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飯田りえ

ウーマン・リブを知らない私が、心をわしづかみにされた映画『この星は、私の星じゃない』インタビュー

  • 飯田りえ

2019.10.19

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突然ですがウーマン・リブをご存知ですか?

1970年代初頭、「女らしく生きるより、私を生きたい」と女性たちが立ち上がった解放運動です。私も教科書程度の知識しか持ち合わせていませんでしたが、これが当時の日本社会にどれだけのインパクトを与えたことでしょう。SNSはおろか、ネットも携帯もない50年も前に#Me Tooと同様の運動が日本各地で巻き起こったのです。(しかし悲しいかな、未だ日本のジェンダーギャップ指数は149カ国中110位という情けない数字ですが

そのウーマン・リブを強く牽引したカリスマ的リーダーである田中美津さん。あの上野千鶴子さんをして「フェミニズムの原点。時代を表す固有名詞」と言わしめた女性です。76歳の今でも鍼灸師として多くの患者さんと向き合いつつ、執筆活動や沖縄の基地問題の活動をされています。

そして今秋、4年にも渡って彼女を密着したドキュメンタリー映画が公開されるとのこと。タイトルは『この星は、私の星じゃない』

これだけを聞くと、厳しくて難解で、終始重たい気分になるドキュメンタリーなのかなと、身勝手な私はそう捉えてしまいました。しかし、実際に映画を見ると、強固なフェミニスト像から一変、なんてキュートな女性なのでしょう!

今も多くの人の苦しみや悲しみ、生き辛さを”自分ごと”として捉えていらっしゃいます。何よりも小柄で華奢な体から発せられる強い言葉、着かざることなく語られる等身大の言葉の数々が、容赦なく私の心をわしづかみにしたのです。

彼女の言葉は今の時代の閉塞感、生きづらさにも応えてくれるかもしれない。

これはもう会いに行くしかない、と田中美津さんご本人と吉峯美和監督にインタビューをお願いしました。

今の世に、田中美津を残しておきたかった理由

__吉峯監督は4年近く密着され、自主製作のためクラウドファンディングで資金調達もされたそうですが、どうして今の時代に田中美津さんの作品を撮ろうと思ったのですか?

田中美津さん(以下、田中):ハハハ、もうすぐ死ぬから(笑)。

吉峯美和監督(以下、吉峯):いやいや、そんな気配、全然ありませんけどね(笑)。

2015年にNHKEテレで戦後70年の女子解放史をたどる番組を担当し、歴史を切り開いてきた諸先輩方を取材させて頂きました。その数十人いたキラ星の中でも、田中さんのお話が断トツ面白かった。大体、昔ばなしになっちゃうのですが、田中さんの話はまさに”今”の話だったのです。「女性解放よりも “私”の解放を大事にしろ!」と。今だからこそ刺さる言葉だ、と思ったのです。

__この方の”今”を記録しないといけない、と。

吉峯:そう。そこから色々調べてみると『フェミニズムの名著50』という世界の中から選ばれた50冊の中に、日本から5人選ばれていて、平塚らいてう、与謝野晶子、高群逸枝、山川菊栄、そして田中美津ですよ。平塚らいてうを撮るようなことだから、これは自腹でも撮らないといけないでしょう。

__それでカメラが回っていない時もマイクを付けて言葉を拾い続けた?

吉峯:そうです。急に面白いことをおっしゃたりするので。カメラが回っていない時にも録音できるよう、音声だけは全て拾いました。

自分のためになるかどうか、それが意思決定の主軸

__監督からの取材依頼を4度も断られた、と伺いました。

田中:今までドキュメンタリー映画に出てよかったと思ったことが少ないから、またか、面倒だなと思った。あと辺野古への活動も始まったところだったので、忙しかったのよ。

監督:それでも初めてお会いした時「あなた、どこかで会ったことあるわね?」って言われて。「これは運命だ!」って私は思いましたが、覚えていますか?

田中:全然(笑)。でも、彼女の第一印象は良かったですよ。目が綺麗な、開かれた感じの人だなぁって。

__監督は諦めず懇願しましたね。田中さんが最終的に受け入れたのはなぜ?

田中:断るのが面倒くさくなったの(苦笑)。これだけ熱心だから、今までのドキュメンタリー番組よりはいいかもと思って。

監督:私も教科書みたいな歴史の紹介ではなく、今まさに生きて、考えて、行動して、生活している美津さんを撮りたかったのです

田中:その辺りの視点に惹かれたのだと思う。教科書的なのものって、人の役には立つかもしれないけど自分のためにはならない。もう76歳なんだから、残された時間とエネルギーを自分のためになる事に使いたいって思うのねだいたいこういう触覚で生きていると、そう人生間違えないですよ。「人のために頑張る」とか「良いことをやろう」とすると、つい自分らしくないことをやってしまうでしょ?それが嫌なのです。

__”自分”のために。だからいつも自然体なのでしょうね。

田中:自分は小さな生きもので大したことのない人間だから、その大したことない自分もひっくるめて映画にしてくれるといいなぁって、思ってました。だって何か成し遂げた人の映画って、見ない前からわかっちゃうような、、「偉い人の話」になりがちでしょ。

「この星は、私の星じゃない」に込められた思い

沖縄の久高島にて ©パンドラ+BEARSVILLE

__実際に出来上がった作品を見られていかがでしたか?

田中:最初の3回ぐらいは「あっちのズボンにすれば良かった」とか、つまらないことばっかり気になって、よく映画のことはわからなかったの(苦笑)。4回目、あいち国際女性映画祭の時にじっくり見て「いい映画じゃない」と、初めて思いました。

__なんと!(笑)

吉峯:ひどいでしょ?

田中:撮っている吉峯さんも肩に力が入っていなくて、そこが一番気に入りましたね。

__3~4年も密着されていたのですものね。その間、吉峯監督はずっと映画に専念されていたのですか?

吉峯:毎日ロケではないのでその間は仕事もしていましたが、昨年、編集作業に入ってからはこの一本に専念していました。編集を進めて、テーマがより明確に見えてきて結局、今年の4月まで撮影していました。

__タイトルにもある『この星は、私の星じゃない』という言葉ですが、幼少期から田中さん自身、常に感じていたそうですね。

田中:生き延びるためには”諦め”も必要でしょ。「私ってかわいそう」という被害者意識は持ちたくないから、うまくいかないのは「この星は私の星じゃないからだ」と思うことで諦めをも力にしてきたのね。映画でもチャイルド・セクシャアル・アビューズ(子どもへの性的虐待)に遭った事を少し触れていますが、「なぜ私の頭に(だけ)、石が落ちてきたのか」と幼い時からずっと考えていたから、悲しくなると「この星は〜」と思って落ち込みすぎないようにしてきた。そうでないと、遂には生きていたくないと思ってしまうから。

吉峯:引きずっちゃいますよね。私ってかわいそうって。かわいそうな私を抱きしめながら、ずっと生きて行かないといけない。



自分の中にいる「膝を抱えた少女」に会いに行く、と言うこと

__パンフレットの中に『膝を抱えて泣いている少女がいる』というフレーズがありましたが。

吉峯:若い女性スタッフたちと食事の際に田中さんから「自分の中の膝を抱えた少女の存在を忘れちゃいけない」と言われました。その意味を一生懸命考えていたら、思い出したのです。私自身、親のしつけが厳しく、今でいうと虐待とも言える様な事も。その時、「この星は私の星じゃない」と同様な事を思っていたな、と思い出したのです。でもそんな事はなかった様に、自立した女性として男並みにバリバリ働いていた。でも田中さんのその言葉で、自分の中にも弱い部分=柔らかな部分があったことを思い出したのです。

__自分の中の”少女”を見つけたのですね。

吉峯:あのメッセージは「(あなたの様に)鎧を着ている人には、私は捕まらないわよ」と受け取りました。そこから、田中さんの中の少女と私の中の少女が共鳴し合う作品になればいい、とテーマが見えてきたのです。すると作品に必要な要素もはっきりしてきた。

田中:お互いの中の”少女”が出会ったせいか、すごく優しくて柔らかな感触の映画になったと思う。そういう風に初めから作ろうとしたというより、映画自体の息づかいとしてそれが感じられるのがいい。

__撮ろうと思って撮れる作品ではないですし、そもそも、今回の企画書って、文章にするのが難しそうです。

吉峯:もちろん最初に企画書はありましたよ。「現代の平塚らいてうを撮る」みたいな(苦笑)。今の作風とは全く違います。

田中:でもさ、平塚らいてうも「膝を抱えた少女」を心の中に持っていたと思うの。そういう部分を見たかったね。

__今のお話で納得しました。想像していたウーマン・リブのレジェンド、と違って、とても柔らかで親近感があり、いい意味で裏切られた感じでした。

田中:本人に会うとホントに大したことないんで、さらに安心するでしょ(笑)

吉峯:家の中はほとんど私一人で小さなカメラを回していました。普通だと男性カメラマンと音声さんと監督とで、空間を占めちゃうから、その点も大きかったと思います。

田中:(吉峯さんは)すっかり溶け込んでいたからね。

リブを生きる女性たちが、とにかくみんな楽しそう!

ウーマン・リブの拠点”リブセン”での1シーン ©パンドラ+BEARSVILLE

__映画を見て”自分”について考えるようになりました。母親、仕事、妻、いろいろな役割がある中で、”自分”がないがしろにされていたな、と。

田中:自分を生きてこないと、歳をとった時に後悔するよね。映画もそう。そこが男の人が作るものとの違いかもしれないけれど。男の人って自分と関係のないもの作りますから。

吉峯:そうですね。女の人は自分に関係するものを作る、それが女の強み。でも男社会の中にいると、いかに”客観性を持たせるか”ができていないといけない。自分のことだけにこだわっていると「だから女は」みたいな話になる(苦笑)。

田中:この作品は女が、女を撮った映画だって、すぐにわかる。だって男友達がこれを見るでしょ、何にも感想を言わないですーっといなくなるもの。男にはわからないみたいよ(笑)。

吉峯:若い人は違うと思いますけど、社会的な考え方が身についてしまったおじさんとかはわからないかも。ただ、社会的な問題も、自分と地続きで考えられるのは女の人。

田中:あと、リブに立ち上がった人たちが、どんなにイキイキしていたかが理屈抜きにわかるでしょ。今の女の子たちと変わらない感じで。

__まさに!ウーマン・リブって”LIVE”なのね!って映像から理解しました。イキイキと楽しそうに活動している姿を見ると、うらやましかったです。

田中:あれが当時、男マスコミが理解できなかったことなの。記事になる時は「リブはモテない女のひがみ」とか「一部暴力ブス集団」など、からかう形で載ることが多かった。でもそう言われても女たちは一向に怯まなかった。「男らしく生きることは、自分を生きることにはならない」ということに、いつ男たちは気づくんだろうと、若干哀れに思っていたから。

他者から見た自分を生きている以上、自分を生きることはできない

辺野古での反対運動 ©パンドラ+BEARSVILLE

__リブの考え方である「嫌な男からお尻を触られたくない私」と「好きな男が触りたいと思うお尻が欲しい私」という”大義と欲望”が同じくらい大事、というにとても共感しました。今の世の中は”大義”ばかりが目立っている気がしますが、いかがでしょう?

田中:昔より生き難さを個人的に突破するしかなくて、一層追い詰められているのかも。リブは女たちを、”個”であるとともに、、”面”でもある存在にした。

それでより自由に呼吸ができた。本当に女の人が強くあるには”個であり面である”ことが大事。どっちかだけだと難しいわね。

吉峯:今は”個”にもなりにくいし、”面”にもなれない。#Me Tooみたいな時でも「私には関係ない」と思う人が多いのかも。少数のアンラッキーな人って話ではなく、みんなの問題なのですけどね。男にも、女にも。

田中:男は大変よ。さっきも言ったけど、大多数の男は「自分として生きてない」ことすらわかっていない。女たちはそれに気づいて「どうしたら自分を取り戻せるか」で悩んでいるのに。

__男も女も、“自分”を大事にしていないのでしょうか?

田中:あのね、そもそも日本は「他者から見た自分」が大事な国なのね。かつて「見られる女から、見る女へ」というスローガンをリブは掲げたけど、見られる女に安住してる限り、自分をイキイキ、生きることはできない。日本人の大多数は「自分がどう思うか」ではなく、「今これをするとどう思われるか」という点で自己決定している。個人の自分を生きてるようで、実は個人じゃない。これが本当に、根強くて大変な問題で、ここを乗り越えないと、欧米の人たちが軽く飛び越えていけるところが、飛び越えられないのよ。

__他者から見た自分、確かに。

田中:他者から見た自分じゃない自分をリブの女たちは生きようとしたのね、その模索が女たちを生き生きとさせた。男との関係も勇敢に変えようとしたし。離婚と自由がつながった話であることが、強く認識され始めたのはあの頃からじゃない?(後半に続く)

社会に変革をもたらしたカリスマ像ではなく、常に目の前にあることと自分とを重ねて、対峙している姿がとにかく印象的でした。吉峯監督とのやりとりも軽快で、強い言葉と勝手なフェミニスト像から一変して、人間味あふれるお人柄に魅了され、すっかり大ファンに。後編はカリスマはどうやって生まれ育ったのか、またご自身の子育てについて、これからの時代の子育てについて伺ってまいりました。

『この星は、私の星じゃない』HP

1026日(土)より渋谷ユーロスペースにて公開、以後、横浜シネマリン、大阪シネ・ヌーヴォ、神戸元町映画館、京都みなみ会館、松本シネマセレクト、鹿児島・ガーデンズシネマ、沖縄・桜坂劇場、他にて公開予定

©パンドラ+BEARSVILLE

飯田りえ Rie Iida

ライター

1978年、兵庫県生まれ。女性誌&MOOK編集者を経て上京後、フリーランスに。雑誌・WEBなどで子育てや教育、食や旅などのテーマを中心に編執筆を手がける。「幼少期はとことん家族で遊ぶ!」を信条に、夫とボーイズ2人とアクティブに過ごす日々。

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