冷め切った夫婦。心の拠り所だった恋人の死――。映画『ほつれる』で揺れる心の機微をすくいとった門脇麦さん×加藤拓也監督インタビュー
-
折田千鶴子
2023.09.11
“一緒に組んでみたい監督”と同世代から大人気
わぁ、この映画の面白さをどう伝えましょう!? めちゃくちゃ心惹かれて、心急くようにガン見必至でした。オシャレなマンションに暮らす主人公・綿子が、夫の何がイヤというわけではないけれど、なんかイラつく、みたいなの分かる方、意外に多いのでは!?
演じる門脇麦さんの、態度に出すまいと抑えているけれど微妙に漏れるイラ立ちや不機嫌さが、平静を装う視線の揺れやら指先やらから流れ出すようで、いやはや上手い! そんな綿子が、心の拠り所だった恋人を喪った後どうするのか。
もっとこの世界を深掘りしたい…ということで綿子を演じた門脇麦さんと、演劇界で鬼才ぶりを発揮してきた気鋭の演出家で本作の監督・加藤拓也さんに話を聞きにいきました!
1992年8月10日生まれ、東京都出身。2011年にドラマでデビュー。主な映画出演作に、『愛の渦』(14)、『二重生活』(16)、『止められるか、俺たちを』(18)、『さよなら、くちびる』(19)、『あの子は貴族』(21)、『浅草キッド』(21)、『天間荘の三姉妹』(22)、『渇水』(23)など。主なドラマ出演作に、朝の連続テレビ小説「まれ」(15)、大河ドラマ「麒麟がくる」(20~21)、「リバーサルオーケストラ」(23)、「ながたんと青とーいちかの料理帖―」(23)など。舞台「ねじまき鳥クロニクル」が23年11月7日より再演予定。
右:加藤拓也(監督)
1993年12月26日生まれ、大阪府出身。17歳でラジオ・TVの構成作家をはじめ、翌年よりイタリアで映像演出を学ぶ。帰国後「劇団た組」を立ち上げ、舞台演出をはじめる。「もはやしずか」「ザ・ウェルキン」「ドードーが落下する」(全22)などが各演劇賞を受賞。「平成物語」(19)、「俺のスカートどこ行った?」(19)、「きれいのくに」(21)などドラマ脚本でも高く評価される。『わたし達はおとな』(22)で初長編映画監督デビュー。現在、舞台『いつぞやは』が東京・シアタートラムで上演中。
お2人は、初顔合わせですが、互いの活躍をどのように感じてきましたか。
加藤「作品を見てきて、黙っている時の表情、憂いのある表情が、素敵だなと思っていました」
門脇「私は共演する俳優さんから、加藤さんのお名前をよく聞いていました。同世代の俳優仲間で“一緒に仕事をしたい人”という話題のとき、絶対に名前が挙がるのが加藤さんで。だから今回、すごく楽しみにしていました」
加藤さんも一つ年下ですが、門脇さんは最近、同世代や年下の監督などと組まれる機会が増えて来たのでは?
門脇「確かに多くなってきました。同年代とベテランの方々、それぞれに良さがありますね。ベテランの監督さんは、座組も決まってる方が多いので、監督の一言で現場がガーっと動いていくような、昔ながらの吸引力が強く、熱量と勢いがスゴイ。
一方で同世代の方は、もちろんいろんな出自によっても違いますが、割にみなさん低音というか、怒鳴ったりすることもないので、緊張せずに対等な関係でお仕事ができる。ベテラン監督さんの現場だと、先生と生徒みたいな感じになることが多いので、自然と“怒られないように頑張ろう!”みたいな姿勢になります(笑)」
『ほつれる』ってこんな映画
いつしか夫・文則(田村健太郎)との関係が冷え切った綿子(門脇麦)は、友人の紹介で知りあった木村(染谷将太)と頻繁に会うように。ところが楽しい週末を過ごしたある日、木村が事故に遭い、綿子の目の前で帰らぬ人となってしまう。その事実を受け止めきれない綿子は、ただ茫然と日常を過ごしていたが、ふと思い立って親友の英梨(黒木華)を誘って木村の故郷へ向かう――。
本当に面白かったです。映画を観ながら、「こんな場面に私、立ち会っちゃっていいの!?」という居心地の悪さを感じながら息詰まっていたというか。脚本からして、既に面白かった?
門脇「面白いに決まってるじゃないですか!! だからもう喜びでしかなくて。元々こういうリアルな会話劇というか、ミニシアター系っぽい映画が好きでお芝居を始めたので、この脚本を受け取ったときは、“自分が好きな演技をしていいだ、こんな台本でお芝居ができるんだ!!”って本当に嬉しかったですね」
加藤さんは29歳という若さ、かつ独身でいらっしゃいますが、これまでも何作か夫婦ものを書かれています。スゴイ観察眼ですね。
加藤「僕は、割に人間関係から物語を描いていくことが多いので、あまり登場人物の属性や関係性などは必要条件ではなくて。夫婦関係だから面白い物語が出来るとも思っていないし。お互いの気持ちを隠したり、あるいは言えたりする“関係の距離感”が面白い、という。たまたま今回は夫婦や恋人だった、というだけです」
綿子と文則の関係性については、監督はどんなことを念頭に書かれたのですか?
加藤「僕は普段、演劇がメインですが、やっぱり映画は演劇とは違うので、そこは頭を切り替えて物語を作っていきました。映画はその性格上、登場人物が喋らなくても面白いと思う。だから今回も、いかに綿子の気持ちのグラデーションを表現していくか、ということを最も考えました」
門脇さんは、綿子のどんな点から人物像を紐解いていった?
門脇「私は関係性というより……言ってしまえば綿子って、旦那さんとも不倫から始まってるので(文則は前妻との間に息子がいる)、多分、綿子は何かがあって、まずそこから逃げて文則に行った。誰かから、あるいは何かの状況から逃げていたのか、それは分からない。そして今は文則から逃げて、染谷(将太)君が演じた木村に行っているのではないかな、と。
綿子はきっと逃げていることすらも忘れちゃってるし、逃げているという自覚もない。木村と会うことに(夫に対する)罪悪感ももはやなさそうだし。そういう風に、綿子って色んな感情の毛穴が埋まっちゃった人なのかな、という理解と感覚で演じました」
2週間にわたる入念なリハーサル
綿子と夫・文則の会話劇のリアルさは、どんな風に生み出されていったのでしょう。話し合いを避けたい綿子に対して、文則がかなりの圧で詰めてきますが、それがもう息苦しいのなんのって!!
加藤「そういうものは現場で出てくるというよりも、リハーサルをして、そこで話し合いをしながら出来る感じです。“私はこう考えてる”、“僕はこう考えてる”という意見が集まっていくことで、僕は映画や演劇が1本出来ていくものだと思っているので」
門脇「だから相当なリハーサルをしました」
加藤「そうなのかな。何を基準に“相当”って呼ぶのか……」
門脇「私はこれまでで1番、リハーサルをした現場でした。これまでで最長はクランクイン前の1週間でしたが、今回はリハーサルだけで2週間でしたから」
その2週間で、監督は何を見極めていたのでしょう?
加藤「僕的には、普通の(舞台)稽古と一緒です。ベースの考えを話したり、どういう解釈なのか、どう(脚本を)読んでるか、どこかで(お芝居など表現を)無理していないかを見たり。そういうことを見てお芝居を作りながら、カメラワークのことも考え、ここでの綿子の気持ちはこういう状態だから、それをどう撮るべきかをスタッフに共有したり、相談する時間でもあります」
そのリハーサルを経たからこそ、あのリアルな演技や空気感が醸されたわけですね!
門脇「私はもう、リハーサルをし過ぎて、本番中は何がなんだか分からない状態で(セリフを)喋っていました(笑)。今考えるとそれが良かったのかもしれないです。というのも、田村(健太郎)さんとも“初めまして”でしたが、リハーサルを重ねたことで新鮮なこともなくなっていき、本番ではもう何も感じなくなっていたというか。互いに馴れ合い、綿子と文則の飽き飽きした夫婦の関係のようになっていたんです」
加藤「リハーサルのことはもはや思い出せないですが、やっぱり目指すのは、セリフらしくないセリフ、セリフらしくない話し方、芝居に見えないお芝居。それって僕がいくら“こうしたい”と思っても、俳優さんの理解を得られなければ、そうはならない。そこに到達できるかどうかは、やっぱり俳優の皆さんの努力だったと思います」
なるほど、そこに到達しての、あの圧迫感でしたか。
門脇「加えて、監督は(撮る)アングルにかなりこだわっていましたよ。そういう圧迫感を覚えるシーンは、狭いアングルで撮ったり、そういう風な切り取り方をしているからこそ、余計にそう感じるのかもしれないですね。また2週間、通い慣れたマンションのあの部屋だからこそ、どこに何があるのか分かっていて、既に自分が座る定位置もある。すべてに馴れている状態で現場に入り、クランクインできたのは逆に非常に新鮮でした」
精度がとにかく高いセリフ構成
綿子って、語尾にいつも「~かもしれない」と付けて喋りますよね。
加藤「断定して喋らない、ってことですよね。今の若者って、そんな言葉遣いをする人が多いんじゃないですか。断定すると責任を負わなければならないけれど、それをしない、というか」
門脇「確かに、みんな“知らんけど”ってつけますよね。それと同じなのかな」
加藤「いや、“知らんけど”は、大阪ではふざけてるだけの言葉なんです」
門脇「東京の人が使う“知らんけど”は、綿子の“~かもしれない”と同じニュアンスで使っている気がします」
加藤「そうなんや……」
確かに、“~かもしれない”の意で使っている人が多い気がします。それも含めて、本作のセリフのリアルさが素晴らしいです。
門脇「自然な会話のようになるエッセンスがたっぷり詰まってるので、すごくやりやすいんです。例えば“え…”とか“あ…”というような言葉や、言葉の倒置などが頻繁にあって、書かれているセリフをたた言えば、自然とリアルな感じに聞こえるようになっている。セリフの精度がメチャクチャ高いと思いました」
加藤「単に口語体で書いているだけで、別段セリフに特別なこだわりもないんですよ。自分が使ってきた、触れてきた言語を使ってるだけで。ただ、普段の生活で交わしている喋り言葉ってダラダラ続けちゃっているものなので、それを単に書くだけでは映画にはならないですが。
自分の触れてきた口語体を使いながら、セリフっぽくない言葉を選んでいる、という感じですかね。それに実は、本作は“会話劇”とよく言われますが、思ったより会話は少ないんですよ」
アングルにこだわっていたそうですが、映像的に監督がこだわったのはどんな点でしたか。
加藤「もちろん自分の好みとか、撮りたい画というのはありますし、カメラマンさんにも拠りますよね。今回、撮ってくれた中島唱太くん(*監督の前作『わたし達はおとな』の他、何度か組んでいる)は、すごくドライな視点で(カメラを)構える人なんです。そういうドライな部分が今回はすごくいいな、と思いました。
もっと人間的なアングルで構える方もいらっしゃいますし、それもいいな、と思うこともあります」
綿子と恋人・木村との関係はーー
もう一つ、観ていて気になっていたのが綿子の恋人・木村の存在と、その描き方についてです。世にいう不倫の空気感というより、友情の延長のような印象を受けました。きっと恋に落ちたのだろうけれど、あまりそういう感じでもないように見えて……。
加藤「そもそも男女が一緒にいるからといって、別に恋愛関係がベースにあるとは限らないと思うんです。木村と綿子は恋人ではありますが、役割とか名称はどうでもいいというか……。ベースにはもちろん“好き”って気持ちはあるけど、恋愛至上主義的な考え方で一緒にいると考えなくてもいいのでは、と。例えば一緒に時間を過ごしたい人間という意味で一緒にだって居られるじゃないですか」
門脇「私の理解では、綿子にとって木村は、文則から逃げるための癒される時間であり、イライラしない時間。やっぱり文則と居るとイライラしちゃうし、あのマンションに居ること自体も多分、綿子は嫌なんじゃないか、という気がしました」
そんな綿子に門脇さんは、共感を覚えたりもしたのでしょうか。
門脇「いえ。共感は出来なかったけど、脚本は面白かった。そもそも私は、綿子が取るような行動は選ばないし、私は逃げないな、と。もし夫と上手くいかないなら、私ならちゃんと向き合うし、離婚してパートで働いてるな、みたいな(笑)。綿子が取る行動や感情も分からなくはないけれど、彼女のような選択はしないと思いますね、性格的に」
加藤「それ、リハーサルの時もずっと言ってましたよね(笑)」
門脇「はい、綿子のことがあまり好きじゃない、って(笑)。台本を読んだ時はすごい面白くて興奮したし、本読み(俳優が座ったままセリフの読み合わせをする)中も本当に面白い、読むの楽しいと思って読んでたんです。
ところがリハーサルで初めて田村さんと2人で(夫婦の会話を)やり始めたら、“うわ、なんか好きじゃないんだけど。え、どういうこと!?”みたいになって(笑)」
本作の面白さは、どこから来るもの!?
そんな綿子をいざ演じ始めたとき、何を軸とされましたか。これだけはブレないようにしよう、みたいなものはありましたか。
門脇「私はどの役をやる時も、自分の中でテーマや、肝や軸とか考えないようにしているんです。だって人間って、今この瞬間を“こんな風にして生きよう”なんて思って生きていないですよね。だからキャラクターも、そういうことを考えて演じたら、記号的になっちゃう気がする。決めつけない方が、豊かな人物像になるんじゃないかと思うので。だから何も考えず、書いてあることを一生懸命覚えて、現場の空気を読んでやるだけ。
今回はリハーサルが長くあったので別ですが、普段は台本を8割ぐらい入れ(セリフを頭に記憶する)、あとは体がまとう空気みたいなものだけギュっと集めて現場に入り、何も考えずに一生懸命喋るだけ。そうすると、ちゃんと言葉(セリフ)が感情的なものへと導いてくれるんです」
加藤「それは演劇の時も一緒?」
門脇「一緒です。いや、演劇はお稽古があるから、少し違うかもしれない。もうちょっと、ちゃんと作りますね。映像に対しては、私は瞬発的な、瞬間の何かを望んでいるので、あんまり固定したくないんです」
加藤「それ、僕は逆ですね」
門脇「そうなんですか!?」
加藤「僕は、人間は同じことを繰り返しできないと思っているので、演劇の方が“一回性”が高いと思っていて。沢山の選択肢から、必要な“一回性”をどうやって見つけていくか、みたいな作業を稽古の中でずっとやり続け、磨いていくんです」
門脇「でも、繰り返して、ある何かを作らないと、はみ出せないじゃないですか」
加藤「ですよね。だから、あるベースができたら、その範囲の中で自由度が出てくる、みたいな感じです。でも映画は、もっとずっと繋がりがあるものだから、僕は“1回性”を映画に求めていないんです。
映画って、お客さんが見るものをカメラで固定しなきゃいけないですよね。演劇は全てにおいて、それもずっと自由ですが。だから映画は、見るところを固定していく作業の中に、隙を作りたいんです。いい意味で余白を残しながら、ちゃんと隙を作らないとな、と」
門脇「なるほど。どこで収めていくかって考え方なのかな。じゃぁ映画の方が感覚的には2次元ですか、逆に3次元ですか?」
加藤「3次元です。まぁ、演劇も3次元やけど」
監督にとっては何か軸があって、脚本なり現場なりで作っていきましたか。
加藤「よく、何を考えてるか分からないと言われますが、例えばこういう映画や登場人物を見て、“なんでこの人こういう行動をするんだろう”って、観る側の自分の合理性を押し付けていかないことが、すごく大事だと思うんです。メッセージじゃないけれど、他者の非合理を理解すること。以上です」
それでもやっぱり、なんでこの映画って何がこんなに面白いんだろう、と考えさせられるんです。
加藤「共感できるかどうかよく言われるけど、面白いかどうかって、別に共感だけが物差しじゃないから、どういう風に見てもいいんじゃないかな」
門脇「完全に私の感想ですが、この映画の面白いところって、一人の人生のある期間を、ただただ観察するってことじゃないかな。たとえ共感できなくても、観てる方は綿子と一緒にちょっと上がったりちょっと下がったりを、最後までなんらかの緊張感をもって見つめてしまう。気づいたら映画が終わってる。何か言いたいことは……特にはない、みたいな(笑)。
でも私、やっぱりこういう映画が好き。こういう分かりづらい作品が生み出されることに、安心するんですよ!」
そう、一筋縄ではいかないからこそ面白い。共感しても、しなくても、なんか面白い。
現在、作・演出の舞台『いつぞやは』が上演中という、大活躍・大躍進中の加藤拓也さん。映画監督としても長編第2作目となる本作で、早くも一躍、日本映画界をけん引する…なんて言われ始める予感がします。だからこそ門脇麦さんをはじめ、演技派俳優がズラリそろうのですね。
そんな監督が編み出した、“綿子の感情のグラデーション”を是非、劇場で楽しんでください。
『ほつれる』
2023年/日本・フランス/84分/配給:ビターズ・エンド
監督・脚本:加藤拓也(『わたし達はおとな』)
門脇麦 田村健太郎 染谷将太 黒木華 古舘寛治
9月8日(金)より、新宿ピカデリーほか全国公開
©2023「ほつれる」製作委員会&COMME DES CINÉMAS
撮影/菅原有希子
この連載コラムの新着記事
-
衝撃の結末に号泣必至『Brotherブラザー 富都(プドゥ)のふたり』。ジン・オング監督「人が人を殺したのではない。殺したのは“制度”です」
2025.01.29
-
【深川麻衣さん×若葉竜也さん『嗤う蟲』対談】憧れの田舎ライフの先に予想外の恐怖が…。その村の掟とは!?
2025.01.23
-
【菅田将暉さん×岸善幸監督】映画『サンセット・サンライズ』脚本・宮藤官九郎の“照れで斜に構えた”表現と本音。笑って最後にホロリ、いや大号泣!
2025.01.16
-
世界が日本の小学校教育に驚嘆した理由とは!?【映画『小学校~それは小さな社会~』山崎エマ監督インタビュー】
2024.12.12
-
【イザベル・ユペールさん『不思議の国のシドニ』インタビュー】「日本には不思議なことも受け入れられる土壌がある」
2024.12.12
折田千鶴子 Chizuko Orita
映画ライター/映画評論家
LEE本誌でCULTURE NAVIの映画コーナー、人物インタビューを担当。Webでは「カルチャーナビアネックス」としてディープな映画人へのインタビューや対談、おススメ偏愛映画を発信中。他に雑誌、週刊誌、新聞、映画パンフレット、映画サイトなどで、作品レビューやインタビュー記事も執筆。夫、能天気な双子の息子たち(’08年生まれ)、2匹の黒猫(兄妹)と暮らす。