ママの詫び状

母親が「躾」という言葉で美化した暴力を奮う時【ママの詫び状 第7回】

ワンオペ育児の冬の季節

懸命に忘れたふりをして、なかったことにして、記憶の奥底に閉じ込めた光景がある。その光景がふとしたことで記憶の浅瀬まで浮かび上がってくる度に、感情が私の足元からざわざわと湧き出して、あっという間に身体中を惨めさで覆い尽くす。

私は幼い娘に手を上げたことがある。その私の姿は醜く、ただひたすら惨めな生き物だった。

2〜3歳ごろの娘は鼻や喉が弱く、風邪を長引かせては扁桃腺炎になって高熱を出したり、副鼻腔炎を起こして、就寝中に鼻水が逆流して反射的に戻したりということを繰り返していた。子どもの体調は大人の思い通りにはならない。スケジュール通りにもならない。でも若くして子育てを始めたばかりで「こうあらねば」「こうせねば」という思い込みに強く縛られていた未成熟な母親は、深夜に娘が突然吐瀉した寝具やパジャマを新しいものに替え、苦く酸っぱい匂いが充満する中で娘の髪や顔を温かいタオルでぬぐいながら、「明日の一時保育に連れて行けるだろうか」「私は明日の資格学校の授業に出られるだろうか」という不安ばかりに心を覆われていた。

当時そんな言葉は存在しなかったけれど、大学を卒業してそのまま専業主婦となった私は、いま思えば絵に描いたようなワンオペ育児を続けていた。夫は社会人2、3年目で、自分の業務や退社時間を自分で決める裁量なんてない。会社に言われるままに早朝から出社し、上司や同期とのつきあいの中で夜遅くまで飲めないお酒を飲んでは、寝るためだけに帰宅する。これまた当時そんな言葉など存在しなかったけれど、絵に描いたような「平日母子家庭」であり、休日も休日で休みたい夫に「迷惑をかけてはいけない」と私は強く思い込んでいた。

夜中に子どもが盛大に吐いた後処理は初めから最後まで私がひとりですべきで、「パパを起こさないように」静かに速やかに終わらせるべきものだった。教育やしつけは「当然、100%母親である私の責任」。子どもが風邪を引くのはひとえに私の管理不行き届きで、医者に連れて行くのもその看病も薬をスケジュール通りに飲ませるのも、それが長引いたゆえに自分が家から出られなくなるのも全て私ひとりの責任。と、強く思い込んでいた。

だから夫は、20年前の娘の小児科も耳鼻科も知らない。子どもが受診するときに出す乳幼児医療証なんてものの存在も知らないし、子どもとどういう導線で受診して薬をもらって帰ってくるのか、その薬をどうやって小さい子どもに飲ませるのかだって、たぶん関心を持ったことがないはずだ。

私の周りだけ、冬が長かった。春が来ようと夏になろうと、心象風景は当時住んでいた築25年の中古マンションのコンクリート壁とぞっとするような鉄のドアにぴたりと閉ざされたまま、寒々しい冬が続いていた。

うずくまって泣いた娘

ある深夜、娘が戻すと、私の口から「またなの?」という言葉がついて出た。何かの堰が切れたようだった。「いつもママが世話してやってるのよ」「感謝してよ」「毎晩毎晩、ゲロゲロとよくもまあ」「匂いが取れないじゃない」吐瀉物のついたパジャマやタオルをお湯でゆすぎ、薄ら寒い深夜、幼い娘を下着姿でお風呂場の横に立たせたまま、私は目も合わさずに鋭い言葉で娘を責め続けた。

翌朝だった。夫はとっくに出社している。資格学校の授業に出たい。予約していた一時保育に連れて行かなきゃ。でも娘は、甘ったるい味付けで薬臭さを誤魔化した粉薬を飲むのを嫌がった。ああだこうだとなだめ聞かせる何度目かのトライで、お白湯と一緒に口に流し込んだ粉薬を娘が吐き出した時。「治す気、あんの?」私は瞬間的に娘の頬を鋭く叩いた。口元から下が吐き出したもので汚れたまま、痛みと驚きで泣きだした娘を、私は「その始末も私なんだから!」と突き飛ばした。

うずくまったまま泣く娘の、小さく丸い背中を見て、私は瞬間的に沸騰した自分の全身が今度は急冷していくのを感じた。そのまま動けなくなってしまった。

私、いま何をしたんだろう。何をやっているんだろう、私は。

惨めだった。私自身は、母親に叩かれることなく育った。それなのに、こんな小さく無力な生き物に、圧倒的に強くて大きい大人の私が力で痛みを与え、大きな声で脅した。私は、醜いモンスターだ。20年近く前、自己嫌悪に全身どっぷりと溺れたまま、娘を抱き上げて親子で泣きながら着替えさせた、そこから私の記憶はあやふやになっている。ただ、あの時のピシッと鋭く弾ける音と、娘の頰の赤さと、突き飛ばした手の感触と、私の激しい感情と、小さく丸い背中だけは鮮明に覚えていて、どんなに忘れたくてもフラッシュバックする。

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Writer Profile

河崎環

フリーライター/コラムニスト

Tamaki Kawasaki

慶應義塾大学在学中に子供を授かり学生結婚後、子育てに従事。夫の海外駐在による欧州暮らしを経て帰国後、Webメディア、新聞雑誌、テレビ・ラジオなどに寄稿・出演多数。政府広報誌や行政白書にも参加する。子どもは、21歳の長女、11歳の長男の2人。著書に『女子の生き様は顔に出る』。

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