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飯田りえ

専業主婦から5つ星ホテル幹部に! 薄井シンシアさんに聞く『子どもが語学を学ぶ上で大切なこと』

  • 飯田りえ

2019.11.04

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専業主婦は立派なキャリアになる――

身をもって示した女性がいます。

薄井シンシア●1959年生まれ。海外勤務の夫について20年間海外で暮らす。17年間の専業主婦の後、47歳のとき、バンコクで“給食のおばちゃん”になる。帰国後、52歳で電話受付のパート。その後、3年でANAインターコンチネンタルホテル東京の営業開発担当副支配人になる。シャングリ・ラ ホテル東京勤務の後、現在、東京2020オリンピックトップパートナーのホスピタリティ担当に従事。

17年間専業主婦をした後、学校の“給食のおばちゃん”からリスタートした薄井シンシアさん。そこから10年で5つ星ホテルの幹部にまで登りつめました。著書『専業主婦が就職するまでにやっておくべき8つのこと』は、NHKでドラマ化され大きな話題となりました。こうしてキャリアを一気に登りつめたのも、もちろんご本人の生まれ持った才能と涙ぐましい努力があってのことですが、それに加え『考え方の柔軟さ』にあると、著書を読んで思いました。考え方、捉え方一つで、可能性がどんどん広がって…ハッとさせられることばかり。そして、自分の考え方が凝り固まっていたことに気づかされました。

そんなシンシアさんですが著書の中で、「専業主婦をしていた17年間は、狂おしくなるほど愛しく大切な時間だった」と綴られています。育児と家事に全力を注いだことが伝わります。果たしてどんな育児をしていたのでしょう?ちなみに、娘さんはハーバード大学を出られ、外資系金融機関で勤務後、ハーバードロースクールに戻り、現在アメリカで弁護士としてご活躍中。さらに、4ヶ国語を母国語レベルに使いこなす才女中の才女です。

そう聞いて「次元が違いすぎる」「そもそもの地頭が違う」と思うことなかれ。もちろん、私も最初はそう思いましたが、シンシアさんのことですから教育方法もとても柔軟で、アイデアに溢れているに違いない…。

ぜひ、参考にさせて頂きたい!ということで今回、悩める母たちが集まり勉強会が開催されました。テーマは『子どもの語学習得』について。どうやってお子さんに語学習得させたのか、どうすれば4ヶ国語も習得できたのか、この辺りを軸にお話を伺いました。その時の様子を2回にわたってお伝えします。

シンシア流・語学習得法「まずは強い言語を、土台をしっかり作る」

ご主人が外務省だったので、海外駐在がつきものだったシンシアさん一家。「みなさんは外国語=英語だと思いますが、娘が一番苦労したのは日本語習得でした(苦笑)」。最初の転勤は娘さんが1歳半の時にナイジェリアへ駐在することに。まずシンシアさん最初に準備したことは『おかあさんといっしょ』の録画でした。3ヶ月分のビデオテープを現地へ持ち込んだそうです。

とにかく私のやるべきことは、家族のために、日本と全く変わらない環境を作ってあげること。どこの国に行っても安定した生活を目指すのが私の仕事だったのです」朝の9時〜と夕方5時〜、おかあさんといっしょのビデオを見て日本語で生活。あとはディズニーの映画やCNNニュースを英語で見聞きして育ちました。3歳になり、ナイジェリアの駐在員コミュニティーが運営している幼稚園へ。

「娘は幼稚園ではひと言も話さなかったけれど、言葉は理解できていたので慌てませんでした」結局、ナイジェリアの幼稚園では1年間、何も話さず過ごしていたそうです。

4歳の頃にN.Yへ。引っ越した先の幼稚園からの帰り道、これまで日本語で話していたのに、突如、英語で話しかけてきたそう「私が先生と英語で話しているのを知った日以来、”ママとは日本語を使いたくない戦争”が始まったのです。この日から日本語取得に対する悩みが始まりました」

しかし、日本語補習校について相談へ行くと、校長先生からは意外な回答が。「お子さんは真面目だし、月〜金の通常授業で疲れているから、土日曜ぐらい休ませてあげたら?無理に今、日本語を入れなくても、自分の中で一つ強い言葉ができれば、他の言語も引き上げられるので大丈夫ですよ。」このベテランの校長のアドバイスに従い、日本語の補習校はやめてまずは英語中心で学び進めることに方針転換したそうです。

カッコ悪い道を通らない限り、語学は上達しない

安心していたのも束の間、小学校に入るとフランス語がスタート。

「日本語をやめたのにフランス語が入るなんて!と先生とまた戦いました。『今すぐやめさせたい!』とお願いしたら、『フランス語って言っても小学校1年生だから歌ったり、挨拶したり、楽しむ程度ですよ。みんながフランス語の授業している間に彼女だけ抜けるなんて、ほかでダメージ来るからやめたほうがいい。お母さん、もっとリラックスして!』とアドバイスされました」そのままフランス語を受講。しかし、ここで事件が起こりました。

「娘は真面目な子だから成績は全てvery goodだったのに、フランス語だけsatisfactory(3段階中の3番目)で本人もショックが大きかったみたい」評価の理由は、意味は十分理解しているのに、“何も話さない“から。それ以来、自分自身で考え方を切り替えてどんどん話すようになったそう。

「彼女自身、自分のするべきことは”しゃべること”だとわかったので、積極的に話し始めました。すると高校生になった頃には、4ヶ国語母国語レベルに。娘曰く『発音も文法も気にしないで、とにかく話す。とにかくカッコ悪い道を通らなければ、語学が上達する道はないよ』と。彼女はそのことに自分から気がついたのがよかったのです」

小2を終えて日本に帰国。数年後にはまた海外赴任になる、とのことでしたので、東京のアメリカンスクールへ編入。漢字のテキストをどっさり渡され、そこはご近所で家庭教師を見つけて習得し、小3〜5では日本語クラスで1番を取るようにまでなりました。そして「勉強しなさい」とは行ったことがなく、とにかく親子で本を読むようにしたと言います。

「娘は本が大好きでした。読み方も独特で、まず1回読んで、その後、2回目読むときは着替えて自分のキャラクターを物語に加えて読む…という、少し変わった娘でした。毎回、いろんなコスチュームを着て読んでいるのだけど、私は注意しませんでした。そのことで可能性を潰すことになるから。」



お祭り、行事、ドラマ…楽しみながら体験できる場を作る

日本語習得ができたというのに、小5の時にウィーン行きが決定。ここで、再び「日本語」の心配事がシンシアさんを襲います。

まだ小5の娘なのに、高校のガイダンスカウンセラーに相談しました。端から見たら完全にタイガー・マザー(=教育ママ)よね。カリキュラムを見るとドイツ語、フランス語は必修科目に入っている、けれど、私としては日本語も失いたくない。そこで、娘の語学選択について、先を見据えた確認をしたかったのです。」

すると、カウンセラーからは「パスポートは日本ですか」と尋ねられたとか。「もしアメリカの大学に行くなら、日本語は当前だと思われるため、そこに力を入れてもメリットはない。英語・日本語ができて、さらにフランス語・ドイツ語ができた方がメリットになる」と。さすが、先を見据えてプロに相談するあたりがシンシアさん。明確な指標が見えてきたところで娘さんと相談しその結果、ドイツ語とフランス語は必修なのでやる、日本語は家庭教師をつけて維持させる、あと毎日10分は日本語で本を読む、この3点を取り決めたそうです。

「実際どうなったかというと…この毎日の10分の読書が戦い! 本が大好きな娘だけあって、日本語で読むのが面倒でしかないのです。常にこれでけんかしていました。でも、子どもと17年間しか一緒に過ごせないのに、毎日けんかして過ごすのかと思うと、悲しくて悲しくて。そこで私は娘に言いました。『もう日本語を捨てましょう。金輪際、ママは何も言いません。リマインドもしません。10分読むか、読まないかはあなたの決断ね。あと、家庭教師はどうする?続けるんだったら何も言わない、宿題やるかやらないかはあなたが決めなさい。ママはお金を払うだけよ』と。」

母としての葛藤がものすごく伝わるエピソードだと思いました。親として大切にして欲しい日本語の習得よりも、娘とケンカばかりして過ごすことへの懸念から、自分の考えをあっさり捨てられたのが…素晴らしい。とは言え、日本語を諦めた訳ではありません。ここからがシンシアさんのすごいところ。

「ご飯は徹底的に和食。”ひじき“などを出して食事から日本を徹底的に伝えました。ご飯の時は、当時の日本のドラマを2話見て、生活の中にとにかく日本を取り入れて行きました。そして、節分や十五夜のような日本の伝統行事や祭りを検索し、自宅で必ず行いました。とにかく日本語は諦めても、は”日本人の家族“であることは諦めたくなかった。娘には日本人としてのアイデンティティは保って欲しかったのです。」

自分自身に火がついて、3ヶ月で日経新聞を読破した

最終的にイェール大学、プリンストン大学、ウィリアムズ大学、ハーバード大学…という名だたる名門校から合格をもらい、自身でハーバードを選び進学。(それも日本での就職を考えた時に有利な点で選んだそう)しかし、彼女にとってショックな現実に直面しました。

「娘は『私が日本人だ、と言っても誰にも信じてくれないのよ!』と怒っていました。『でもね、あなた日本語まともに話せないでしょ?』って私は現実を伝えました。そこから彼女自身に火がつき『3ヶ月間で日経新聞を全部読めるようになりたいから、家庭教師をつけてください』と自ら目標設定したのです」

以来、生活から全て英語をシャットアウトし(もちろんシンシアさんも同様に)、ニュースも日本語で見ます。すると、本当に3ヶ月で日経新聞を読破されたのです。長年、シンシアさんが気にかけていた日本語も、本人の意思が伴うと3ヶ月で習得できてしまうのですね。そしてなんと大学卒業後は、日本に帰国し就職することが決まりました。

「外資系金融機関とはいえ、仕事の中身はドメスティックだからあなたは本当に苦労するよ、と彼女に伝えました。でも、娘から言われたのは『このままハーバード卒業してアメリカに残ったら成功するのは目に見えている。21歳で成功が決まっているなら、人間必ず怠けてしまうわ。だったら日本に帰って、一番苦手な言葉で仕事して、そこから成功した方が私は成長します』って。もう、これを聞いた時にもう何もいうことがありませんでした」

実際、会社に入った当初は相当、苦労されたそう。しかし、3年間で契約の翻訳業務なども携わり、十分活躍した後にアメリカに戻りました。

「日本語が苦手なまま、アメリカに残っていたのでは、彼女自身の心構えが全く違っていたと思います。苦労したけれど、自分は日本でもやっていけた、という自信をつけてアメリカに戻れて本当によかったと思います」

塾に行かせるよりも、まず生活に外国語を取り入れること

シンシアさんは日本語の習得に対しては、とにかく手を替え品を替え、工夫していました。

「漢字の勉強一つとっても、1日10個ぐらい覚えないといけないでしょう。でもただ、書くだけでは退屈。そこで思いついたのが、彼女は物語が大好きだから、漢字1文字を使ってお話を考えてお弁当に忍ばせておきました。例えば”電”という漢字だったら、『電車が電信柱に当たって、すると電気が切れて…』みたいに、10個ぐらいの単語を繋げた物語を書いてお弁当に忍ばせていました。ママへのお返事として続きのストーリーを考えてね…と。とにかく工夫しましたね。」

何か不得意な分野があったら、安直に「塾に生かせればいい」って思いがちですが、そう言う問題ではないとシンシアさんは言います。

お金払って塾に入れればいいって訳ではないですよ。勉強も大事だけど、まずは楽しい体験から。英語なら英語で、生活の中にどんどん取り入れればいい。そして、それぞれの子どもの性格を見て、興味を引き出すものを英語で取り入れていくのが大事だと思います」最後に子育てについて、こう締めくくりました。

私の子育ては”解決策を探すこと”だと思っていますそして、いかに逃げ道を作ってあげられるか。私自身、元々何が得意なのかを見極める力などは得意で、ビジネスも子育てにも活用していました。ただし、子育ては期間限定。あっという間に子どもとの時間は過ぎ去ってしまいます。皆さん、それを覚えておいてくださいね!」


環境が違いすぎる? 頭が良すぎる? どうしても、遠い話と思いがちだけれど、よくよく聞いていると、それだけでは決してありません。子どものキャラクターをしっかり見極めて、子どもが楽しめるように自分自身で考えて、工夫して親が生活に取り入れて…、この努力の賜物なのだと思いました。そして、何よりも親が道を示すのではなく、子どもの行きたい道を尊重して、そっと逃げ道を用意しておく。このスタンスが素敵だなぁと思いました。主体的に子どもが自分の生きる道を選び、いざ、何かあったときのために親がアドバイスする。この姿勢はぜひ、見習いたいな、と思いました。

後半は実際に当日の勉強会で相談されたお悩み編です。凝り固まった母たちの考え方に、これまた軽快な回答が続々と! 後半もお楽しみに!

 

飯田りえ Rie Iida

ライター

1978年、兵庫県生まれ。女性誌&MOOK編集者を経て上京後、フリーランスに。雑誌・WEBなどで子育てや教育、食や旅などのテーマを中心に編執筆を手がける。「幼少期はとことん家族で遊ぶ!」を信条に、夫とボーイズ2人とアクティブに過ごす日々。

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