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藤原千秋

食物アレルギーの子どもと暮らす【その3】〜小麦を解除するまで〜

  • 藤原千秋

2016.12.20

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その日。3日後に1歳のお誕生日を迎える三女を連れて、医療センターに向かう私の足取りは軽くありませんでした。

春から始めた通院で、目覚ましく顔や身体のアトピー性皮膚炎を軽快させていた三女。母乳に加え、白米のお粥、すり潰した豚肉や鮭といった動物性たんぱく質、皮付きのカボチャやニンジンといった普通の子とはちょっと違ったラインナップから始めた離乳食もまあまあ軌道に乗り、当時の画像ファイルには、ご飯粒にまみれて笑顔で逃げ回る様子が残っています。この子なりに、スクスク元気に育っていました。

気を張り続けなければならない食卓

それでも、その時点まで私がこの三女の口に一切、以下の食べものが入らないように注意し、警戒し続けていたことは、そんな楽しげな画像からは見出せないことでしょう。

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・味噌、醤油(大豆、小麦)
・豆腐(大豆)
・ヨーグルト、チーズ(乳)
・牛乳(乳)
・パン、うどん、そうめん(小麦)
・クッキー、ビスケット(小麦、乳、卵)
・卵(卵)

この当たり前な、普通の子、特に離乳食の頃の赤ちゃんなら誰もが食べているようなもの。大好きだろうやわらかな食べもの。そういった一切を、与えることができていなかったのです。それだけでなく、万一間違って食べさせてしまったら命に関わってしまうのです。

とはいえ、三女の上の次女(当時4歳)には、不思議と食物アレルギーがありません。パンと卵と乳製品が大好きな次女。もともと小食だったこともあり、これらの好物を毎日の食卓から欠かすことはできませんでした。

ダイニングテーブルの真ん中の方に、三女の手が絶対に触れないように、パンや牛乳やオムレツを並べます。子ども椅子に中腰になるようにして次女はそれらを食べます。絶対、こぼさないように!

その子ども椅子の脚を伝って立ち上がり、お姉ちゃんの食べているものを羨ましがって欲しがる三女。奇声を上げ、椅子を揺らし、泣き喚きます。

そんなこんなで毎度の食事がチョットした大騒ぎでした。

ある「事故」

そんなある朝、朝食中の次女が、誤ってヨーグルトを床にこぼしました。でも量としては、ほんの小さじ半分程度。こぼすというか、飛ばしてしまった程度です。

しかしそれを目ざとく見つけた三女が、高速ハイハイで寄って来てヨーグルトに右手を乗せます。拾い食いする! 直前に私がダッシュしてその手をつかみ、床と三女のてのひらを同時に濡れふきんで拭きました。

思いが遂げられず手足をばたつかせて泣き喚く三女。その右手が三女自身の顔を二三度行き来します。

すると、みるみる間に……三女の顔が真っ赤に腫れ上がって行くのです。

食べてはいない、一切。ただほんの少量が手に触れて、でもすぐに拭いて、その手がちょっと触れただけ。

その顔の皮膚が「手の往復」ラインに沿ってミミズ腫れのようにみるみる赤く膨らんで行く様子は恐怖以外の何ものでもなく、私はパニックを起こし出勤途中の夫に電話して家に戻って来てもらいました。情けないですが「あんなに微量なのに」この症状かと目の前が真っ黒になってしまったのです。

手のひらも、顔も、床も念入りに拭き直し、特に嘔吐や呼吸異常やショック症状なども起こさなかったため(念のため医療センターに電話した)救急にはなりませんでしたが、愕然としてもう力が抜けてしまいました。

この先いっさいこのような「事故」を起こさず、この子を大きくして行く自信が急速に失われて行ってしまったのです。

「この夏って、あんまり、そうめん、食べなかったね」

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「そういえばさ、この夏って、あんまり、そうめん、食べなかったね」と8歳の長女がぽつりと呟いたときには、9月も半ばを過ぎていました。あんまり、じゃなくて、1回も食べませんでした。

「みんな好きだからたくさん買ったのにね」。春の地震を受けて備蓄食糧も兼ね、10キロも購入していましたが、段ボールの封も切っていなかったのです。

その日3日後に1歳のお誕生日を迎える三女は、医療センターで「小麦」と「豆腐」いずれかから「経口減感作療法」を開始するかのテストを受けることになっていました。しかし少し前にあの「真っ赤に腫れる」様子を恐怖してしまった私は、1本だけ茹でて小さなタッパーに持参した「そうめん」1センチを三女の口に入れるとき、腕が震えていたと思います。

「そうめん1センチ」には、幸い三女はまるで反応せず、血液検査の結果などと照らして、最初に「解除」するのは小麦のほうに決まりました。「反応の出ない」量を継続して与え、少しずつその量を医師のいる場所で増やして行くのがこの治療の主な流れなのです。

「さあお母さん、とりあえず一ヶ月、毎日この量を食べさせてあげて下さいね! そうすれば来年の今頃には、家族皆でそうめん、つるつる食べられますから!」

そんな日が本当に来るのかなあ……。担当のN医師の言葉にも半ば疑心暗鬼ながら、帰りのベビーカーを押す足取りは少しだけ軽くなっていた私。

ベビーカーに王様のようにそっくりかえった娘は「ん〜まんま〜〜、ん〜んまんま」と母乳を大声で所望するうち、4時間半もの通院で疲れたのかすうすう眠ってしまったのでした。

 

*この記事は、あくまで藤原さんの個人的な記録であり、この対策や治療がどなたにでもあてはまるというものではありません(LEE編集部)

藤原千秋 Chiaki Fujiwara

住宅アドバイザー・コラムニスト

掃除、暮らしまわりの記事を執筆。企業のアドバイザー、広告などにも携わる。3女の母。著監修書に『この一冊ですべてがわかる! 家事のきほん新事典』(朝日新聞出版)など多数。LEEweb「暮らしのヒント」でも育児や趣味のコラムを公開。

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