安否不明者リストの影響力
思った通りでしたが
日が明けてから
様々な保護者から連絡がきました。
私から、伝えた方も数人いましたが、
それよりも私に連絡をくださった方の方が
多かったと思います。
ものすごく失礼な言い方ですが
とても,苦しく不快でした。
自分だって何もわからない
なのに何か知らないかと
何回も何回も聞かれる
もちろん、
みんな心配しているのはわかっている
でも聞かれれば聞かれるほど
自分の中で考えたいタイミングや
頭の中から少し離しておきたい思い
色々な気持ちがあるところを
無理やり真正面に連れ戻される
そんな気持ちになりました。
自分が何も知らないことにも
罪悪感を覚えました。
仁江町の惨状のニュースも
この日にかなり色々報じられ
次々に明らかになる続報から
悲しみが強制的に反芻させられ
この時期が、1番辛かったように思います。
1本の電話
1/6の朝でした。
朝ごはんを食べていた時だったと思います。
娘が
「お父さんから返信がきた」と。
娘も、私も、
お父さんの連絡先も知っていたため
はる香さん、優香ちゃんの両方ともが
既読にならないことを心配し
発災数日後に、お父さんにもメッセージを入れていました。
ほどなくして、私にも電話がありました。
家族の4人皆と
はる香さんのお祖父様、お祖母様もみつかり
今はみんなで一緒にいると。
いつになるかわからないけれど
必ず皆を連れて帰るから
お別れできるようにしたいから
だから待っててください と
泣きながらお父さんが話された
あの日の、一本の電話は
一生忘れないと思います。
よく生きていてくれた
という喜びよりも
圧倒的に喪失感と絶望と
これから彼の身に容赦なく降りかかる
地獄のような日々を思うと
本来喜ばしいはずの、生還した事実ですら
明後日の方向に追いやられるしかなく
もう何も言えませんでした。
今の状況と心境を
察することなんて到底出来ないけど
ただ、なんとか、少しでも楽になるように
助けになりたいという
強い気持ちが湧きました。
私に出来ること
それから私は、
この人たちのために
今自分が出来ることを
全力で、全部しよう
と気持ちを切り替えました。
勿論辛かったです
私もまた 言葉では形容できないほど
どうしようもない絶望と
苦しさで胸がいっぱいな状況でした。
でも
悲しみに暮れていても
何もならないという思いと
正直
もう会えないかもしれない
という気持ちの方が強かったので、
お父さんが連れ帰ってきてくれる
ということであれば、
皆にお別れを言ってもらいたい
ということであれば、
私が出来ることは全部やりきって
あのときああしておけば良かった
という気持ちがゼロになるくらい、
ここからは私が頑張ろう
と思い直しました。
001 - ミミ
専門職 / 石川県 / LEE100人隊
41歳/夫・娘(13歳)・息子(5歳・2歳)/料理部・美容部/旅、インテリア、ガーデニングなどが好きです。おいしいものも大好き。3人の育児と仕事で目が回りそうな毎日ですが、LEE100人隊の活動は自分の中の「好き」を再発見できる大切な場所です。気づけば2年目!いろんなことにチャレンジしながら、日々を楽しく過ごしていきたいです。
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