暮らし発見

《子宮頸がん闘病記》30代でがんになるという事。死をそばで感じた日々。4-手術-

  • TB うさこ

2025.06.19

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大手術へ

手術の朝。

午前中から夕方までの予定の長い手術。夫が早めに病院に来てくれて色々話す。遅れて後からやってくる予定だった母と妹と娘はなんと私が手術室に入る時間に間に合わずw 娘を見たら切なくなるからむしろ良かったかも

手術室に呼ばれ、よくあるストレッチャーに乗せられる事もなく、自分で歩いて手術室へ入った。

本当にもうテレビで見るあの手術室だった。ものすごく狭い手術台の上に自分で乗った。不安と恐怖で心臓がバクバクする。

看護師さん達がテキパキと動き、「本番の麻酔の前に予備麻酔しますねー」と言われ、予備の麻酔薬が入る。

あれ?予備麻酔なのに急に眠くなる。

「もう眠くなってきました」

「え!?もう!?」

その言葉を最後に私はすぐ眠ってしまった。

術後

「うさこさーん、うさこさーん」

遠くから私を呼ぶ声が聞こえる。目を開けると周囲がかなりぼやけているけど耳ははっきり聞こえた。

「うさこさん、手術無事終わりました。癒着が酷かったので時間がかかってしまいました」

主治医の先生が優しく告げる。手術は予定よりも時間がかかり、7時間半かかったそうだ。

ベッドに乗せられたまま運ばれていくうちに家族もやってきた。みんなが口々にねぎらいの言葉をかけてくれる。

あいにくICUが満床だったので、私は病棟のナースステーションに近い個室に入った。

全身管まみれで身体の自由が何も利かない。目もぼやけていて頭もぼーっとする。

手術が終わって安堵した気持ちと、全身の拘束感、痛いのかもよくわからないけれど、とにかくしんどい。そこからまた眠りについて、何度か目を覚ますうちに急にぼやけていた視界がはっきりして、夜遅くに麻酔が完全に切れたことがわかった。

それと共に襲われる猛烈なしんどさ。寝返りも打てないし、動けないし、傍に誰もいないし、全身が熱っぽい。身体には点滴や心電図、術後の体液を排出する数本の管、尿の管、背中には痛み止めの麻酔の管、脚にはエコノミークラス症候群防止のポンプなどありとあらゆる管が付いている。

なんだこれ。死ぬほどつらいんだけど。眠ってしまいたいのに麻酔で長時間寝ていたせいか、うまく眠れない。

死ぬほどつらいベッドの上で、生きるために息をしている。

つらすぎて叫び出したい、とにかく長い一人の夜だった。

リハビリ

そんな長い長い夜が明けて、手術後の回復期が始まった。

出来るだけ早く自分の足で動ける方が良いと言われ、看護師さんに支えられて立ち上がろうとしたけど、貧血が酷くて断念。

それから少しずつ動こうとしたけれど、とにかく立ち上がって歩くという事が出来ない。

自分がこれまで意識しないでやっていた事が全然出来ない。

病室の扉が信じられないくらいに遠い。

歩けなくなるなんて聞いてない。

どんどん色々なものを奪われていく感覚。

死にたくないから手術したのに、出来ない事が増えていく。身体のしんどさと個室に1人の時間が長かった事も相まって、この時はメンタルもボロボロだった。



排尿障害

少し歩けるようになったら今度は手術中から入れていた尿管を外して排尿のリハビリが始まった。

手術の時に排尿の神経を触り、更には癒着の影響で神経が削られた事で、尿が出づらくなり、先生から聞かされていた通り排尿障害になった。

私の場合は術後一回目で思いの外スムーズに尿が出たものの、トイレが終わってから尿管に管を入れて確認すると膀胱にまだ残っていた。

この〝残尿〟と呼ばれるものを全て自力で排出ようになるのがゴール。その為に3時間ごとにトイレに行き、排尿の後に自分で管を入れ、膀胱にどれだけ残っているか測らなければいけない。

なんとも切なくて虚しさがある作業。

こんな事全てを、真正面から受け止めていたらとてもじゃないけどやっていられなかった。

その頃から私はSNSで病気の発信を始めていて、そこに面白おかしく『自尿が出てむせび泣いた。全米が泣いた、アメイジング!』とか書き綴った。

こんなしんどい状況、面白がらなきゃやってられない。

絶望も、悲しさも、悔しさも、怒りも、やるせなさも、「ユーモア」というオブラートに包んで、SNSにぶつけた。

病気をしてだいぶ後になって出会った言葉がある。

《運命への最大の復讐は、幸せに生きること》

あの頃の私は生きられる希望があるうちは泣かずに頑張ろうと思ってた。病気に全て奪われたくなかったから。どんな状況だって見方を変えて笑ってやろう。

あの頃の気持ちを言葉にしてもらったような気がした。

術後病理診断

私の切除した臓器の病理検査が終わり、結果が出て家族と呼ばれた。

《術後病理診断》

  • 膣壁と基靭帯に浸潤が認められ術後診断『Ⅱb期』相当*
  • リンパ節転移なし
  • がんのタイプ 扁平上皮がん
  • 手術にてがん細胞は取りきれており基靭帯断片陰性、膣壁断片陰性
  • ただし子宮頸がんには珍しい静脈への脈管侵襲が認められる
  • 抗がん剤治療(TP療法)6クール決定

*私の治療していた当時、子宮頸がんは放射線治療を選択する人も多く、開腹手術をした人と開腹せず放射線治療を選択した人でがんのステージ診断が変わると差が生じる為、診断は手術前のステージ『Ⅰb2期』の表記となる

がん検診を受けても見つからなかったイレギュラーな進行の速さは、娘を帝王切開で出産した影響で子宮と膀胱が癒着、発生したがん細胞がそこから血管を引き込み栄養源としたことで起こったものとの事だった。

「リンパ節転移をしていないのにマーカー値が高かったのは、〝脈管侵襲〟という状態を起こしていて、がん細胞が直接血管に流れ込んでいたからです」と、説明された。

リンパ節転移をせずにこの状態になることが珍しいらしく「うさこさんのこの状態で予後がどうなるのかというエビデンス(科学的根拠)が無いんです」と告げられた。明確な予後は出せないけれど、ステージや進行状況から考え私の5年生存率は75%ほどとの診断だった。血管にダイレクトにがん細胞が入っていた事で心配されるのは肺や肝臓などへの臓器転移。だから再発予防として抗がん剤治療が追加となった。

25%の確率で私は5年後生きていない。

残り75%の確率で生きていたとしても、再発せず健康とは限らない。

じゃあ5年後健康に生きて暮らしている可能性は一体どれくらいなんだろう。

その確率を高いと思うか、低いと思うか。

病気が発覚した当初から、検査する度に状況は悪化し、ステージがアップした。それでも生きられる希望があるなら頑張りたかった。

担当の主治医が言った「ここは絶対に説得してでも再発予防として抗がん剤治療を受けて欲しい。うさこさんはまだ小さなお子さんがいるので生きてもらわなければ困る人です」。

命を預けた主治医の先生と、約半年間の抗がん剤治療が始まった。

―――つづく

005*残念ですがまだ続きます😇うさこ

TB - うさこ

パート事務員 / 北海道 / LEE100人隊トップブロガー

44歳/夫・娘(15歳)/料理部・美容部/ゴルフ大好き激務夫と、部活に燃えたアイドルオタクな娘と自然豊かな道央圏在住。子宮頸がん、抗がん剤経験者。数々の人生の修羅場をユーモアで潜り抜け、LEEを愛してここに辿り着く。自称明るい人見知り。カスタムした軽自動車で、推しのキンプリやJUMPを流しながら車中泊やドライブを楽しみ、カフェに行って読書や手帳を書くぼっち時間が幸せ。趣味はダイエット、特技はリバウンド。痩せた時だけ会える“幻の私”を日々追い求めている。週末おいしいビールを飲む為に働くマイペースな4年目隊員。160㎝に憧れるも、身長は何度測っても159㎝。

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