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取材から1年、心の変化は?【がんと暮らし】橋本奈美子さんインタビュー

  • LEE編集部

2021.08.23

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昨年大きな反響を呼んだ特集「がんと暮らす」。

インタビューに応じてくれたモデルの橋本奈美子さんが、1年たっての心境をあらためて語ってくれました。

コロナ禍でも変わらずに続く、がんとともに暮らす生活に迫りました。

この記事は2021年7月7日発売LEE8月号の再掲載です。


モデル橋本奈美子さんインタビュー
1年前の落ち込んだ私に、「元気になったよ」と言ってあげたいです

モデル 橋本奈美子さん

モデル 橋本奈美子さん

1975年生まれ。11歳、3歳の2人の男の子の母。LEEなどのモデルとして活躍中の33歳のときに第1子を妊娠、その後の出産を機に休業へ。育児に専念する。42歳で第2子を出産後すぐに、左胸にしこりを見つけて乳がんが発覚。

前回の記事
2020年8月号で乳がん治療中であることを初公表

以前一緒に仕事をしていた編集部スタッフへの連絡をきっかけに、取材を受けてくれた橋本さん。
当時は告知から1年ほどしかたっておらず、「小さな子どもの育児中で、まだ自分が乳がんだという事実を受け止められない」と告白。正直な思いが大きな反響を呼びました。

前回の記事:橋本奈美子さんインタビュー 育児をしながらの闘病生活

自分の思いを貫いての乳房再建治療が一段落してすっきり

前回のインタビューでは「左乳房の全摘手術後、再建手術がまだ途中」だと話してくれていた橋本さん。手術から約9カ月を経て、2020年8月におなかの脂肪を移植し、自家組織による再建手術が終了したそうです。

「膨らみができても、右胸とは洋服を着たときの見え方が全然違う。私の場合、自分の胸ではないような違和感はどうしてもあるのですが、やってよかったとは思います。
実は、主治医から術後すぐの乳房再建はあまりすすめられていなかったんです。私のタイプは浸潤がんなので、再建すると、もしがんが再発しても発見がしにくいからと。
でも私にはどうしても、左胸がないという現実に直面する勇気がなかった。自分の希望を貫いたこともあり、やりきったじゃないですけど、これで治療は一段落したなと気持ちはすっきりしました」(橋本奈美子さん)

1年前に比べるとポジティブな発言が増えて、橋本さん本来の明るさを取り戻しつつあるように見えます。実は、LEEで乳がんを公表してから、橋本さんを取り巻く状況に変化が。

記事を見て乳がん治療中の方からメールが。「届いているんだ」と実感できました

記事を見て乳がん治療中の方からメールが。「届いているんだ」と実感できました(モデル 橋本奈美子さん)

「インスタグラムで『#乳がん』をつけて投稿するようになり、記事を読んでくれた方からDMが届くように。前回私が吐露した『自分が乳がんだということが受け止められない』という言葉に共感して、告知されたばかりの方がつらい思いを綴った長文のメッセージを送ってくれたこともありました。
あのインタビューがきちんと届いているんだという達成感と、メッセージのやりとりをすることで、私自身も元気になるきっかけになった。とても感謝しています」(橋本奈美子さん)

また、インスタグラムでつながった写真家の殿村任香さんが、がんと闘う女性を撮影する「SHINING WOMAN PROJECT(シャイニング・ウーマン・プロジェクト)」に参加したことも大きな一歩に。

「殿村さんが撮影したがん経験者の皆さんがすごくかっこよくて、写っている傷に手を伸ばしたくなるほど愛おしくて。私もぜひ参加したいとお願いしました。
胸の傷やスキンヘッドを撮影している方も多いのですが、私はおなかの傷を撮ってほしかった。帝王切開で2人の子どもを産んだ後、乳房再建の自家組織を取るために切って計3回。残ったおなかの大きな傷が、自分の人生を物語っている気がしたんです。
モデルではなく、ひとりの女性として素に近い自分を撮ってもらえたことは、ファッション誌では経験できないこと。被写体としても貴重な出来事でした」(橋本奈美子さん)

写真家・殿村任香さんのSHINING WOMAN PROJECTに参加

写真家・殿村任香さんのSHINING WOMAN PROJECTに参加 ©Hideka Tonomura

写真家・殿村任香さんの、がんと闘い、向き合う女性のポートレート撮影のプロジェクト。作品は以下で見ることができます。
http://instagram.com/shining_woman_project/



悪いことばかりじゃない!コロナ禍での引っ越しが転機に

現在はホルモン治療を継続中で、手術後10年間は薬を飲み続けなければいけないそう。3カ月に1回の通院もあり、コロナ禍で負担が大きいのでは?と質問すると……こちらの予想を覆す答えが。

「もちろんコロナ禍で制限が増えたし、入院中の方は面会ができなかったりと本当に大変だと思います。
ただ、今の私には悪いことばかりではなくて。子どもの学校行事やPTAの集まりが減ったことで『病気で体調が悪いから行ってあげられない』と罪悪感を持つことがなくなり、家中心の生活なので薬の副作用がつらい時期でも影響が少ない。周りと比べて落ち込むことがぐっと減った気がします。
また、コロナ禍で母に手伝いに来てもらうことが難しくなり、都心から郊外に住む母の家に引っ越すことに。ずっと住み慣れた土地を離れることに抵抗があったのですが、コロナがあったから決断できたと思います。
郊外なら子どもをのびのびと遊ばせてあげられるし、私も犬の散歩が日課になったりと心が穏やかに。都心にいたときは、なぜか傷病を理由に下の息子を保育園に預けることが自分にはできず、頑張って世話をしなければと意地を張っていて。引っ越してから預けてみたら私はラクだし子どもも楽しそうで、かつての自分のこだわりがバカみたいに思えました(笑)。
乳がんだからこそ、きちんとお母さんしなきゃと思いすぎていたんですよね。今は母に頼って、小6になるお兄ちゃんにも助けてもらって。自分の時間を大切にしています」(橋本奈美子さん)

息子お手製のホットケーキ

1年前、橋本さんが寝込んでいるときにオムライスを作ってくれた上の息子さん。

「あれから料理に目覚めて、パスタを作ったり、ホットケーキなどスイーツも上手に作っています」(橋本奈美子さん)

前回のインタビューがきっかけでヘッドキャップを作っています!

1年前に「自分なりのやり方で前に進みたい」と話してくれたその言葉どおり、日々の暮らしの中で着実に変化を遂げている橋本さん。こんな新たな挑戦も。

「LEEの記事を見た方から、私が抗がん剤で髪が抜けたときにつけていたヘッドキャップへの問い合わせが。
確かに、私もかわいいヘッドキャップがなかなか見つからず、当時探していたなと思い出して。好きな柄の布を買って手作りしてみることに!コツコツ制作して今100点ほどになったので、ネットショップなどで販売しようかなと考えているところです」(橋本奈美子さん)

「抗がん剤治療中は顔色が悪くなりがちなので、明るい色と大きな柄をセレクト」(橋本奈美子さん)

手作りのヘッドキャップと、髪が少し生えたら、ウィッグと合わせて使うヘアバンド。ヘアバンドは、髪が伸びたら普通使いも。

「1年前は自分からこんなに動きだせるなんて思ってもみなかった。落ち込んでいる自分に『こんなに元気になるから大丈夫だよ』と声をかけてあげたい。
でも、やっぱり当時の頑固な私は人の話なんて聞く耳を持たなかったと思うから(笑)、きっと必要な時間だったんだなと。
乳がんになり左胸をなくしたからには、この経験を武器にしたい。がんになったからこその人生を紡いでいきたいと思います」(橋本奈美子さん)


撮影/藤澤由加 ヘア&メイク/杉山えみ 取材・原文/野々山 幸(TAPE)
この記事は2021年7月7日発売LEE8月号『続く「がんと暮らす」毎日』の再掲載です。

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LEE編集部 LEE Editors

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