LIFE

私ってママ失格なの?

【第1回】36歳での出産は、「孤育て」の始まりでした

  • スーザン史子

2016.11.01

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泥だらけのお尻

フリーランスでライターをしている、スーザン史子と申します。これからお話することは、私自身が出産、子育てをするなかで、経験し、感じたことです。

私には現在6歳になる男の子がいます。今はようやく自分なりに子どもとの時間も楽しめる余裕が出てきましたが、ほんの少し前までは、とてもそういう状況ではありませんでした。子どもと1対1でいるときに楽しいと感じることはほとんどなく、いつもイライラして怒り、自己嫌悪に陥る、その繰り返しでした。

LEE読者のなかには、私のように日々辛い状況で子育てをしていたママや、いままさに渦中にいるというママもいるかもしれません。もしも、私が感じたり行動したりしたことが、そこから抜け出す一歩になればと思い、書いてみることにしました。

 

出産は暗くて長いトンネルの始まりだった

 

36歳での出産は、私にとって、人生最大の挫折の始まり、暗くて長いトンネルの入り口でした。

もともと、子どもと接するのが得意なほうではありません。ファミリーレストランでは幼児の近くの席を選ばないとか、耳栓をするなどして静かな時間を確保していましたし、仕事が楽しかったこともあり、結婚から8年目で出産を経験するまでは、幼児とはほとんど縁のない生活をしていたのです。

でも、いつか母親になれば、自分の子どもならかわいがることができると思っていました。

ところが、私の場合、そう簡単にはうまくいきませんでした。

 

当時の家庭環境はというと、夫と私と息子の3人暮らしでしたが、息子が1歳を過ぎたころから、夫は約1年間、震災関連の仕事で東北での単身赴任生活に入り、月曜から金曜まで家に帰ってきません。お互いの両親は離れたところに住んでいましたし、高齢なのでそう頻繁に頼ることもできません。

私の子育ては、孤育てでもあったのです。

 

本格的に挫折を感じ始めたのは、子どもが1歳半を過ぎたころからでしょうか。

息子は好奇心旺盛で、一瞬たりともじっとしていないタイプ。他のお子さんと比べても、とっても育てにくい子に感じられました。とにかく目が離せません。保育園から家に帰って、寝るまでの3~4時間でさえも、イライラせずにうまく面倒を見ることができませんでした。

子どものことは、本当にかわいいと思っているのに、1日の終わりに思うのは、なぜ怒ってしまったんだろう、ということばかり。毎日が自己嫌悪の嵐!

私は、もともと左耳を悪くしていて、泣き声が鼓膜に響きやすいこともあり、泣かれるとどうしようもなく、イライラが頂点に達してしまうのです。

夕食を作っているときは危ないので、幼児用の柵のなかに入れていましたが、すぐそばにいても、息子は柵に入れられているのを嫌がり、まったく泣き止みません。あまりに泣くので、私は我慢ができず、後ろで息子がギャーギャー泣き叫ぶなか、台所のシンクにお皿を投げつけて、どうしようもない気持ちを爆発させていました。

ちょうど金曜の夜、私がシンクで割れたお皿をビニール袋に入れ、掃除機をかけているところに帰ってきた夫が、「どうしたの!」と、ことの重大さに気づくなんてことも。それも1回や2回ではありません。

そのたびに、自己嫌悪に陥り、「もう死にたい」「どこかへ行ってしまいたい」と目を腫らしていました。その繰り返しです。

「あと1人、この場に誰かいてくれさえすれば、ここまでひどい状況にはならないのに」、そう思ったことが何度あったか知れません。

でも、都会のマンションの一室で、スーパーマンのようにそのときだけ飛んできてくれる人なんていません。私はいつも、近所の人に通報されるんじゃないかとビクビクしながら、声が漏れないよう、窓にはきっちりカギをかけていました。

 

子どもとの食事も、楽しくとはいきませんでした。せっかく食事をつくっても、息子は遊んでばかりで汁物はきまってこぼす、私は苛立ちながら、ちらかった床を拭く、この繰り返しで、いつも眉間にしわを寄せながら、砂を噛むように無言で食事をしていました。

「こんなことではいけない」と思っていても、どうしても気分を立て直すことができないのです。

もしかしたら育児ノイローゼ?

キッチンに立つ女性 ボディパーツ 皿洗い

いま思えば育児ノイローゼに陥っていたのかもしれません。他人からはそうは見えなかったと思いますが、自分ひとりのときは、いいママでいられない自分に苛立ち、絶望し、すっかり自信を失っていました。

道を歩いていて、仲よさそうに笑顔で子どもと接しているお母さんの様子をみるだけで、「みんな上手に子育てできているのに、なぜ私はできないんだろう」と、そんなことばかり考え、人知れず涙を流すことも。

 

そんな状態のなかで、少しでも生活を変えようと一念発起したのは、1年前のことです。息子が5歳になるかならないかぐらいの頃、いつも怒ってばかりいる私に対して、息子がにらみつけるようになってきたのがきっかけです。

「このままではいけない」と、すがるような気持ちで、とあるところに電話をかけたのでした。

 

(つづく)

スーザン史子 Fumiko Susan

カージャーナリスト

出版社にて雑誌編集に携わった後、自動車ジャーナリストに転身。女性誌や専門誌、web等で、主に車関係の記事を執筆。10年に息子を出産、ママ目線での車の使いやすさにも注目するかたわら、安全運転講習の講師を務めるなど、クルマ生活に役立つ情報を提供している。日本自動車ジャーナリスト協会会員。

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