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30代から知っておきたい「乳がん」のこと

【乳がん体験談】宣告されたその日に全摘手術を即決。命を最優先で

  • LEE編集部

2018.05.20

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女性なら誰もが気になる病気、乳がん。30代、40代の忙しいLEE世代がもし今、罹ったら、生活は、仕事はどうなるのでしょうか?
乳がんを患いながらも、たくましく日々を生きる女性たちの貴重な体験談を伺いました。

この記事は2018年2月7日発売LEE3月号の再掲載です。

 

(株)ninoya取締役、ベランダ株式会社取締役 川崎貴子さん


PROFILE
かわさき・たかこ。1972年生まれ。
1997年起業し、女性に特化した人材紹介業、教育事業、女性活用コンサルティング事業を展開。
共働き推奨の婚活サイト「キャリ婚」を立ち上げた。
著書に『我がおっぱいに未練なし』(大和書房)など多数。

 

宣告されたその日に、全摘手術を即決。夫、2人の娘のためにも、命を最優先で選びました

女性起業家として、働く女性のサポートをする事業を積極的に行ってきた川崎貴子さん。川崎さんが乳がんを患っているとわかったのが、たった1年3カ月前のこと。右乳房を切って切除する全摘手術を受けて、取材時の2017年12月には、乳房の再建まで治療は進んでいました。

川崎貴子さん 治療の流れ

  • 2016年
    • 10月14日 乳がん宣告(小葉がん)。抗がん剤が効きにくい種類ということで、その場で全摘手術が決定
    • 11月6日 入院
    • 11月8日 全摘手術。その場で乳房再建の事前処置
    • 11月19日 退院
    • 11月26日 ゆっくり仕事へ復帰
    • 12月24日 ホルモン治療スタート。今後5年間は続く予定
  • 2017年
    • 6月6日 乳房再建の形成手術で入院
    • 6月7日 手術
    • 11月8日 乳頭再建の手術

 

「少し前に、乳首ができたんですよ。見ます?」と、躊躇することなくおっぱいを出して、再建されたおっぱいと乳首を女性スタッフに見せてくれる川崎さん!

反対側の胸のカップの下側から皮膚を移植して、シリコンを入れて膨らませたという新たな胸は、とても自然。その最新技術に驚くと同時に、初対面の私たちにも屈託なく、オープンに接してくれる川崎さんに、一同惚れ惚れしたのでした。

そんな川崎さんの人柄が存分に表れていて、大きな話題なのが、著書『我がおっぱいに未練なし』。乳がんが発覚してからの日記をまとめたもので、その軽妙で、時にユーモアを交じえた語り口はとても“闘病記”とは思えないと、大反響を集めています。

4歳の娘がおっぱいを吸ってしこりが見つかった!

川崎さんが乳がん宣告を受けたのは、44歳のとき。会社の経営不振、離婚、再婚、元夫の突然死など、波瀾万丈な30代を乗り越えて、仕事が安定した頃。夫と協力して11歳と4歳(当時)の2人の娘の育児も両立し、充実した日々を送る真っ最中のことでした。

「きっかけは、4歳の次女が、急に私のおっぱいを吸い始めたこと。産後3カ月でおっぱいをやめていたので、最初は『早く乳離れさせすぎちゃったかな』ぐらいに思っていたのですが、次女が『こっちが気になるの~』と右側ばかりを吸うんです。それで触ってみるとコリコリと手に当たるものがあって……。
産後1年ぐらいは検査などを受けていたのですが、ここ3年は忙しさもあって健康診断も受けずに放置していたので、すぐ病院に行きました」

マンモグラフィ、エコーの検査であらためてしこりを確認。良性か悪性かを細胞の一部を取って判断する「針生体検査」も行うことに。そして、検査の1週間後――。乳がん宣告を受けました。

「先生によると、小葉がんという乳腺に沿って葉っぱのように広がる、珍しい種類の乳がんだそうで、抗がん剤が効きにくいと。手術が必要で、乳房を残してがんだけを部分的に取り除く『温存手術』と、乳房すべてを摘出する『全摘手術』のうち、全摘のほうが再発率が低いと説明がありました」


「実は、検査中の先生の様子から、結果を聞く前に、8割方乳がんだろうと予想していたんです。検査からの1週間で、乳がんサバイバーの親しい友人がいるので彼女に相談したり、本を読んだり、ネットで調べたり、情報収集をしていました。
その中で、とにかく命を最優先で治療法を選ぼうとすでに心に決めていて。先生の気遣いあふれる説明を振り切って、『切ります! 全摘ってことで!』と、その場で治療法を即決しました」

ご本人いわく「威勢のいい競りのように、さくっと手術法を決めた(笑)」という川崎さん。そうは言っても、自分が乳がんだという現実を受け止めるのは、簡単なことではないはず……。

「確かに、告知を受けたときは、さすがの私も病院の受付で、大きなため息をついてうなだれました。
でも、父や叔父もがんに罹っていて、体にいいことにまったく興味がなく、お酒が大好きだというところも、私は受け継いでいたんです。そのうえ、少ない睡眠時間で激務をこなしていたから、がんになるのも仕方ないのかなと……。告知された直後は、妙な納得をしながらぐるぐると考えていましたね」

そんな川崎さんを、前に向かって、突き動かしたものとは一体?

「時計に目をやると、もう18時過ぎ。子どもたちにごはんを食べさせなきゃ、という思いが一番先にきて、立ち上がりましたね。
子どもは待ったなしで起きるし、眠るし、おなかはすくし、悩んでいる時間なんてない!と。
2人の子どもがまだ小さいから、命最優先でいこうと決めたこともあり、そこで私の『乳がんプロジェクト』のスイッチが入ったのかも。どんなヘビーなプロジェクトでも乗り越えてみせよう、と思えましたね」

子どもへは、ひとつひとつ、丁寧に説明するよう心がけて

子どもたちには、どのように病気のことを伝えたのでしょうか。聞いてみると、意外な展開があったようでした。

「面倒を見てくれていたばーば(実母)が『大変、ママが死んじゃう!』と私が帰る前にテンパって言ってしまった! そんな告知のしかたないですよね……。子どもたちに会うと『ママ死ぬの?』『どうなるの? もう何も考えられない』と不安で泣きながらプルプルと震えていました。
できれば落ち着いて話したかったのですが、高齢の母も心配で仕方なかったのだと思います」

「そこから、子どもたちには乳がんサバイバーの友人の例を出して、彼女が元気だから大丈夫でしょと話したり、ママは治るために入院をするんだから心配ないよ、会いたくなったらいつでも病院に来ていいよと伝えたり。
子どもはとにかく訳がわからないので、ひとつひとつ、丁寧に説明するように心がけました

さらに、夫への報告もまた、気が重かったと言います。

「8歳年下でダンサーをしていた夫は、出会った頃は、アーティスト気質で繊細な人でした。乳がんの話をしたらやっぱり泣いていて、なぜか私が『大丈夫よ』と励ますことに(笑)。
でも、手術をすれば治りやすいこと、生存率も高いことを伝えるとすぐに持ち直して『不安とかグチとか言ってね。頼っていいよ』と声をかけてくれました。結婚してからの10年間で、強く成長していたのだなとあらためて感じましたね。
私の入院中も、実母、義母のサポートはもちろんありがたかったのですが、夫は大変だったと思います。家事育児を一手に引き受けて忙しいのはもちろん、娘たちの『ママは大丈夫?』『ママは包帯してるの?』などの質問がすべて夫にいくので、精神的にきつかっただろうなと
乳がんをきっかけに、これまで以上に家庭や子どものことについてコンセンサスを取ったり、夫自身の働き方を見直したり。夫にもいろいろと変化があったのかなと思います」

告知から入院までの約3週間は、新たな事業のスタッフへの連絡、アポイントメントの前倒しなど、仕事の調整や、入院中の家庭運営の手配、保険などの調べ物に奔走。胸のしこり以外は自覚症状がなく、仕事にも支障がなかったのだそう!

「それでもしっかり右胸にしこりはあるし、自覚症状がないまま大きくなるから怖いですよね」と振り返る川崎さん。手術の2日前に入院してようやく、右胸がなくなってしまうという事実を実感したと言います。

「それまでは忙しくておっぱいどころではなくて……。手術直前にカラカラとベッドで運ばれる途中で、走馬灯のようにおっぱいの記憶が蘇りました
思い起こせば、私は貧乳ではありましたが(笑)、おっぱいを使い倒したなと思うんですね。妊娠、出産をして授乳という幸せな経験もできた。だから、本のタイトルのように『我がおっぱいに未練なし』と思えました。
でも、これはあくまでも私の場合。乳がんがわかった年齢やタイミングで感じ方はまったく違いますよね。婚活中だったり、これから妊娠、出産をしたいと考える女性に全摘はあまりに酷だと思います。乳がんは人によってまったく症状も違うし、いつなるかによっても治療や手術方法の選択に大きく影響する。あらためて、乳がん治療の難しさを感じますね」

家族に説明できる治療法を選択。全摘でも迷いはなかった

無事に手術も終わり、手術の約半年後には乳房再建手術を行いました。当初のスケジュールどおりに治療は進んでいるそうで、現在は再発を防ぐためのホルモン治療中。毎日の薬と3カ月に1回の通院のみで、日常を取り戻しているとのこと。手術のために入院した2週間前後以外は仕事もほぼ休まず(!)、現在に至ると言います。

それにしても、川崎さんの乳がんとの向き合い方はどこまでも強く、潔く、ポジティブ。迷いを感じることはありませんでしたか?

「優先すべきものがはっきりしているので、悩まないですね。それは、やっぱり家族です。
私はこれまで、家族をたくさん巻き込んできてしまった。離婚したときは、前夫との子どもである長女から父親を奪ってしまったし、再婚後に会社が傾いたときには、夜逃げ同然で引っ越ししたこともありました。
私のすることはすべて家族に影響する。特に、今回の乳がんは初めて死を意識して、自分がいなくなったら夫は、娘たちたちはどうなるのだろうと肝を冷やしました。親子3人で路頭に迷っている映像がリアルに浮かんできて……。だから、迷いがないプロジェクトを遂行できたのだと思います。
きちんと説明ができる、エビデンスのある治療法を選ぶことが家族への誠実さだなと素直に思えたし、それが全摘手術であっても抵抗はありませんでしたね」

川崎さんは最近、再発防止のために「健康にまつわることが苦手で、これまで忌み嫌っていた(笑)」という運動もスタートさせました。これもまた、川崎さんなりの、家族への誠実さの表れなのかもしれません。

乳がんをきっかけに、より明確に、シンプルに考えられるようになった気がします。再発したらまた家族は心配するし迷惑をかけるから、医者にすすめられたものは意固地にならずに、素直に受け入れる。運動もそのひとつです。
また、仕事に関しても、私は仕事が好きでやりたいこともたくさんあるので、あれもこれもと事業に手を出してしまうところがあったんです。病気を経て、時間は有限なんだと身をもって感じたことで、本当にやるべきことか、どういう仕事を選んでいきたいかを整理することができました
いろいろなことがおさまるところにおさまったなと。私にとっての乳がんは、ブレイクスルーのきっかけだったのかなと、今は思いますね」

そう清々しい表情で語る川崎さん。「いっぱい転んでもいいけど、タダでは起きたくないですよね」と続けます。

「これまで幾度となく『なんで私が?』という経験をしてきて、乳がんはその最たるものだったと思うのですが、『自分はなんて運が悪いんだ』というスパイラルに入ってしまうとよくない
どんなに大変でも乗り越えられるし、どんなにつらいときにも笑いはあるんです。なんでも“ネタ”にできることって大事なんじゃないかなと思います。
自分をできるだけニュートラルな状態に保って『これってヤバくない? ネタじゃね?』と思えれば、どんなときもやっていける。……死ぬこと以外だったら、絶対になんとかなるんです」


撮影/名和真紀子 ヘア&メイク/千葉智子(ロッセット) イラストレーション/macco 取材・原文/野々山 幸(TAPE)
この記事は2018年2月7日発売LEE3月号『30代から知っておきたい「乳がん」のこと』の再掲載です。

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LEE編集部 LEE Editors

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