俳優、経営者、母親と様々な顔を持つMEGUMIさん。今年、第62回ブルーリボン賞助演女優賞に輝き、俳優としてめきめきと頭角を現しています。しかし、ここに至るまでは様々な悩みや葛藤があったそう。そんなMEGUMIさんへのインタビューを前後編でお届けします。前編は俳優や経営者としての考えに迫ります。
自分にフィットした役が2度もできた2019年は、転機の年
ーーブルーリボン助演女優賞受賞、おめでとうございます! 昨年は俳優として、手応えを感じた年だったのでは?
由緒ある賞ですし、錚々たる方々が受賞していますし、ノミネートされただけでもうれしくて、そのニュースをスクショして「イエーイ!」って(笑)。私が助演女優賞に選ばれたことは、それくらいありえないと思っていたので、電話を受けた時は号泣しましたね。
世に届く作品で、しかも自分が役にフィットして爆発する経験は生涯で10回もないと思うんですけど、『台風家族』と『ひとよ』などがそうなりました。『台風家族』の市井(昌秀)監督や『ひとよ』の白石(和彌)監督などが、これまで私がしてきたことを見て、呼んでくださって。監督たちには一生頭が上がりません。
ーー『台風家族』は2019年9月に劇場公開だったのに、今(取材時は2020年1月)も公開している劇場があり、息の長い作品ですよね。
不思議な作品ですよね。あの衣装をきれいに着ないといけない役だったので、3カ月くらい仕事を休んでボディメイクしました。
ーー俳優・MEGUMIとしての評価が高まっているなか『ひとよ』の公開もあって。
共演のみなさんもすごくて。田中裕子さんは半年前から仕事を断って、あの白髪を作っているんです。神のようなかたなので、一緒に演技をしていてもファン目線が抜けなくて(笑)。鈴木亮平さんも何カ月も前から役作りをしていたりとか。真摯に取り組む人たちが集まる現場に参加できたことに感激しました。
個人的には「あんたの悩みは私達の悩みでしょ」ってせりふが印象深いです。自分で言いながら泣きそうになったし、女の人には響く言葉で。こんな名作に参加できたのは本当に財産です。
海外作品進出も視野に入れて、日本文化を勉強中
ーー映画俳優として、転換期になった作品は何でしょうか?
白石監督の『孤狼の血』です。刑事役の役所広司さんが取調室に入った瞬間に、抱かれる役(笑)。出番は少しでしたけど、大きな作品の冒頭だったのですごく懸けて、その役に臨みました。ただ撮影中は緊張しまくっていて、手応えがわからなかったのに「すごいよかった」ってとても言われたんです。初めて映画でそこまでのリアクションをいただいて、いろんなことが変わっていきました。それが2018年ですね。
ーーそれでブルーリボンを受賞したわけですが、賞を獲るのは目標でしたか?
がっつり目標にしてました(笑)。カンヌも狙っていますし、いずれ海外の作品にも出たいです。
ーー俳優としての今の目標は海外作品に出ることですか?
そうですね。邦画だと私くらいの年齢より上になったら、お母さん役が多くなってくると思うんですが、常にわくわくしていたいので、育児が落ち着いたら海外に行きたいと思っています。
海外作品で日本人が演じるのはサブの役が多いと思いますが、サブだと着付けの先生の予算まで出してくれないみたいなんです。だから英語はもちろん、自分で着付けができて、お作法もできて、日本人顔で、っていう人はすごく需要があると言われて。着付けはできますし、日舞も習っています。私は金沢でお店をしていることもあって、日本文化には触れているので「いけるのでは!?」って思っているんです。
ーー着付けや日舞を始めたきっかけを教えてください。
人としても俳優としても、大人にならないといけないと思った時、姿勢がよくて日本文化を知る人が理想像として浮かんで。直感的にそうなりたいと思い、34歳から着付け、作法、日舞を始めました。ただ日本文化って深すぎて、やってもやっても追いつかない。それを追求していくのも楽しさになっています。
ーー映画ではバイプレイヤーが多いですが、主演をしたい願望はありますか?
主演をしたい気持ちはあまりありません。というのも、バイプレイヤーでありながらとんでもなく存在感のある人になりたくて。一方で演じる役とは関係なく、純粋に売れたい願望はあります。スターのかたと共演すると、セットもスタッフさんの人数も違って景色が全然違うんです。同じ芸能界の中でも差は確実にあって、求められかたとか人の視線とかが絶妙に違うんですよね。だから今とは違う景色は見てみたいなぁって。
ーー自分の目標を持って近づいていく。できそうで、なかなかできません。
自分がスターでないのはわかっているので、切り拓いていくしかない自覚があるんです。だから10年前から演技の先生をつけてレッスンしていて。今回の受賞は先生のおかげでもあります。
産後2週間で仕事復帰し、俳優業に猛進
ーーデビューはグラビアですけど、もともとは歌手志望だったんですよね。
ブラックミュージックと映画が好きで、最初は歌手のオーディションを受けていました。だけど、まぁ合格しない。気が付けば19歳になっていたんで、何でもいいから芸能界に入れるところがグラビアでした。
ーーブラックミュージックや映画と、グラビアって対極ですよね。
最初は売られるような気持ちでしたが(笑)、セクシーな世界観を表現しているものの、意外と女性スタッフも多くて。水着もバレンシアガとかハイブランドを着せてもらっていました。月に何回もハワイやタイに行って、旅行しながら撮影している感覚で単純に楽しかったです。
その後、急にバラエティ番組に出るようになって、いきなりやるしかない時期に突入したんです。ドラマも出ていましたけど、いろいろある仕事の一つで流れ作業というか。デビューして3年くらいはほとんど休みがなく、自分の意思は置き去りで、いろんなことが回転していった感じです。
ーーご結婚まで突っ走ったんですね。27歳で出産して、仕事はセーブをしていたんですか?
それが焦っちゃって。産休が2週間なんですよね。
ーーえっ、まだ産褥期ですよね。
妊娠中は「このまま専業主婦になるのかな」って思ったんですけど、子どもが生まれてすぐは家から出られないことに耐えられないと、はっきり気付いてしまったんです。
ーー2週間で気付くってすっごい早いです。
胸もめちゃくちゃ張っているのに(笑)、雑誌の仕事やバラエティ番組だったら拘束時間があまり長くないので、できる仕事からしているうちに連ドラのオファーをいただいたりして。あまり仕事をセーブした感覚はないです。
ーー出産前はグラビアやバラエティ番組、産後に俳優業へ広がっていった印象があります。意識的に演技にいったのか、仕事がしたい一環で演技にたどり着いたのか。どちらでしょうか?
ものすごく意識して、事務所に俳優をしたいと意思表明しました。お母さんのイメージが強くなってママタレントとしての依頼はいただいていましたけど、したいこととは違ったんです。それに出産前からバラエティタレントのままでいいのかな、って考えることもありました。ただ当時は、映画はすごく好きだけど、バラエティタレントだし、映画俳優は憧れで届かない存在だと感じていました。
でも妊娠中にお腹が大きくなるにつれ、これからもモチベーション高く仕事を続けるには、やりたいことをしていったほうががんばれるだろう、と思うようになって。それなら長年の目標である映画俳優になろう、ってマネージャーさんに伝えて。それから深夜ドラマなどにたくさん出演させていただき、昨年ようやくみんなの目に留まる大きな作品に出られました。
私は10年計画をし、そこに向けて毎年目標を決めています。カフェの経営もしているから、事業計画を出さないと気がすまなくて(笑)。年始に必ずマネージャーさんに事業計画を渡しています。事業計画を渡し始めた当初はきょとんされたんですけど、だんだん明確になっていって、マネージャーさんとも目標の共有ができるようになりました。
ーー事業計画どおりに進んでいる感覚はありますか?
途中、本当に叶わなくて。オーディションを受けても、営業しても、出たい監督の作品に声がかからない。キャスティングの最後の二人に残っても、最後の最後で落ちたこともありました。しかもその作品がカンヌに出品されて、めちゃくちゃたくさん心が折れることがありました。
ありがたいことに仕事はいただけるけれど、本当に自分のやりたいものではないというギャップがあり、28歳から7年くらいは暗黒期。それでも腐らずにマネージャーさんと励まし合いながらやっていった感じです。
経営者としての経験が芝居に落とし込めている
ーー俳優業のほかにカフェのオーナー、コスメのプロデュースなど多岐に渡って活動しています。もともとビジネスには興味があったんですか?
急にひらめいちゃったんです。最初は育児しながらドラマに出演し続けるのは難しいから、自宅でできる仕事ってところが一番大きかったんですけど、走り出したら本気でやらなきゃ気がすまない。自分でTシャツにプリントしたり、袋詰して配送したりとかしてました。
ーーカフェは経営からされているんですもんね。
そうなんです。銀行からお金借りて、スタッフの面接をして、メニューの開発もしました。事業計画出して、銀行のおじさんと話をして順調に進んでいると思ったら、「やっぱり難しいかも」って言われて泣きながらお弁当を食べたりとか。俳優業だけだと、そういう経験をすることがないので、それも財産ですよね。
実は最初に手掛けたキッズアパレルブランドは大失敗だったんです。でも会社の中で決定権を持っている立場あるかたを相手に商談したり、工場やOEMの人たちと交渉したりしたことは本当に勉強になりました。失敗を含めたその時の経験が今のカフェ経営に結びついているし、カフェで小物を販売しているんですけど、そのセレクトもキッズアパレルの経験が生きています。
ーー本業は俳優ですが、俳優だけに集中するのが向いてないと思います?
向いてないですね。ドラマや映画をずっとやっていると、やっぱり疲弊します。そういう時にバラエティ番組に出ると、エネルギーをもらえて演技の現場に入れます。
お店の経営もしてよかった、とすごく思います。会社員の友人が少ないので、自分とは違う経験、感覚を持っている人たちと触れ合うと芝居にも落とし込めて、勉強になっています。芸能界とビジネスを両立している人もいないから、そこも成立させたいんです。そう思えるのも、俳優業があるからこそです。
ーー日本人はその道を極める人が好きじゃないですか。MEGUMIさんのように多角的に活動していると、どう見られるのかっていう不安はなかったですか?
俳優の道を極めたい気持ちと、ブランドもしたい気持ちが両方あって。なんでもいっちょ噛みするよね、って散々言われたし、それはずっと悩んでいました。でもYouTuberがスターになったりとか、時代がちょっと変わってきましたよね。ここ3年くらいで、これでいいんだって思えるようになりました。
ーーMEGUMIさんご自身のサイトでは、クリエイターとコラボレーションした作品を紹介する『+コラボレート』を展開しています。こちらを始めた動機は?
個人経営のお店でもサイトがある時代なのに、芸能人は事務所のホームページはあっても、個人のホームページを持っている人が少ないんです。それで自分のホームページを作ることになったとき、告知だけではつまらない。私の周りは絵や写真などのアートをしている人が多くて、そういう人たちが作品を発表する場所になればいいな、と。こういったエッジのきいた取り組みを通して、グラビアやママのイメージを変えたいという気持ちもあります。
ーーコラボレートするクリエイターは募集しているんですよね?
サイトで受け付けていますし、私からオファーすることもあります。個人同士でやっているので「じゃあ、来週撮影しましょうよ」とか、ラフな感じです。若手の子たちは思いがほとばしっていて「私も昔こうだったのに」って、私自身もエネルギーをいただく場所にもなっています。作品の写真はクリエイターが自由に使えるようにしているので、そこから新たな仕事につながった人もいるし、いい場所になりつつあります。
インタビュー後編では美容、育児、年齢を重ねることなどについてうかがいます。
MEGUMIさん
1981年、岡山県出身。グラビアアイドルとしてデビュー後、バラエティタレントとしても活躍。2009年に出産後、本格的に俳優業にも進出。ドラマや映画を中心に存在感を示している。俳優業のほか、金沢にある、古民家パンケーキカフェ『Cafe たもん』の経営、『ジェミーブロッサムズジュエルリップ』のプロデュースなど、芸能界以外の分野でも才能を発揮している。
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撮影/川上 優
『台風家族』
老人が地方銀行で2000万円を強盗。霊柩車で妻と行方をくらました。老夫婦の行方も、霊柩車も、2000万円も不明のまま10年が経った台風が近づくある夏の日、鈴木小鉄は妻と娘を連れて10年前に銀行強盗をして世間を騒がせた両親の葬儀に参列するため実家へと車を走らせていた。両親の死体はおろか霊柩車すら見つかっていないにも関わらず、形式的な葬儀をする理由は、きょうだいで財産分与を行うためだった。
『台風家族』Blu-ray&DVD 2020年4月2日(木)発売予定
Blu-ray豪華版¥6,800
発売元:キノフィルムズ/木下グループ
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津島千佳 Tica Tsushima
ライター
1981年香川県生まれ。主にファッションやライフスタイル、インタビュー分野で活動中。夫婦揃って8月1日生まれ。‘15年生まれの息子は空気を読まず8月2日に誕生。