『貧困と脳 「働かない」のではなく「働けない」』刊行記念・鈴木大介さんインタビュー
【話題の本『貧困と脳』鈴木大介さん】自己責任論に終止符を打つため「一見、働けそうに見える人が働けない理由」の可視化を続けたい
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ろこも子
2025.02.04

LEEweb連載「私のウェルネスを探して」に2021年にゲスト出演し、インタビュー記事がランキング1位を記録した文筆家の鈴木大介さんが再登場! 大反響につき重版が続いている最新刊『貧困と脳 「働かない」のではなく「働けない」』(幻冬舎新書)についてたっぷりお聞きしました。

新刊『貧困と脳』が話題
鈴木大介さん
Daisuke Suzuki
文筆家
子どもや女性、若者の貧困問題をテーマにした取材活動をし、『最貧困女子』(幻冬舎新書)、『ギャングース』(講談社、漫画原作・映画化)、『老人喰い』(ちくま新書、TBS系列にてドラマ化)などを代表作とするルポライターだったが、2015年に脳梗塞を発症。高次脳機能障害の当事者となりつつも執筆活動を継続し、『脳が壊れた』(新潮新書)、『されど愛しきお妻様』(講談社、漫画化)など著書多数。当事者としての代表作は、援助職全般向けの指南書『「脳コワさん」支援ガイド』(医学書院・シリーズケアをひらく・日本医学ジャーナリスト協会賞大賞受賞)。近著に『ネット右翼になった父』(講談社現代新書、キノベス!2024ランクイン、中央公論新社新書大賞2024第5位)など。
家族資源・教育資源がある人でも過重労働・ハラスメント・暴力を機に「約束を破る」「遅刻する」「その時やらなければならないことから逃げる」ようになり、貧困に陥る可能性が
『貧困と脳』は、2014年刊行のベストセラー『最貧困女子』(幻冬舎新書)の続編なのですね。10年ぶりに続編を執筆しようと思った理由は?
鈴木大介さん(以下鈴木):『最貧困女子』をはじめ、かつての取材で出会った貧困当事者たちには「約束を破る」「遅刻する」「優先順位付けが異様に苦手で、その時やらなければならないことから逃げる」「圧倒的に事務処理的な作業が苦手で、逃げたり先送りする」等々といった共通した特徴があり、どうしてだろうと思い続けてきました。けれど、それをありのままに描けば読者や世間が「これは本人の努力不足・本人の問題」と自己責任論に至ることが目に見えています。
そこで、そもそも取材の端緒が触法少女や少年、過去にそうした来歴のある人たちだったこともあり、劣悪な生育環境で育ち、教育や学習の機会を奪われたり、元々それらを学ぶ機会がなかったりと、いわゆる「世代間を連鎖する貧困」という言い訳がつくような貧困当事者を無意識のうちに、でも恣意的に選んで執筆していたんです。売春をする少女らに最も取材を重ねていた時期には、「まだ高校に在学できている子」「実家住まいの子」は取材の紹介を断ったなんてことまであります。
けれどそうして取材していく中では、家族資源や教育資源を持ちながら、それこそ人によっては資格職でありながらも、過重労働や職場・家庭内のハラスメントや暴力といったイベントをきっかけに同様の行動をするようになり、結果として貧困に陥っている方々も多かった。そこについてもやはり、「どうしてこの人たちは……」と思いつつも「それが精神疾患等にはよくあることなのだ」とあいまいに理由づけて、流してきたという反省があります。

ご自身が同じような状況になって、改めてこれまで流してきたところを掘り下げようと思ったわけですか?
鈴木:そうですね。僕自身が脳梗塞を機に高次脳機能障害の当事者となったことで、何年かにわたって彼らと全く同じように、他者から見ればルーズでさぼり癖や先延ばし癖があり、約束を守れないような行動しか取れなくなってしまった。しかも必死に努力しても、結果的には他者からはそのように見えてしまう行動しか取れないんです。「不自由な脳」、「働けない脳」という状況です。
でも、そもそも貧困当事者に対する差別の根本って、まさに「この人は働けそうなのに、働かない、働こうとしない、頑張らないからズルい」って感情なんですよね。でも、自分自身が他者から全く見えない理由で思うように働けない、むしろ必死に頑張ってもルーズにしか見えないという状況に陥って、ああ、この不可視の理由、つまり「不自由な脳」、「働けない脳」というものを掘り下げて可視化しなければ、差別なんて無くなりようがないじゃないかと、ようやく思い至った。
「働けない脳」とは、脳が情報処理に不自由を抱えることで、日常の些細な「当たり前のこと」ができなくなる状況
「働けない脳」って具体的にどんな感じなのでしょうか?

鈴木:脳って、突き詰めれば純粋に情報処理の臓器なんですよね。なので、脳に不調が起きれば、情報処理に問題が起きてくる。けれど、その情報処理ってなにも特別なことじゃなくて、世の中の日常生活・日常業務上で必要になる「当たり前」、見る、聞く、読む、聴く、話す、理解する、判断する、そういった誰もが意識せず努力せずにこなしていることに過ぎないんです。働けない脳とは、脳が情報処理に不自由を抱えることで、こうした日常の些細な当たり前のことができなくなる状況です。「当たり前」に必要な機能ですから、それがほんのちょっと失調するだけで、もう人が働くうえでのありとあらゆるところまで影響が波及する。それを実体験して、愕然としましたよ。
だってかつての取材対象らも、その「当たり前ができない」って行動をさんざん見せてきたし、人によってはその不自由を僕に必死に訴えた人もいた。けれど僕は、それを「差別につながる」って理由で、敢えて描いてこなかった。でも本人が必死に頑張っても当たり前のことができないなんて不自由が他者から見えない状況であるなら、描くべきはまさにそこじゃないですか。本来書くべきことを、意図的にボカしてきた……ちょっと極端な例えだけど、車で人をひき殺していたことに気づかず、後でドライブレコーダーを見てそれに気づいたみたいな、取り返しのつかないことをしてしまったような感覚に陥りました。
世の中の評価基準は、仕事の結果に残る、完成品・完遂した作業の量=「生産性の呪い」。「働けない脳」の当事者の姿をありのままに描くことを躊躇した僕も、呪いにかかっている
『貧困と脳』執筆で難しかったことは?
鈴木:やはり「働けない脳」の当事者の姿をありのままに描くことへの躊躇ですね。どう書いたって健常な脳の人たちの「とは言え、こんな人が職場にいたら困るでしょ」「働かないのだから貧困に陥るのは自己責任だ」といった反応は目に見えたし、当事者に対する差別を和らげることができないんじゃないのか?と。編集担当者に言わせると脳梗塞発症前の僕は「ブラック労働超肯定派」で(苦笑)徹夜や泊まり込みで仕事するのが当たり前という環境で育ってきていたので、健常側の気持ちも非常にわかってしまうんです。何を書いても、思うように働けない僕自身の自己弁明を繰り返しているように感じて、執筆に行き詰まってしまった時期も。
問題は、結局世の中の評価基準は、仕事の結果に残る、完成品・完遂した作業の量だってことなんですよね。でもそれは「生産性の呪い」でもある。「働けない脳」になるとは、例えるならば一日におにぎりを1個しか握れなくなること。一方、「健常な脳」は一日に20個も30個もおにぎりを握れる。そして、「すごく一生懸命やって」もおにぎりを1個しか握れない人には、おにぎり1個分という作業量への評価と報酬しか発生しません。その一つのおにぎりを握るのにどれほど努力したかへの対価は存在しないんですよね。

なぜおにぎりを使って例えたかと言うと……ちょうど今朝、僕が出かける準備をしているときに、発達障害当事者である妻(詳細は「私のウェルネスを探して」鈴木さん出演回参照)が炊いてくれていたご飯が炊きあがったんです。昨晩頼んでいたんですが。でもここで「移動しながら食べるから、準備が終わるまでにおにぎりを握って」ってお願いしたくても、特性上、たかがおにぎり一つ握るのに10分も20分もかかってしまう。それでは間に合わないので結局そのまま出てきたんですが、内心はやっぱり、「出かけるときに間に合うようにおにぎりができていなければ、お米を炊いた労働は評価外」でした。なんで昨晩お願いした炊飯が完遂するのが今なのか、なんでおにぎり一つ握るのに何十分単位もかかるのかとも、思ってしまう。今もまだ僕は、「生産性の呪い」にかかっていると感じます。自分自身、このマインドにいまだ捕らわれながら執筆することが、やはりかなり難しかったですね。
これには、担当編集者自身も過去に健康問題や家庭問題で傷ついたことから思うように働けない経験があったことに、救われました。僕自身の自己弁護ではなく、多くの不自由な脳当事者の、かつての取材対象者らの代弁をしているという立ち位置に、何度も立ち戻らせてもらった。
自己責任論に終止符を打つため必要なのは、できる限り高い解像度で「一見、働けそうに見える人が働けない理由」の可視化を行うこと
本書の帯に書かれた「自己責任ではない!」というキャッチがとても目を引きますね。鈴木さんが執筆に行き詰まった理由の一つでもある「自己責任論」に終止符を打つには、どうしたら良いと思いますか?

鈴木:貧困者に対しての自己責任論は、端的に「働けそう」に見える人が「働こうとしない」ように見えるのが一番の原因。「働かない・働く気が無い」ように見えている人が実はものすごく努力をしていて、それでも生産性が高くならない=「働こうとしない」ように見えるのが差別の根本です。
『貧困と脳』では、一見働けそうに見える人が働けない理由にはどんなものがあるのか。その当事者側の感覚と、それぞれの不自由の背景に脳機能の何が失調していることがあるのかといったことを、徹底的に解像度を上げて書きました。読めば「サボっている」「働かない」「働く気がない」ように見える人が、実はどれほどがんばっても「働けない」理由がわかるし、その理由がわかれば「働けるよう」になるための解決策もわかる。そこがようやくスタートラインだと思います。足に見えない怪我があって歩けない者がいるとして、その怪我を可視化する作業があって初めて社会は「ああ、これじゃこの人、歩けないわ」「歩かないのはこの人のせいじゃないわ」って理解する。
自己責任論に終止符を打つために必要なのは、できる限り高い解像度でその可視化を行うことだと思っています。
普通に働けていたけど後天的に「働けない脳」になってしまった人は、とにかく自罰しないでほしい。重要なのは他者に「適度に依存」すること
かつては普通に働けていたけど、後天的に「働けない脳」になってしまった人へ、アドバイスをぜひ。
鈴木:とにかく、自罰しないでほしいです。頑張っても思うように脳が動かない、思うように働けないのは、単純に脳が不自由、脳の機能が低下しているからで、あなたの努力不足ではないです。むしろ健常者とは、一番努力しなくても生きていける状況で、あなた以上に努力はしていません。そして、たとえ脳が思うように動いてくれなくなっても、何もかもできないのではなく、対策をしていけばできることはあります。なぜできないのかを自身でも掘り下げて、対策を探していってください。
特にある程度職務経験・キャリアを積んでからその状況になった人は、「能力」が失われたのではなく「機能」が失われているということ、これを切り分けて考えてほしいです。僕自身、発症直後は外出すればパニック発作、電話一本まともにできず、簡単な書類一つの読解すらできないっていう機能低下状況の中でも、執筆にまつわる思考という能力は限定的に残っていることに気づけて、対策を立てられたから、こうして本を出し続けています。
どんなに何もかもできなくなっても、知識も経験も残存します。思うように思考できない、言葉も出ないという状況でも、知的なスペックまで失われているわけではありません。

そして何より重要なのは、他者に適度に依存することだと思います。依存は悪い文脈で語られがちですが、信頼できる他者に不自由を理解してもらい、1を手伝ってもらったら自分のできることが5ぐらい増えるといった、理屈に合わないことがこの状況の脳では往々にしてあります。であれば依存は我々の生存戦略です。
僕自身は発症後「色々お願いや依頼をすると、意外と人って喜ぶんだな」と感じました。確かに僕自身もかつては人に頼られると何かと嬉しかった、けど他の人もそうだとは思ってなかった。むしろ「頼ったら迷惑かける、一人でやり遂げなきゃ」っていうマインドがすごく強くて。でも頼り方と頼る相手が正しければ、人って意外と助けてくれるし、助けることにリターンを求めないし、喜ぶ生き物だなってことがわかった気がします。
「働けない脳」になってしまった人の家族には、本来なら本人が判断決断して当たり前のことでも一緒に考え整理する「思考の補助」「混乱の軽減」を心掛けてほしい
「働けない脳」になってしまった人の家族やパートナーに伝えたいことはありますか?
鈴木:経済や将来設計を共有する相手が働けなくなってしまうことに危機感を感じるのは当然ですが、まずは本人の水面下の努力を無視せずに見てほしいです。働けなくなっていることについて一番不安で苦しんでいるのは本人なので。

あとは、あらゆることについて本人に成り代わって決定する、アドバイスするのではなく、本来本人がすべき現状認識、問題の把握、何をどんな順番でしていくのがいいかといった検討・判断・決定といったことまで、すべて補助してくださるとうれしいです。脳の機能を失調することは、知力が下がるわけでも記憶や経験が失われることでもありませんが、複雑な状況を把握して整理して決断する、それを急いで行うということが、極めて混乱を招きやすくはなります。なので、本来なら本人が判断決断して当たり前のことでも、一緒に考えて書き出して整理するといった「思考の補助」「混乱の軽減」を心掛けてほしい。結局はアドバイスで言おうとしていたことや決定したいと思っていたことと同じ結論になるかもしれないけど、思考判断の活動を本人に一任するのでも、一方的に決めるのでもなく、結論に至る思考プロセスを一緒にやることを心掛けてくれると、本当にありがたく思います。
鈴木大介さん最新刊

『貧困と脳 「働かない」のではなく「働けない」』(幻冬舎新書)
約束を破る、遅刻する、だらしない――著者が長年取材してきた貧困の当事者には、共通する特徴があった。世間はそれを「サボり」「甘え」と非難する。だが著者は、病気で「高次脳機能障害」になり、どんなに頑張ってもやるべきことが思うようにできないという「生き地獄」を味わう。そして初めて気がついた。彼らもそんな「働けない脳」に苦しみ、貧困に陥っていたのではないかと――。「働けない脳=不自由な脳」の存在に斬り込み、当事者の自責・自罰からの解放と、周囲による支援を訴える。今こそ自己責任論に終止符を!
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ろこも子 LOCO MOCO
LEEwebコンテンツディレクター
出版社勤務を経てフリー編集ライターに。LEEwebのコンテンツディレクターをしつつ、書籍編集&WEB記事編集・執筆も。アラサーで結婚するも13年後に離婚、バツ1。ハワイ好きっぽい名前だけどハワイには行ったことすらありません。香港映画と1960年代邦画好き。似顔絵は漫画家・コラムニストの辛酸なめ子さんに描いていただきました。
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