こんにちは。ゆめい です。
8年間活動させていただいたLEE100人隊を今回のクリップをもって卒業させていただくことになりました。
10年完走まであと2年、最後までやり遂げるかとても迷いましたが、この8年間で自分をとりまく環境の変化、子どもの成長に伴うサポートなど一筋縄ではいかないことが次第に増え、不器用なわたしはすべてを上手くまわすことができなくなり、まずは自分軸をしっかり保とうと考え卒業を決めた次第です。
ラストクリップは、100人隊として活動してきた8年間の軌跡を振り返りたいと思います。
想像以上に長くなり、お見苦しい文面となってしまいましたが、流し目でおつき合いいただけたら幸いです。
わたしが100人隊に応募したきっかけ
もしかしたらこれまでも書いたことがあるかもしれないけれど改めて。
6年間に渡る上海駐在生活から本帰国したのが2016年の春。
20代そこそこで社会経験も乏しいまま夫に帯同する形で上海へ渡り、6年間さんざん自由を謳歌したあと日本に帰ってきたわたしは世間知らず且つこれといったキャリアもない浦島太郎状態。海外駐在という魔法が解け、はじめて今後の人生について真剣に悩んだ時期でした。
なにかを始めようにもきっかけが掴めない、いったいどうすれば―――。
そんな悩みを抱えながら次女が誕生したのをきっかけにおうち時間がさらに増え、社会復帰はまたもや遠のきます。なかなか自分時間が取れない日々でしたが、時々本屋で手に取る雑誌、お料理や暮らしのヒント、ファッションに至るまで全てを網羅しているLEEを読むことがいつしか至福の時間に。特に当時専属モデルだったはまじが大好きで食い入るように読んでいました。
誌面に出ているモデルさんや読者の方も自分のペースで仕事も生活も楽しんでいる方が多くて、単純にあ、いいな。いつかわたしもこんな風にどちらもちょうど良いバランスで生活できるようになりたいな、なんて小さいながらも夢ができたのです。
そんな時にLEE100人隊の募集が目に留まります。
ただただ好きで読んでいたLEEがまさかわたしの人生のターニングポイントとなるなんて。
2017.12~2019.3【LEE100人隊1年目~】

想いが通じたのか、2018年度の100人隊に選ばれたわたし。
家に閉じこもっていた生活から一転、100人隊の仲間とデートをするためにベビーカーを押しながら当時住んでいた千葉⇔東京を往復する日々。
目に映るもの、出会い、初めての経験…すべてが新鮮でふわふわしていました。テンションも今の3倍くらい高かったような。
実際に会えなくてもブログからその人柄を感じ取ってはいつか会ってみたいな~会ったらどんな感じなんだろう?と妄想がどんどん膨らむ毎日。
写真はLEE35周年の時のもの。同期と初めて会えた時の喜びといったら!
この時の高揚感を思い出しては100人隊を続ける原動力にもなっていました。
2019.3~2022.8【LEE100人隊2年目〜】

100人隊での活動が丸1年を過ぎた頃、夫の帯同でふたたび上海へ。
やっと日本での生活が楽しくなってきたところだったので複雑な気持ちはあったものの、再び上海へ行ける、という喜びも同時にありました。
しかしながら前回の駐在のようにただ楽しかった、だけで終わりにしたくはない。
そこでわたしなりに2つの目標を掲げました。
①社会との繋がりを持つこと
②語学力の向上

①に関しては帯同ビザの関係もあり、きちんとお仕事を持つことは不可能でしたが、友人が主催するイベントのお手伝いをしたり、前回の駐在時に取得した点心師の資格を活用して点心会を開いたりと、小さいながらもできる範囲でわたしにとっては大きな一歩を踏み出すことができました。
じつはこの駐在中にコロナ禍になり、途中8カ月ほど母子で一時帰国していたことも。その後また上海へ戻るのですが…。
正直この頃は生活がすさんでいて、「わたし、このまま100人隊を続けていてもいいのだろうか。」と本気で悩んだことも。
コロナ禍で日本から上海へ戻る際のレポートのようなクリップ。
LEEとはかけ離れたクリップではありましたが、「これを読んで上海渡航のイメージが沸いた!」と、当時上海へ渡る方々から続々と連絡を受け、LEEでのクリップが実際に誰かの役に立ったことを実感した出来事でした。100人隊をはじめ編集部や読者の方々からもたくさんのエールをもらい、本当に心強かったです。

上海に戻ってきて安心したのも束の間、今度は中国のゼロコロナ政策によりロックダウンされてしまいました。日々行われるPCR検査以外は家の中で過ごし、会社も学校もスーパーにも行けない日が続きます。食料も底を尽き、ついには上海市から配給品が届く事態に。朝、食料等の配給品の入った段ボールの山を大型トラックが運んできて、それをマンションの窓越しに眺めながら友人たちと「あの中にはいったい何が入っているのだろう。」とグループチャットでキャーキャー予想をすることが唯一の娯楽(笑)。キラキラとは無縁の毎日を送っていました。配給品のクッション材として青梗菜が使用されることが多く、ロックダウン中に一生分の青梗菜を食べたせいか、今では見るのも食べるのも嫌になりました(涙)。
また、その頃住んでいたマンション棟で食料品のシェアや情報のやりとりをする中国語オンリーのグループチャットがあり、中国人って文字を打たずほぼほぼボイスメッセージなんですよ。大切な情報源を聞き逃すまいと朝から晩までスマホに張りつき聞き取りの日々。これまでもHSK5級は取得していたものの、日本人が多く住むエリアだったので日常会話以外の中国語を使うことがなくて。でも生きのびるために中国語を使わざるを得ず、はからずも②も達成できたような。今、娘のクラスに中国から引越してきたお友達がいて、少しですが中国語でやりとりをする機会があります。わたしもたくさんの中国人から親切にしてもらったように、恩返しできたらいいなぁと思っています。
2022.8~2025.12【TB2年目~現在】

ロックダウンが解除されても中国の情勢に終わりが見えず、娘の進学のこともあり、ついには母子帰国を決断。
本帰国し、わたしの中で新たな100人隊の章がスタート。
日本はすでにコロナ禍に終わりが見え始めていたので、100人隊デートや雑誌の企画、PRにも参加し隊員生活後半になって再び100人隊らしい生活が戻ってきました。私生活でもパートを始めたり、少しずつ自分らしさも取り戻してきた頃。


2024年のはじめには同期たちとの京都集合が実現。(幹事をしてくれたリヨンちゃん、kaeちゃんありがとう!)北は宮城から南は鹿児島まで総勢17名、すごい。まさに大人の修学旅行です。
わたしたちの同期はコロナ禍での卒業だったので最後に会うことのないままお別れとなりました。なのでこうして再び集まれたことが何より幸せな時間で、さらにアップデートされたみんなのお話に夢中で耳を傾けていました。人生中盤でこんなにたくさんの素敵な仲間に出会えるなんて、我ながらラッキーとしか言いようがない!


ここまで書き上げて、この素敵な世界を自ら手放すなんて……と思いながらも、先日のパーティーが100人隊で最後の活動となりました。
わたしたちの代はTBが4名と少なかったので、先に卒業したリヨンちゃんやharuちゃんに続いてわたしも……となると、おゆうちゃんをひとり残して卒業することになります。一緒に最後までやり遂げたかった気持ちと申し訳ない気持ちでいっぱいですが、しっかり者で優しくて誰からも愛されるおゆうちゃんなら絶対に大丈夫と信じています。
みなさま、同期の愛されキャラ・かわゆいおゆうちゃんをこれからもどうぞよろしくお願いします!!!!
たくさんの、ありがとう。
ここからは100人隊での活動のキロクを。
おしゃれの楽しさを再確認

100人隊になって初めてのスナップ撮影は嬉しさと緊張でいっぱい。発売日は本屋にダッシュした記憶が。
ただの服好きだった普通の主婦が、「好きなものは素直に好きって言っていいんだよ。」と背中を押された思い出の1ページ。

100人隊に入った当初は次女がまだ0歳の頃。汚れてもいいコスパ服がメインでしたが成長とともにファッションにも変化が。
8年間のファッションを眺めているとどうやらわたしは気持ちが落ちている時こそ色を取り入れてバランスを取り、安定している時はモノトーン率高めなんだな、と自己分析してみたり(笑)。
最後の方は好きなテイストが偏ってきてしまいブログとして楽しめるものだったかは分かりませんが、なによりファッションブログは書くのが楽しかったです。
貴重な経験もたくさん!

恐れ多くも100人隊新隊員募集のページに掲載してもらったことも。当時TBだった(現在はLEE DAYSで大活躍中)憧れのelionさんと一緒に載ると聞いた時は、果たしてわたしでよいものか…と不安になりましたが、何人かの方に誌面を見て応募したんだよ~というお話を聞いた時は飛び上がるほど嬉しかった。
ほかにも家族で誌面に出させてもらったり、美容のお試しをしたり、OUTDOOR PRODUCTSで別注バッグの企画に参加したり、マイ枕(!)を作る企画に参加させてもらったことも。(今でも大切に使っています♡)
普通に生活していたらなかなかできないことをたくさん経験させてもらいました。
暮らしを楽しむことで人生がより豊かに

季節のあつらえや手仕事、お料理などの楽しみを教えてくれたのもLEEです。
誌面を飾るスペシャリスト達と同様、100人隊にもその道のプロフェッショナルがたくさんいて、一体どうしたらこんな風になるのだ!?と素人感たっぷりの疑問をコメントで投げかけては、こうしたらいいんだよ~と的確なアドバイスから得られた知識も数知れず。これはどんなに高い授業料を払ってもなかなか得られない貴重な体験だったな、と思います。
もちろん、この場所にいるとどうしてもまわりと比べてしまったり、背伸びをしたくなることもあります。実際に最初の頃のクリップを見ると思わず赤面してしまう投稿もあるのですが、そんな投稿も含めちょっとずつアップデートされた自分が今は誇らしいです。
ほかにも100人隊になって変化したことのひとつに、日本のみならず海外の方までたくさんの方々と交流する機会が増え、知っている土地がニュースで取り上げられると「あ、〇〇さんのところだ、大丈夫かな。」と、そっと想いを馳せたり、お休みが続いた後しばらくしてブログが上がっているのを見ては「お元気そうでよかった~!」とほっと胸をなでおろしたり。自分にとって大切な存在がどんどん増えていきました。
支えてくれた家族へ

100人隊スタート時は小1だった長女は中3に、0歳の赤ちゃんだった次女は小2になりました。
コーデ写真の専属カメラマンは長女から次女へとバトンタッチされ、8年間という歳月の長さをひしひしと感じています。
家族旅行にもたくさん行き、旅クリップを書くのも楽しみのひとつでした。
100人隊での活動を心から楽しめたのも家族の支えがあったからこそ。
最後に・・・

隊員のみなさま。30代後半から40代前半にかけての第二の思春期に素敵な仲間と出会えたこと、人生の宝物です。100人隊に応募した8年前のわたし、グッジョブ!全ての方と繋がることはなかなか難しかったのですが、コメントを寄せてくれたり、共通の趣味で先輩後輩の垣根を越えて仲良くなれたのがとても嬉しかったです。
同期のみんな。暮らしの達人、抜群のファッションセンス、料理のプロ…多方面に才能のある方々ばかりで、やべぇところに来てしまった…というのが1年目の本心(笑)。でも実際に会ってみるとそれをひけらかすことなく誠実な方々ばかりで、一緒に活動できたのがとても幸せな時間でした。卒業してさらに羽ばたいていくみんなを見るのが嬉しくて、近況を聞いてはわたしも頑張ろう、と思える原動力となりこれまで活動を続けることができたよ。もちろん、これからもよろしくね。
LEE編集部のみなさま。さまざまな企画やイベントに呼んでいただき大変お世話になりました。どれも本当に楽しくて貴重な経験ばかりです。8年間、なにかとアップダウンの激しいわたしでしたが、ここまで続けてこれたのはみなさまの励ましがあったからこそ。パーティーではもっとちゃんと感謝の気持ちをお伝えしたかったです。これからはいちファンとして、LEEの更なる発展をお祈りしています。
最後に読んでくださった全ての方に。
改めて、みなさま今までどうもありがとうございました。
またいつか、どこかで繋がれる日を夢みて♡
TBゆめい
ゆめい
主婦・パート / 東京都 /
44歳/夫・娘(13歳・7歳)/手づくり部・料理部・美容部/ファッションやインテリア、小麦粉をこねることが大好き!定期的にピラティスや岩盤浴に通うなど、ご自愛タイムも楽しんでいます。ゆっくりしたいのに予定を詰め込みすぎてしまうのを何とかしたいところ。上海にトータル9年間住んでいました。身長161cm・イエベオータム・骨格ナチュラル。
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TB しょこみ