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LIFE

田辺幸恵

東日本大震災から9年。ニューヨークは「忘れない」

  • 田辺幸恵

2020.03.10

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ニューヨークへ被災地から届くメッセージ

ニューヨークで毎年行われている東日本大震災追悼式典「TOGETHER FOR 311」には、在米邦人のみならず多くのニューヨーカーが参列する。

 

東日本大震災から9年。ニューヨークでは毎年、追悼式典「TOGETHER FOR 311」が行われています。

今年は新型コロナウイルスの感染拡大と刻々と変わる情勢を受け中止となりましたが、「同じ空の下、どこにいても心を寄せて、祈りと支援を被災地に届けよう」(主催者代表のAK・柿原朱美さん)と式典で流れるはずだったビデオメッセージが公開されました。

被災地から届くメッセージ。改めて、いま私たちにできることは、何でしょうか?

追悼式典では被災地からのビデオメッセージが流れ、ニューヨーカーに「あの時何が起こったのか」を伝えています。(写真はいずれもTOGERTHER FOR 311提供)

幼稚園の送迎バスで津波被害、失われた幼い命

佐藤美香さんは、宮城県石巻市の「日和幼稚園」に通っていた6歳の娘、愛梨(あいり)さんを亡くしました。地震後、乗る予定のなかった園バスに乗ったところ津波に飲み込まれ、愛梨さんら5人の小さな命が奪われました。

佐藤さんが愛娘に会えたのは、3月14日。焼けこげたバスのなかでした。

地震直後、石巻市の防災無線から「沿岸河口には近づかないでください」と流れていたのにも関わらず、園バスは海方面へ。高台の幼稚園に残っていれば助かった命。「真実を知りたい」と佐藤さんら遺族は園側に損害賠償を求め裁判を起こしました。和解しましたが、ビデオメッセージでは和解条件である「園児への謝罪」が行われていないことが明かされています。

(ビデオメッセージには、津波の写真、震災後の街の様子が写っています。視聴にお気を付けください)

どうして幼い命が失わなければならなかったのか。悲劇を繰り返さないためにと、佐藤さんは日和幼稚園遺族有志の会の一員、アイリンブループロジェクト副代表として、災害時の防災、命の大切さについて講演活動を行なっています。(アイリンブループロジェクト http://airinblue-project.jp/?fbclid=IwAR26aFtiKjOsGzHITFtFDN7-eoT9xYJZapyitRQClZQmRpiS5uTH1-BwWpE )

園児が伝える「水害の怖さ」と「水の大切さ」

福島県相馬市の「みなと保育園」は震災当日、園の前まで大津波が押し寄せ、家や大型船が流されていく怖ろしい光景を、屋根に避難した園児達が目の当たりにしました。

「原発の放射能問題により、大好きな外遊びもできない毎日でしたが、遠くNYや日本全国から沢山の温かい支援を頂き、以前の様に園内には元気な子ども達の声が響くようになりました。みなと保育園から元気を発信していきたい」(和田信寿園長)と、毎年ビデオメッセージを寄せてくれています。

昨年10月には、台風19号の被害に。「街中が浸水し、車が流されたり、大変な被害にあい、断水が続いた」状況下でも、震災の教訓を生かし、備蓄していた食料や水で園児の給食をまかなったそうです。

震災を経験していない子どもたちですが、台風の被害で知った「水害の怖さ」と、それでも生活に欠かせない「水の大切さ」を知ったと言います。

一時帰国時に被災、復興支援に力を入れるきっかけに

2012年から続くNYでの追悼式典「TOGETHER FOR 311」は、13名のニューヨーク在住日本人女性からなる運営メンバーが立ち上げたもの。メンバー全員、自分の仕事のかたわらボランティアで準備から運営までこなし、式典を通じて集まった寄付金を、在ニューヨーク日本国総領事館などを通じ被災地へ届けています。

運営メンバーの1人であるマックギネス美和さんは、チャリティーグッズ販売のリーダー。復興支援に力を入れるようになったのは、自身の「被災体験」がありました。

2019年追悼式典の販売ボランティアチーム。一番左がマックギネス美和さん。左から2番目は大堀相馬焼、松永陶器店の松永武士さん。大堀相馬焼はニューヨーカーにも大人気。後列右から5番目が私。娘と一緒に販売のお手伝いをしました。(TOGETHER FOR 311提供)

2011年3月11日。当時幼稚園児だった娘を連れて一時帰国していた栃木で被災。

「マグニチュード6.5強で、生まれて初めて机の下に隠れました」。そしてすぐに起こった東京電力福島第一原子力発電所でのメルトダウン。頭をよぎったのは1986年4月にソ連(当時)で起こった『チェルノブイリ原子力事故』。当時ロンドン在住だったにも関わらず、「毎日のように(ニュースで)風向きがロンドンに来ています、屋内に避難してください。雨に打たれないでくださいって言われていたので、すぐ福島からの風向きを調べて、子供を外に出さないようにしていました」。

娘を守らなければ。

その一心で、「新幹線が走り出して3本目ぐらい」で東京に戻りニューヨークへ。震災から1週間ぐらいで降り立ったJFK空港は、日本人ママと子どもたちで溢れていたそうです。



母子避難は裏切り者?

それと同時に、母子避難にバッシングが相次いでいるというニュースも。

「日本から出るなんて裏切り者、みたいな雰囲気になってて、娘をアメリカに連れて帰って来たので、私だけもう1回日本に戻ろうと思ったの。日本で両親も大変だから。でも、両親から『日本には帰ってくるな』と言われちゃって。

裏切り者的な気持ちでいたから、ニューヨークで何かできることあるかなって。みんなそうだったけど、駆り立てられるような感じで。何とかしなきゃと」

それから、「放射能について正しく知ることから始めよう」と勉強会に積極的に参加したり、ファンドレイジングがあると聞けば手伝いに出かけ、音楽で日本の子どもたちを元気づけたいという友人がいればライブハウスを借りて中継するお手伝いをしたりと、ニューヨークでの復興支援に力を入れるように。

震災後、多くのNY在住日本人が復興支援に動くなか、シンガーソングライターでもあるAK(柿原朱美)さんが「横のつながりを作って、何ができるか相談しませんか」と声をかけて集まったのが運営メンバー達でした。

海外にいながら何ができるのか。話し合いを何度も重ね、「ニューヨークは忘れないよ、思っているよ、ということを伝えたいのと、ニューヨーカーに日本で何が起こったのかを伝えたい」(マックギネスさん)と追悼式典を開催するようになったのです。

NYと被災地が繋がる新たな「絆」

そんな運営メンバーは、式典を通じ被災者とも交流が続いており、新たな「絆」も生まれています。

マックギネス美和さんは、家族とともに2018年夏に石巻市立大川小学校を訪ね、津波の被害を受けた校舎を見学。震災直後から石巻をベースに復興活動をしているNPO法人「応援のしっぽ」も訪ねました。「応援のしっぽ」から届く石巻のおばあちゃんが作るほっこり手作り品は、チャリティー販売の人気商品です。

マックギネスさんを案内したのは、2015年式典のゲストスピーカーだった高橋匡美(きょうみ)さん。

(左から)NPO法人「応援のしっぽ」代表の広部さん、マックギネスさん、高橋さん。(マックギネスさん提供)。

高橋さんは、石巻市南浜町の実家が津波を受け、震災から3日後にようやくたどり着いた実家で変わり果てた母を、2週間後には遺体安置所の身元不明の写真の中から父を見つけました。

一緒に実家に駆けつけた17歳だった息子の颯丸さんが、「ねえ、これって戦争のあと?」と問いかけたほど、目の前に広がる景色は残酷でした。

「明日が来る保証はどこにもない。みっともなくても、かっこ悪くても構わない。這いつくばって生きていかないと。今をともに生きていきましょう」。ニューヨーカーに命の尊さを訴えました。

式典では英国留学中だった颯丸さんが通訳を務めましたが、いつかは自分の口で被災地を訪れる外国人にも知ってもらおうと、2018年から「KATARIBE」として英語での講演活動も行なっています。

2015年追悼式典でスピーチする高橋匡美さんと、息子の颯丸さん(TOGERTHER FOR 311提供)

 

2011年3月、私は大きなお腹を抱えた妊婦でした。ニューヨークでの初めての出産を控えるなか、普段は有料の日本語放送が無料となり毎日震災関連のニュースが流れていました。テレビをつけるたびに増える死者数。いたたまれない気持ちになり、とにかく無事に出産することだけを考えようとテレビを一切見ないことにしました。

出産後も、初めての育児でてんやわんや。追悼式典に参加するようになったのは、娘がだいぶ大きくなったここ数年のことです。

被災地から届くメッセージを聞くと、あの時の私は自分の出産だけ考えててなんて自分勝手だったんだろう。震災について考えてこなかった自分を恥ずかしいと思うようになりました。

そんな私に、匡美さんはこんな言葉をかけてくれました。

「みなさんひとりひとりが自分自身の人生をしっかり生きること、それこそが、私の1番望んでいることです。 まず自分を守れない人が、大切な人のことを守れるはずなどないですから」

距離を超えてつながる被災地とニューヨーク。

「海外だから、ニューヨークだから追悼式典をやってるわけじゃない。応援してるし、忘れないっていうのを伝えたい。私たちができることってそれしかない(マックギネスさん)

2012年の第1回NY追悼式典の参列者は1000人を超えましたが、ここ数年減ってきているのも事実。今生かされているものとして、決して忘れず、何ができるのかこれからも考えていきたいです。

田辺幸恵 Sachie Tanabe

ライター/ライフコーチ

1979年、北海道生まれ。スポーツ紙記者を経て2006年にアメリカへ。2011年にニューヨークで長女を出産。イヤイヤ期と仕事の両立に悩みコーチングを学び、NPO法人マザーズコーチジャパン認定講師に。趣味は地ビール探しとスポーツ観戦。夫と娘(8歳)の3人家族。

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