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河崎環

母乳をめぐる冷静と情熱のあいだ【ママの詫び状 第3回】

  • 河崎環

2017.11.05

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ガチガチに腫れ上がったおっぱいから、”腐った母乳”がドロリと

下の子である息子を産んで半年間、体力的にはかなりつらかった。彼はとにかく抱っこされて頻繁に母乳を飲んでいればもっとも安定し、私から体が離れた途端に大声で泣き出すという、いわゆる癇の強い赤ん坊だったからだ。

5月生まれの息子と産院から自宅へ帰って二週間後、生まれて初めて乳腺炎を経験し、その痛さにびっくりした。それまではサラサラとした乳白色の母乳が乳首から放射状に噴射されるほど、もともと控えめなおっぱいのわりにふんだんに母乳が出て助かっていた(こういうのを皮肉を込めて効率のいいおっぱいと呼ぶらしい)私だったが、おっぱいがカンカンに熱を持ち、ガッチガチに硬くなる。普段はそこにあることさえうっかり忘れるほどの”品乳”が、突如ものすごい大声で怒り出したような風貌だった。

試しに岩のように凝り固まった部分を、頭の先まで刺すような痛みを我慢しながら絞ってみると、乳首の先からは緑色を帯びてドロッとした液体が出てきた。確かに「腐っている」という表現がぴったりな、異様な事態だった。

母乳のトラブルを、夫は理解できない

でも息子はひっきりなしに母乳を欲しがるし、この岩のようなおっぱいをどうすれば治せるものかわからず、ひとまず乳腺炎にかかっていない片方のおっぱいだけ与えているうちに、夕方には熱が出てきて寒くて震え始める。素人考えで、母乳を飲ませている間は人工的な薬は限界まで控えるべきと思い込んでいるため、解熱鎮痛剤を飲まずにひたすら着込んで震えて耐えて、2時間ごとの授乳のたびに服をめくり上げておっぱいを出すのさえ寒くてつらい。

お風呂に入ることもままならないけれど、息子におっぱいを飲ませるのだから体を清潔に保たなきゃと裸になり、震える手で息子だけ先に洗って夫を呼んで渡し、そのあと初夏だというのに浴室暖房をガンガンにつけたら、やっと震えのおさまる室温になった。すると夫が浴室の外から「なんで暖房なんか入れてるんだよ?」との言葉も終わらぬうちにバチンと大きな音をたてて消した。私が浴室ドアから顔だけ出して「おっぱいが腫れちゃって、熱が出て寒くて……」と説明したら「はぁ? なんで”そんなもん”が腫れて熱が出るわけ? そんなわけないだろ」と暖房を入れなおすでもなく去っていった夫に、私は静かに黙ってブチ切れる。

おっぱいだってなけりゃ母乳だって出ない、2時間ごとに子供のために母乳を搾り出すなんてことも(上の子でも下の子でも)したことのない夫に、乳腺炎なんて言ったって、その痛みも困惑も、わかるわけがないだろう。だからもう、わかるまで説明しようなんてそんなエネルギーを割かないでおこう。

当時は組織人としての価値観と長時間労働バッチこいの日々にどっぷりだった30代前半の夫に対し、上の子と下の子の二人の子育てと授乳だけを軸に「今日も無事に終わってよかった……」とホッとする日々を精一杯に送ってカラカラになっていた私には、もう夫に自分の状況を詳しく説明するつもりも関心も、一滴も残っていなかった。「なんで説明して”さしあげ”なきゃ理解して”いただけ”ないのか」、「こっちは体力も気力も限界なんだから、そっちが察すればいいじゃん」。たぶんあの頃、夫も妻も、お互いに疲れ切って、全てがただ、面倒だった。

今でこそ産後クライシスという言葉も生まれて、産後こそ夫婦関係にとって大切な、協力し合わねばならない時期なのだと知られるようになった。全員ではないにせよ、少なくともクタクタで身動きも取れない妻へ歩み寄れる体力の残る側として妻の状況を理解しようとし、ちゃんといたわることのできる夫がたくさん出現して、本当にいい世の中になったと思う。私も子育てが落ち着いた今なら、夫たちもその時代はしょせん若くて世間知らずで妻同様にギリギリなのだと、理解してあげられなくもない……かもしれない。

桶谷式推進派の助産師さんと、産科医師の母乳観の違い

でも疲労困憊だった当時の私は、自己免疫力も低下していたのだろう、乳腺炎が軽快しては再発するということを繰り返していた。

産後検診で産婦人科医に相談しても、「あー、乳首が損傷してばい菌入っちゃいましたねー。あのねーお母さん、完全母乳にはこだわらなくていいからねー。これ飲んで十分に栄養と休養をとってできるだけよく寝ることですねー」と、普通の鎮痛剤を処方される。だがすっかり「何か」にとらわれていた当時の私にとって、その鎮痛剤こそが私の避けたいものだったのだ。

だって、アルコールや薬品が母乳を通して子供に移行するから、お母さんは母乳を与えている間は安易に薬やお酒を飲んじゃいけない、って病院でも指導されたし。自分がつらいからって鎮痛剤を飲んだら、その間、母乳を与えにくくなるじゃないか。母乳は完全栄養だし、免疫力もつけるし、知能向上にもいいらしいし(以上、完全にどこかで読みかじった何かの受け売り)、息子はおっぱいじゃないとなかなか満足して寝ないし、息子が泣きっぱなしだと今度は”家族やご近所に迷惑がかかる”から、母乳をやめるわけにいかないんですよ先生!……と、今思えば私は自分で自分を追い詰めていた。そう、二人目の育児で一通り慣れているはずが、それでもこんな体たらく。一人目のときの「どん底」をお察しいただけるかと思う。

乳腺炎でおっぱいがガンガンに腫れるたび、私が携帯電話で連絡して自宅へ出張してもらい、「腐った母乳」を母乳マッサージで搾り出してもらっていたのが、産院で出会ったフリーの助産師さんだった。彼女が緑色の「腐った母乳」を搾り出してくれると、私の悩みやドロドロとした感情も搾り出されるようで、ソファに仰向けに寝ておっばいを揉まれながら(こう言うと何か別のものになりそうだけど))世間話をするうち、つつーっと涙が伝うこともあった。

そんな時に、個人で桶谷式の母乳マッサージ院を経営している彼女が、つとめてカラッとした口調で「乳腺炎を起こしやすい人は、食べ物に気をつけるといいわよ。カロリーの高いものとか、チョコレートとか、生クリームたっぷりのケーキとか、元気出そうとして食べ過ぎてない?」と聞いた。アルキメデスの発見とは比べものにならないが、「ユーレカ(我、見出せり)!」である。ちょうど前日に「生クリームたっぷりのケーキ」を食べ、日頃疲れるとまさに元気を出そうとしてチョコレートを口にしていた私は、自分のさまざまな不調の根源が、その一言ですべて解明したかのように思った。

それよそれよ! チョコレートやクリームやカロリー過多の食事をやめよう! そうしたら私はもう、こんな痛い思いをせずに息子におっぱいをあげ続けられる! アンチ・高カロリー! アンチ・チョコ! アンチ・生クリーム! 助産師さんの言う通り、和食の粗食が一番なんだわ!

そして、その「ユーレカ!」の勢いでこんなことも思っていたのを告白する。

「やっぱりあの産婦人科医は男性だから、母乳のことはミステリアスでわからないんだ」。



完全母乳と「桶谷式」

母乳が赤ちゃんの発育にいい、とは、私が第1子を産んだ約20年前も、第2子を産んだ約10年前も共通して喧伝されていたことだ。一人目の出産時には、当時大学でお世話になっていた40代の助教授(児童発達心理学の精神科医師)が「私の出産のときにとても役に立った本だったから、これ読んで。子育ては母乳でね」と桶谷式の本をくださり、当時22歳の私は「そーなの?」と、いまいち実感のないまま出産へ突入。たまたま母乳が十分に出る体質だったもので、半年間は母乳で育てたものの、大学復帰が困難になるので人工乳へ切り替えた。つまり、それほど母乳に思いつめていない、フラットな育児だったのである。

だけど二人目の時は「一人目のときの反省」という切ない思い込み全開の、完全母乳一本槍。というのも、フリーランスながら”なんちゃって産・育休”で仕事をセーブしていたため、どこかで「せっかくちゃんと向き合えるのなら、”いい育児”をしなきゃ!」と、生来の完璧主義が花開いていたようだ。とても当時、子育て関連のライターとしてあれこれ読者にうんちくを垂れていたとは思えない思いつめっぷりである。

「なるべく長い間、しかも質のいい母乳を!」と、乳腺炎のたびに助産師さんにお世話になりながら、彼女の桶谷式母乳指導に基づいた栄養指導を素直に信じ込み、「生クリームは乳腺を詰まらせるから」と呪文のように口にして、スパイスや嗜好品や生クリームや脂肪分の多いものを避けて暮らしていた。当時、かろうじて継続していた隔週発行のメルマガコラムにも、その当時の様子が残っているくらいだ。

が、乳腺炎がやまない。たぶん純粋に免疫力が下がっていたためだと思うのだが、母乳をすべての中心として暮らしている乳児を抱えた母親として、それは生活を左右するほどの悩みだった。あるとき、医療分野でもキャリアの長い実母に「なるべく甘いものは避けてクリームじゃなく和菓子にしているし、脂肪の多い食べ物もなるべく摂らずに粗食に徹しているのに」と愚痴をこぼしたら、母が信じられないとでもいう視線を投げて言う。

「は? 食べ物がそのまま乳腺に入り込むわけじゃないのに、あなた何言ってるの? 和食じゃなきゃダメなんて言うんなら、海外の妊婦さんは全否定なの? 炎症は細菌感染と自己免疫の問題なんだから、鎮痛解熱薬飲んで美味しいもの食べて、寝なさい」

「おっぱい」を持ち、自身も母乳育児をしていたはずの母が、あの産婦人科の男性医師と同じことを言ったので、私はそれこそ母の言っている意味が理解できず、ただぽかんとした表情を返したのを覚えている。

信頼している母が、「お母さんの食べ物がそのまま血液に反映して母乳の質になる」と説く桶谷式とまったく違うことを口にするので、「食べ物が母乳に影響しないってどういう意味?」と、本当に、ただ純粋に、混乱した。実は今も、理屈としては理解できるものの、あの大いに悩んでいた時代に頭から信じていた「食べたものに含まれていた大きな脂肪の粒を運ぶ血液がそのまま乳汁になって、細い乳腺を詰まらせる」という頑固なイメージが脳から離れない。

それくらい、あの日々の痛みと悲しみと焦りと怒りと様々なものが、夜も昼もなくぐるぐる渦巻くマーブルのような身体感情に、そのイメージは刻み込まれたのだと思う。そう、カラダが感じるものと、アタマが感じるものと、それぞれのコントロールが取れなくなって振り回され続けた時、人は代わりにコントロールしてくれる何かを求めてしまうのだ。たぶん、良くも悪くも「信仰」ってそういうところから始まるような気がする。

だから私としてはそういった心境が実際に自分に起こったという経験(反省?)から、産後、体も心もぐるぐるになってギリギリのところで日々を送っている女性たちのフォローやケアがどれだけ大切か!ってことを、身にしみて感じている。

 私は完全母乳信仰にハマるお母さんたちを責められない

桶谷式にはいろいろな見方があるようで、特に現代医療の視点では、あくまで民間療法の一つとして「そういうアプローチもあるよね」と、距離を置かれているようだ。産科では母乳育児を「母体が可能ならば推奨」し、母乳相談までは面倒見るものの、人工乳を否定するわけではもちろんない。だけどその周縁で、民間療法として助産師さんなどを中心に伝承のような完全母乳信仰と独特な理屈がいまだに存在するのは、たぶん女性に多い健康・ナチュラル・オーガニック志向の流れの中で支持され醸成したもので、健康ビジネスの一種でもあるかも……なんて思う。

キャリア16年の子育て系ライターとして身も蓋もないことを言ってしまえば、出産・子育てにも流行があるからだ。

カラダと思考は切り離して考えられない。すると、出産という、女性にとってこれ以上ないほど「自分のカラダのポテンシャルを全開で使用する行為」を通して、女性の思考がどう変化するかをそっと見守ってあげる必要がある。そして、女性の側も、自分がいま信じているものが「本当にそうじゃなきゃいけないものか?」「自分はそこに頭を預けて依存していないか?」「その姿は、他者から見たときにどう映るのか?」と、「自分を信じながらも、疑う」冷静な視線を持っていてもいいかもしれない。それは、自分自身のために。

私も、あの頃はとにかく、「この育てにくい息子をちゃんと育てるにはいい質の母乳を出すんだ!」と頭っから信じ込んで、言われたとおりの食事をして、毎日せっせと乳を搾り出していた。結局はアレ、「母の祈り」だったんだな、といまなら思う。だって、誰だって、せっかく子供を育てるのならなるべく「よく育てたい」って思ってしまうもの。祈ってしまうもの。

「祈り」の通りに、ことがうまく進んで母も子もハッピーならそれでいい。でもその「祈り」がうまくいかなくなったとき、その「祈り」にとらわれて自分と子供を追い詰めてしまわないように、って、私はいま痛くてしんどい思いをしているすべてのお母さんたちに向けて、祈っている。

河崎環 Tamaki Kawasaki

コラムニスト

1973年、京都生まれ神奈川育ち。22歳女子と13歳男子の母。欧州2カ国(スイス、英国)での暮らしを経て帰国後、子育て、政治経済、時事、カルチャーなど多岐に渡る分野での記事・コラム執筆を続ける。2019秋学期は立教大学社会学部にてライティング講座を担当。著書に『女子の生き様は顔に出る』(プレジデント社)。

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