愛を込めてラストブログ贈ります♡マイ・グラデュエーション
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lovesummer
2024.12.05 更新日:2024.12.05
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今日1日がGOOD☆だった人も、BAD★だった人も
みなさま、おつかれサマー!!
LEE100人隊の【077 lovesummer】です☆
いよいよこの時がやってきました!!!!
そう、LEE100人隊ブロガーの卒業です!!!!
いやぁ。。。3年って本当にあっという間でした。
ブロガーとしては今年は特に落第生レベルの本数しか世に産み出せておらず、申し訳なくて至極形見が狭いのですが(ただ一つ一つのブログに込められた熱い想いは負ける気がしねぇ←誰?)、特級階級レベルの想いを込めて、最後のブログを書かせていただきます!!!!
最後にデカい花火あげさせて下さい!!!!←演歌流れてきそう。爆
実は、入隊してからすぐに最後に書くテーマはキメておりまして(←気が早い。こういうとこだけ用意周到爆)、ようやく私の脳内から日の目が見れそうです。
とはいえ、温めすぎてしまいなかなか書き出しが思うように進まず(本末転倒とはこのこと。白目)、そうこうしているうちに仕上げるのが卒業ギリギリになってしまい、非常に焦って書き上げました。←試験前日に徹夜するタイプ。中年になっても変わらない。結局人って変わらない。爆
故に短い期間で爆書きまくり上げましたので、ちゃんと言語化できたか、うまく書けたのか不安ではありますが、私の拙い文章かつ散文失礼四万十川状態ですが、お付き合いくださいませ。
どうにかこうにか私の中の松岡修造氏並みの熱すぎる想いが、皆様に届けばいいなと思います。←うまく伝わらなかったら、LEE100人隊の特急呪物になってLEE100人隊ブウロガーの小部屋に住み着いちゃうかもしれません。爆
にしても(広末さんもびっくりの)とってもとってもとってもとってもとってもとっても長くなっちゃったので、途中トイレ休憩挟みながら(?!)読み切っていただければ幸いでございます。
さあ、家族の話をしよう。
お、おう、いきなりどうした?!という感じなのですが、気にせず続けさせていただきます。爆
私には、13歳と11歳離れた2人の姉がいます。
姉たちとは歳が離れていることもあって、私が物心ついた時には姉たちは東京に上京しておりまして(当方静岡出身)、ほとんど一緒に暮らした記憶がありません。
姉たちとは年に数回帰省してくる時に会うくらいだったので、いわゆる大体数の方が抱く『姉』というものの肌感とはだいぶ別物かと思います。
遠方に住むいとこくらいの頻度でしか会わない。そしていつも可愛がってはくれるけど、その反面私が大きくにつれ、姉たちに一方的に注意されることも多くなり爆、なんだか姉妹というより親のような存在という感じ。
そんな親のような姉たちの、13歳年上の方、一番上の姉の話をしたいと思います。
私のお姉ちゃん。
私は子供の頃、2番目の姉は帰省の度にいつもどこかに遊びに連れて行ってくれたり私が喜びそうな物を買ってくれたりして話しやすかったのですが、1番上の姉は敢えてそういう類のことはあまりしてくれ真専でした。
だから姉たちが帰省してくる時は、毎度非常に嬉しかったけど、1番上の姉の帰省時は、最初の日こそは嬉しかったものの、すぐになんか面白くないな(←子供って正直爆)と悟るようになり、幼心的にもちょっと距離のある存在でした。
なので環境もあいまって1番上の姉とはほとんど話をしたことがないまま、私も大人になってしまいました。
そして、そんな1番上の姉は、只者ではありませんでした。
私の姉は天才でした。
言葉を選ばずにいうと、姉は本当に私の親から生まれてきたのかと思うレベルの才女。
「トンビが鷹を生む」ということわざがありますが、まさに姉がそのパティーンで、両親にとって金の卵のような子供だったと思います。
うちの父は中卒で、母は高卒ですが、姉は、まさかの東大卒。
しかも背景が大迫並みにハンパなくって、塾にも通わず独学で勉強し、現役で合格しています。
姉が東大に合格した時には、地元の新聞社から父親が電話取材を受ける姿が記憶に残っていて(電話も黒電話だった爆)、第2次ベビーブームに生まれた姉にも関わらず、当時田舎から女子が東大合格するのが相当珍しかったみたいです。
両親は姉に「勉強しなさい」と一度も言ったことはなく、子供の頃から神童レベルの頭のよさだったのでは?と思われます(←これって私の感想です)。
うちの親は放任主義で、当時学歴とかもあまり興味がない(というか勉強系の知識が全般的にない)タイプなので、姉の子供時代の話もあまりしないのでわからないのですが、やっぱり姉って小さい時から頭角表してたんだなと思うエピソードをひとつ。
日本の歴史事件。←
姉が小学生低学年の頃、道端で5千円を拾って、それを駐在所に届けたと(うちは父親が警察官のため(ウソのようなホントの話爆)、その時勤務先が駐在所=自宅だった)。当時忘れ物を届けた後数ヶ月経っても持ち主が現れないと届けた人のものになったそうで、結局持ち主が名乗り出ることはなく、数ヶ月後にそのお金は姉のものに。そして母はそのお金で姉が好きなものを買っていいよと言ったら、「日本の歴史の全巻セットが欲しい。」と言ったそうです。
え。。。オー・マイ・ガー!!!!
小学校低学年ですよ?!れ、れ、れ、歴史?!?!?!?!?日本の歴史?!?!?!?!?
ジャパニーズヒストリー?!?!?!?!?←
私だったらバービー人形とお洋服一式とかバービーの愛車とか、バービーのすきぴのケンとか買うで?!?!?!?!?
え?!?!?!?!
というエピソードを聞いてから、なかよしとりぼんが愛読書だった私にとって、姉はますます遠い存在に感じました。
まだまだあるある姉が優秀トーク。
姉の歴史ヲタかつ才女っぷりはすぎょかったと思われること。これは私が大人になって実家に帰った時、姉が小学生の時に作った修学旅行の思い出をまとめたスケッチブックを発見したことがあるのですが、どう見ても小学生の作るクオリティじゃなかった。
巡った建造物のパンフレットが丁寧に貼り付けられ、横には姉手書きの説明書きがびっしり。像の絵や系譜まで書いて、詳細に説明していて、今で言う『博士ちゃん』みたいな少女だったのかと思われます。
前述の通り、親が一切ノータッチですので、生まれが違えば姉はナニかの道の第一人者になったと言っても過言でない存在だったと思います。自分が子育てして、改めてそう思う。親がナニも手をかけずに自分で考えて行動できる子の貴重さを。
ちなみに姉は、高校も地元の進学校の理数科に進んだのですが、東大の文科一類を受験するために、学校の授業とは別に、自分で内職して文系の勉強をしたそう。←母談。多分母も事が全て終わった後に言われたとのこと。ほんmoney姉って、親に相談しない人。どんだけ孝行娘なん。
姉は努力の天才でした。
その後東京へ上京し東大生になった姉は、今度は弁護士になるために、在学中に司法試験にチャレンジします。
当時姉が司法試験の勉強をしているアパートに遊びに行った事があるのですが、赤いちゃんちゃんこを着て、一心不乱にこたつに向かって勉強している記憶があります。←神田川が聞こえるんだが爆。エモいワードがいくつも涙。
そしてそのちゃんちゃんこの袖口はシャープペンの色で真っ黒になり、こたつ布団には無数のマーカーペンのインクの染みがついていたことを鮮明に思い出します。
当時姉は朝コンビニでおにぎりを8つ買い、それを1日のうちに食べながら、朝か昼かもわからないくらいになるうレベルで1日18時間勉強をするという生活を何ヶ月もしていたそうです。聞いただけで吐血。
そして見事に東大在学中に司法試験を突破し、その後弁護士になるのでした。完。←姉のことも相まって、NHKの朝ドラ『虎に翼』が沁みに沁み過ぎました。ほぼ毎話泣いてた。爆
ちなみに当時一次試験が通って、二次試験の合格発表の日に、姉から電話がかかってきました。父が話していたのですが、「残念だったね」と言っていました。あんな頭の良い姉でも落ちてしまうテストがあるんだなと子供心に驚いていたのですが、それから数時間後に再び姉から電話がかかってきて、合格した、とのことでした。どうやら一次試験の受験番号で調べていたようで、落ちたと思って、また来年に向けて気合を入れるためにバッサリと髪の毛を切った後に、自分が誤った受験番号で確認したことに気がついたらしく、再度調べたら合格していたようです。意外にうっかりしているところもあるんだとホッとする。いちお血が繋がってるんだなって。爆
私には姉が2人いた。
はい、ここまで前置きです。←え?
はぁはぁ。。。長かった。。。
そして、なんで私が今こんなにも身内の姉のことを自慢し散らかしてるかというと、姉はもうこの世にいないからです。
そう、私には姉が2人いた、んです。
今はもう、1人しか、いません。
姉は2020年に亡くなりました。享年47歳。
乳癌でした。
発覚した時には、癌は大きさは直径6センチ程になっていました。
姉は5年程闘病生活をしましたが、帰らぬ人となってしまいました。
ある日姉はたまたま乳がんの方のノンフィクション番組を見て胸騒ぎがして、病院に検査に行ったそうです。姉は検査に行く随分前から自分の胸にしこりがあるのに気がついていたそうですが、授乳を絶ってからまだそこまで日が経ってないからと、授乳によるしこりだと思い込み、数年も放置してしまっていたそう。
私の姉はクセがすごいんじゃ。
努力家で完璧主義者の姉の闘病生活はというと、一言でいうならば、#仙人のような暮らし、をしていました。
何はともあれ、摂生。
食事は無茶苦茶こだわっていて、無添加とかは当たり前。今ほどのブームが起きていない発酵玄米を自宅で仕込んだり、食だけでなく気功を習ったり、枇杷の葉が癌の予防に効果が期待できると聞いて、自宅に枇杷の木を買ったり。。。
勉強家の姉のことですから、エグい量の知識を入れ込み、寛解するために良さそうなことがあると知ったら、全て手を出して極めていました。
どんな困難があっても、やっぱり姉は自分のスタイルを曲げなかった。
そして最後の最後まで、治るって信じて、生きようって思っていたのは姉だった。
癌を宣告されてから約5年、私は一度も姉から弱気な言葉を聞かなかった。13歳も下の妹に弱音なんて吐きたくなかったのかもしれないけど。弱音を吐いてもらえなかった自分に情けさを感じるけど。本当に一度だって後ろ向きな発言はしなかった。
そんな最後まで姉であり続けた姉を、今改めて、かっけーと思う。
自分の健康は自分で守る。
強い気持ちで闘病生活をしていた姉だったけれども、最後は脳に転移し、脳の手術を2回して、脳の3分の1程切除した姉は、失読症になり、段々会話も意思疎通もままならなくなりました。
この頃の姉に会うのは本当に苦しかった。だって、東大卒で弁護士の姉が、誰よりもあんなに賢かった姉が、平仮名も読めなくなってしまうなんて。そんな残酷な仕打ちがありますか。誰よりも努力家で、茨の道を進んできた姉にこんなことが起こるなんて、人生って不公平過ぎませんかと、本気で思ったし、今でも思う。神様っているのかな。
そしてあんなにも争ったのに、帰らぬ人になってしまいました。
私がこのラストブログでどうしても皆様に伝えたかったことのひとつが、少しでも自分の身体に異変を感じたら速やかに検診に行って欲しいということ。
私自身も1年に一度は健康診断を受けて、必ず婦人科の検診もしています。
身体が元気じゃなければ、始まらないから。
人生は、健康第一、ということを失ってから気がついて欲しくないと、本気で思っています。
怪我の功名。
本人じゃない私ですら、身内の病気というものは家族に影を落とします。
自分のことではないのに、姉が癌になってから、ずっと苦しかった。
なんだか世界に薄らとグレーの幕がかかっているような、そんな気分でした。
そんな姉の闘病生活だったけど、とても良い化学反応も起きました。
怪我の功名、と言っていいのかわからないけど、私にとって姉は昔からずっと近寄りがたい存在でしたが、姉と話ができるようになったこと。
病気がきっかけで姉も人として丸くなったというのもあると思うし(如何せん10代の時に頼れる大人がいない東京という大都会に田舎から出てきて、必死にサバイブしてきた姉。両親の人生の経験値をあっという間に飛び越してしまっていることもあり、親にも相談することもなく、自分の人生を全てハードモードで自分で切り開いてきた人。そんなだったら、切れ味の良すぎるナイフくらい尖っていても不思議はない)、私も家庭を持ち子供ができて精神年齢も上がり、姉と同じ土俵で話をできるようになったからかもしれない。
初めて三姉妹で旅行に行ったり、姉と2人でカフェに行ったりした。←以前だったら、ナニを話していいか分からず、脳内フル回転で話題探してたと思う。爆
実は私が大学時代の時に、1年だけ姉夫婦と一緒に暮らしたことがあるのですが、その時より全然話ができた。
姉と前よりも深い話ができるようになったことが、唯一病気が運んでくれたプレゼントかなと思っています。
姉が遺した言葉。
姉が闘病生活をしている時、私はまだ公務員として働いていて(現在は転職済)、自分には公務員の水が合わず、転職したいと思っていました。けど色々と天秤に掛けてしまい、なかなか一歩が踏み出せない。。。
そんな時に姉に言われたのが
「自分が好きなことをした方がいい。私は弁護士向いてなかった。ストレスがあると病気になるから。笑って生きた方がいい。」
って。あんなに堅かった姉が。
人って変わるもんだ。
以前私には公認会計士になれと勧めてたのに。
実は、前述の私がビリギャル時代に志望大学と学部を選択する時に、
姉「あんた将来何になりたいの?」
私「(ファッション誌が大好きだったので)ファッション誌の編集者。」
姉が本屋に行き、当時よく売っていた、〇〇になるには本を買ってきて
姉「ほら、この体験談見てみなさい。この人たち、ほとんど〇〇大の〇〇学部出身でしょ。今から(高3の9月爆)じゃあんたは絶対に受からないから、公認会計士になりなさい。」
姉は当時資格職しか勝たんと思っていて、選択肢が他に提示されませんでした。姉に見せられたエピソードだと新聞記者になった人たちばっかじゃん、私なりたいのは出版社のファッション誌の編集者なのに。。。なんて発言しようもんなら◯されると思い、問答無用、絶対姉政の下、公認会計士になるための学部を選択し受験したのでした。
姉のキャラ変にびっくりしつつも、その時の私には姉の言葉はぶっ刺さりまくり、その後転職し、今もその言葉を常に自分に言い聞かせています。
私の姉は、かっけー!!!!
前述の通り歴史好きな姉だからなのか、中国三年の歴史?は胸がうずくのか、元気な時から中国にどハマりしておりました。←中国語も勉強していて喋れるようになっていた。そういえば、姉は勉強が好きって公言してたな。勉強ができる人はいっぱいるけど、勉強が好きっていう人、珍しくないですか?白目 求む、勉強が好きって言える世界線への転生。爆
闘病中は、弁護士は辞めて、将来気功の先生になりたいと言っていました。←どんな過酷な状況でも常に目標があるのも姉っぽい。
常に自分軸を持っていた姉って、かっけーなって心の底から思う。
そして、姉が亡くなって辛いという気持ちはもちろんあるのですが、元々多くの時を共にしたことがなかったので、不謹慎なことを言うとそんなに寂しくはないんです。
正直に言うと、姉がこの世からいなくなったことを真剣に考えてしまうのが怖いと言う気持ちもあります。出口のない暗闇に入ってしまう気がして。だからどこかで、ずっと心にサイドブレーキをかけて生きている気もします。
むしろ姉のことを思い出す時間が増えて、前よりもっと姉のことを知れている気分にすらなっています。
ただ、時々ふと思います。私が悩みの渦中にいる時に、姉に相談したら、どういう回答をしてくれるかなって。姉が私にしなかったように、私も姉に悩み相談なんてほとんどしたことがないので、今してみたい。
叶わないけれど、もしかしたらいつの日か、姉ならこう考えるのかなと言う回答に辿り着ける日が来るかもしれません。それはちょっと楽しみでもあります。
にしても今回このラストブログで姉の話題を出したこと、いつか黄泉の国で再会したらブチ切れられそうだけど。爆爆爆
卒業の言葉をキメたい☆
自分でも重々自覚しているくらいLEEの100人隊ブロガーの中では異色の存在だったと思いますので爆、こちらでどうでしょうか。
「私のことを嫌いでも、LEEのことは嫌いにならないでください!!!!」
いや、ならんし。爆 LEEは元々皆様の愛読書だし。そして私はあっちゃんにはなれんし。爆
よし、したら改めまして。。。
「普通のおばさんに戻ります。」
爆爆爆 いやそのまんま。ダメだ、これも。往年のアイドルじゃねぇし。
一時代を築いたスターが許されるキメ台詞だったんだと改めて痛感。。。
なかなかキメらんないじゃん!!!!終われないじゃん!!!!←終われ。
では、私が好きな(皆様も好きよね?)海外ドラマSATCの中で、肉食爆イケウーマンのサマンサが、闘病生活を支えてくれたけど、自分らしく生きたいからと好きぴを振る時に言った台詞で、「私はあなたを愛しているけど、私はそれ以上に自分を愛している」という台詞があるので、そちらを引用させていただきたいと思います。
アイラブミー!!!!そしてウィーラブアス!!!!中年ギャルずフォーエバー!!!!←キマった??汗
いのち短し楽しもうよ☆中年
私ね、自分のことも大好きだけど←、同じく、同じ時代を共に生きている同世代(広めな設定でおねシャス♡)が愛おしいんです。
みんなで前向きギャル魂持って、明るく元気に各々が自分らしく、そして笑って楽しく同じ時代を過ごせたらいいなって心から思っています。
けど、ぶっちゃけちゃうとそうはいかない時も多々あって、私もブログのキャラ設定からか爆、常に明るく元気な悩みのない様子がおかしい人に思われがちなのですが爆爆爆、前述の通り人生イロイロ経験してますし、なんなら辛いことの方が多いし、兎に角もがきにもがきながら生きております。
だから、もし中年ギャルずの中で悩んでる人がいたり、悩む事があったら、思い出して欲しいなって。
自分だけじゃないって。
ここにも必死にもがいている人いるよ、ってこと。
しょなのよ、自分が悩んでる時って悲劇のヒロインになって、自分だけが不幸な気がしちゃうけど、意外と自分が悩み相談すると、みんな話が出てくる出てくるw もうね、悩んだ事がない中年ギャルなんていないの。
だからね、落ちるとこまで落ちたら少しでも這い上がってきて欲しい。
そして、自分で自分を抱きしめてあげて甘やかしてあげて欲しい。そして自分がより自分らしく生きれる人生をまた選択して、進んで行って欲しいなって思うんです。そう、無理しないで。
エルサも言ってたでしょ?「ありのままで」って。
それを私は、姉に命をかけて教えてもらったんだなって思っています。
私たちはどう生きるか。
私がLEEという場所でも、ありのままの自分でいられたのも、姉の言葉があったからだと思っています。
自分が自分らしく、自分が好きな場所で生きていけるように、これからもそんな思いを忘れずに女の人生100年時代をサバイブいきたいと思います!!!!
そして最後に(←本当に本当に最後にします爆)、私に多くの貴重な機会を与えてくださったLEE編集部の皆様、LEEとは毛色の違った私を暖かく受け入れてくれたLEE100人隊のブロガー仲間の皆様、私のブログを心待ちに読んでくださっていた(方がいましたら爆)希有な皆様、そしてたまたまラブサマーの部屋に迷い込まれていきなり長文の乱文にお付き合いいただいた(方がいましたら爆)忍耐強い皆様、全ての方へ感謝申し上げます。
本当に本当に本当に、ありがとうございました!!!!
またどこかでお会いする日まで!!!!
LOVE中年ギャルず♡
ありがとサマーでした♡♡♡
ラブを込めて♡ラブサマーより
lovesummer
会社員 / 東京都 /
37歳/夫・息子(11歳・9歳)/料理部・美容部/衣食住に旅にファッションにエンタメに……広く浅く貪欲にアンテナを張る、大谷選手もびっくりのオールラウンダータイプです(笑)。やんちゃな息子たちに振り回され、日々白目をむきながら、自分らしく居心地の良いライフスタイルを追求中。旅行が生きる活力で、国内外問わず子連れでゴン攻めしています☆エンタメも大好物で、常に面白いものを欲してます。
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