今月のLEE12月号がん特集で
『仕事や子育てをしながら「がん」とどう向き合う?』に私のインタビューを掲載して頂きました🙇♀️
自宅の机の上やカフェで1人で書いた闘病記が、遠くの誰かのスマホやパソコンに届いて読んでもらえた事が、なんだか未だ不思議な気持ち😂普段のブログはそんなこと思わないんだが

手術後死ぬほど辛いベッドの上にいたあの孤独も、自分の不運を恨んだ日々も、私の心の中にずっと仕舞っておいた自分だけの出来事で。
それがあの日々をここで言葉に出来て、「生きていてくれてありがとう」と声をかけられてびっくりしたんだ。まさか病気をしてから13年経過した今の自分が救われるなんて夢にも思わなかったから。
誰かの為にと思って書いたブログで救われたのは私の方。
だから今日はあの話を読んで下さった皆さまと、優しいコメントをくれた皆さまに感謝を込めて、番外編母の闘病について綴らせて下さい。
私よりもさらに強い、最強がん患者の話がまた誰かに届くといいな。
がん闘病ブログ
私の母のこと
うさこの母、195(ほぼ本名なのでうまいこと読んでくださいw)。1月9日に生まれたからと、なんとも安易に親に付けられたその名前を、彼女は今もほんのり恨んでいるらしいw
北海道のとんでもないど田舎に生まれた母。スクールバスなど無い時代、小学校まで往復12㎞を徒歩で毎日歩くのに「学校まで歩いた後に、遠足だからって更に山の中を歩かされた事があった!!ずっと歩きっぱなし!」と、それについても未だ許せんと語る、70代オシャレ好きな森ガール。195のすべらない話

孫のチビうさにしてみると「日本むかし話か?」というくらい、スーパーど田舎で貧しい暮らしをしていた195は、うさこのおよそ50倍明るい人である。
私が子宮頸がんの5年生存を達成した2017年、同じ年の秋に父が食道がんで亡くなった。その翌年2018年、今度は195が大腸がんになった。
なんとも忙しい我が家。
しかも195遠隔転移しており、ステージ4。
いやみんなそんなに急いで一家でがんのデパートやらんでいいわいw
母は黒い(かなり)
なんて見出しを付けたら、どんな腹黒な母かと思われそうだが、黒いというのは腹ではなく、肌である。
195は大腸がん切除の手術後に抗がん剤治療を開始。その副作用で肌の色が黒くなった。
と書くと、まぁ濃いめの日焼け程度だと想像するだろうがとんでもない。すごい黒い。すんげぇ黒い。
どれほど黒くなったかと言うと、ある日195が近所を歩いていると、向かいから歩いてきた知らない女子中学生二人組に、突然
「ハロー👋」と言われた。
195は一瞬何のことかわからず
「?」と思い、すれ違ったが、その後の女子中学生二人が「私、英語喋れるから😎」と会話していて気付いた。
「あ、私のこと外国人だと思って挨拶してきたんだ!!!」と。
「言われた瞬間気付いたらさー、こっちも〝ハロー👋〟って返して〝でも私日本人だけどねっ!!〟って言ったのに~🤣」と爆笑してた195。あちらも混乱するからやめて
抗がん剤治療の副作用は薬によって様々で、私のように脱毛する人もいれば、母のように肌が黒くなるという副作用もある。

なお、真偽のほどは定かではないが195の病院の看護師さん曰く「肌が黒くなる副作用の出方が大きい人ほど薬が効いている」らしい。そして母の病院でこの薬をここまで長く継続している患者がいないらしく、病院ではちょっとしたレジェンド扱いをされているとかw
がんの治療でマイノリティとなった母
そんな感じで治療の副作用が大きいものの、がん患者になっておよそ7年。有難いことに195は今日も元気に生きている。

けれども人生で突然、ザ日本人だった彼女は外国人のように肌が黒くなるというマイノリティとなった。
私は離れて暮らしているので、年に数回帰省する度
「オカン、また黒くなった…??」
と驚くこともあったが、もう慣れた。
どんな非現実的なことも人間ずっと接していると慣れてくる。母が黒いというなかなか遭遇しないような現実も、最早当たり前として受け入れ、いつの間にか黒いことすら全く気にならなくなった。だから母がある日突然宇宙人に入れ替わっても、人間って暫くしたら受け入れて慣れると思います👽
けれども、他人にとってはそうではない。
ザ日本人フェイス(親子で平たい顔族である)の母に黒い肌というのは想像以上に人の目に付く。ジロジロ見られてストレスになったりしないのだろうかと心配した。
けれども一緒に出歩いていても、わざわざジロジロと母を見てくる人はいないし、お店で店員さんも普通に話しかけてくれる。案外社会は優しくて寛容だった。心の中でどう思っているかはわからないけれど😅
けれど、時には小学生に「どうしてお顔が黒いの?」と率直に聞かれたこともあったらしく、母は包み隠さず「がんっていう病気になって、抗がん剤っていうお薬を使ってるから黒いんだよ」と答えると「そうなんだ~」と普通に受け入れてくれるらしい。「子どもの方があっさり受け入れてくれるよ」と話していた。
顔が黒くなるという女性としてはなかなかに辛い副作用であるが、195は言う。
「お母さんがもし美人だったら落ち込んだかもしれないけど、そもそも美人じゃないからねー。そこまで落ち込まないわwww」
心配させない為の強がりか…??としばらく様子を伺っていたが、195はどうやら本当にそう思っているようだ。
つ、強い。
今の195なら天下一武道会に出たら優勝できそうなくらい強いメンタルである。
私が病気をした時の母の言葉
そんな底抜けに明るくポジティブな母であるが、私が病気をした時うちの夫にこんな話をしたそうで。
「うさこが病気になったのは私が丈夫に産んであげられなかったからかもしれない」。
それは確か治療が終わって少し経ってから聞いたと思う。とても胸が痛んでこの話は直接母とはしていない。
でもね、お母さん。
私はそんな事1ミリも考えた事はないよ。私が病気になった事は誰のせいでもないし、病気になった事は不運だったけど決して全てが不幸だとは思わないんだ。
闘病をしていた時に「かわいそうだ」というようなニュアンスを人から言われたことがあって。なんだかとてもモヤモヤした。そんな時に相田みつをさんの『しあわせはいつも自分のこころがきめる』という言葉に出会って、思った。
あぁそうだ、私の幸せは誰かに決められるものじゃない。病気をしたって、副作用や後遺症に苦しんだって、私が今生きていて目の前にある幸せなこと―家族がいて、友人がいて、食べ物を食べられて、自分の足で歩けたり、空がきれいだなとか、素敵なものって自分にはたくさんある―にフォーカスすれば、人生の全てが不幸なわけじゃないから。誰かの不幸の決めつけに揺るがなくてもいい。
そんな事に気付けたのも、きっと病気をしたから。
もしも願いが叶うなら
母に直接言ったことは無いけれど、私は生まれ変わっても密かにまた母の子どもに産まれたいなと思っている。父は超絶フリーダムな人だったので、そっとお断り申し上げます🤣ごめんオトン〜w
母のようにはなれないけれど、その明るさと強さと愛情深さに憧れるのです。でも実家に帰ると甘えてばかりで全然親孝行してない…反省🥲オカンのごはんが美味しすぎる件
この特集がいつか誰かの助けになるかもしれない
生涯で2人に1人ががんになるという時代。
この先自分ががんにならなくても、家族やパートナーや友人がなる可能性は大いにある。
今月号の特集は、病気になったその先の人生や支え方、がんの疑問や検診の情報など幅広いがんの話が掲載されています。

今自分に関わりがなくても、それを目にした事でいつか「そういえばあの時LEEにこんな事が書いてあったから調べてみよう」という手助けになるんじゃないかなぁと思ってる。
最後に
195はステージ4だけれど、治療を続けながら7年間好きな事を楽しんでいる。
私の美容師さんは私と同じ病院で治療中に知り合ったステージ4のがん患者さん。治療後再発せずに10年以上、今も元気に働きながら暮らしている。私のヘアカットはこの美容師さんがいないと絶対に困るってくらい大信頼。
たとえステージ4でも病気と付き合いながら生きている人もいるし、寛解した人もいる。
今月号の特集や、私の周りにいるレジェンドがん患者さんの話が必要な方に届きますように。
*
病気をした日々の中でも、寛解した今でも。色んな事があるけれど。
やっぱり「生きてこそ」だなって思うから。
先が見えなくて辛い時ほど、生きている今にフォーカスして、その瞬間を楽しんで。
どんな現実を生きていても最後まで人生を楽しむことを諦めない自分でいたい。
005*でも結構すぐ「オワタ😇」って思って心折れるうさこ
TB - うさこ
パート事務員 / 北海道 / LEE100人隊トップブロガー
44歳/夫・娘(15歳)/料理部・美容部/ゴルフ大好き激務夫と、部活に燃えたアイドルオタクな娘と自然豊かな道央圏在住。子宮頸がん、抗がん剤経験者。数々の人生の修羅場をユーモアで潜り抜け、LEEを愛してここに辿り着く。自称明るい人見知り。カスタムした軽自動車で、推しのキンプリやJUMPを流しながら車中泊やドライブを楽しみ、カフェに行って読書や手帳を書くぼっち時間が幸せ。趣味はダイエット、特技はリバウンド。痩せた時だけ会える“幻の私”を日々追い求めている。週末おいしいビールを飲む為に働くマイペースな4年目隊員。160㎝に憧れるも、身長は何度測っても159㎝。
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TB うさこ