雑誌LEEでも女性の復職と「復職の壁」が話題に
「今の時代は7割の夫婦が共働き」という言い方、最近のニュースや雑誌記事で本当によく見かけますが──この「共働き」は、“妻もなんらかの形で働いている”という広い意味で使われているようです。たとえば総務省の「労働力調査」や内閣府の「男女共同参画白書」などでも、“共働き世帯”の定義は「夫婦のうち、夫婦ともに“有業者(収入を伴う仕事をしている人)”である世帯」とされています。つまり、妻がパート勤務でも、週2、3日の短時間勤務でも「共働き」としてカウントされます。
背景として、1980年代には「専業主婦世帯」が多数派だったようですが、2010年以降は完全に逆転。2020年代では7割前後が共働き世帯という数字が。ただしその内訳を見ると、妻の非正規(パート・派遣)就労が半数以上を占めています。“働く”という形は人それぞれ。まず大前提として、事情があって外に出ず家庭の中で支える選択をすることも、外で働くことも、どちらも尊い“働いている”ことだと思っています。LEE(2025年4月号)でも白黒特集“「復職の壁」どう乗り越える?”が組まれました。(過去記事は以下の通りです。この記事でサラッと自分の復職についても触れています。)
時は遡り…
今年の春に、17年ぶりに再就職しました
これまで他の記事でサラッと書いて来ましたが、こうしてちゃんと1本の記事として書くのは初めてです…。今年の2月、17年ぶりに仕事を始めました。結婚前は、某銀行で総合職として働いていたのですが、夫のアメリカ駐在に帯同することになり、退職。その後、長男を出産→次男を妊娠中(長男2歳)に宅建士の資格試験の挑戦し、合格→次男を出産→第3子となる長女を出産して、子育て中心の毎日が続き…、あっという間に専業主婦歴17年。末っ娘が小学校2年生の年度に入り、長男の中学校部活の保護者会会長に、中学校PTA本部役員にもなって、地域との関わりも増えて行く中で、「私、もう1度社会に出てみようかな」と思うように。…とは言え、17年というブランクもありますし、求人を探していた頃は(後述しますが…)子どもの登校渋り問題もあり…、働く条件は、かなり慎重に考えました。たとえば…、
- できればテレワーク(フルリモートなら尚うれしい)
- 宅建士の資格を活かせる仕事(資格手当があるとさらに有り難い)
- 腰痛持ちなので、立ち仕事は避けたい
- 子どもの行事などにある程度融通が利く
- ノルマのない仕事
- 転勤がなく、自宅から近い(できれば徒歩通勤可能)
…と、欲張りかもしれませんが、できる限り自分に合った形で、持続可能な条件で、自分に正直に条件を絞って、Indeedなどで求人情報を定期的にチェックする日々が1年以上続きました。(Indeedでは、条件を設定後の新着求人情報リストがメールで届きます!)しかし、理想の条件にピッタリ合う求人なんて、そうそう出会えるものでもなく…。リストを眺めるだけで日々は過ぎて行きました。
そんな或る日、目を疑うような求人が目に飛び込んで来ました。
- 出社は最短3時間でもOK。書類作成業務はテレワーク可。
- 自宅から近く、それなのに車通勤もOK(雨の日なんかは本当に助かります!)
- 宅建士の資格手当がしっかり付く
こんな求人、今まで見たことがない…!と、気付けば応募ボタンをポチッ。魔が差した…と言うよりは、何かがポンと背中を押してくれたような感覚。そこからは、驚くようなスピードで物事が動いて──、応募翌日に履歴書貼付用の写真を撮り、その翌日には面接、そしてその場で採用決定。まるで見えない誰かが「今だよ!」と言ってくれたみたいな数日間でした。
「働く」と「お金を稼ぐ」はイコールではない
社会的金融教育学者・田内学さん著『君のお金は誰のため』(2023年10月/東洋経済新報社)を読んで、「働く」と「お金を稼ぐ」とは、本来イコールではない、という気付きを得ました。(この本のレビューは、また別記事で詳しく書きたいと思います)まず前提として、私は「働く」という言葉を、「人や社会に対して、自分の時間やエネルギーを使って貢献すること」だと捉えています。そう考えると、家族の食事を作って、子ども達の成長を支え、日々の暮らしを回して行く──そうした専業主婦(夫)の営みだって、間違いなく「働くこと」です。そこには尊さと重みがあります。無償であるからこそ見えにくい部分ですが、その価値はけっして小さくない。
その頃ちょうどドラマ『対岸の家事』を観ていて、SNSでは毎回ものすごい反響がありましたよね。「わかる…!」と頷きたくなるシーンや「このパターンは我が家とはちょっと違うかな」と感じるシーンもあり。でも、どの回も、誰かの「見えない働き」に光を当ててくれている気がして。だから、「外で働いているかどうか」だけで、人の価値や努力は測れません。実際、私の周りにも働きたくても働けない人はいます。長年の持病や体調の波でそれが叶わない人、配偶者や家族の理解が得られず、選択肢の幅が狭まってしまう人、子どもの登校渋りや不登校と向き合いながら毎日を全力で過ごしている人など…。──どれも、その人にしか出来ない、かけがえのない「働き」だと思います。誰かのために手を動かすこと、心を砕くこと、生活を支えること。見えるか見えないかだけで、価値は変わらない筈。
ただ、それはそれとして、子どもに「見せる」ことにはまた別の意味がある、とも感じていまして…。私は今でも、専業主婦だった時間を「働いていなかった」とは全く思っていません。むしろ人生で一番、手も頭も心も動かしていた時期だったかも…とすら感じています。ただ、子ども達も大きくなって来て、自分で世界を広げ始める年齢になった先に…、私は「外で働いてお金を得る姿」を子ども達に見せていないな、と。それは「外で働くのが正しい」とか「稼げなきゃダメ」ということではなく、社会とどう関わるのか、どんなふうに自分の力を外の世界で使うのか…、そういう、生き方の選択肢を親として少しでも見せておけたら…、という気持ちでした。これらは何ら矛盾することではなく、私の視点の変化でした。…そんな訳で、再就職を決めたのは、「専業主婦じゃダメだ」と思ったからではなく、「もう一つの自分の側面を、子ども達に見せてみたい」と思えたからです。「家庭の中で“働く”こと」に誇りを持ちつつ、「社会で“働く”こと」もまた、自分の人生に加えてみたくなりました。
この選択は誰にでも勧めたいものでもなく、逆に「働きに出ない」選択にも大きな価値があります。ただ、私がこのタイミングで再就職(パート勤務ですが…)したのは、「当時の私」と「当時の子ども達」にとって、それがしっくり来たからです。(後段「家族の反応」にて詳述します…)
17年のブランク…
仕事(パート)が始まってから感じたこと
前職が銀行だったこともあり、いわゆる「きっちり・カッチリ」した世界で過ごしていた私。復職先は、全く違う業界で、最初は本当にカルチャーショックの連続でした…。詳細は書けませんが(汗)、「えっ!!これで大丈夫なの?」と驚いたり、「そこに○○が!?」と思わず心の中でツッコミを入れたり…。戸惑いばかりでしたが、気付けばだんだん慣れて来て、もはや銀行には戻れない…とさえ思うように。職場の皆さんは私より年上の人ばかりで、面接時の採用担当の人には「来てくれるってことで良いんだよね?」「42歳!若い若い!」「もう一人面接予定あったけど、この子で良いや。家近いし。(42歳つかまえて「この子」呼ばわり…)」と笑顔で言ってもらえて、温かく迎え入れてもらえたのが印象に残っています。
同僚の人達も本当に優しくて。たとえば誰かが急にお休みされた時には「○○さん、赤ちゃん(孫)生まれたばかりで、お手伝いにしょっちゅう行ってて大変なんだ」と自然にフォローの言葉が出て来るような、思いやりに溢れていて。入社まもない私にも「ここ、主婦の復職リハビリにはちょうど良いでしょう♩」と声を掛けてもらえたり、どれほど救われたか。未経験の不動産業界、小さな会社でもあるので、とにかくやることがたくさん。私の仕事は主に契約書類や重要事項説明書の作成、図面や預かり証の作成などのデスクワークですが、それ以外にも法務局に書類を取りに行ったり、鍵交換や管理物件の換気、草むしり(!)などの雑用まで…。お客様への内見ご案内をすることも。
憶えることは山ほどありますが、知らなかったことを一つひとつ学んで行ける日々に、どこか学生時代のようなワクワク感もあって。自分の知識が日々アップデートされて行くことに、小さくも確かなやり甲斐を感じていました。
働き始め、家族の反応
我が家は、フルリモートでほぼ毎日家に居る夫と、長男(中3)、次男(小6)、末っ娘(小3)の5人家族です。書類作成のみのテレワークの日や定休日は、朝の時間をゆったり過ごすことが多かったのですが、私が出社する日は、子ども達を送り出してすぐに家事を片付けて、晩ごはんの下ごしらえまでしてから出かけるのが日課に。そんな姿を見ていた夫が、或る朝ポツリと「出社する日のはなちゃん、なんか…、テキパキしてる…すき…」と呟いていて。これまでどれだけグータラしていたんだ、という話でもあるのですが、そんな夫の一言に思わず笑ってしまいました( ̄∇ ̄)
そして、実は今回の復職で一番気がかりだったのが、長男のことでした。再就職が決まった2月、長男はまだ安定して学校に行けておらず、「毎朝」の登校もかなり難しい状態。給食が終わった頃に車で送って行く、という日々が続いていました。特に、2024年(中1)の1~3月までの3ヶ月間は、1日も登校できていませんでした。そんな或る日、風向きが変わる出来事が。部活のお友達が家に来てくれて、「お前がいないと落ち着かない」「みんな待ってる。部活、来い!!」と寄せ書きを手渡してくれまして…(涙)。
中学2年生になってからも、長男は登校したりしなかったり。それでも、お友達が寄せ書きを渡しに来てくれた時を境に、登校できる日がポツリポツリと増えて、気まぐれでも、行こうとする気持ちが見えるように。その変化は、小さいながらも、確かな光でした。しかし行けても部活のみとか、遅刻や早退の連続で、けっして「安定」とは言えない日々。だから、「そんな状況で母親が働きに出るなんて無理でしょ」と思われる方が居るとしたら、それは自然な反応だと思います。実際私も、「私が外で働くようになったら、彼の登校サポートが出来なくなるかも」という考えが常によぎりました。それが、これまでなかなか復職に踏み切れなかった一番の理由です。
そして、まだ完全には登校リズムが整っていない今年の2月(長男、中2)のはじめ、前述の求人を発見!「あれ…?これ、もしかしたら今の自分にピッタリかも知れない」と思い、「応募するならタダだし…」と応募してみたら、ボタンを押した翌々日の面接で採用が決定。正直、子どもがまだ不安定な状態でのフライングスタートのような再就職には、葛藤もありましたが…。不思議と、不安よりも、「私は私。そろそろ社会との接点を取り戻しても良いタイミングなのかも…」という静かな確信がありました。
「親が働きに出る」ということは、「子どもを置いて行くこと」ではない、とも思っています。もちろん、子どもが完全に安定してから働けたらそれが理想ですが…。現実はいつも、理想通りには行きません…。タイミングってありますし…。だから私は、「子どもを置いて外に出る」のではなく、「子どもと一緒に、少しずつ前に進んで行く」つもりで再就職を決めました。「母親が働きに出る」ことと「子どもを大事にする」ことは、働くスタイルや仕事の拘束時間次第では、きっと矛盾しない筈です…!
働き出した、その後。家族の変化
「再就職しよう」と思えた背景には、他にもありました。
まず、コロナ禍以降夫がフルリモートでほぼ毎日家に居るようになったことも、大きな安心材料でした。正直、夫が家に居るとは言え、ずっと仕事はしてくれている訳で、日中の子どものケアをお願いするつもりはありませんし、頼るつもりもありません。でももし、夫がコロナ禍以前のような、朝7時に家を出て夜11時に帰宅するような生活だったら…そして私と、登校渋り真っ只中の長男とが、日中2人きりだったとしたら…。きっと私は「働こう」なんて発想には全くならず、求人情報なんて一切見なかったと思います。「子どもと自分だけで抱え込まないで良いかも知れない」「ほんの少し、日常の空気が変わるかも知れない」と思えたのは、やっぱり夫が家に居てくれる環境だったからです。
さらにもう一つ。長男が一番不安定だった中学2年生の1年間で経験したPTA本部役員と部活保護者会会長というダブル役員。登校渋りが一番深刻なその時期、クジ引きやジャンケンではなく、少し不思議な流れでママ友さん達に誘われて立候補したものでした。そのママ友さんの1人からは以前から、「働かないの?」と聞かれていて( ̄∇ ̄) 「働きたい気持ちはあるけど、Indeed眺めて終わってる」…そんな話をしていて。それ以来、役員活動などで会うたびに「どうーー!?仕事は見つかったかい!?」と声を掛けられるように( ̄∇ ̄) ちょっとしたプレッシャーもありつつ、「気に掛けてくれている」という温かさも感じていました。
子ども達に「ママ、お仕事始めるんだ」と伝えた時、一番戸惑っていたのは、たぶん長男だったと思います。でも──
中3に進級した今年の4月、まるで何かが切り替わったように、まるで憑き物でも落ちたかのように、長男は朝から部活までしっかり行けるようになりました。少し前のことを思うと、毎朝子どもを学校へ送り出すという「当たり前」が実は当たり前ではないのだと…、今でも胸に沁みます。長男のことがあったからこそ、働き方の条件を、かなーーーり絞って求人を探していたのに、4月以降は逆に「私、もう少し思いっきり働いても大丈夫かも!?」なんて思えるように。でもきっと、あの時の長男が居たからこそ、温かくて無理のない職場に出会えたのかな、とも。出社の日も、基本的に子ども達が小中学校に行っている間だけなので、特に次男や末っ娘にとっては、それほど大きな変化には見えなかったかも知れません。それでも「ママ♡ 今日お仕事だったんだよね!お疲れさま♡」と、あっけらかんと声を掛けてくれるのが、ちょっとくすぐったくもあり、嬉しくもあり。
一つ歯車が動き出すと、思いがけないピースが次々と嵌まって行くものなんでしょうか…。今年の初め頃は、「嗚呼…もはや何も動かせない…。詰んだ…。」と思っていた日々でしたが、今振り返ってみると、ちゃんと未来に繋がる時間だったのかも知れません。
自分の変化
働き始めてから、世の中の全ての“働くお母さん”に、改めて尊敬の念が湧きました。ここで言う“働く”という意味は、やっぱり、単純にお金を稼ぐことではなく。“働く”ことと“お金を稼ぐ”ことは、切り離して考えるべきという想いは、私の中でますます強くなっています。
私自身は、(何度も書きますが)17年の間、専業主婦でした。SNSなどでは、「専業主婦は肩身が狭い」、「専業主婦がコンプレックス」という声をチラホラ目にすることもありますが、私にとって専業主婦という役割は、有り難くて、誇らしくもあるものでした。私の母も長年、家庭を支える存在として楽しそうに暮らしていたのもあり、「肩身が狭い」とか「働いていないから自分には価値がない」といった感覚は、あまり持ったことがありません。
…でも、思い返すと、独身時代の私は仕事が本当に好きだったんです。今よりサービス残業にも緩かった時代、会社に長居して、仕事終わりに飲みに行っても結局仕事の話ばかり…( ̄∇ ̄) そんな様子を見ていた両親からは、「はなちゃんは、家庭を持ったら外で働かないほうが良いかもね。没頭しすぎて家庭をおろそかにしちゃいそうだから」とまで言われたほどです…。それでも、ずっと心のどこかで、「いつかまた社会と繋がりたい」「外に出て働きたい」と夢見ていました。なぜなら、子ども達はいずれ私の手を離れて行く存在だからです。その時、私には何が残っているのかな…?と、ふと考えてしまったことが。もちろん、今という時間がとても愛おしい。放課後の習い事に付き添ったり、休日には一緒に工場見学や社会科見学に出かけたり…。子ども達と濃密に過ごせる今の生活を、尊いものだと感じています。そして、そんな時間を支えてくれている夫には感謝しかありません。
でも、子ども達が手を離れたその先の自分の姿を想像した時、「何かしら自分自身の足で立てるものを、今のうちに準備したい」とも、心のどこかで思っていたのだと思います。再就職のことを30年来の親友と何度も話し合いを重ねながら、「仕事探しは、きっと、早ければ早いほど良いのかも知れないね」と、ようやく心が決まって行ったように思います。
宅建士の資格が思わぬ追い風に
ずっと眠らせていた宅建士の資格。ブランクが長くて実務経験もないですし、何の役にも立たないだろう…と思い込んでいましたが…。今回、再就職にあたって改めて思ったのが、「資格って、“使える状態”にしておくと、本当に心強い」ということでした。2013年、次男を妊娠中の頃に宅地建物取引主任者試験に合格。試験を受けた当時は、まだ実際に働くことなんて全く考えていなかったのですが、「いつか使うかも」という気持ちでした。コロナ禍が明ける2022年春、登録実務講習を受講し、法定講習を経て、晴れて宅建士証をGET。この「宅建士証を有効期限内で持っていること」が今回、思いのほか大きな意味を持ちました。(登録実務講習と法定講習に関する過去記事は以下の通りです↓)
不動産業界の求人には、「宅建士資格保持者歓迎」と書かれていることが多いですが、実際に必要とされるのは、単に試験に合格している、というだけではなく、実務に就ける状態にしてあるかどうか。つまり、宅建士証を持っているかどうか、という点が評価されることが、今回よく分かりました。もちろん、働きながら更新するのも大変なことですし、「受かったけど、そのままにしている」という方もたくさんいらっしゃると思います。私自身、ずっと使っていなかったので、「本当に役立つ日が来るのかな…」と思っていた時期も長かったです。それでも、なんとなく保険のように持ち続けていたものが、十数年越しにちゃんと報われた気がしました。採用が決まった後、採用担当の人がポロッと言った一言が、今でも忘れられません。「宅建、持っておいて本当に良かったね!!宅建への道筋をつけてくれた前職の銀行に感謝だよ。こんなに“元が取れる”資格、なかなかないから!」と。
もちろん、資格の有無が全てではないですし、働き方や生き方に正解なんてないのですが、何か一つでも「未来の自分に渡せる切符」のようなものがあると、再スタートの時の後押しになってくれるんだなぁ、と実感した出来事です。もし、「いつか復職できたら」と思っている方が居たら、すぐに活かさなくても、資格を「使える状態」にしておくことは、未来の自分へのちょっとしたエールになるのかも知れません。
そして…、パート契約終了と、今後の展望
さて、こんな感じで和気藹々と、17年ぶりの復職に相応しく、「こんなに今の私にピッタリで、持続可能な職場、どこを探してもないわ!」と、有り難いな~と思いながら、とてもゆるーーーく働かせてもらっていたのですが…。先日、勤務先がしばらくの間休業することになり、私のパート契約も終了しました。契約期間の途中でのことだったので、最初は戸惑いと寂しさがありましたが(…というか、めちゃくちゃ凹みました!)、短い間でも社会の一員として働いた日々は、多くの学びを残してくれました。職場の人達には、精一杯の感謝を述べて、荷物を引き上げて来ました。お餞別にお蕎麦をたくさん頂くというオマケ付きです( ̄∇ ̄)
立ち止まった時間は、逆に自分の働き方やお金との向き合い方を見直す貴重な機会にもなったように思います。前述の、田内学さん著『君のお金は誰のため』と、池上彰さん監修『僕らの未来が変わる お金と生き方の教室』の2冊は、私にとってまさに一筋の灯りのようで。「お金は誰かの『ありがとう』が形を変えたもの」とか「働くとは社会のどこかに参加して行くこと」という言葉に深く頷きながら、自分の経験と重ねて考える日々です。
もちろん、突然の契約終了は戸惑いも大きく…、「社会から必要とされていない感」を強く受け、かなり面食らったのを憶えています…( ̄∇ ̄) お給料はしばらく振り込まれましたが、出社は不要。ある意味、この期間は尾石晴さん風に言うところの「サバティカルタイム」でした。子ども達と濃密に過ごせましたし、LEE編集部さん企画の、福井県鯖江市の眼鏡市場工場見学や家族旅行、長男の部活の応援など、充実した時間に。過ぎてみれば、短い期間でも不動産業界でパートで働いたことや、その後の子ども達と過ごした時間…、経験や出会いの全てが自分の力になっていることを感じます。(福井県鯖江市の眼鏡市場工場見学のLEEweb記事はこちらです!↓)
予期せぬ形でひと区切りを迎えることとなりましたが…。これも、一つの御縁の流れなのかも知れません。立ち止まった今だからこそ、考えられること・学べることがあり、未来に向けて少しずつ歩き出す準備をしている自分が居ます。思いがけず立ち止まることで、「働くって、何だろう?」と改めて考えるきっかけに。また別記事にて、今回大きな気付きをもらうこととなった、田内学さん著『君の金は誰のため』、池上彰さん監修『僕らの未来が変わる お金と生き方の教室』の2冊の本のレビューを書ければ良いな…と思います。
あわせて読みたい
TB - はな
会社員 / 神奈川県 / LEE100人隊トップブロガー
42歳/夫・息子(14歳・12歳)・娘(9歳)/手づくり部・料理部・美容部/大雑把な山羊座のO型。好きなものは器、アメリカンヴィンテージ、宝塚歌劇、マンガ、ミナ ペルホネン、オールドマンズテーラー、GU、ユニクロ、無印良品など。ファッション・インテリア・お料理などLEEで勉強中。両実家とも遠方で3人の子育てに日々奮闘。17年間専業主婦→パートを経てフルタイムで働き始めました。ドタバタと過ぎて行く日々の中でも「今」を大切に、小さな幸せを拾い集めながら成長して行きたいです。
この記事へのコメント( 4 )
※ コメントにはメンバー登録が必要です。


















TB はな