今回のゲストは、料理研究家の角田真秀さんです。本誌やLEEwebでのレシピ提供、テレビ出演、本の出版など幅広く活躍しています。シンプルな食材と調理法で、びっくりするほどおいしい組み合わせを生み出すセンスあるレシピにファンも多数。そんな角田さんが料理研究家として本格的に活動をスタートしたのは6年前の40歳の頃でした。「ちゃんと料理を作るようになったのも30歳からです」と明かします。角田さんが料理研究家を志すようになったきっかけ、料理を通じて見出したある可能性とは。夫・和彦さんとの出会いにも注目です。(この記事は全2回の1回目です)
集団行動より自分に集中したい体育会系女子
角田さんは1975年、九段下で和食居酒屋を営む夫婦の元に生まれました。幼少期は、大人しく内気な子だったと振り返ります。そんな女の子を体育会系に変えたある出来事がありました。幼なじみと海に行った時、友達が海に落とされ泳がされている姿を見て、「助けなきゃ!」と思い、角田さんも海に飛び込みます。それがきっかけで泳げるようになり、水泳が得意になりました。本格的に水泳をやりたいと思った矢先、母親から「水泳が強い学校だから」と受験を勧められ、女子美術大学付属中学校に入学。しかし蓋を開けてみると水泳はできず、バレーボール部に入ることになりました。
「母親にだまされたんですよね(笑)。中学では先輩からはいじめられ、後輩からは慕われ追いかけ回され。先生からも生意気だと目をつけられる。学校に行くだけなのに、なんて大変なんだろうと思いました。好かれるのも嫌だし、嫌われるのも疲れる、どっちもやめて欲しいと思って。女の子といえばつるむ子が多いですが、私はバレーボール部で筋トレもしたいし、今日花火がやりたいと思ったらやりに行く。自分でやりたいことがあるから、それ以外に時間を使いたくないと思っていました。まわりからからは、変と言われたこともありましたが、やりたいことがある時はシャッターを下ろして、無理に友達と関わらないようにしていたこともありました」
バレーボールに没頭しますが、高3の時にケガで断念。何をやろうか考えた時、「両親の店で使えるような道具を作りたい」と思い立ち、短大に進学し木工を専攻します。しかしすぐに飽きて、アルバイトに明け暮れるように。予備校のパンフレット配り、油絵のモデル、甘栗屋の販売、いわし料理屋での接客、5つのアルバイトを兼業する多忙な日々でした。
「9時から5時まで勉強して、お昼は友達とごはんを食べる。これ1つだけだと飽きちゃうので、その間にバイトを組み込んで気持ちを安定させていました。皿洗い100枚とか厳しいバイトもありましたが、私はあまり辛いとは思わず、何分でできるか考えたり、どうやると効率的かを工夫してするのが好きでした」
無印良品で才能が開花。料理は苦手だった
短大卒業後は、予備校の手伝いや東急ハンズの文具コーナー勤務などを経て、無印良品で働き始めます。勤務先は伊勢丹の隣りにある無印良品新宿、地下1階から3階まである大型店舗です。2年で仕事を覚えるとフロアリーダーを任せられ、販売以外にもディスプレイ業務、売り場の計画、新人教育などにも携わります。
「自分に向いている仕事だと感じましたが、一生できる仕事を探している時でもありました。そんな時、スタッフ同士の雰囲気があまり良くない時期があり、どうしたらもっと良くなるだろうと悩みました。そこでお昼ご飯を作って職場に持っていったんです、一緒に食べませんか、と誘って。みんな美味しかったと声をかけてくれるようになって、すごく雰囲気が良くなったんです。私がやりたいことは、料理があればできるのかなと思いました。それから、仕事の後にスーパーに寄って食材を買って料理やお菓子を作るようになりました。でも、全然料理はうまくないし苦手だったんですけどね」
毎日たくさんの商品を販売する中で、不安に感じていることもありました。
「当時新宿店は日本で一番売れている店で、1日1000万円以上売れたこともありました。ディスプレイや売り場作りを考えて、工夫すればするほど売れるのですが、ある一定のラインを超えてからは売れ過ぎていることが恐ろしくなって。私がやっていることがゴミを増やすことに加担するかもしれないと怖くなり、眠れなくなりました」
夫・和彦さんは無印良品時代の元後輩
そんな疑問もあり、やはり自分には料理しかないと思い、辞めようと決意します。店長からは「君のことを応援したいから、次の仕事が決まったら辞めていい。最後にスタッフで馴染めていない子がいるからその子をサポートして欲しい」とお願いされます。それが、現在の夫・和彦さんとの出会いでした。
「和彦さんから好かれているのは途中から気づいていました。馴染めていないことが気になって、駅まで一緒に帰りましょうか、と声をかけたら、毎日私を待っていてくれて(笑)。一緒に帰るようになって、ある日電話番号を教えて欲しいと言われたのですが3回断りました。4回目、当時あった新宿のTSUTAYAの前に仁王立ちされ、今日は電話番号を教えてくれないと帰らない、と言われ、しょうがなく教えました」(角田さん)
「その場で電話をかけて、これが僕の番号だから登録してと言いました。ぐいぐい行ってましたね(笑)。好きになったのは僕からです。入社した時から真秀さんの周りにはいつも人がたくさんいて、オーラがある人だと思っていました。辞めてしまうというのを聞いて、どうして辞めてしまうんですか、というのを新宿のロッテリアで聞いたのを今でも覚えています」(和彦さん)
誰にも分け隔てなく変わらない態度で接するのが魅力
ある日レジ作業をする和彦さんに角田さんが指導をしている時、お客さんから「このチケットあげるから一緒に行って来たら?」と、黒沢清監督の展示チケットをもらいます。それを見に行き、映画を観に行ったことで、付き合いが始まりました。
「私はフロアリーダーだったので、みんな私から気に入られようとお世辞を言ってくるのですが、角田くんはそんな裏がない人でした。だから一緒にいても圧迫感がなくて疲れない。好きな人に『◯◯さん、おはようございます』と言える素直さは、すごいと思いました。角田くんといる時は、きちんと呼吸ができたように感じました」(角田さん)
「真秀さんは、サボったりズルしたりに全く興味がなくて。職場にそんな人がいたり、そんなことがあることにも全く気づかないんです。誰にも分け隔てなく変わらない態度で接する、それは最初に会った頃から変わらない真秀さんの魅力だと思います」(和彦さん)
結婚、料理ユニット「すみや」として活動を始める
無印良品の後に入社したのが、カルディの飲食事業部でした。飲食部門の調理スタッフとして製菓・製パンなどを担当し、初めて料理を学ぶことに。角田さんに影響されるように和彦さんも無印良品を退社、料理の経験を積み始めます。2002年に2人は結婚、角田さんの両親が経営していた和食居酒屋の手伝いをするようになります。
「カルディや両親の店の手伝いをするようになって、初めてちゃんと料理を作りました。もちろん、父の仕入れに付き添って市場に行ったり、皿洗いの手伝いをしたこともありましたが。私が小さい頃、両親は店が忙しくてご飯を作る時間がなく、家でご飯を食べることはほとんどありませんでした。料理の基本は、居酒屋の手伝いで学びました。まかないを作る時間が20分くらいしか無かったので、20分でおいしいものを作るテクニックもここで鍛えられました」
九段下という場所柄、出版関係の人がお店に訪れることも。「撮影用の弁当を作ってもらえないか」とリクエストされたり、女子美時代の同級生の展示会でケータリングを依頼されたりと、お店以外で料理を作って欲しいと声がかかるように。2008年にはフードユニット「すみや」と名付け、活動が始まります。
(後半では、角田さんが料理を作るときに大切にしていること、今後やりたいことや自身の仕事論について話を聞かせていただきます。どうぞお楽しみに!)
角田真秀さんの年表
1975年 | 東京の巣鴨で生まれる |
---|---|
1980年前後 | 海に落ちた幼なじみを助けようとして、泳げるようになる |
13歳 | 女子美術大学付属中学校に入学。バレーボールを始める |
18歳 | 女子美術短期大学部に入学。木工を専攻するも、アルバイトに明け暮れる日々 |
20歳 | 女子美術短期大学部を卒業。いくつかのアルバイトを経て、無印良品で働き始める |
24歳 | 無印良品で和彦さんと出会う |
25歳 | 無印良品を辞め、カルディの飲食事業の立ち上げスタッフとして働く |
27歳 | 和彦さんと結婚する |
28歳 | 実家の手伝いを始める(お店が閉店する2014年まで続ける) |
33歳 | 「すみや」という屋号をつけ、料理ユニットしてケータリングなどを並行して行う |
39歳 | 実家の店をたたむ。「すみや」として本格的に活動をスタート |
40歳 | 『基本調味料だけで作る毎日の献立とおかず』(マイナビ出版)を出版 |
42歳 | 『片手鍋ひとつで作る炒め煮、マリネ、スープ』(主婦と生活社)、『フライパンひとつで作る炒めもの、煮もの、蒸し焼き』(主婦と生活社)を出版 |
44歳 | 『料理が身につくお弁当 定番おかずを手際よくおいしく作るコツ』(PHP)、『5分でおいしくなる煮込み あっさり塩煮と、こっくりしょうゆ煮』(学研プラス)を出版 |
45歳 | 『うまくいく台所 成功レシピと料理のコツ』(文化出版局)を出版。オンラインショップをオープン |
46歳 | 『塩の料理帖: 味つけや保存、体に優しい使い方がわかる』(誠文堂新光社)を出版 |
撮影/高村瑞穂 取材・文/武田由紀子
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