ママの詫び状

結婚の向こう側 〜退屈しない夫婦に学ぶ〜【ママの詫び状 第8回】

「文句はあるけど、いつまでも二人で」退屈しない夫婦

(c)2017「モリのいる場所」製作委員会

熊谷守一という画家が没して40年。明るい色彩と単純化されたかたちを持つ作風で知られ、晩年は花や虫や鳥など、身近なものをモチーフに描いたたくさんの作品を生み出した。対象の本質を捉えた絵や、力みのない自然な書には、いまでも多くのファンがいる。晩年のポップとも呼べる色使いや大胆な輪郭には北欧テキスタイルにも一脈通じるものがあり、LEE読者にもモリカズさんファンがいらっしゃるかもしれない。

ところが彼は、その高い名声と人気とにもかかわらず、晩年の30年間を豊島区の自宅とその庭からほとんど出ずに過ごした。その日常を淡々と、だがユーモラスに切り取ったのが映画『モリのいる場所』(沖田修一監督)である。

(c)2017「モリのいる場所」製作委員会

94歳の熊谷守一は76歳の妻・秀子とその姪の美恵との3人で築40年の木造一軒家に暮らすが、親しみを込めて「モリ」と呼ばれる彼は朝食を終えると毎日庭へ「出かける」。下駄を履き、両手に杖を握って、庭先で洗濯物を干す秀子に「いってきます」と声をかけ、秀子は「はい、いってらっしゃい、お気をつけて」と返すのが日々の日課だ。草木が生い茂り、虫や花や生き物があちこちに顔をのぞかせる小さな庭は彼のワンダーランドであり、インスピレーションの泉であり、無限に広がる小宇宙なのだ。地面に寝そべって日がな蟻の歩みを見つめるモリ。彼にとってその日常は、毎日ひたすら観察と発見と思考と創作の連続で、飽くことなどない。

妻の秀子はそれを十分に理解していて、庭へ出かけるモリを「お気をつけて」と見送り、発見し考えたことを嬉しそうに語るモリを「ああ、そうですか」と受け流しつつも、近隣にマンション建設が始まって庭に危機が及ぶと「あの庭は、主人のすべてやからね」と建設反対運動を支持する。

(c)2017「モリのいる場所」製作委員会

静かさの中に創作への激しい希求を秘めたモリという芸術家を山崎努さんが、飄々と受け流しながらモリという人格個性をすっぽりと受け入れ見守る秀子を樹木希林さんが、穏やかに演じている。けれど夫婦の結婚52年目の平和な平衡に、かつて深く大きな悲しみが存在したことを一瞬だけ鋭く知らせるのは、終盤で秀子が碁を打ちながら呟く「うちの子たちは早く死んじゃって」との台詞だ。

それは元々の脚本にはない台詞で、5人の子どものうち3人を赤貧で亡くした熊谷守一の歴史を知る樹木希林さんのアドリブだったこと、そして沖田監督にその台詞を即採用されたとのエピソードに、樹木希林さんの母としての、女性としての凄みを感じて肌が粟立った。

母親は、子どもの死を忘れることなど絶対にない。ましてそれが戦時の芸術家家庭の貧しさゆえだったならなおさらだ。この夫婦はそれをも含めて乗り越えた先に、結婚52年目の平衡を迎えていたのだ。

結婚の向こう側にある、悲喜こもごもを二人で経験し、二人で乗り越える。結婚とは、ロマンスの先で「二人を続けること」だ。

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Writer Profile

河崎環

コラムニスト

Tamaki Kawasaki

1973年、京都生まれ神奈川育ち。22歳女子と13歳男子の母。欧州2カ国(スイス、英国)での暮らしを経て帰国後、子育て、政治経済、時事、カルチャーなど多岐に渡る分野での記事・コラム執筆を続ける。2019秋学期は立教大学社会学部にてライティング講座を担当。著書に『女子の生き様は顔に出る』(プレジデント社)。

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