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東日本大震災から5年……被災ママたち、それぞれの今

【被災ママたちそれぞれの今】佐原真紀さん「迷いはすごくありました。でも今はここ福島で、子供を守るためにベストを尽くしたい」

  • LEE編集部

2016.09.15

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福島でのあの日から今日までの思いを伝えます東日本大震災から5年。被災ママたち、それぞれの今

東日本大震災からもう5年、まだ5年。
あなたはどちらに感じますか?

あの日、被災地にいたママたちは、どんな状況でどんな思いで5年目の日を迎えるのでしょうか。LEEは、彼女たちの心に寄り添い取材を続けてきた方に、取材先で出会ったママたちを紹介していただいて会いに行ってきました。

強制避難になった人、福島に住み続ける人、自主避難を選んだ人。置かれている状況や選択の理由はそれぞれですが、子供たちの未来を思っての行動なのはみんな同じです。どうか彼女たちのこの5年間の思いを感じて、彼女たちとの心の距離を近づけていただければうれしいです。

 

東日本大震災から5年。被災ママたち、それぞれの今

【福島→名古屋】鈴村ユカリさん
「着の身着のまま逃げたあの日から、 自分の中に時計を2つ持って生きています」

【福島】佐原真紀さん
「迷いはすごくありました。でも今はここ福島で、子供を守るためにベストを尽くしたい」

【福島→新潟】磯貝潤子さん
「たくさんの大切なものを捨てて選んだのは、娘たちの命」

迷いはすごくありました。でも今はここ福島で、子供を守るためにベストを尽くしたい。

福島インタビュー2-1
●PROFILE 佐原真紀さん

福島

さはら・まき●福島市出身。43歳。NPO法人ふくしま30年プロジェクト理事。18歳で化粧品会社に就職し、上京。東京で知り合った福島市出身の男性と結婚。32歳、出産をきっかけに家族で福島市にUターン。長女は現在、小学5年生。

「何でタンポポとっちゃダメなの?」という娘への答えは

娘の卒園式を控えた11日、福島市内で被災した佐原さん。直後から5日間電気が止まり、夜は真っ暗な中、大きな余震が続きます。

「何がなんだかわからない状態で、携帯電話を車で充電しながら見続けました。福島原発の状況が次々と報道されていて、国や市はただちに影響はないと言っている。最初はそれを信じていたけど、ネットではまったく違うことがどんどん書かれていた。その違いに逆に不安を感じました。その頃、友達が勤めている大病院で医者の先生たちが“危険だ”と言っている、子供を連れて避難した人もいると聞いたんです」

やはり危険なのかもしれない。佐原さんはそう感じ始めます。

「春休み中は念のため、娘を一切、外に出しませんでした。小学校が始まってからも、集団登校に参加せず、車で門まで送り迎え。新しいお友達関係を作っていく時期に娘だけ違う行動をさせることは、娘に申し訳ないような気持ちでしたが……。できれば県外に避難したいとも思いました。迷いはすごくあった。でも家庭の事情で、私たち家族は福島に残ることを選んだんです」

佐原さんは市民の集まりにも積極的に参加して情報を集め、放射能対策をしていきます。震災前は、娘と一緒に2時間も犬の散歩をするのが日課。道端や野原に咲く季節の花を摘んで帰り、家に飾るのが楽しみでした。けれども震災後は「モコの散歩はママだけ行ってくるから、お留守番しててね」。娘を歩いて通学させるようになってからも「道端のツクシもタンポポもとっちゃだめ」。

「まだ小さい娘に、匂いも何もないものを“危険だ”と伝えるのは難しい。『何でダメなの?』と聞かれて『見えないけど、体に悪いものがくっついてるんだよ』と説明しました」

学校では長袖の通学を呼びかけ、窓を閉め切って授業をしていました。5月の授業参観のときは、汗がダラダラと流れたそう。

「こんな暑い中で娘は毎日頑張っているんだ。な~んでこんなに我慢させているんだろう、と思ったら泣けてきて……」

私に何ができる?身近な放射能測定をスタート

家族それぞれがつらい思いを抱えながら、ストレスの日々。これが日常だなんてどう考えてもおかしい!

そんなとき、「保養」(放射線量の少ない場所で一定期間を過ごす活動)の情報を知ります。夫は「子供のことはまかせる。保養も行けるだけ行ってきて」と賛成してくれました。

夏休みに県外保養に出かけた佐原さん。久しぶりに思いきり公園やプールで娘と遊ぶ日を過ごして福島に戻ってきた頃、「市民放射能測定所」の立ち上げに際してスタッフに、と声をかけられます。

「福島に住み続けながら、私に何ができるだろう。子供を守るためにベストな動きをしていきたい。こういう活動を一緒にしていれば、いろいろな情報を得ることができると考えて、参加することに決めました」

食品の放射線測定器とホールボディカウンターを設置、レンタル用にガイガーカウンターを10台備えた測定所。活動するうちに、佐原さんの中に指針ができていきます。

「それまでは噂を信じたり、人の話を聞いて取り入れるしかなかったし、福島産の食品は避けていました。けれども実際に測ってみると、他県の食品から検出される数値のほうが高いことも。単に“福島産だから危険”ではなく、『このメーカーの牛乳は大丈夫』『この産地の桃は大丈夫』と、数値をひとつの基準に判断できるようになっていきました」

福島インタビュー2-2

「食品に含まれる放射性物質が何ベクレルなら食べるか、空間の放射線量が何μSv(マイクロシーベルト)なら安全と考えるのかは、それぞれの方の判断によります。けれどもその数値さえわからなければ、判断のしようもありません。
震災直後、子供を連れて屋外の給水所に3時間も並んでしまったことを後悔しているお母さんたちがたくさんいます。もしもあのとき、テレビで『子供を屋外に出さないで』と言ってくれたら、子供は留守番させたのに……と。そういう後悔をしないためにも、正確な情報はとても大切だと思うんです」



30年後、私はおばあちゃん。子供たちの未来は……?

市民放射能測定所は今、「ふくしま30年プロジェクト」と名前を変え、活動を続けています。

「先日行ったワークショップで、オール福島県産食材のランチプレートを測定したところ、検出限界0・3ベクレルの測定器でND(不検出)でした。福島の農家の方たちの取り組みは本当に素晴らしい。農産物に放射性物質が出ないよう研究を重ね、努力されています。
一方、市内にはまだまだ空間線量が高い場所もあるし、山菜や干し野菜などからは高い数値が検出されます。福島市内で屋外に7日間、大根を干す実験をしたところ、一番高いものは1㎏あたり200ベクレルを超えました」

福島産の農産物を、イメージだけで「危険」と決めつけるのは現状に合っていません。けれど今も日常の空間に、見えない放射性物質が舞っていることもまた事実。佐原さんは今も、娘を外で遊ばせるのは、除染して線量が低いとわかっている一部の公園や、保養先に限っています。

「あるとき、娘が学校で“夢の世界”というテーマで絵を描いてきたんです。緑の野原に花が咲いていて、娘が犬と散歩している絵でした。そんな普通のことなのに、これが娘の夢の世界なんだ、と……」

市内では、震災直後はみな洗濯物を室内に干していたけれど、最近、屋外に干す家も多くなりました。放射能から身を守るという意識は徐々に薄れています。

「不安を抱えながら、周囲の雰囲気に合わせて生活を元に戻し、放射能への不安を口に出せないお母さんたちも増えていると感じます。ふくしま30年プロジェクトでは、放射能について話ができる交流会の場を、これからも提供していきたい。私にできるのは、不安をあおることでもなく、安全をPRすることでもなく、身近な放射能の状況を監視して、測定した数値を伝え続けること。今後、一部区域では避難指示解除が予定され、福島への帰還を検討する人も増えてくると思います。県外に避難している方たちとの交流会を開いて福島の現状を伝えたり、福島に戻る判断材料も提供していきたい」

セシウム137の半減期は約30年。30年にわたって、子供たちの未来を守っていきたいという思いで名付けた「ふくしま30年プロジェクト」。けれども放射能の影響は、さらにその先も続きます。

「30年後、私はおばあちゃん。そのとき、次を担ってくれる若者がたくさんいてほしい。でも果たしてどうなるんだろう。5年後、10年後、私たちは忘れられてしまうのかなぁ」

NPO法人ふくしま30年プロジェクト

ふくしま30年プロジェクトは現在、インドアパーク「チャンネル スクエア」内に。
「遊びに来たついでに保養情報を見たりできるよう、身近な場所から情報発信をしていきたい」

http://fukushima-30year-project.org/

私が佐原さんたち被災ママの取材を続ける理由

井上きみどりさん

井上きみどりさん

いのうえ・きみどり●漫画家
著書に『子供なんか大キライ!』『私たちの震災物語 ~ハート再生ワーカーズ』ほか。
現在、さまざまな社会問題を取材し、ノンフィクションエッセイ漫画を次々に発表中。2人の娘を持つ母。

この時代に生きて子供を産んだ私たちのすべてが当事者だから

井上さんは震災の翌年から福島の「今」を伝える漫画を描き続けています。

「私が住む宮城県は、福島原発から80キロ。爆発が起こったときは"こんな時代に子供を産んでよかったのか"と、ポロポロ涙がこぼれました。けれども多くの人は"福島はたいへんね"という他人事のような雰囲気。そのことにものすごい違和感を覚えました。これは日本人すべての問題です。福島に住むお父さん、お母さんたちの思いを伝えることで、みんなに当事者意識を持ってほしい。福島のことを知るきっかけにしてほしい。そんな気持ちで『ふくしまノート』を描き始めました」

けれども福島の人たちの、言葉にできない思いを伝えるのはあまりにも難しく、迷いながら、悩みながら取材を続けています。

「最近、事故当時は小学生だった福島の高校生たちが、自分たちの言葉でどんどん発信を始めています。先日も、高校生が企画した相馬市でのイベントに出かけました。そこに東京から参加した女子高校生がこんなことを言ったんです。『今、福島のことを忘れてる人も多いかもしれないけど、私は忘れていません。福島のために何かしたい。そう思っている高校生もいることを知ってほしい』。涙が出そうでした。私たち大人も決して忘れないぞ!とあらためて思っています」

『ふくしまノート』

『すくすくパラダイスぷらす』で連載中。佐原さんが理事を務める「ふくしま30年プロジェクト」の話は第23話、本文中の相馬市のイベントの話は第24話で読めます。

『すくすくパラダイスぷらす』


撮影/高村瑞穂 取材・文/石川敦子
この記事は2016年3月7日発売LEE4月号でのインタビューを再掲載したものです。

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