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飯田りえ

現役パラアスリートに学ぶ”心のバリアフリーと共生社会”。 子どもと学ぶ「障害の社会モデル」

  • 飯田りえ

2020.12.21

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「障がいの社会モデル」を子どもにどう説明する? 現役パラアスリートに学ぶインクルーシブな社会

今年もあと残すところわずかとなりました。来年に延期されているオリンピック、パラリンピックの動向もきになるところですが、どういう形であれ「東京で行われるオリパラを見たい」というのが、率直な気持ちです。特に、パラリンピックに関しては、前回のリオデジャネイロ大会の時に、イギリスのテレビ局channel4が作成した動画『We’re The Superhumans』をみて、鳥肌が立ったのを覚えています。

努力して夢に向かってひた走っている人は、とにかく人を惹きつけて止まないのだと痛感し、それと同時に、自分があまりにも「知らなさすぎる」ことを感じさせられました。ですので、東京で開催される時は子どもたちと一緒にオリンピックも、パラリンピックも、両方しっかり見届けたい、そう思っていました。

そんな中、『NEC親子向けジュニアアカデミー』というオンラインプログラムが、NEC社主催、日本財団パラリンピックサポートセンター提供にて開催されました。パラアスリートを中心とした障がい当事者が講師となり、誰もが活躍できるダイバーシティ&インクルージョン社会を学ぶワークショップです。いつも小中高等学校で開催されている「あすチャレ!ジュニアアカデミー」を、今回は親子向けの特別版として実施されたのです。2018年から開催され、この日が今年度97回目! これまで累計で3万人以上受講しているそうです。

障がいの社会モデル、子どもにどう説明する?

本日の講師である山本恵理さん(通称・マック)はパラ・パワーリフティング55kg級の日本記録保持者。オンライン型のワークショップも非常に手慣れた感じで、zoom越しの子どもたちにもどんどん語りかけながら、ご自身のことを話してくれました。

先天性の二分脊椎症により生まれつき足が不自由で、移動は車いすというマック。小学生の時に水が大嫌いだったけれど、お母さんのすすめで水泳教室に通うことになました。すると、水中での自由さにハマって、小3の時にはパラリンピックに出場することを決意。その後も、パラ水泳の大会や日本選手権にも出場し、今はパワーリフティング選手で活躍しています。「とにかく苦手なことにも、一度は挑戦してほしい」と子どもたちにエールを送りつつ、障がいについてコロナの状況に例えて説明されにました。

みんなが今、困っているコロナって、『コロナウィルス』に自分がかかっているわけではなく、コロナに感染しないために『自由にできない・外に出られない』ことでモヤモヤしているよね。それと同じで、私自身にある『障がい』は車いすで解消しているけど、『外に出たら階段しかなくて、車いすでいけないところがたくさんある』ことにモヤモヤしているんだよね。このように、『障がいは社会や人の心、ルールにある』と言われています。これらが減れば、障がいはもっと減ると思いませんか?

なるほど!「障がいの社会モデル」について、実際に今自分たちが置かれている状況に例えられると非常にわかりやすいですね。この様に伝えれば、子どもたちもスッと理解できそう。

「できる・できない」ではなく「どうやったらできるか?」を考えよう

その後も、マックが生活の中で取り入れている工夫をクイズ形式で紹介。車の運転をはじめ、車椅子での生活をあまり想像したことがなかったのですが、こうして考えると、不自由なことが多そう。しかし「できるかできないか、ではなく、どうやったらできるか考えることが大事。だから私は様々な工夫をして生活しています」とマック。まさにパラリンピックは『たくさん工夫して、誰もが挑戦できるスポーツ大会』なのですね。

こんなに明るくポジティブなマックですが、ご両親の影響が大きいといいます。小学生の頃は引っ込み思案で、友達にも自分から声をかけられず…。その時、お母さんから「自分のやりたいことは、自分から発信しなきゃ!」とアドバイスをもらい、勇気を振り絞って友達を誘ったそう。それ以来、自分から声をかけられるようになったそうです。また、お父さんからは、自転車練習で心が折れかけた時「できないって思うのではなく、工夫して乗り越える方法を考えようね」と補助輪を1こずつ時間をかけて外し、自転車も乗れるように。ご両親から教わった「自分で発信する力」と「課題を解決する力」、この2つの教えは、今のマックを支える上で、大きいですね。

最後に、子どもたちへチャレンジしたいことを問いかけます。「私のあすチャレ!は自分が持っている日本記録が63kgだから、今は65kgにチャレンジしてます!」子どもたちも、今、自分が挑戦していること、頑張りたいことをそれぞれ発表してワークショップは終了。あっという間の1時間でした。



社会の障がいを減らすために、私たちができること

パラ・パワーリフティング 山本恵理選手●先天性の二分脊椎症により、生まれつき足が不自由。9歳から水泳に取り組み、パラ水泳の近畿大会や日本選手権などに出場、29歳の時に留学先のカナダでパラアイスホッケーに出会い、強豪のカナダ代表選手らとプレーする。大学院で障がい者スポーツを学んでいたが、自国開催の東京2020パラリンピックに関わる仕事をするために32歳で帰国。2015年より、日本財団パラリンピックサポートセンター(パラサポ)職員。2016年の5月、東京都主催のパラリンピック体験プログラムで初めてパワーリフティングを体験し、「パワーリフティングをやる人生とやらない人生どっちがおもしろいだろう」と考えた結果、「もう一度、夢を追いかけよう」と決意し、選手として東京パラリンピックを目指すことに。パラサポでは「あすチャレ!ジュニアアカデミー」や「あすチャレ!Academy」のプログラム開発、講師育成、講師を担当しながら、国内外の試合に出場中。

ワークショップ終了後、直接コメントをいただきました。

パラ競技について子どもたちに伝えることで、ご自身の中で変化は?

自分の競技を伝えるということは、自分の中でもどのくらい整理してこの競技と向き合っているのかを考えるきっかけになります。また、子どもだけではなく競技の魅力を伝える時には「私この競技を楽しんでいるんだな」と実感できますし、また、「できるか、できないか」ではなく、「楽しいか楽しくないか」で競技を始めることを選んだ、私らしく進めていることを実感できる瞬間でもあります。またそれに子どもたちが反応してくれた時は「共感できた!」と嬉しくなります。

山本さんのポジティブな笑顔がとっても印象的でしたが、くじけそうになった時は、どうやって乗り越えてきましたか?

くじけそうになった時、もしくは、くじけた時は「とことん、くじける」ことでしょうか。先ほどは「楽しんで」と言っていますが、うまくいかない時「もうやめたい!」と思うことは何度もあります。ただ、私の良いところは寝てしまえば、また同じように次の日、ベンチに乗ってバーベルをあげているということです。

乗り越えるよりも、習慣化してしまうとトレーニングは苦ではありません。またパワーリフティングに向かう気持ちが低い時はトレーニングを続けてさえすれば気持ちは戻ってくるし、ほかの選手やコーチと話せば、また「やろう!」と思えます。無理に乗り越えようとせず、自然に任せて、周りに任せて「気持ちが戻ってくる」と信じていると、結果、試合が近づいてきたら真剣にワクワクしている自分がいますね!

障がいは「社会や人の心やルールにある」とのお話ですが、私たち一人一人ができることは何ですか?

「障がいのある人が世の中にいて、一緒に生きているとまず認識すること」、そして、みなさんに余裕があれば「声をかけてもらうこと」でしょうか。「まだ不安だな」と思ううちは、認識しておくだけで構いません。障がいのある人は「これ、どうやってやるのだろう」と皆さんの日々の生活の中で、1分でも考えて頂くことが視点を変えて、皆さんの考え方を変化させることになります!

 

できないことで、思考停止してしまうことって日常たくさんあります。そうではなく「どうすればできるようになるか、考えて工夫する」この大切さを改めて感じさせられました。あと、とにかく何事も知ることが大事ですね…!その為にはパラリンピックはとても良い機会ですし、自分たちも勇気をもらえるのでぜひ、みんなで応援したいと思います。「あすチャレ!ジュニアアカデミー」は学校単位で応募すると開催できるそうなので、ご興味のある方はHPでご確認くださいね。

公式サイト「あすチャレ!ジュニアアカデミー」

画像/日本財団パラリンピックサポート

飯田りえ Rie Iida

ライター

1978年、兵庫県生まれ。女性誌&MOOK編集者を経て上京後、フリーランスに。雑誌・WEBなどで子育てや教育、食や旅などのテーマを中心に編執筆を手がける。「幼少期はとことん家族で遊ぶ!」を信条に、夫とボーイズ2人とアクティブに過ごす日々。

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