『すばらしき世界』というタイトル秘話
LEE本誌3月号でもご紹介していますが、映画『すばらしき世界』が素晴らし過ぎて、ずっとお会いしたかった西川美和監督にインタビューを決行しました!
どんなに映画が素晴らしいかというと、2月の現時点で、早くも2021年マイ・ベスト作品のベスト3には入るな、と確信するくらいの面白さです。
昨年、世界中を席巻した『パラサイト 半地下の家族』のポン・ジュノ監督が大絶賛している本作ですが、いやどうして、本作の面白さや深みは『パラサイト』に全く引けを取りません! 『パラサイト』をご覧になられた方は、マストで本作を観て欲しいです。全く内容もテイストも違う映画ではありますが。
それでは、監督としても作家としても才能あふれる西川監督に早速、ご登場いただきます!
1974年7月8日、広島県生まれ。2002年、オリジナル脚本・監督作の『蛇イチゴ』でデビュー。長編第二作『ゆれる」(06)をカンヌ国際映画祭監督週間に正式出品。『ディア・ドクター』(09)で第83回キネマ旬報ベスト・テン日本映画第1位を獲得。『夢売るふたり』(12)、『永い言い訳』(16)で、トロント国際映画祭に参加。『ディア・ドクター』の元となる小説「きのうの神さま」、後に自身で映画化した同名小説「永い言い訳」が、直木賞候補に。STORY BOX(小学館)で連載していた『スクリーンが待っている』が好評発売中。
──これまでオリジナル脚本で映画を作られて来た西川監督、初の原作ものということですが、そもそも原案「身分帳」を手に取られた経緯とは?
「元々、佐木隆三さんが好きだったのですが、たまたま佐木さんが亡くなられたという新聞記事を読んで、撮影の合間で時間があったこともあり、“あれ、知らないな” と思った「身分帳」を手に取った、という感じです。映画のためのネタ探しという意識はなく、何気なく読んでみたのですが、(元殺人犯の主人公が出所後)日常を取り戻すための手続きの繰り返しが、小ネタ集のように面白くて。この小説をなんとか映画にしたい、と取り掛かったわけです。しかも、こんなテーマで撮られた映画というのも、私には思いつかなかったな、と思って」
──映画のタイトル『すばらしき世界』は、どの時点で思いついたのでしょう? 映画を観ている最中や観終えた後にも、絶妙にタイトルの持つ意味や皮肉がジワジワ効いてくる抜群なタイトルですよね。
「撮影の直前です。というのも脚本を書いている最中は、ずっと「身分帳」というタイトルで書いていたんです。佐木さんの「身分帳」という本を、人々がもう一度手に取るきっかけとして映画を作りたいと思ったのが始まりでしたので、映画の冒頭で『身分帳』というタイトルを出すことにこだわっていたんです。でも製作側から“もっと多くの方に興味を持ってもらうために、少しでも中身を想像できるようなタイトルにしてほしい”と言われたこともあり、何がいいだろう、と考え始めて。もちろん別の案もありましたし、当初は役所広司さんが演じる三上という人間を表現したようなタイトル案が浮かんでいました。でも、これは三上の物語のようで、実は三上を通して見えてくる周りの話なのではないかな、と思ったんです。『すばらしき世界』は非常に意味深なタイトルですが、“そんなわけないだろう”という捨て鉢な見方はありつつも、それだけに留まらない何か美しいものを劇場で感じていただければいいな、と思っています」
いつかは役所広司と……という思い
『すばらしき世界』ってこんな映画
元殺人犯の三上正夫(役所)が長い刑期を終えて出所し、身元引受人の夫婦(橋爪功、梶芽衣子)に迎えられる。今度こそ真っ当に生きようと誓う三上だったが、前科者の社会復帰を面白おかしく番組にしようと、テレビマンの津乃田(仲野太賀)が近づいてくる――。前科者だが優しくて困った人を見過ごせない正義漢、且つ感激屋。でも短気で喧嘩っ早いためトラブルを起こす……。子供がそのまま年をとったような、三上の社会復帰までの悪戦苦闘と、彼を囲む人々を描きだす。
──役所広司さんには、いつ、どのようにお声を掛けたのですか?
「小説を手にしてから一年以上、取材をして、さぁ、これから第一稿のシナリオを書くぞ、という直前にオファーをしました。こんな企画――佐木さんのこの小説で書きます、主人公のどこがいいと思っていて、どういう風にしたい、ということも書いたお手紙をお出ししたんです。そうしたら、“じゃあ、楽しみに第一稿を待ってみます” という前向きなお返事があって。第一稿をお渡しして、やっぱりお引き受けできません、と言われたらお終いだ、という思いをいいプレッシャーにしながら、役所さんに当て書きの形で第一稿を書きました。贅沢でしょ(笑)」
──私の勝手な感想ですが、是枝裕和監督が『三度目の殺人』で役所さんを起用された際も「遂に来たか!」と思いましたが、今回、西川監督が役所さんを起用されたと聞いた時も「遂に来たか!」と思いました。
「まさに、そうですよね。役所さんに対しては、“いつか”という気持ちはずっと持っていました。是枝監督もずっと前から“いいよねえ”と言われていて、お互いしみじみ憧れていました。そうして『三度目の殺人』で起用されたので、“あぁ、先を越された~”って思ったんですよね(笑)。撮影後に感想を聞いたら、“もう、すごいよ”と言葉を失っておられて。“自分が書いたシナリオの意味を、役所さんのお芝居を見て、やっと理解するんだよね”と。絶対に早くやった方がいいよ、ともおっしゃっていただいていたんです」
──ただ役所さんといえば、ちょっとしたレベルの作品や役では声を掛けられない、と思わせるものがありますよね(笑)。
「そうなんですよ(笑)!! せっかくお仕事をご一緒させていただくのに、簡単な役でオファーさせていただくなんて勿体ないですからね。以前から役所さんにお願いするときは、まともな人間の役よりも、複雑な内面性を持った、むしろ狂気を孕んだような人物を書けたときに、と思っていました。だから今回、遂にその時が来たんじゃないかな、と思いながらオファーさせていただきました」
2掛け3掛け+で“いいもの”が出てくる
──序盤の、三上が身元引受人夫婦の優しさに堪え切れずに泣きだすシーンから、私は胸を突かれて涙モードが始まってしまいました。現場でも、想定外の演技でつい落涙した、なんてシーンはありましたか?
「最速の人は、そこから行くらしいですが、早い~っ(笑)。ところが役所さんって逆に、想定外というのは実は全然ないんです。こちらが本当にそうして欲しかったものを、2,3割もっと良くした形で見せてくださることが多かったですね。脚本を書いていた時のイメージの9割くらいでOKを出すことも多いものですが、役所さんの場合はすべて2掛け3掛けになって出てくる。そんなこと、なかなか出来るものではないのを知っているので、日々、“助けてもらっているな~”という信頼感が重なっていきました」
──絶妙な“おかしみ”や感情の揺れをぶっ込んできますよね。
「細かいところですがスーパーで、店長役の六角精児さんに「俺、テレビに出ることになった」と言う場面が、ものすごく好きなんです(笑)。バカみたいに嬉しそうな表情をしていて。三上の人格を、まるで落語の主人公のような、可愛くて憎めない粗忽さで表現してもらって……あの年齢にしてあの可愛げに、絶妙に笑える味つけを出してこられるんですよね。出そうと思ってもなかなか出せない難しい塩梅で。私からは何も言わなくても、役所さんがシナリオを読み、そこからすべてを把握して出して見せてくれる、そういう仕事をされていました」
──三上が自動車教習所の教官の後ろを、刑務所よろしくつい行進してついていくシーンも、思わず吹き出してしまいました。あれは西川監督の創作ですよね。
「もちろんシナリオには書いてあった創作ですが、それも演者のパフォーマンスありきなんですよ。本人は大真面目なのに、笑われてしまう。その辺の意図を、役所さんは的確に汲んでくださるんですよね」
──一方で後半、三上を祝って身元引受人の夫婦、スーパーの店長、テレビマンの津乃田らがささやかなパーティを開くシーンがあります。そのシーンでニコニコしている三上以上に、仲野太賀さん演じる津乃田の表情をカメラが長く捉えていました。その意図は?
「あのシーンは、みんなが三上をお祝いし、支え、いいことを言っているんですよね。でも、 “世間の言っていることに見ざる聞かざるを通せ”とか、“逃げないとこの世は渡っていけない”ということって、ずっと三上が反発し、大嫌いだとしてきた世界観なんです。三上は大人しく頷きながら聞いていますが、それって本当に幸せなことなのか、本当に三上は順応していけるのか、と取材者としての距離感で見て来たからこその、津乃田は懸念を持っているのです。その時点ではもう、津乃田は取材者ではなく、三上に寄り添う身内みたいな気持ちになっているのですが。その津乃田の視点で観客にあの場面を観てもらいたくて、彼の表情を長く捉えました。この映画は三上の物語であると同等に、津乃田が変貌を遂げていく物語でもあるんです」
──仲野さんの表情(津乃田の表情)を見て、カメラを動かせなくなったのかな、と思いましたが、そうではないのですね。
「最初から計算して決めていたことでした。物語の後半は、津乃田の視点で見ていって欲しいんです。どこにカメラを置くのかで、映画の観え方は大きく変わります。三上の表情だけを見せていくと、みんな三上と同じ気持ちで見ちゃうんですよね。それを客観視している津乃田の表情を見せることで、初めて観客も三上の主観にのめり込まずに別の感覚で物語を傍観できるんです。太賀くんは役所さんと対峙されて口では“緊張した~”などと言っていましたが、本当に浮ついたところのない、腹の座った人でしたね」
──終盤、介護施設でのシーンは、三上を観ていて全身が熱くなり、胸を掻きむしりたくなってしまいました。
「撮影現場はみんなで淡々と進んでいましたが、観ている人の方が、“行け、行っちゃえ”と思うんですよね(笑)。若い俳優もみななかなか説得力のあるいい芝居を見せてくれて、非常に頼もしかったですね」
ベテラン撮影監督との意思疎通
──誰をどれくらい、どのように撮るか、という撮影監督との意思疎通はどのようなに図っているのですか。
「今回は、絵コンテをほとんど書きませんでした。日本映画人の伝説的な撮影監督である笠松則通さんに対して、私はすごく憧れも強かったですし、役所さん同様、ものすごくリスペクトが強かったです。笠松さんに対しては、自分の想像の及ばないところを、いかに見せてもらえるか、というところを体験したいと思っていました。私が絵コンテを描いてしまうと、それに忠実に近づけようとしてくれるのがカメラマンの生理なので、今回は敢えて絵にしたりアングルを自分で決めたりせずに進みました」
──それで自分が欲しかった“画”が全部撮れたぞ、という感じでしたか?
「笠松さんは一見、寡黙で硬派な雰囲気ですし、撮影に対する経験値もセンスも雲の上にある人ですから、最初は怖々でしたけれど(笑)、そういう時こそ自分から欲しいものをきちんと伝えなきゃいけないんだ、と思いまして。ぴったりキャメラのそばについて、何でも現場で笠松さんに相談しました。本当に最高の時間でした!」
──特に今回は、三上がチンピラを半殺しにしたり、動きの激しいバイオレンスなシーンもあるなど、これまでの西川作品には見られなかった撮りかた、挑戦というのがあったのではないですか?
「アクションというか激しいシーンも多かったですが、そういう時こそ百戦錬磨のスタッフたちです。“経験がないのでどうしたらいいでしょうか?”と常に相談し、スタッフたちに委ねながら進めました。自分にない知恵をみんなが出してくれることが、映画作りの醍醐味。今回も、全員野球、みたいな現場だったと思います」
なるほど。本当はいつものように、「その美貌を保つ秘訣は?」といった質問も織り交ぜたかったのですが、もう、聞きたいことや知りたいことが山ほどあって、そこに至りませんでした。
でも聞けば聞くほど、そんな意図が、そんな考えが、そんな神の視点で…なんて驚嘆させられるインタビューになりました。社会は冷たいけれど、温かい人の情はこの世知辛い今の世でも必ずある……。タイトルの意味や問いかけが、まだまだジワジワ迫ってきます。映画『すばらしき世界』は11日より公開が始まっています。是非、急いで劇場に駆け付けてください!
『すばらしき世界』
(C)佐木隆三/2021「すばらしき世界」製作委員会
- 2021年/日本/2時間6分/配給:ワーナー
- 監督:西川美和
- 出演:役所広司、仲野太賀、橋爪功、梶芽衣子、六角精児、北村有起哉、長澤まさみほか
- 2月11日(木)より全国ロードショー
- 映画『すばらしき世界』オフィシャルサイト
撮影/細谷悠美
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折田千鶴子 Chizuko Orita
映画ライター/映画評論家
LEE本誌でCULTURE NAVIの映画コーナー、人物インタビューを担当。Webでは「カルチャーナビアネックス」としてディープな映画人へのインタビューや対談、おススメ偏愛映画を発信中。他に雑誌、週刊誌、新聞、映画パンフレット、映画サイトなどで、作品レビューやインタビュー記事も執筆。夫、能天気な双子の息子たち(’08年生まれ)、2匹の黒猫(兄妹)と暮らす。
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