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渡辺有紀子

保育園激戦区での保活体験。いつから始めてどう行った?

  • 渡辺有紀子

2020.01.13

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年末から家族が不調で、
お正月は私がダウン…

遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。

12月後半から、わが家は家族の不調が続きまして。娘がインフルエンザA型になり、わりとすぐ回復し家族には感染せずに済んだのですが、なぜかその後夫が溶連菌に感染。
私も1~2週間咳が止まらず、なかなか病院に行けずにこじらせてしまい、咳のしすぎで肋骨にひびが入り、年末年始は新潟の実家に帰省すると同時にダウンしていました。実家で母や兄に助けてもらい、子どもたちは年の近いいとこたちに遊んでもらい、本当にありがたかったです。
そういえば、息子が1才になる前の冬にも息子のRSウイルスがうつって、肋骨にひびが入り、病院で「肋骨のひびは何もできないから治るまで休養しながら耐えるしかない」と言われて絶望したことを思い出しました。甘えん坊な息子は抱っこでしか昼寝をしてくれず、いつも胸の上にのせてソファで寝ていたので、肋骨が痛くても抱っこしていたなぁと。
そして、ちょうどそのころ、保育園の合否の連絡がきて、痛みが残るなか、入園のための面談などでバタバタしていたことも思い出しました。
ちょうど今ごろは、4月入園の1次募集で入れなかった人は2次募集に応募して、その結果を待っているころではないでしょうか? わが家も、4年前は、下の子の2次募集の結果を待ちながら、入れる可能性がある無認可園の説明会に参加していたころです。
これから保活をする方の参考になるかどうかはわかりませんが、わが家の保活を振り返ってみたいと思います。

実家では、カースペースでチョークで遊んだりできるので、私の体調が悪くてもちょっと外で遊ばせることができて助かりました。東京では、ちょっと遊ぶにも公園に行かないとなので、体調が悪いときは無理です(泣)

 

1人目は1才からの4月入園で、
第2希望の保育園に入れました

わが家は23区の中でも「保育園激戦区」と言われる区に住んでいます。一人目のときは、9年も前になりますが、そのときから「激戦区」と言われていました。でも、会社に同じ区に住んでいるママが数名いて、「激戦区とは言われているけれど、夫婦ともにフルタイム勤務の会社員だったら、どこかしら入れるよ」と言われていたこともあり、実はそんなに焦っていませんでした。
息子の場合、3月末生まれだったこともあり、区の認可園の1才からの4月入園だけに狙いを定めました。激戦区なので選べる立場ではないと思い、見学などは行かず、登園できそうな範囲の園に歩いて回り、現実的に毎日通える距離かどうかだけを確認し、希望を書ける欄が第6希望までだったので、通える範囲の園を1才児の入園枠が多い順に並べて、第1希望から第6希望まで記入しました(当時、保活初心者の私は間違えてしまいそうになったのですが、1才児の定員が13人と書かれていても、0才児の定員が10人の場合、1才から入れる数はたったの3人なんです。0才児クラスがない、1才児からの保育園だと1才児がたくさん入れるので、1才からの保育園に絞り、駅近の園はすごく人気と聞いたので、駅から少し離れた住宅街にある園を狙いました)。
あとは結果を待つだけ!と思っていましたが、児童館や子育て広場で保育園申し込みの話題になると、「今年は厳しいとみんな言っているから、認証に申し込んだ」という人が多く…。そう言われると急に不安になり、急いで少し離れた認証保育園に見学&申し込みに行くと、「先着順で受け付けていて、キャンセル待ち36番です」と言われ、さらに不安に。
発表の1週間くらい前からは常にネットの掲示板でほかの区の方々の合否結果速報をチェックしては、一喜一憂していました。入園通知の日はtwitterで「〇〇区 保育園」で検索をし、同じ区の人たちに通知が来ているかどうかチェックしていました。
午後になって第2希望の区立の保育園から電話をもらい、とにかくほっとしました。
そして、その日の夕方には、「36人待ち」の認証園からも「キャンセルが出て、順番がきましたが、どうしますか?」と連絡があり、認可園に決まったことを伝え辞退をしました。

 

入園が決まると、
すぐに面談や健康診断がありました

無事に入園が決まり、ほっとしましたが、すぐに入園のための園長先生との面談や、健康診断があり、肋骨の痛みに耐えながら出かけました。
園長先生との面談で、シーツや布団カバー、手提げなど、手作りするもののサイズや作り方が書かれた紙や、用意するもの一覧が書かれた紙が配られ、手作りするものの多さに「どうしよ~」となり、すぐに裁縫が趣味の母に電話しました(笑)。
面談では、「0才児クラスのない保育園なので、給食に離乳食がありません。食事は5才児とほぼ同じ内容で、少し小さく切ったりする程度なので、なるべく固形物を食べる練習をしてきてください」と言われ、1才直前であわてて離乳食から幼児食に切り替えました。
「ミルクでの授乳も保育園ではできないのでご了承ください」と言われましたが、ちょうど肋骨のひびの原因となったRSウイルスの治療のためのの抗生物質を服薬するタイミングで断乳をしていたので、そこは問題なしでした(断乳は大変でしたが、薬を飲むから…という理由があったので、引きずることなく固い意志でできたのはよかったです)。

 



2人目は1次募集で全滅!
焦りました

1人目はわりとすんなり決まったのですが、2人目は苦労しました。わが家は年齢差は4才ですが、学年が5学年離れているので、2人目が保育園に入るときは、1人目は小1。「きょうだいポイント」と呼ばれる在園児ポイントが加算されないのです。また、上の子が小学校入学する前の冬の始まりに、同じ区内ですが、住宅を購入し引っ越しをしたこともあり、1人目のときとは違うエリアでの保活となりました。でも、1人目のときよりだいぶ保育園も増えているので、4月入園ではどこかに入れると思っていたんです。
まず、年度の途中では絶対に入れないことはわかっていましたが、育休の1年が終わる12月の入園を申請。予想通り、入園はできませんでしたたが、入園できないという証明をもらい、会社には育休延長の手続きをして、本命の4月入園の申し込みをしました。1人目のときと同様、1才児の枠が多い、通える範囲の園を第6希望まで記入し、結果を待ちましたが、結果は全滅…。

引っ越しですぐのころ。近所の公園巡りをしながら、保育園の位置を確認してグルグル回っていました

 

2次募集は第20希望まで
欄外にはみ出して記入しました

2次募集では、現実的に通えそうな6園のほかにも、かなり遠い遠い園も含めて合計20園を欄外にはみ出して記入しました。同時に、通えそうな距離にある無認可園に電話をすると、区に認可園の1次選考で落ちた人のための入園説明会があると言われ、その週末にはすぐ参加しました。説明会では、「(ほかの園が決まって入園を辞退しても戻ってこない)入園料を払ってくれれば、今なら絶対に入園を約束しますので、早めに入金してください」と言われ…。2次も全滅で復帰できないことになったら困るので、約10万円の辞退しても戻ってこない入園料を保険料として払いました(泣)。
2次の発表は2月の前半でしたが、20園も希望を出したのに、まさかの全滅。区役所の保育園担当の方から、「キャンセル待ちをすれば、辞退者が出た場合は繰り上がることもあります」と言われたので、キャンセル待ちを希望し、連絡がいつになるかわかりませんが、待つことにしました。
2月の後半、もう諦めて無認可園に入る準備を始めようと思っていたころ、区役所から電話が。「第12希望の保育園、キャンセル待ち20番でしたが、辞退者が複数出たので入れることになりました」と。「ただ、どこの駅からも徒歩20分ほどかかるんです。どうしますか?」と言われ、夫と相談をする時間をもらいました。自宅からは自転車をこいで25分ほどの距離。そして、園から仕事に向かうための駅に出るにも自転車で約20分。送迎だけで1時間(朝夕合わせると2時間!)ほどかかりますが、保険としておさえている無認可園は印象があまりよくなかったこともあり、行きは夫、帰りは私と送迎を分担し、遠い認可園に通うことに決めました。

 

送迎がつらかった1年を経て、
近所の新設園に入園

私が当時勤めていた会社は定時が18時で、1人目のときは19時15分までの延長保育を利用して定時上がりにしていたのですが、2人目は迎えに行って帰ってくるだけで約1時間かかるため、定時まで働くと帰宅は20時過ぎになってしまいます。小1の上の子を2時間もお留守番されるわけにもいかないので、時短勤務を申請し、17時で上がらせてもらうことにしました。
それでも、どんなに急いで帰っても家に着くのは18時50分くらいでした。上の子の学童保育が終わるのが18時15分、そこから友達とゆっくり歩いて家に帰ると18時30分くらい。上の子が1人になる時間を減らすため、少しでも早く家に帰りたくて、保育園のお迎えは常に全力で自転車をこいでいましたが、仕事の後、真っ暗な道を50分ほど自転車をこぐのはなかなかハードで。フラフラになりそうでしたが、1才になったばかりの子どもを乗せているので常に緊張感を持って、また、「こんなに長時間自転車をこぐのだから、これはきっとトレーニングだ」と自分に言い聞かせて下腹部に力を入れて自転車をこいでいました(笑)。
雨が降った日は本当に大変で。どの駅からも徒歩20分、自宅からも徒歩50分くらいかかるので、雨の日はタクシーを呼ぶしかなく…。でも雨の日はタクシーを見つけるのもひと苦労。配車アプリにはとてもお世話になりました。
夫も初めての保育園送迎が長距離で、相当しんどかったようで、ペーパードライバーを卒業し、車の運転をすることを決意! 18才で自動車免許を取得してから一度も運転をしたことがなかった夫ですが、秋にはペーパードライバー講習の個人レッスンを受けて、冬には中古車を購入しました。
が、娘はしばらくチャイルドシートに座らせようとすると絶叫して大暴れだったため、保育園の送迎で車を使う際は、私と夫の二人で付き添う必要があり、それもまた面倒で、結局、晴れの日は自転車、雨の日はタクシーでした…。
ある日、夫が「車いらなかったね…」と自虐的につぶやいたのを娘はしっかり聞いて覚えていたようで、車で狭くなった家の敷地内を私と一緒に通るタイミングで、「くるま、いらなかったね~」とニコニコ笑顔で言っていました。
その冬、来年度の4月入園の申請時に転園を申し込み、転園ポイントがついたおかげもあり、自宅の最寄り駅に近い新設園への転園が無事に決まりました。

チャイルドシートのベルトがイヤだったようで、ベルトを装着すると絶叫。食いしん坊な娘ですが、ジュースやお菓子でごまかしてもダメでした。これは絶叫しつつも、初めて発車できたときの記念すべき写真

 

ポイントを必死に集めなくても
保育園が入れるようになってほしい…

2人目の育休復帰後の1年は、本当に記憶がないです。もう少し近い園に入れたら、こんなに苦労しないのに…という思いはあったので、区長宛ての意見箱に「働くママがポイントを必死に集めなくても保育園に入れるようにしてほしい」というようなメールをしたことは覚えています。
ポイント制については、思うことがたくさんあります。育休1年とらずに早めに切り上げて、無認可園に預けているほうが加点があるので、そうなるとせっかく1年間の育休をもらえてその間は育児に専念したいと思っていても、保育園入園のために諦めなくてはいけません。保育園のために泣く泣く復帰を早めているママ、きっとたくさんいますよね。
また、きょうだいポイントも、入園児に在園しているきょうだいのみに加点という制度では、年齢差のあるきょうだいのママは、1人目で育児と仕事の両立を頑張っても、2人目や3人目の育休明けに仕事継続を断念しないといけないかもしれません。できれば間をあけずに2人目以降がほしいと思っていても、仕事の都合やタイミングもありますし、それに、ほしいと思ったタイミングですぐできるものではないですよね…。そのあたりがもう少し改善されて、必要な人がみんな保育園に入れたら…という思いが常にあるので、昨年紹介した『待機児童がいない北欧に学ぶ ママの自尊心を削らない子育て、どうする?』というトークイベントでは、フィンランドの素晴らしい保育園事情を聞きながら震えました。
今、私自身、アクセスのいい保育園に預けることができ、安心して働くことができているのは、区が頑張って保育園を増やしてくれているおかげで本当にありがたいことなのですが、今後はフィンランドのように、「これから仕事を始めたい」と思ったママたちでも保育園に預けて仕事探しができるような、そんな社会になってくれたらいいなぁと。また、仕事が理由ではなくても、ちょっとリフレッシュしたいというときに使えるような一時保育ももっと気軽に利用ができるようになり、今より少しでもママたちの生活がラクになったらなぁと思います。

何度も熟読した保育園申し込みの説明書。なかなか捨てることができません…。

渡辺有紀子 Yukiko Watanabe

編集・ライター

1979年、新潟県出身。妊娠・出産・育児の雑誌編集を16年間経験。家族はレコード会社勤務の夫、2010年生まれの息子、2014年生まれの娘。ほぼワンオペで仕事と育児の両立に奮闘するも、娘の便秘通院をきっかけに退社し、フリーに。趣味はクラシックバレエ。

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