ママの詫び状

母乳をめぐる冷静と情熱のあいだ【ママの詫び状 第3回】

ガチガチに腫れ上がったおっぱいから、”腐った母乳”がドロリと

下の子である息子を産んで半年間、体力的にはかなりつらかった。彼はとにかく抱っこされて頻繁に母乳を飲んでいればもっとも安定し、私から体が離れた途端に大声で泣き出すという、いわゆる癇の強い赤ん坊だったからだ。

5月生まれの息子と産院から自宅へ帰って二週間後、生まれて初めて乳腺炎を経験し、その痛さにびっくりした。それまではサラサラとした乳白色の母乳が乳首から放射状に噴射されるほど、もともと控えめなおっぱいのわりにふんだんに母乳が出て助かっていた(こういうのを皮肉を込めて効率のいいおっぱいと呼ぶらしい)私だったが、おっぱいがカンカンに熱を持ち、ガッチガチに硬くなる。普段はそこにあることさえうっかり忘れるほどの”品乳”が、突如ものすごい大声で怒り出したような風貌だった。

試しに岩のように凝り固まった部分を、頭の先まで刺すような痛みを我慢しながら絞ってみると、乳首の先からは緑色を帯びてドロッとした液体が出てきた。確かに「腐っている」という表現がぴったりな、異様な事態だった。

母乳のトラブルを、夫は理解できない

でも息子はひっきりなしに母乳を欲しがるし、この岩のようなおっぱいをどうすれば治せるものかわからず、ひとまず乳腺炎にかかっていない片方のおっぱいだけ与えているうちに、夕方には熱が出てきて寒くて震え始める。素人考えで、母乳を飲ませている間は人工的な薬は限界まで控えるべきと思い込んでいるため、解熱鎮痛剤を飲まずにひたすら着込んで震えて耐えて、2時間ごとの授乳のたびに服をめくり上げておっぱいを出すのさえ寒くてつらい。

お風呂に入ることもままならないけれど、息子におっぱいを飲ませるのだから体を清潔に保たなきゃと裸になり、震える手で息子だけ先に洗って夫を呼んで渡し、そのあと初夏だというのに浴室暖房をガンガンにつけたら、やっと震えのおさまる室温になった。すると夫が浴室の外から「なんで暖房なんか入れてるんだよ?」との言葉も終わらぬうちにバチンと大きな音をたてて消した。私が浴室ドアから顔だけ出して「おっぱいが腫れちゃって、熱が出て寒くて……」と説明したら「はぁ? なんで”そんなもん”が腫れて熱が出るわけ? そんなわけないだろ」と暖房を入れなおすでもなく去っていった夫に、私は静かに黙ってブチ切れる。

おっぱいだってなけりゃ母乳だって出ない、2時間ごとに子供のために母乳を搾り出すなんてことも(上の子でも下の子でも)したことのない夫に、乳腺炎なんて言ったって、その痛みも困惑も、わかるわけがないだろう。だからもう、わかるまで説明しようなんてそんなエネルギーを割かないでおこう。

当時は組織人としての価値観と長時間労働バッチこいの日々にどっぷりだった30代前半の夫に対し、上の子と下の子の二人の子育てと授乳だけを軸に「今日も無事に終わってよかった……」とホッとする日々を精一杯に送ってカラカラになっていた私には、もう夫に自分の状況を詳しく説明するつもりも関心も、一滴も残っていなかった。「なんで説明して”さしあげ”なきゃ理解して”いただけ”ないのか」、「こっちは体力も気力も限界なんだから、そっちが察すればいいじゃん」。たぶんあの頃、夫も妻も、お互いに疲れ切って、全てがただ、面倒だった。

今でこそ産後クライシスという言葉も生まれて、産後こそ夫婦関係にとって大切な、協力し合わねばならない時期なのだと知られるようになった。全員ではないにせよ、少なくともクタクタで身動きも取れない妻へ歩み寄れる体力の残る側として妻の状況を理解しようとし、ちゃんといたわることのできる夫がたくさん出現して、本当にいい世の中になったと思う。私も子育てが落ち着いた今なら、夫たちもその時代はしょせん若くて世間知らずで妻同様にギリギリなのだと、理解してあげられなくもない……かもしれない。

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Writer Profile

河崎環

コラムニスト

Tamaki Kawasaki

1973年、京都生まれ神奈川育ち。22歳女子と13歳男子の母。欧州2カ国(スイス、英国)での暮らしを経て帰国後、子育て、政治経済、時事、カルチャーなど多岐に渡る分野での記事・コラム執筆を続ける。2019秋学期は立教大学社会学部にてライティング講座を担当。著書に『女子の生き様は顔に出る』(プレジデント社)。

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