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河崎環

新米ママ、小学校受験を通して「母になる」【河崎環・ママの詫び状第12回】

  • 河崎環

2019.08.30

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「子どもための誕生日パーティー」という名に隠された母親の承認欲求

「小学校受験は合格が目的ではなく、親子の絆を深める手段の1つです」と『小学校受験バイブル』(あさ出版)著者・二宮未央さんは真っ直ぐな目で言い切った。だがそんな彼女は子育てを始めたばかりの頃の自分自身を「私、自己中でめちゃくちゃな母親だったんです」と振り返る。

二宮さんは現在、息子と娘、2人の小学生の母。幼児期をニューヨークで過ごし、帰国後は都内にある名門私立女子校で育った。幼稚園教諭を経て結婚し、24歳で長男を出産。「幼稚園教諭を経験していたとはいえ、自分の子どもの育児とはまったくの別物でした。周囲に出産経験のある友人は皆無で、右も左も分からない、手探りの子育てがスタートしました」と語る。

彼女の話には、私にも思い当たることが多すぎた。彼女ほどの名門校ではないにせよ、幼い頃から受験をする私立校の環境で育ち、若くして出産し、同じように「右も左も分からない、手探りの子育て」をしていた私は、二宮さんとは10歳も違う自分自身の「あの頃」を重ねるようにして話を聞いた。

そう、あの頃、同級生の中でも一番早く母親になった私は意地を張って「子育てに向いている、できる」ふりをしていた。でも本当のことを告白するなら、思い通りにならない子育てをしながら日々を回すだけで精一杯。毎日ただ削られて、「こんなはずじゃなかった」と心がやせ細っていくようだった。寂しくて、心細かった。二宮さんが置かれていた状況を、私もとてもよく理解できる。

二宮さんもまた、母親として一人で子育てを背負っていた。仕事と違って、子育てには研修期間もなければメンターもいない。子育てに正解はないと世間で言われる通り、子どもの数だけ子育ての数もあるのだから、自分の子どもの子育ては自分次第だ。どんな子育てをするべきかと考える余裕もなく、ただただその日暮らしの慌ただしい毎日。

「息子の幼稚園選びは、給食があって延長保育が長くて、園内のお稽古が揃っていて自家用車のドライブスルー方式で送迎できて……など、振り返れば『自分がラクかどうか』を基準にしていました」と二宮さんは話す。

思い通りにならない子育てに打ちのめされていた。愛情はもちろんかけていた。だけど24歳と早くに出産した自分と違い、周りの友人はみな独身で、華やかな世界を満喫している。二宮さんはチョコキャリで社会との繋がりを維持しながらも、自分だけがみんなから遠く離れた世界へ置いてきぼりになっていくような焦りと寂しさも感じていた。

「子どもがいると夜に外出できないため、毎晩のように友人が我が家に遊びに来てくれていました。子ども中心の生活ではなく、大人を中心とした生活に子どもを巻き込んでいたのです。子どもとゆっくり向き合って二人で遊ぶということを、意識すらしていませんでした」。

子どもの誕生日にも、普段我が子を可愛がってくれている周囲の友人に感謝の気持ちを伝えるという目的で、盛大なお誕生日会を開いていた。自分の友達を招いて手料理でもてなし、遅くまで「大人」が楽しむ、「子ども」の誕生日パーティー。友人はみんな息子を可愛がってくれる。母親である自分はそれも人見知りをしない、物怖じしないための子育ての一環だとも思っていたし、息子にとっても大人とたくさん関わることは良いことだと思い込んでいた。空になった皿とグラスと、大人たちに買い与えられたいくつものおもちゃに囲まれ、ひとりで遊び、眠りに落ちる息子の姿は見えていなかった。

「それは、あなたの幸せアピールに過ぎないじゃない」

自分も夫も、小学校受験の経験者。夫が結婚前から口にしていた「子どもは僕の出身校に入れたい」との言葉から、小学校受験はいずれするものなのだと自然に意識していた。かつて自身の小学校受験でお世話になった宮田紀子先生の幼児教室へ約30年ぶりに連絡を取り、面談に出かけた二宮さんは、そこで「心臓に銃口を突きつけられたような」思いをする。

恩師の「息子さんの誕生日は、どのように過ごしていますか?」との問いに、二宮さんは「ドヤ顔で」こう答えた。

「毎年盛大に友人を呼んでパーティーを開いています。私や主人の友人たちは、生まれたときから息子のことを可愛がってくれていますので、誕生日は、息子の成長を一緒に見守ってくれる友人たちへの感謝の気持ちも伝えたくて、手作り料理を沢山用意しておもてなししています!」

ところが穏やかなはずの宮田先生は顔色を変え、語気を強めてかつての教え子を叱責した。「なぜ息子さんの誕生日なのに、あなたは、あなたのお友達のために料理を作るの? それは、あなたの幸せアピールに過ぎないじゃない。誕生日は家族揃って、子どもの好きなものを作ってお祝いすればいいのよ。お友達を呼ぶのは、息子さんの誕生日と謳っていても、実際それは、あなたのためのパーティーなのよ」。

「図星でしたね。息子を思っての誕生日パーティーのつもりが、それは私の承認欲求を満たすための単なるリア充アピールに過ぎなかったんです」と二宮さんは語る。

「今までの子育てすべてを考え直さなければ、息子さんの将来は大変なことになるわ」。宮田先生の一言から、二宮さんにとって本当の子育てが始まった。

自分が育った名門の環境に反抗してきた

『小学校受験バイブル』(あさ出版)著者・二宮未央さん。彼女自身は名門女子校の環境から飛び出したからこそ、その良さがわかったと語る。

二宮さん自身、非常に恵まれた環境で育ったとの自覚はある。だがニューヨークで幼少期を過ごした彼女は、日本の厳格な名門カトリック女子校の環境に反抗した。

「当時学校が大っ嫌いで、高校で一度外に出たんです。『みんな同じじゃないといけない』教育方針に疑問を持ちました。当時通っていた学校とは正反対の学校に行きたいと高校受験をして、制服が可愛い都内の女子校に進学しました」。

幼い頃から周囲が十分以上に環境を整えてくれる中で育った二宮さんは、そこから飛び立って自分が持っている力で輝ける場所、「生きている」とヒリヒリ実感できる場所を求めていたのかもしれない。様々な種類のアルバイトを経験したり、貯めたお金で一人旅を繰り返したり、それまで出会ったことのないような友人ができたり、自分なりに世界を広げていった。そして母校から離れた彼女は、今まで自分がいた世界を出て初めて、その環境がいかに恵まれていたかを知ったのだ。

名門の箱庭から飛び出し、やがて大人になった彼女は自分の子どもを連れ、「三つ子の魂で」小学校受験の現場へと戻ってきたのだった。人間として、他者を信じられること、心の拠り所となるものを根底に持っていることや、他者に丁寧に接することのできる心を持っていることがなによりも大事だ、と母校から学んで。

受験から学んだのはテクニックではなくて子育て

「結婚生活も子育ても、本当に『私を飽きさせない』ことばかりで。乗り越えられる試練を神は与える、と聖書にありますが、結婚生活も子育ても、やはり神は乗り越えられる試練を与えられるのだと思うんです」と、二宮さんはいまやさまざまな山を乗り越えたのだろう、大人の女性らしい、落ち着いた豊かな笑みを浮かべる。

小学校受験は、幼少期に親子の絆を深める一つの手段であるということや、「子どもにとって本当に良いこととはなんだろう」と夫婦が真剣に向き合って話し合うことで、合格そのもの以上に「家族力がアップする」ということなど、受験で得られるものは合格して得られる学歴だけでなく、そのプロセスにあると語る。

宮田先生は、世間にいくつもある「お受験教室」とは違い、合格するためのテクニックは教えてくれない。「目先の合否以上の、子どもの人間力というか、自分の頭で考える力を幼少期に培う指南をいただけるのです。受験期にはテクニックを教えて欲しいともどかしかったけれど、今となってはテクニックよりも大切なことを教わったと思っています」。

それは子どもに対してだけでなく、母親に対しても同じだった。お稽古の度に自分の子育ての姿を宮田先生から的確に言い当てられ、「あなたはお母さんになれてない、まだお嬢ちゃんなのね」と気づきたくなかったようなことを知らされるようだった。「この歳でそんなに叱ってくれる方にはそうそう巡り合えるものではなく、それで自分が変わってきました。実家の母親の話は素直に聞けないけれど、宮田先生の話は染み込むように聞けたんです」。

現役ママが『小学校受験バイブル』を書いたわけ

『小学校受験バイブル ~賢い子育てをするために~』 二宮 未央 (著)・宮田 紀子 (監修) /あさ出版

目先の合格よりももっと先の、親子の絆や、理想の関わり方、子どもの人間力。宮田先生に教えられたことを、二宮さんは言語化して残したいと思ったのだという。また、「こんな本があったらいいのになぁとの思いを形にできたのは、私にとって一石二鳥でした」。二宮さん自身が幼児を育てる中、今の時代に即した子育て本がないとの思いも抱えてきたからだ。

「小学校受験には特殊なイメージがありますよね。でもそれは幼少期の子育ての醍醐味に気付くための、一つのきっかけにすぎないんです。私の場合は受験というきっかけがなかったら、ここまで興味を持って子供の性格や成長に気をつけようともしなかったかもしれません。この時期に深い愛情をかけることで、子ども自身にも家族にも『ちゃんとお母さんが見ててくれている』と伝えることができ、子どもの自己肯定感が培われ、初めて母親になれたように思います。受験が終わると恩師の大切な言葉を忘れてしまいそうだから、書き留めておきたいとも思いました。子育ての本質は、子どもがいくつになっても変わらないと思いますし」。

ここで二宮さんの常人離れしてすごいところは、宮田先生の言葉を記した本を出すにはどうすればいいかと逆算して行動したことだ。下の娘の小学校受験も成功裡に終えたのち、定評ある「宣伝会議」の編集・ライターコースに参加し、その卒業制作で念願の最優秀作品賞を受賞、今回の出版へと漕ぎ着けた。「小学生の子育て真っ最中の私が、子育てを語るには早すぎる段階でこのような本を書いてしまったことには、正直不安も多くあります。でも、宮田先生から涙目で『私の集大成を本にしてくれてありがとう』と言われた時、報われました」。

二宮さんは、受験を通じて「母親になれた」と語る。そういえば二宮さんと似た状況を経験した私も、同じように小学校受験や中学校受験を娘と乗り越える中で「私はこの子の母親である」と自信を持って引き受けられるようになった記憶がある。

これを読んでくださるあなたも私も、「ママとしての私」にもいろいろな事件があり、それを乗り越えたからこそ今があるはずだ。ただ子どもさえ産み落とせば親になれるのかといえば、「もちろんそうではない」と、子育てをする私たちは身をもって知っている。私たちは喜びや葛藤や紆余曲折を経て、ある日ふと「親になれた」自分に気づくのだ。二宮さんは、単なる合否やテクニックを超えた小学校受験のそんな効用を「現役のママとして」私たちに一生懸命に伝えてくれている。

河崎環 Tamaki Kawasaki

コラムニスト

1973年、京都生まれ神奈川育ち。22歳女子と13歳男子の母。欧州2カ国(スイス、英国)での暮らしを経て帰国後、子育て、政治経済、時事、カルチャーなど多岐に渡る分野での記事・コラム執筆を続ける。2019秋学期は立教大学社会学部にてライティング講座を担当。著書に『女子の生き様は顔に出る』(プレジデント社)。

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