾けるのか!?”と強烈に訴えかけてくる、絶大な効力を発揮してます。しかもウー・カンレンさんの魂を震わせる熱演から迸るビリビリとした痛みに、観る者も全身を貫かれてしまうーー。

それでも、観終えて絶望に打ちひしがれるのではなく、希望を抱かせられるような、どこか温もりが心に残るのは、やっぱりジン・オング監督の愛と優しさに満ちた眼差しで本作が描き出されているからだと思います。また、その愛や温もりは監督もおっしゃっていた色彩設計や光と陰がなす映像に宿っているのです。是非、この素晴らしい映画体験を、劇場の暗闇でとことん味わって欲しい作品です。



『Brotherブラザー 富都(プドゥ)のふたり』

©2023 COPYRIGHT. ALL RIGHTS RESERVED BY MORE ENTERTAINMENT SDN BHD / ReallyLikeFilms

2023年 / マレーシア・台湾合作映画 / 手話・マレー語・中国語・英語 / 115分/ 配給・宣伝 : リアリーライクフィルム
監督・脚本: ジン・オング
出演:ウー・カンレン、ジャック・タン、タン・キムワンほか


Staff Credit

撮影/山崎ユミ

折田千鶴子 Chizuko Orita

映画ライター/映画評論家

LEE本誌でCULTURE NAVIの映画コーナー、人物インタビューを担当。Webでは「カルチャーナビアネックス」としてディープな映画人へのインタビューや対談、おススメ偏愛映画を発信中。他に雑誌、週刊誌、新聞、映画パンフレット、映画サイトなどで、作品レビューやインタビュー記事も執筆。夫、能天気な双子の息子たち(’08年生まれ)、2匹の黒猫(兄妹)と暮らす。

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