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LIFE

飯田りえ

これからの大学のあり方は?世界のトップ大学教授による対談から見えてきた、これからの学び

  • 飯田りえ

2020.07.03

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学校や仕事も緩やかに戻りつつあります。ホッとしている反面、油断は全くできませんし、以前の生活に舞い戻ってしまうのもなんだかもったいない気がして、我が家のニューノーマルを探しつつある毎日です。

それにしても、今回のコロナ禍が教育現場に及ぼした影響は計り知れません。一つ言えることは、学びのオンライン化にしても、大学の9月入学の話にしても、これまでも潜在的にあった課題。そこにコロナショックが引き金となり露呈しただけのことなのです。せっかく考え直す機会があったのだから、こちらも引き続き見直していきたいところ。

そんな中、とても興味深いウェビナー「日本の大学はどうなる?コロナ禍中、コロナ後の課題とは」が開催されました。オックスフォード大学の苅谷剛彦教授と、ハーバード大学でも教えた経験のある東京大学の吉見俊哉教授によるリモート対談です。お二人は1月に『大学はもう死んでいる?トップユニバーシティからの問題提起』(集英社新書)を出版されて、その中でも「日本の大学が抱える問題は根深く、改革を試みるもほとんど成果が上がっていない」と問題提起しています。さらに、今回のコロナ禍により新たな問題も浮上しているとか。

世界のトップユニバーシティとは全くもって無縁ですが、アフターコロナの大学のあり方については興味大。しかも、これからの社会を考えても「良い大学を出て、安定した就職先を目指して…」という時代でもなさそうです。このウェビナーから、何か新たな思考の糸口が見えてくるのでは…と思い、参加しました。

(写真右)苅谷剛彦さん●1955年東京都生まれ。オックスフォード大学教授。専門は社会学、現代日本社会論。著書に、『追いついた近代 消えた近代―戦後日本の自己像と教育』ほか多数。当日はイギリスから参加。 (写真左)吉見俊哉さん●1957年東京都生まれ。東京大学大学院情報学環教授。専門は、社会学、都市論、メディア論など。著書に、『大学とは何か』『「文系学部廃止」の衝撃』ほか多数。

 

成り立ちから違う日本の大学と海外のユニバーシティ

21世紀の大学像を知りたいという声が多数ある中、まずは大学の成り立ちから振り返る必要があるとのこと。日本でいう大学の概念とイギリスのユニバーシティやカレッジの意味合いと言うのが根本的に違うのだそう。

苅谷剛彦さん(以下、敬称略)● カレッジの起源は知識人(先生)や旅人(留学生)が衣食住を共にしていたコミュニティで、その集合体がユニバーシティなのです。まさにオックスフォード大学がそうですが、20世紀に入ると学問の専門分野に応じて組織形態が変わり、コミュニティというよりはアソシエーションに近い形になりました。

吉見俊哉さん(以下、敬称略)● 一方で、日本の大学の歴史を遡ると、元々は律令国家を作るためのエリート学校=官僚養成の意味合いが強い。優れた官僚を作るためのエリート養成の仕組みから発展しているので、苅谷先生がおっしゃった西洋的なユニバーシティ(旅人たちのコミュニティの集合体)の様な、越境的な”知”の拠点にはなれていないのが現状です。

就職との結びつきが強い日本の大学

そんな成り立ちから違う日本の大学ですが、その中でも2つの軸が見えてくるそう。苅谷● 一つは帝国大学のような国家の大学という軸、もう一つは早稲田大学や慶應義塾大学のような、旧専門学校が母体となる軸で、両方に共通しているのは職業との結びつきが強いということ。今回のコロナの時でもまず「入試はどうするのか」というのが問題になりましたよね。大学の先には就職があるので、そういう意味でも日本は非常に学歴主義なのです。

吉見● 慶應義塾大学は幕末維新期の伝統があり「西洋の”知”をどうやって取り入れるか」というクリエイションが当時の塾にはあった。ここにはヨーロッパ的なカレッジに近かったはずです。しかし、その後の日本の大学は、組み込み方が古い温泉旅館のつぎはぎの様な状態で…。とにかく良いと言われるもの全てを盛り込もうとする傾向があります。結果、本質的なことを実現するための、調整ができずにきているわけです。

履修科目をもっと減らして、コーチング型の学びに

日本の大学の持つ問題点の一つとして、吉見先生は履修科目の多さを指摘。

吉見● 日本の大学で言うと、学生たちは履修科目が多すぎます。海外の大学は、およそ日本の半分、だからこそ深い学びができるのです。様々な要素を詰め込みすぎているので、時間の整理をしないければならない。大学の学びをスーパーマーケット型からコーチング型に変えないといけない。「知識の穴ができてしまう」と反論もありますが、深い考え方を身につけさせるのであれば穴があってもいい。週に10も20も単位を取っておいて、予習も復習もできませんよね。しかし、一つ一つの単位が重いと、単位を落とせないから深い学びに繋がり、先生たちとのコミットメントを増やすことが重要だと思います。年間124単位をどう切り分けるかに、発想を転換しないといけない。

苅谷● あと、ティーチングとラーニングのあり方を変えることをセットにしておかないと、カリキュラムの構造を変えるだけではあまり意味がない。最初から少ない科目でたくさん読ませて、知識伝達の上では事前に読んだ上で、ゼミの中ではアーギュメント(議論)するわけです。たくさんの読んだ知識を使って、自分の主張をどう根拠づけるかではないのです。



目指すべきは…国境を越えて貢献できる「地球人」

では大学の学びの先に目指すべき所は、一体、どこなのでしょうか。吉見● 21世紀の大学が向かうべき方向というのは「地球人を作る」ことだと思っています。医療とか情報工学など手段的有用な”知”は、SDGsがはっきりと表していて、地球社会のサステナブルな未来を創っていくための”知”を開発しようとしています。ただ、それだけでは成り立ちません。地球社会全体における哲学や人文学、社会学というリベラルな”知”も必要になってくるのです。

グローバル人材と呼ばなくていいと思います。少なくとも本当にグローバルに通用するような人は日本の国益に貢献する必要はなくて、人類に貢献すればいいのです。つまり、グローバル人材というのは人類に貢献する人たちの集団であって、貢献の宛先は日本のナショナリズムを超えていいんです。

アフターコロナで大学&個人が必要になる2つのスキル

1.ローカル&グローバル言語

オンライン化、ICT化が進む一方で、当たな問題が浮上してくるといいます。

苅谷● 空間という障壁が取り払われたことで、より一層英語化が進みます。地球レベルの社会哲学を考えるときに多様性はとても重要で、ローカルな文化や歴史が関わって来るのですが、それを英語が話せる人たちだけで話し合う…と言う危うさが出てきます。

一方で、私たちはフォーマルな場での対談よりもパブで語り合った(言わば3密状態の中で)ことに、価値を感じてしまいます。学問的な議論ではなく、よりエモーショナルな話になればなるほど、言葉はローカルな言語で話せる重要性を忘れてはいけないと思います。

吉見● ローカルな言語もキープしつつ、英語の両方を使えるようにしておくと、タコツボ化しないと思います。三密を避けるためには屋外化すればいい。公園、青空教室や道路空間を公共空間にし、密閉空間じゃない場所に新しい可能性が広がると思います。

2.時間のマネージメント力

吉見● オンラインはドラえもんの道具で言うならば、どこでもドア。空間的には難なく超えられますが、時間の障壁が今まで以上に出てくると思います。自分で時間をどうマネージメントするかが重要に。

いろんな人と出会え、空間が広がりすぎる中で、逆に出会えなくなる。1日の時間をどんどん詰め込んでしまうのではなく、意識的に隙間を作ることが大事だと思います。あと、ローカルな問題とグローバルな問題が絡みあってくると、どこかの国のタイムゾーンに合わせられてしまう。どこを優先させるか、大学に問われると思います。

実際に大学選びの時に持つべき視点とは

まだまだ課題も山積ですが、実際に大学を選ぶ際、どういう視点で見れば良いのでしょうか。

吉見● オンラインであろうとオフラインであろうと、一つ一つの授業で先生と学生たちの学びがどれだけ密にできるか、だと思います。大学は何のためにあるかと言うと「”知”との出会い」です。ゼミのような先生との密なコミュニケーションで、いかにクオリティの向上をはかれるかだと思います。

苅谷● 今いる学生たちに対して、何をやろうとしているのか、情報公開してどのぐらいマネージメントでき、的確に話しができているか。学校側のそう言う姿勢を見ていくと、考え方がわかってくると思います。そういった視点を加えると見えてくると思います。

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2時間にも及ぶ専門的な対話でしたので、印象的だったところをかいつまんでご紹介させてもらいました。それにしても、大学の成り立ちがそもそも違っているなんて知りもしませんでしたし、大学を選ぶときの一つの基準になりそうなお話がたくさんありました。「日本の大学は入学するまでが勉強して、入ってからは勉強をしない」というイメージがあります、その原因には履修科目の多さがあったのですね。就職のため、安定した会社に入るため、という目的ではなく、原点に立ち返り”知“との出会いを求め、そして日本のみならず地球規模で考えられる人材が多く登場してほしいですね。

 

今回の対談の様子は集英社新書のHP内のこちらに動画がアップされていますので、全てご覧になりたい方はぜひ。

飯田りえ Rie Iida

ライター

1978年、兵庫県生まれ。女性誌&MOOK編集者を経て上京後、フリーランスに。雑誌・WEBなどで子育てや教育、食や旅などのテーマを中心に編執筆を手がける。「幼少期はとことん家族で遊ぶ!」を信条に、夫とボーイズ2人とアクティブに過ごす日々。

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