没後20年相米慎二監督が今も愛される理由。映画ジャーナリスト・金原由佳さんが語る、ここだけの話【『相米慎二という未来』『相米慎二 最低な日々』出版】
2021.10.27
『セーラー服と機関銃』をはじめ、『台風クラブ』『ションベン・ライダー』『お引越し』『風花』などを手がけた相米慎二監督。2001年に53歳の若さで逝去した相米監督には、数々の逸話が残されています。1シーンを撮るのに何度もテストと本番を繰り返し、何時間も役者に1人で考えさせるなど自由なスタイルで映画作りを行ってきました。そこで生まれた作品は、心のゆらぎや人間らしい本能的な一瞬が切り取られ、映画ファンや若い映画人から注目され続けています。そんな相米慎二監督の没後20年を記念した本が二冊発売されました。
一冊は、『相米慎二 最低な日々』(ライスプレス刊)。1995年から月刊誌「月刊カドカワ」で1年間連載されたエッセイを書籍化したもので、相米監督への50の質問、永瀬正敏さんによるあとがきが寄せられています。二冊目は『相米慎二という未来』(東京ニュース通信社刊)。相米映画の魅力を当時の制作スタッフやキャストと、相米映画を知らない若い映画人らのインタビューから考察したものです。
この二冊の編集と執筆に携わったのが、LEEwebの連載エンパワメント映画館でもおなじみの映画ジャーナリスト・金原由佳さんです。金原さんに本を出版した経緯から、相米監督とのエピソードをインタビューしました。驚くことに、相米監督と公私ともに親交を深めた関係だったことを明かしてくれました。“金公(きんこう)”という愛称で呼ばれ、神戸のロケハンに同行した25年前、最後まで監督に伝えられなかったある言葉についても語ってくれました。
役も役者も、双方が羽化する瞬間をとらえた強度。みずみずしい感性が時代を超えて響き続ける
──まず、本を出版することになったきっかけを教えてください。
相米さん(相米慎二監督、以下同)が亡くなったのが2001年9月9日で、今年の2月に没後20年の特集上映を行いました。その時、劇場に若い方が多く足を運んでくれました。池田エライザさんや三浦透子さんをはじめ、相米さんの作品を好きだという若い俳優さんも多くいます。ぜひ相米さんを知らない若い世代に、相米映画の魅力を伝えなくてはいけないと思い、命日に合わせて本を出しましょうと話が進みました。
──『相米慎二という未来』に板垣瑞生さんや唐田えりかさん、松居大悟監督のインタビューが収録されていたのはその理由だったのですね。
板垣瑞生さんは、師匠と慕っている監督の成島出さんが相米さんの助監督だったこともあり、“師匠の師匠”と大切にしてくださっているようです。相米さんの作品歴は『翔んだカップル』『セーラー服と機関銃』などのアイドル映画が最初だったので、子供の青春映画を撮る監督というイメージが強かったせいか、当時の映画誌を読むと、映画評論家から自分たちの世代の映画監督として扱われず、厳しい批評も散見します。一方、思春期のみずみずしい感性を描いていたからこそ、時代を超えて思春期の子供たちに響く作家なんだろうと思います。稲垣さんも語っていますが、子供たちからすれば「私の映画だ!」という存在なのかもしれません。
相米さんの映画は、子供が大人になる“羽化”する瞬間をとらえていて、役はもちろんですが役者本人も羽化する瞬間を重ねていることでより強度が増している。若い時って「昨日とは違う自分になる」「もう昨日の自分に戻れない」という瞬間が日々あります。肉体的にも精神的にも。それって“痛い”瞬間でもあるので本人は嫌かも知れないけど「大丈夫、痛いけど明日は続くんだ」みたいな気持ちで映画を撮っている。だからこそ若い人たちが自分のこととしてとらえられるんだと思います。
「お前、その表現でいいの?」。心の中で相米監督が生き続けている
──三浦友和さんや佐藤浩市さん、斉藤由貴さん、浅野忠信さんなど、相米映画に出演した錚々たる方々のインタビューもとても読み応えがありました。
斉藤さんは『雪の断章 ‐情熱‐』で何十回もリハーサルさせられてトラウマになっていたそうです。ご自身が振り返るように、由貴さんは持っている殻が硬いからどうやって弾けさせるかを相米さんも考えたんだと思います。殻が開かないまま終わらせないよう、何度もしつこくやったのかもしれません。
浅野さんは、日本映画界に向けて愛情ある苦言を呈してくれました。技術が発達しているから誰でもカメラを持って撮影できるようになり、フィルムからデジタルになって長時間撮れるようになったことで、頭で考えたことや設計図通りに俳優になぞらせすぎている、と。それは自発的な感情の出し方とは違うから、見ている人の気持ちも揺れないだろうという理由からだと思います。
浅野さんのインタビューはZOOMで行ったのですが、「仏壇に相米さんの写真が飾ってあると三浦友和さんから聞いたのですが」と話をふると、わざわざ部屋から写真をもって見せてくれ「毎日喋りかけているんですよ」と教えてくれました。ちなみに三浦友和さん、河合美智子さんも相米さんとのツーショットの写真を部屋に飾っているそうです。永瀬さんは、財布に入れて一緒に持ち歩いていると、その写真を取り出して見せてくれました。「お前、その表現でいいの?」と問いかけられる存在として、みんなの中にずっと生きてるんですよね。
── 小泉今日子さんの今後を言い当てるようなメモが残されていた、というエピソードは震えました。
私もびっくりしました。『相米慎二という未来』で書かれていますが、亡くなった相米さんの部屋に小泉さんはプロデューサーに向いているとのメモ書きが残されていたそうです。女優としてすでに魅力的な小泉さんに、裏方であるプロデューサーが向いているという言葉はちょっと残酷な言葉でもあるなと思いましたし、小泉さんにとっては嬉しくもあるけどちくりと来る指摘でもあったと思うんですけど、ご自身は「ああ、そうなんだ」と受け止めて、その後、『ソワレ』という映画のアソシエイトプロデューサーを務めるなど、その言葉に導かれている部分もあると言っていました。河合美智子さんにもずっと「歌え」と言っていて、のちにオーロラ輝子(朝の連続テレビ小説『ふたりっ子』)でブレイクして、とても喜んでいたとか。その時は相米さんが河合さんの付き人になって大井競馬場でのデモンストレーションにも行ったそうです(笑)。その人の本質を見抜く人、向いているものへの勘が鋭い人だったと思うんです。
──-松居大悟監督のインタビューは、監督らしい鋭い視点と考察が印象的でした。
松居さんは2月の特集上映に来ていたのを劇場で何度かお見かけし、twitterでそのことを書かれていたのを見て、お願いしました。松居さんはとてもクレバーな方で、当時と同じようにじっくりリハーサルはできないけど「工夫したら現場に入る前に同じようにできる」とか、すごく前向きに考えています。相米映画は、生き物・有機体だと言っていて「そういう絵作りは今でも絶対できる」と自信をもってくれています。松居さんの作品も生き物感がありますよね。松居さんはじめ今の若い映画人は、スクリーンの中で揺れ動く感情の振り幅の大きさとか、生物のようにそれを映し出すのが面白くて相米作品を観ているんだと思います。『ドライブ・マイ・カー』の濱口竜介監督は、相米さんの映画は声を大事にしていることを長い映画評論で検証されていますが、ご自身の映画も登場人物が発する声を大切に演出されています。それぞれ受けとらえ方が違っているのも面白いですよね。
フラットで垣根を作らない人柄。相米映画にはいつも「強い女」がいる
──-『相米慎二 最低な日々』のエッセイは、監督自身が経験されたことだったのでしょうか。作家性が強く、独特な空気感が面白く小説のように読みました。
内田百閒のような幻想的な文体ですよね。でも、身近な人たちとすり合わせた結果、すべて監督自身の体験をもとに書いていると思います。ふらりと漁師の家に行ったり、タオルミナやロカルノ映画祭に行ったり。これを読む限り、相米さんは外国に行っても知らない人といつも仲良くなるんですよね。垣根のない人だから、誰とでもフラットに付き合う。「文楽のチケット取れるから行こう」とか「きりたんぽ、食べたいんだけど、誰か秋田の知り合いいないか?」と電話がかかってきて知り合いの知り合いの家できりたんぽを食べる会を開いたり、友達のような感覚で、常に面白いことを一緒に探して、遊んでいました。
──相米作品は、中性的なヒロインやトランスジェンダーの女の子が主人公に出てきますね。登場人物の中に当然のようにゲイやレズビアンがいたり、当時では珍しい設定だったのではないかと感じました。
まだLGBTQという言葉や概念が明確になかった時代に、あれだけはっきりと描いているのは時代を先駆けていますよね。特に意識していなかったと思いますが、オープンな人だったので、フラットに描いていたんだと思います。相米さんは少女に儚さや可愛らしさを求めていなくて、むしろ強さとか鍛錬されてもへこたれない強い軸がある女性像を映画の中に求めていました。『魚影の群れ』の夏目雅子さん、『あ、春』の斉藤由貴さんもそう。出てくる女性の芯が強いというのは、相米映画の好きなところの一つでもあります。
若い人を横に置き、表現することの“核”を身をもって伝える
──金原さんが初めて相米監督にお会いしたのはいつでしたか。
『お引越し』(1993年)のインタビューの時でした。私はまだライターになって半年の駆け出しの頃で、何も分かってなかったんですけど、主人公の田畑智子さんの変容ぶりにびっくりして。これは何かあるだろう、特別な演出をしているに違いないと思って、ずかずかと質問しました。そうしたら、次の作品(『夏の庭 The Friends』)を神戸で撮影するとのことで、私が神戸出身だという話から「次の現場に入っていいよ」と言われて。すぐに電話番号を交換して3か月後の5月にはロケハンに行くことになり、相米さんと私と妹の3人で、GWは朝から晩まで神戸中を回りました。
──それはすごい展開ですね。取材相手とここまで距離が縮まることって、よくあるんですか。
私も初めてでしたが、実は相米さんの周りにはそういう人が山のようにいるんですよ。ふとした出会いでピックアップされて、一時期、書生のように相米さんのそばで、映画作りを手伝う人がいつもいるんです。
『喜劇 愛妻物語』の監督で『アンダードッグ』の脚本を手がけた足立紳さんもそうした一人で、映画学校を出たばかりの頃に相米さんが若い助手を募集していると知り合いのプロデューサーから話が来て、会いに行ったそうです。そしたらいきなり「お前、いくらあげたら生活できるの?」と聞かれ、適当に「10万円です」と言うと、「じゃあ、月10万円で」と、それから1年間、脚本作りの手伝いをしたそうです。『相米慎二という未来』では、相米さんに鍛えられた俳優やスタッフの話が収録されていますが、本に出て頂いた以外にもたくさんいるんですよね。ちなみに足立さんは、相米さんと動いていた一年の中で書いた脚本で、「すごくいい、自分で映画にしろよ」と褒められた作品を、後に「弱虫日記」という小説としては世に出され、今年、ご自身が監督すると映画化を発表されたんです。個人的にとっても楽しみにしている作品です。
東京オリンピック・パラリンピックの舞台美術を担当した種田陽平さんも『光る女』の時は美術部のアシスタントでしたが、朝から晩まで相米さんと一緒にいて、映画のイメージボードをずっと描かされていたそうです。時には相米さんが種田さんの家に泊まって、相米さんの頭に浮かんだアイディアを聞き、相米さんが寝ている間に種田さんが描き、朝起きてそれを見せたら「違う、描き直し」と何度もやり直したとか(笑)。種田さんはクエンティン・タランティーノの美術をするなど国際的に活躍されていますが、『ションベン・ライダー』でデビューした永瀬正敏さん、『風花』の浅野忠信さんも、今は海外でも活躍されています。相米さんは若い人と一緒に過ごすことで、表現することの核を身をもって教えるではないけれど、一緒に体験させていたんだと思います。生みの苦しみでもだえ、みっともないところも全部見せて、「これが表現することだ」と。
範囲を決めない“領分”の広さ。表現の火を灯してもらったから続けている
──20年以上前にまいた種が、今芽吹いているのがすごいです。相米監督は人を見抜く力、才能を読む力に長けていたんですね。
先日、相米さんのマネージャーを務めた方と話をしたんですけど、傍から見たら順風満帆でも、本人が「これまで来た道でいいのだろうか」とふと立ち止まっている瞬間にいる人を見抜く天才だったと。垣根のない人だったし、佐藤浩市さんのインタビューでわかりますが、佐藤さんは相米さんのことを「相米」って呼んでるんです。佐藤さんが10歳以上年下にも関わらずですよ(笑)。日本の映画界はピラミッドのように君主的な上下関係があるので、役者が監督を呼び捨てにしたら、普通は干されるくらい大変なことになったと思うんですけど、相米さんはそれをニコニコ許して、佐藤さんを「浩市」と呼んでいました。相米さんの現場は、すごく民主主義的な現場だったと思います。
私もライターになりたてで相米さんの現場に入って、観察するのに気がねするな、見たい場所に行って観ろと言われていましたけど、他の現場に行って「相米さんが特別だったんだ」と後で知りました(笑)。相米さんは私の20歳くらい年上なんですけど、現場を離れると、タメ口で話していましたしね。『翔んだカップル』『セーラー服と機関銃』で組んだ薬師丸ひろ子さんへの存在は相米さんにとってはとても大きなものだったようで、「ひろ子の年齢より下は、人間じゃないから犬だ。だからお前は犬扱い」と、私なんて“金公(きんこう)”と呼ばれていたんですよ。文字にすると酷い扱いに聞こえるけど、優しい口調で、愛情は感じられていたので、金公と呼ばれたら元気よく「はい」と、現場でも言っていました。
──相米監督と関わった方が今も第一線で活躍し続けているのは、相米イズム的なものをみなさんが受け取っているからでしょうか。
相米さんに表現者としての道を拓かれたという人はたくさんいます。いい意味で人を変えてしまうんです。相米さんの映画の現場って、領分(才能を活かせる範囲)が広いんですよね。「相米慎二という未来」の中でスクリプターの方が演技の代役をやったり、演技プランを出したり、美術部のアシスタントがラストシーンを演出するイメージボードを書いて採用されたりなど、部の垣根を越えて演出に自由に参加する雰囲気があるんです。
主人公や登場人物もそうで、女子高生がヤクザの組長になったり、中学生が名古屋まで友達を探しに行ったり。でもそれは「見ているあなたたちも同じだよ」ということを言っていたんだと思います。相米さんと関わった人全てが「お前の領分、そんな狭くないだろ」と言われていた気持ちなんじゃないかなと。相米さんが若い人と一緒にいたのも、領分が加速的に広がって変容していく姿を見ているのが楽しかったからだと思うんです。
相米さんに道を作ってもらったからこそ「簡単には降りれないぞ」という意味では、私は永瀬正敏さんと同じです。『相米慎二 最低の日々』では、永瀬さんが重い責任を感じながら、死ぬまで役者を全うしなくてはいけない思いを綴ってくれています。相米さんに「ここまで自由にやっていいんだ」と肯定してもらい、心に火を灯してもらったからこそ、ずっと消えずに続けているというのはあると思います。
── 相米監督からの言葉で、今でも心に残っているもはありますか。
初めて撮影現場に入った『夏の庭』で、相米さんに密着して話した言葉を一字一句ノートに書いていたんです。それを持って、『キネマ旬報』に売り込み行ったら、「じゃあ、連載にしましょう」という話になりました。駆け出しのライターで連載を持てたのは相米さんの現場が面白かったからで、そのおかげで他からも声をかけてもらえるようになりました。今があるのは相米さんのおかげです。
連載が出た後、一度電話がかかってきました。「金、俺あんなこと言ったか?」と。記録したものをそのまま書いたのですが「言葉はそう言っていたかもしれないけど、感情を引き出すために言った言葉だろ。言葉通りに書いちゃだめだよ。俺の言った言葉にとらわれるな。お前は何を書いてもいいんだよ、お前が感じたことを書け」と言われました。それからずっとインタビューってなんだろう、言葉ってなんだろう、と基本的な問いかけが頭にあります。自由に書けとは言われましたが、いまだにそれはできないままです。三浦友和さんもインタビューで答えてくれていますが、相米さんの言葉はこちらに投げかけてくる。放置プレイでもありますが、自分がそう感じれば、それが正解なんだと。相米さんは正解の解釈が広いから、相米映画もそれと同じで観た人が受け取って感じたことが答えでいいんだと思います。
結婚式で父親のように挨拶してくれた。妊娠を伝えられなかったのが今でも心残り
──役者にも観客にも自分で答えを考えさせる。現場でも劇場でも同じスタンスで、私たちに問いかけてくるのですね。
『相米慎二の最低な日々』で「俺の映画はよく死に向かうと言われるんだけれど、そうではなくて、生きるための綱渡りを描いているんだ」と話しています。綱渡りだからもちろん落ちちゃだめなんですが、ぐらぐらと揺れながらワクワクして生き、死に向かっていく。だから「みみっちぃ生き方するなよ」「こぢんまり生きるなよ」というメッセージでもあると思います。
── 相米監督と最後に会った時のことを良ければ教えてください。
奇しくも多くの映画人にとって、相米さんの姿を見た最後の機会が、私の結婚式の二次会になってしまいました。集まっていたのは映画界の人ばかりで、そこで映画界の親代わりの挨拶をしてくれました。「これまで“金公”と呼んでいたのに、さすがに誰かのパートナーとなった人をそう呼ぶのには憚(はばか)りがある。これからなんて呼べばいいのか困るが、まあ幸せに」という、なんとも相米さんらしい挨拶だったのですが(笑)。
その後、結婚式のお礼を伝えようと食事に行く約束をしていたのですが、私が原稿の締め切りが間に合わずキャンセルしたんです。「書けたら電話しろ」と言われて、無事終えた頃に電話をしたら「金、しばらく会えないかも、ごめんな。いろいろあってしばらく会えないけど、お前も元気で頑張れよ」と言われました。『壬生義士伝』の制作が決まっていたので、ロケハンなど撮影の準備で会えなくなるのかと思っていたら、後で聞くと、病気が分かって、治療に入っていた時期だったようです。結果として、その電話が最後の会話になってしまいました。
実は相米さんに会ったら、妊娠したことを伝えようと思っていました。それを伝えられなかったことが今でも心残りです。その時の息子は、今年の12月で20歳になります。息子は虫狂いの人で今は大学で糞虫の研究・調査をしているのですが、今回の本のために昔、私が相米さんにしたインタビュー記事を発掘している中で、『虫になりたい』というものを見つけ、そこに「俺は糞虫になりたい」と熱く語っていてびっくりしました。「まさか相米さんの生まれ変わりじゃないよな……」と息子に電話しました。「おお、やっと気づいたか」って言われるかとドキドキしたら、一瞬の沈黙の後、呆れたような「はっ、何言ってんの?」という一言が返ってきて半分安ど、半分、ガッカリしたのですが、忘れていたシンクロにゾッとしましたね(笑)。
《LEE読者に観てもらいたい! おすすめの相米映画3本》
1本目は『お引越し』。見越した人生の先のゴールが違ってきた夫婦の亀裂を描いています。公開当時は田畑智子さん演じる娘のレンコの目線で見ていましたが、今なら桜田淳子さん演じる母親の気持ちで観てしまいます。母親であっても、どうしても自分の生き方を曲げられない瞬間って、あるよなと。それは周囲の人の人生も変えてしまうんだけれど、一緒に乗り越えていかなくてはいけないという。母親の譲れない思いを描いている映画って、あまりないですからね。子供が両親の離婚話にめちゃくちゃ激しくもがいている様子に肝を冷やしますが(笑)何かあった時は、あれくらいのことが起こるんだと腹をくくれる意味でも、是非、見て欲しいです。
2本目は『あ、春』。斉藤由貴さん演じる主婦が精神的に弱って、過呼吸を起こすなどの状況にいるのですが、夫の会社の倒産危機や、夫の元に死んだと言われた父親がいきなり訪ねてきたときに、一人、毅然として優しく、そして強い。ダイレクトに色っぽい描写はないんですが、私はすごく色っぽい映画だと思っています。斉藤さんが真夜中、惰眠をむさぼる佐藤浩市さん演じる夫の腹をはんだりする。三浦友和さんと富司純子さんの義理の母子の間の関係に、友和さんの妻役の余貴美子さんが嫉妬の表情を浮かべたり、大人の関係性の中に潜む色っぽさをそこはかとなく感じます。あと、親子ってなんだろうと改めて考えさせられる。家族って、こうあるべき論になりがちですが、相米さんが考える広義な家族が素敵です。血や過ごした時間にとらわれない、ゆるい家族観に私は救われます。
3本目は『台風クラブ』。台風の夜、中学生の性の芽生えや嫌悪感、暴力的な愛情が溢れ出します。制服の下に隠された自分をさらけ出し、台風のエネルギーを感じながら、夜中の学校で踊りまくるのも羨ましい。子供って、本当は感情の増幅が生々しくて、それをそのまま出しているのがすごい。その感情が魅力的であり危険なものであって、でも「それでいいじゃん」「それがあるから面白い」という肯定感ですね。子供が持つ衝動性や危険性に対して、常に寛容である大人でいたいと思います。
■相米慎二監督フィルモグラフィー
『翔んだカップル』 (1980年)
『セーラー服と機関銃 』(1981年)
『ションベン・ライダー 』(1983年)
『魚影の群れ』 (1983年)
『ラブホテル』(1985年)
『台風クラブ』 (1985年)
『雪の断章 情熱』 (1985年)
『光る女』 (1987年)
『東京上空いらっしゃいませ』 (1990年)
『お引越し』 (1993年)
『夏の庭 The Friends 』(1994年)
『あ、春』(1998年)
『風花 』(2001年)
『翔んだカップル』『光る女』以外は、すべてU-NEXTで視聴可 https://video.unext.jp
■没後20周年「作家主義 相米慎二」 特集上映が全国にて開催中!
アップリンク京都 https://kyoto.uplink.co.jp
・10月22日(金)~11月4日(木)『台風クラブ』『ションベン・ライダー』
長野県・上田映劇 http://www.uedaeigeki.com/
・11月6日(土)~11月19日(金) 『台風クラブ』『ションベン・ライダー』『風花』
https://apeople.world/sohmaishinji/
■台北金馬映画祭では、代表作7作品を上映!
11月11日(木)から開催される台北金馬映画祭で相米慎二監督の代表作を特集上映
https://www.goldenhorse.org.tw
■角川映画祭では、『セーラー服を機関銃』を上映!
https://cinemakadokawa.jp/kadokawa-45/
【連載】金原由佳さんの「エンパワメント映画館」
撮影/山崎ユミ(金原由佳さん) 取材・文/武田由紀子
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