森のようちえんとは、自然体験活動を基準にした子育て・幼児教育のこと。
フィールドも森だけでなく、川や海、野山や里山、畑や都市公園など…さまざまな自然の中で通年、もしくは融合的に、行事的に取り入れている団体や個人の総称です。
ことばの響きからしても都市部に住む私にとっては憧れる存在ではありますが、現実的には縁遠い存在…。しかしこの度、教育ジャーナリストのおおたとしまささんが『ルポ 森のようちえん SDGs時代の子育てスタイル』(集英社新書)を出版されました。
子育て世代に絶大な支持を得るおおたさんが書籍にするのだから、正解のない時代に迷える親たちのヒントがあるに違いない…!と、前後編にわたってお話をうかがいました(前回記事はこちら)。後編は森のようちえんだけにとどまらず、教育や子育てのより深い部分にある、親たちの悩みをぶつけてみました。
「家族での自然体験」と「森のようちえんに通う」この決定的な違い
──前編では、「森のようちえん的視点」を持つことは家庭でもできる、というお話がありました。とはいえ、家庭での自然体験と森のようちえんに通うこととは異なると思いますが、その差はなんでしょうか?
おおたとしまさ(以下、敬称略):そうなんです。そこには確かにギャップが存在します。「自然体験」という意味ではキャンプでもできますし、普段の公園やお散歩の中でも感じられます。しかし、「森のようちえんに通う」本当の意味は、子どもが育つ本質的な意味を親たちが理解できるようになる、というところにあると思います。
──子どもが育つ本質的な意味とは?
おおた:週末、イベント的に森のようちえんを実施される『ぎふ☆森のようちえん』代表の鈴木悦子さんがおっしゃっていましたが、「一見、何もせずにぼーっとしているように見える子どもが、実は胸の奥底で心を動かして深く学んでいることがあります。ここに通っているうちに、それに気づけるようになります」と。例えば、わが子がアリを1時間も2時間も眺めている、その姿を見て「子どもの中で何かがおこっていて、そこにもちゃんと意味がある」ということが理解できるようになるのです。
──確かに。私もそういう子どもを見る視点は、幼稚園の先生や先輩ママから学びました。
おおた:森という、大人の意図の枠を超えた環境に置かれることで、子どもの本質的な部分が解放され、本当の意味での自発性が動き出します。そこに意味があるというのは、わが子だけを見ていては気づきませんが、多くの子どもたちや子どもたちの関係性を見ている中で感じとり、「すごいよね」と誰かが言ってくれることで初めて気づくのです。
──でも、なにもない時間ってなかなか与えられないです…。
おおた:そうそう。初めて来た親御さんたちも「え、何もないけど。え、勝手に始まってるけど…大丈夫?」ってみんな戸惑いますよ。でも、自然の中での子どもの振る舞いを見ることで、子育ての原理原則や教育の根本を肌で感じることができるのです。
モンテッソーリは「子どもには自己教育力が備わっている」と考えました。自分で育てる力を持っているので、大人はあくせくしなくていい。頭ではわかっているけれど、「あ、大丈夫だ」って実感として理解できると、子育てのスタンスがガラッと変わりますよ。
──自然教育だけでなく「大人が子どもの育ちを知る」という意味で、森のようちえんの存在はとても重要な活動なのですね。
おおた:いまの親御さんって1から10まで全部、自分たちが教えないとって思っちゃうじゃないですか。しつけはもちろん、性教育にITリテラシーに…あ、そうだ、自然体験も忘れちゃいけない!って。
──そうなんです、ほんと忙しいんです!(苦笑)
おおた:親が教えられる機会なんて限られてるんだから、最低限の環境だけ整えてあげたら、その子が自分にとって大切なご縁を勝手に見つけてきますから。そこまで親が責任感じなくていいんですよ。逆に、そういう考え自体がおこがましいぐらい。
学校選びに教育移住、より良い環境を求めすぎてしまう…?
──働いていると平日の子どもとの関わる時間も少ないので、どこか罪悪感を持っている方も多いです。
おおた:いま、保育園も幼稚園も子ども園も、保育の「ねらいと内容」をすべて揃えています。その内容というのは「幼児期の学びというのは主体的な遊びから生まれることで、大人が与えた遊びではない」と原則決まっています。そのねらい通りの保育が、それぞれの園でなされていれば、保育園だろうが、幼稚園だろうが、こども園だろうが問題ありません。逆に幼稚園だからといって型にハマった昭和な教育をしているところもまだまだあるでしょうし、今の時代にあった教育をしている保育園もありますから。
そこで悩むより、一緒に過ごせる時間をいかに前向きにとらえるか、今ある瞬間をどう最大に活かすか。ここも幸せを感じるセンスだと思いますし、こうしたポジティブ・シンキングは子どもにも伝わっていきますよ。
──情報が多いので、より理想的な環境を求めてしまうのでしょうか。
おおた:受験の時の学校選びは特にその傾向が強いですよね。「この学校じゃないと!」と環境依存になるのもどうかな、と思います。子どもはどんな環境においてもそこにある養分を吸収して、自分に活かすことができますから。すべてパーフェクトなところなんてないし、「いい環境じゃないと子どもは育たない」というのは子どもが自ら育つ力をみくびっていると思います。
──でもコロナ禍も追い風となって、教育移住を検討されている方も増えています。
おおた:土地の風土や文化までを含めて「ここで子育てしたい!」と思えるところに出会えたのなら、そこに移住するのはアリだと思います。孟母三遷という言葉もありますし。でも、新しい教育コンテンツやメソッドをウリにする珍しい学校や施設ができたから、そこに通わせるために、親が仕事や生活の基盤を捨ててまで移住するという発想には…、正直に言うと個人的には若干の危うさを感じます。
学校などに過度な期待を抱きすぎかもしれません。子どもが育つ場は学校だけではありませんし、親の自己実現の姿を見せることも、親にしかできない一番の教育ですから、そことのバランスでしょうか。
僕は大原則として、教育環境=文化の豊かさだと思っています。歴史的文化を持っているところでは、必ず子どもはその空気の中から知的なものを吸い上げていきます。いくら新しい場所に珍しいカリキュラムの幼稚園を誘致しようが、英会話の先生を誘致しようが、それらがいくら優秀な教育コンテンツであったとしても、その土地の文化にしっかり根付いたものでなければ、根無し草になってしまう。地域の人たちと文化的なつながりが出てくれば、違ってくると思いますが。
認知能力と非認知能力、同時に育むことは…できる?
──いま「非認知能力」の重要性が注目されていますが、非認知能力を支える上でも、「認知能力」も大切だと日々感じています。どちらかに振り切ってしまえば良いのでしょうが、ついつい迷いが生じてしまいます。
おおた:まず、認知能力と非認知能力は相反するものではないし、振り切るも何もなくって、どちらかが伸びればどちらかもついてきます。いまは「非認知能力があれば、認知能力がその後も高まりやすい」という関係が研究でわかっています。逆に、「認知能力が高くても、非認知能力があとからついてくるとは予測できない」こともわかっているけれど、認知能力を鍛えるプロセスの中で、非認知能力が高まることは当然あるのです。
例えば、公文は認知能力を鍛えるわけですが、毎日決まった時間にコツコツと続けることで「やり抜く力」という「非認知能力」が鍛えられるわけです。そこを引き離して考える必要はありません。
あと、子どものことで「どうしたらいいか」と悩んでいることが正しくて、「これで完璧!」と思っている方が逆に怖いですよ(苦笑)。毎回、迷いながらも考えながら調整している、それで良いのです。安定なんてしないですよ。
──認知、非認知の狭間で、揺れ動いていました(苦笑)。
おおた:学校生活をそこそこ楽しめる知力と体力があれば、社会生活を営むうえでの基礎的な能力としては問題ないです。その上に非認知能力の代表格である「やり抜く力」を、部活や習い事、受験勉強など、どこかのタイミングで経験させてあげれば個人の力としてはOKだと思います。
正解のない時代を生きる子どもたち、それを支える親として
──これからの時代を生きていくため、と考えると?
おおた:個人の力を最大化することよりも、仲間を作る力の方がよっぽど大事です。これには非認知能力も必要だとよく言われるんですが、実は同時に論理的なコミュニケーション能力のベースとして、認知能力も必要になってくるんです。正解のない時代ですから、個体としては生き残りづらい荒野を生きていかねばならない。そうなると、いかに仲間と連帯してできるかが、生存確率を高めるだろうと思います。
──そもそも、認知能力と非認知能力、どっちがいい?という話ではないのですね。
おおた:そうなんです。もちろん幼児期には非認知能力も大事ですし、認知能力も大事です。本書に登場してくださっている教育界の大家である汐見稔幸先生もおっしゃっていましたが、小学生になるころにはひらがなぐらいは読めたり50まで数えられるぐらいできれば、小学校のスタート時につまづくことはないでしょう。教育意識が高いご家庭なら、5〜6歳までの間で、無理に教えていなくても何らかのきっかけで家庭で自然と読めるようにはなるんですが、できない家庭に関しては社会として何らかのフォローができる体制をつくっていく必要はありますね。
──森のようちえんをきっかけに、子育てに大切なお話がこの1冊に凝縮されていました。
おおた:そうですね。子どもが育つとはどういうことか、という根幹が書いてあるので、親としての視点をアップグレードさせたり、メタ的な視点を得てもらえればいいなと思います。「森のようちえんには通えないから、関係ない」ではなくて、子どもにかかわる多くの大人たちにこの本を手に取って欲しいです。
お話を聞いていて、さまざまな情報にゆれて頭でっかちになって、肩に力が入りまくっていた自分に気がつきました。まずは親が子どもに最適な環境を用意しなくてはならない、という思い込みを外して、とにかく、子ども自身が必要なご縁を見つけてくると信じて待つ、この本来あるべきスタンスを改めて思い知らされました。
とは言え、これからもまた迷うと思いますので(苦笑)、節目、節目でこの本を読み返して、根幹に立ち返りながら、調整しながら日々、親としても成長していきたいと思いました。悩める母親、父親のみなさん、共にがんばりましょう!
ルポ 森のようちえん SDGs時代の子育てスタイル写真提供/おおたとしまさ 人物撮影/富田一也
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飯田りえ Rie Iida
ライター
1978年、兵庫県生まれ。女性誌&MOOK編集者を経て上京後、フリーランスに。雑誌・WEBなどで子育てや教育、食や旅などのテーマを中心に編執筆を手がける。「幼少期はとことん家族で遊ぶ!」を信条に、夫とボーイズ2人とアクティブに過ごす日々。